蝶の影 作:木材
早朝、人気のない道場に空を切る音が響く。
「はっ、はっ」
青年、遠夜は汗を流しながらひたすら素振りを繰り返す。木刀を振るたびに流れる汗が飛び散るのがわかる。
『たかが素振りと馬鹿にしてはいけない。素振りの一回一回で型を確認してちゃんと鋒まで力が込められているかを確認するんだ。そうすればどんな時でも刀身全体に満遍なく力が込められる』
義兄である日永がそう言っていたのを思い出しながらひたすら素振りを繰り返す。
「ふっ」
最後に一層鋭い素振りをしたところで手を止め、木刀を見る。木刀は使い込まれており、柄の部分に彫り込まれた名前を眺める。
無道日永
義兄の名前が彫り込まれた木刀は傷だらけであり、厳しい訓練をしてきたことが容易に想像できるほどだった。
『僕自身は大したことないよ。確かに努力は積んだけど、だからってすごいわけじゃない』
普段と違い手拭いに塞がれていない目でそう言っていた義兄の姿を思い出す。盲人でありながら柱にまで至り、さらには歴代の柱でも数少ない鬼の始祖である鬼舞辻無惨に接触できた男である義兄、無道日永。決して自らの実力におごることなくひたすら鍛錬を続けていた姿を見て遠夜は育った。
憧れはあった。だが同時に自らの内から聞こえる声が聞こえてくる。
『あれは天才だ。凡庸である自分ではどれだけ足掻いても辿り着くことはできない』
歴史の浅い影の呼吸の陸の型を作り上げただけあり、日永は天才であった。そんな日永ですら倒せなかった上弦の鬼。そんなものに自分は勝てるのだろうか。
「…………」
しのぶも同じように上弦の鬼への復讐心を募らせている。だが自分はしのぶほど深くその仇に怒ることはできるのだろうか。あそこまで身を粉にして没頭することはできるだろうか。
『僕自身は大したことないよ』
「……あんたがそれ言うんじゃねぇよ」
目元に手拭いを巻きながら遠夜は道場を去っていった。
誰もいなくなった道場に使い古した木刀が道場に転がっていた。
***
賑わう街中を遠夜は一人歩いていた。
街では多数の人が思い思いの時を過ごしている。客を呼び込もうと声を張る店員、子供の笑顔に顔を綻ばせる両親、意中の相手と幸せなひと時を過ごす若者と人それぞれだが、どの人も明るい感情が感じ取れる。昼間故に活気もあり、加えて鬼が出る心配もないため遠夜は気を抜きながら適当に歩みを進める。
「お」
なにかないかと歩いていると、大判焼きの出店があるのを見つける。食べ歩きが趣味である遠夜はこれはいいと出店に近づいた。
出店の売り子をしていたのは恰幅の良い男だった。遠夜が近づくと豪快な笑いを向けながら話し始める。
「おう兄さん、一つどうだい」
「なかなか良い匂いだ。一つと言わずに……そうだな、五つもらおうじゃねぇか」
「そんなに買ってくれんのかい?いいねぇ、一つおまけしてやろうじゃねぇか」
「へぇ、気前がいいな」
「そんなに買うってこたぁ誰かに分けてやんだろ?まさか兄さん一人で食う気じゃあるめぇ」
「察しがいいな。どうも近くに
「おおそうかい。しかし兄さん、見たところ目が見えねぇんだろ?お知り合いみつけられんのかい?」
「問題ねーよ」
「ふーん、そうかい。まぁ大丈夫っていうならいいけどよ。気ぃつけろよ?こんな人通りの多い街中だ。スリやらひったくりも時々あるし、近頃は行方不明になる奴もいたりするらしいから」
大判焼きを紙袋に詰めながら店主はそう言う。最後の言葉に遠夜は僅かに眉を潜める。
「そいつは物騒だな。どのあたりで起こってんだ?」
もし鬼の仕業ならば早急に排除しなければならない。それが鬼殺隊の役割なのだから。
「なんでも隣町にいくまでの道で起こってるらしいぜ?こっちから向こうにいくまでの道で夜中に隣町まで行こうとした奴が次々と消えてんだと」
「逆もまたあるのか」
「おうよ。その道は今は気味悪がってだーれも通ろうとしねぇ。ちょっと面倒でも回り道していく奴ばっかだよ」
「へぇ、怖いねぇ。その道はどこだ?」
「この大通りを南に進めばあるよ。行くのは勧めねぇぞ。街の外側、特にその道あたりはゴロツキも多いからな。ほれ、大判焼き」
「気をつけるよ。そっちには行かないようにしとく」
そう言いながら代金を店主に渡して遠夜は出店を去った。
先ほどの話を頭の中で整理しながら紙袋から大判焼きを一つ取り出して頬張った。
「へぇ、こいつはうまいな」
生地と餡子の味が口に広がり、遠夜は素直な感想を口にする。もぐもぐと口を動かしながら街中を歩く。そして遠夜の気配感知の中に知ってる気配が感知された。
「おう無道、派手に食べ歩きしてんな」
音柱、宇髄天元だった。後ろに続く気配は三つ。気配からは一般人ではないことがわかる。
「どーも派手柱さん、後ろのは嫁さんですかい?」
「音柱な。おう、うちの嫁だ。まきを、雛鶴、須磨だ」
「へぇ」
「天元さん、こちらの方は?」
「同僚の無道遠夜だ。俺と同じ柱だよ」
「へえ!天元さんと同じ柱なんですね!」
「この子……前に話してた影柱ですか?」
「そーそー。生意気なんだが、腕は立つしノリがいいんだ」
「はは、酷いな宇髄さん、俺生意気っすか。こんな従順な後輩なのに?」
「そーいうとこだ無道。で、こんなとこでなにしてんだ?」
「食べ歩きっす」
「自由だな。任務で近くに来たとかじゃねぇのか?」
「いえ別に。うちの屋敷が比較的ここ近いんで時々来るんすよ」
「へぇ、近いのか。たしか蝶屋敷もここから近いよな」
「元々蝶屋敷もうちもカナエさんと兄さんのものですからね。お互い近い方が良かったんでしょうね。色々と」
「あー……なるほど」
そこで宇髄は日永とカナエが恋仲であったことを思い出した。
「あ、そうだ。大判焼き一つどすか?」
「そんなに買ったの?」
「ええ、皆さんの気配を感じたんでお裾分けしようかと」
「ええー!めっちゃいい子ー!」
「…………」
志摩が感嘆している中、宇髄は目を細めて遠夜を見た。
「……なにが目的だ?」
「なーんだよ
そう言いながら遠夜は大判焼きの入った紙袋を宇髄に手渡した。その紙袋の中を見て宇髄は目を見開き苦笑いを浮かべた。
「ほい、これ。なかなかいけますよ?
「……ケッ、仕方ねぇ。派手に乗ってやるよ、お前の策に」
「なんのことだか。んじゃまた」
そう言って遠夜は雑踏の中に消えていった。
「……天元さん、なんだったんですか今の会話」
「ん?ああいや……」
渡された紙袋の中から紙を取り出した。
「え、なんですかこれ」
「あのやろう、この辺りが俺の担当警邏地区だからって俺の仕事をわざわざ見つけてきてきやがったんだよ」
その紙には簡易的な地図がかかれており、隣町への道の場所にバツ印がつけられていた。先ほど遠夜が店主に聞いた情報を簡単に書き記したのだ。
「……これ、鬼の情報ですか?」
「見たところ鬼かどうかの確証はねぇみたいだな。だがまぁなにかしらあるってんなら鬼殺隊として行かない手はねぇ」
そう言って宇髄は紙を懐にしまった。
「お、この大判焼きうまいな」
「わあ、大判焼きなんて久々に食べましたよ。おいしい!」
「この餡子いいですね。私こし餡派なんで」
「わ、これくりいむって奴ですよ!最近話題のハイカラな食べ物屋で見ました!」
***
宇髄と別れた後、遠夜は食べ歩きを続けながら街を徘徊していた。
そうしていると日は完全に落ち、街は昼間ほどの賑やかさは無くなっていた。人通りはまだまだあるが、昼と比べるとやはり少ない。
「……さて、夜になったしそろそろ動くか」
街中で最も高い建物の屋根に座り街中を眺めていた遠夜は一人そう呟くと立ち上がり、意識を集中させる。
「円」
自らに宿る『氣』を練り上げ、遠夜を中心に球体状に広げていく。遠夜の円の効果範囲内に入ったものは須く遠夜に存在を認知される。
だが遠夜の目的となる『気配』は感じられなかった。
「あれーいねぇな。この街にいるのは確かなんだがなぁ。うまく目眩ししてんのか?それとも郊外の方か?……これ以上範囲広げるのかぁ、しんどいなぁ」
そうぼやきながらさらに円の範囲を広げていく。
すると円で感知した中に二つほど人ではない気配を感じ取った。
「おっと、やっと見つけた。この人が……えーっと、そうそう珠世さんか。んで、隣が……名前なんだっけ。まーいっか」
そう呟くと遠夜は姿を消した。
「ふぅ」
洋館の二階の窓を開け、空気を入れ替える。日中は締め切っていたため少し空気が淀んでいた。息を吸い込むと新鮮な空気が肺を満たした。
「珠世様、お風呂の用意ができました」
そう言いながら少年が声をかけてくる。
「ありがとう愈史郎、私は少し風に当たってから入りますので先に入っていいですよ」
「いえ、俺が先に入るわけにはいきませんので。お湯の温度を保っておきますのでいつでも好きな時にお入りください」
こういう時の愈史郎は頑なに言うことを聞こうとしないことを知っていたため、女性……珠世は小さくため息を吐きながら答える。
「わかりました。できるだけ早く入ります。ありがとう」
「いいえ」
そういうと愈史郎は去っていった。
愈史郎が去るのを確認すると、珠世は再び空を見上げる。街の灯り故かあまり星は見えないが、月はよく見えた。まだ満ちている途中であるためあまり綺麗な形とは言いがたいが、その光は見るものの目を惹きつけるものだった。
わずかに風が吹き、カーテンを揺らした。
「いやぁ、いい夜ですねぇ珠世さん」
唐突に知らない男の声が背後から聞こえ、勢いよく振り返るとそこには手拭いで目元を覆った一人の青年が窓際に座っていた。
「換気は大事だが、あまり無防備に開け放っておくのは感心しませんなぁ」
「……あなた、鬼殺隊?」
「お、やっぱ隊服着てるからわかりますよね。ご明察」
飄々として掴みどころのないような話し方をする青年に珠世は警戒を強める。
「……私を、殺しにきたのですか?」
鬼殺隊は鬼を殺すのが使命。故に鬼殺隊である青年がここに来た理由として考えられるのは他になかった。
「いいえ?本当に殺すつもりなら声なんかかけないで後ろから斬ってますよ。それにわざわざ殺すやつの名前なんか普通知らんでしょう」
「…………それもそうですね」
男の言葉に納得すると珠世は少し警戒段階を下げる。なにより男からは殺気や悪意、害意といったものが感じられない。
「おっと、申し遅れました。俺は無道遠夜。影柱やってまーす」
遠夜の言葉に珠世は少し目を見開く。
「無道……影柱……まさか日永さんの?」
「あ、やっぱ知ってますか兄さんのこと。御館様からも聞いてましたけど兄さんと交流あったんですね」
「ええ……産屋敷様の計らいで。つまり貴方は日永さんのご子息……ではなさそうですね。弟さんですか」
「義弟ですけどね。まぁそこまでわかってるなら話は早いです。俺は無道日永の後釜です。以後よろしく」
「ええ、よろしくお願いします」
「基本は鎹烏での連絡となりますが、重要なことは産屋敷輝哉の代理として伝えに来ますよ……それで、ここに来たのはまぁ話があるからなんですけど、その前にうるさそうなのが来たようなので」
どたどたという音が聞こえたと思ったら扉が勢いよく開き、愈史郎と呼ばれた少年(?)が現れた。
「珠世様!いかがなさいました……なんだお前!なぜ鬼狩りがここにいる!」
「おーおー煩いのが来たな」
「珠世様!下がって!」
「よしなさい愈史郎、この人は私たちを狩りに来たのではありません」
「狩りに来たわけではない?ならばなぜ……まさか、あの男の後釜か?」
「そーそー。無道遠夜。よろしく」
「お前らのような胡散臭い男なんぞ信用なるか!貴様のような無能の力なんぞ必要ない!」
「えー、なんもしてないのにいきなり無能扱い?ここ隠してるの多分お前の血鬼術だろ?それ見破ったのに無能扱いかよ」
「愈史郎、やめなさい。この方は話をしに来たのです。事を荒立てようとしないで」
「……はい」
どう考えても納得していない様子だが、とりあえず話はできそうだと判断して遠夜は話を始める。
「……まぁ、ちょっと今の状態だとそこの煩い奴の警戒が解けなさそうなんで」
そういうと遠夜は腰に携えた日輪刀を鞘ごと床に投げ捨てた。
「なに?」
「これで俺があんたらを殺す術は無くなった。少しは信用したか?」
「…………」
実際、遠夜の場所から日輪刀の場所まで少し距離ができた。日輪刀を持たない遠夜は二人を殺す術はない。日輪刀を拾うにしてもこの距離から刀を拾って斬りかかるには一瞬時間が必要だ。釈然とはしないが、これで遠夜が手出しをしないという確約はできた。
「これで話できそうですね。まぁ今回は大した話はないんですが」
「ならば今すぐ帰れ!」
「愈史郎」
「冗談です」
「まず初めはもう話しました。無道日永の後釜として俺、四代目影柱・無道遠夜が就きます。あなた方の安全のために大体の連絡は烏を通して行いますが、重要な連絡やちょっとしたお届け物がある時は俺が来ますんで」
「はい、よろしくお願いしますね」
「次に鬼舞辻についてです。大まかな居場所は掴みました」
「!」
「詳細はどう調べてもわかりませんでした。うまく気配を隠している」
「……そうでしょうね。でなければもっと容易く見つけることができるでしょうから。それで、今奴はどこに?」
「東京です。人の多い都市部ならば気配も誤魔化しやすいのでしょうね」
「…………」
「それで、御館様からの提案です。鬼舞辻のいる東京に居を移してはどうでしょう。すでに御館様がいくつか候補となりそうな場所を見繕ってあります。それで、こちらがその候補になります」
そう言って遠夜は懐から手紙を取り出し、珠世に投げてよこす。直接渡してもよかったが、愈史郎から
『近づいたら殺す』
という並々ならぬ殺気を感じたため不躾とわかっていながら投げたのだった。無用な争いは面倒だったため、穏便に済ませる方法として遠夜は手紙を投げてよこした。
「御館様からは以上っす。拠点の件については烏を通してやってください」
「はい、ありがとうございます」
「話は終わりか?ならさっさと帰れ!」
「御館様からの話は終わりですね。で、次の話なんですがこれは俺個人の話です。ちょいと珠世さんにお願いが」
「……私に?」
ーーー
「以上が俺の頼みです。どうです、受けてもらえますか?」
「ええ、それは構いませんが……」
「無論俺個人の頼みなので強制はできませんし、無償というのも悪いんで珠世さんからの頼みも受けますよ。いつでもなんでもできる訳じゃないですけどね。使いっ走り程度ならいくらでも」
「しかし、なぜそれを初対面の私に頼むのですか?」
「……言いたいことはわかりますよ。でもそれは」
言葉にした途端、遠夜の雰囲気が変わった。
「必要な情報ですか?」
どことなく威圧的な雰囲気。威圧するというより、拒絶すると言った方が的確だろうか。
「……いいえ」
「そうですか。なら、お願いしてもいいですかね?なんなら今なにか頼んでくれてもいいですよ」
「今現在では特にないです。なにかあれば、産屋敷様を通して依頼しますので」
「承知しました。んじゃ、これ以上長居してそこの煩い奴になんか言われるのも嫌なんで俺はこれで。またいつか」
「……ええ、またいつか」
珠世の返事を聞くと、遠夜は日輪刀を拾って姿を消した。
「……珠世様、あの男を信用していいのですか?前の無道日永はまだ信用できました。しかし、あの男は……」
「…そうね、遠夜さんは本心を見せない。唯一見せた本心はあの拒絶だけ。でもそういう人は仕事は確実に熟すのですよ。無論私の経験則なので絶対ではありませんが」
「……あの男、なんのために珠世様にあのようなことを依頼したのでしょうか」
「わからない。でも、彼には彼の目的があるのでしょう。そのために私を利用する。それだけよ」
「珠世様を利用するなんで……なんて無礼な」
愈史郎が遠夜への反感を募らせているが、どうも珠世は遠夜のことが憎みきれなかった。実際、遠夜の見た目と話し方だけを見たら胡散臭いことこの上ない。だが珠世は遠夜がただの胡散臭い人間には見えなかった。鬼となり、数々の人間を見てきたが、遠夜のような人間は少ない。本心をここまでうまく隠すことは並大抵ではできないのだ。しぐさ、雰囲気、目線、表情などでなんとなく察することができる。遠夜は目線については手拭いで覆っているため目線ではわからないとはいえ、それでもうますぎる。だが、まだ齢二十程度の青年がこれほどまでうまく本心を隠す術を身につけたのは(才能もあったかもしれないが)それ相応の理由があったのだろう。その理由が何なのかはわからないが、なににしても悲しいことだ。恐らく珠世が遠夜を疑いだけの感情で見れないのはそういうことなのだろう。
「……本当に、貴方の弟さんなの?日永さん」
そう呟いたところで掛け時計が音を鳴らす。思ったよりも時間が経っていたらしい。
「もうこんな時間。ごめんなさいね愈史郎、すぐにお風呂を済ませます」
「いえ!お気になさらず!悪いのは全てあの」
「愈史郎」
「……すいません」
圧を感じる声にピシャリと言われ愈史郎は押し黙った。余程遠夜のことが気に入らないのだろう。仕方ないといえば仕方ないが。
そんな愈史郎の様子を見て困ったような笑みを浮かべながら珠世は小さくため息をついた。
産屋敷亭
「こんばんは遠夜、月は隠れているけど過ごしやすいいい夜だね」
「こんばんは御館様」
珠世と接触した後、遠夜は産屋敷亭を訪れた。報告は烏を通して行ったが、輝哉に会いたいと言われて産屋敷亭に呼ばれたのだった。
「珠世さんへのお使い、ご苦労様。どうだった?」
「普通の鬼とは気配がかなり違いますね。鬼ではあるが、どこか大きく違う。そんな気配でした」
「そうだろうね。彼女はもう人を食べなくて済む鬼だから」
「へぇ。となると、あの側近……名前…あれ、なんだっけ」
「愈史郎さんだね」
「あーそうそうそれです。それも人を食べなくて済む鬼なんですか?」
「そうだね、そう聞いている。でもそんなことは遠夜でもわかるんじゃないかい?」
「あー、まぁ、そうですね。わからなくはないです」
でも確証はないから、といって遠夜は短く切りそろえられた髪の頭をかく。
「日永も珠世さんへの使いとしてごくたまにだけど会っていたよ」
「聞いてますよ。まぁ影の呼吸は
そう言って遠夜は肩を竦める。
「……遠夜の頼みは引き受けてもらえたかい?」
「なーんだ、やっぱお見通しか。そんなあからさまでしたか?」
「いいや、そんなことはないよ」
「……御館様に隠し事はできないですねぇ全く。先見の明ってやつですか?怖い怖い」
「そんな大したものじゃないよ」
そう言って輝哉は笑った。声もそうだが、この人は笑顔でも落ち着くんだな、と遠夜は場違いなことを考えていた。無論、視覚は塞いでいるため見えないのだが。
「君がやりたいこと、やり遂げられることを祈っているよ」
「テキトーに祈っておいてください。仕事の合間にでもやるんで」
「ふふ、頑張ってね。応援してるよ。じゃあそろそろ下がっていいよ」
「どーも。んじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ、遠夜」
そう言って遠夜は産屋敷亭を去った。
「遠夜、君は本当に優しい子だね」
残された輝哉は一人そう呟いた。
産屋敷亭からの帰路に着きながら、軽く見回りをしていると、提灯を持った人が立っていた。
「こんばんは遠夜」
「よう、しのぶ。仕事帰りか?」
立っていたのは胡蝶しのぶだった。しのぶの顔は提灯の灯りに照らされて普段とは異なる雰囲気を放っていたが、それを遠夜は見ることはできない。
「ええ。今日は平和な夜だったので早めに切り上げました」
「なんで提灯なんか持ってるんだ?邪魔だろ」
「先程おばあさんに待たされたのですよ。『夜更けに女の子一人で出歩くのに灯りも持たないなんて危ない』って。人の良い方だったので無下にするのも憚られてしまって」
「へぇ」
「せっかくだし、屋敷に持って帰ってなほ達に見せようと思うの」
「いいじゃねぇか。喜ぶと思うぜ」
遠夜が軽く笑うとしのぶは僅かに目を細める。そしてそれを気配で遠夜は敏感に感じ取った。なにか気に触ることでもしただろうか、と内心で首を傾げる。
「なんだよ」
「なにも。ただ、貴方が笑うと少し煽っているように聴こえてしまうのはなぜでしょうね」
「はは、そいつは被害妄想だろ。そんなこと思ってねーよ」
「……そうね、貴方は
しのぶの言葉に遠夜は答えない。
「しかし、しのぶも当主……というよりお姉さんやってんのな」
「……なにか、文句でも?」
「なーんにも?ただ」
「ただ?」
「似合ってねーぞ」
その言葉にしのぶは額に青筋を浮かべる。
「あら、言ってくれるじゃない。貴方みたいに無道家の当主の癖にいつもどこかでふらふらしてる風来坊よりはまともな仕事をしてると思うのだけれど?」
「おおっと、こいつは耳が痛い話だな。まぁ今は俺が当主になってるけど兄さんが死んだ時点で無道家は終わってるんだがな」
「耳が痛いって自覚があるなら少しは帰ってきたらどう?」
「その資格はねぇだろ、俺に」
「え?」
「話はここまでだ、どうやら客のようだぜ」
そう言って遠夜が顔を向けた方を見ると、そこには人『らしきもの』が立っていた。
「鬼……」
「こいつはすげえ。この距離になるまで全く気配がしなかった」
「…………」
「おしゃべりは嫌いなタイプか?」
「遠夜、わかってると思うけど」
「ああ」
刀を抜きながら遠夜は言った。
「こいつ、十二鬼月だな」
ーーー
「まさかこんなところで十二鬼月に会うなんて」
「今日はついてねーな」
「そうね」
そう言いながらしのぶも刀を抜く。筋力のないしのぶは鋒と鍔付近以外刃がない特殊な刀になっているが、これは彼女の欠点であると同時に長所にもなっている。
鬼は動かない。
「しのぶ、援護する。好きに動け」
「逆の方がいいんじゃない?私の攻撃が効くかはわからないのだし」
「なんだ、お前の
煽るようにそういうとしのぶは再び額に青筋を浮かべた。
「……ええわかりました。なら前衛はお願いしますね?」
そういうとしのぶは目にも留まらぬ速さで鬼に向かっていった。
前衛任せた、と言っておきながら真っ先に飛び出していくのは速さで煽り返すつもりなのだろう。
「やっぱその方がいいよ」
遠夜もしのぶに負けないほどの速さで鬼に向かっていく。
鬼は動かない。
「動かない?」
「怯むなよ」
「ええ」
動かない鬼に迫りながら訝しげに目を細める。鬼狩りが向かって来ているのに動かないのはおかしい。この鬼の血鬼術に関係しているのかもしれない。
あっという間に距離を詰めたしのぶは神速とも言える速度で鬼の頸に刀を突き刺す。
「これは…!遠夜」
「やはりか」
その直後に遠夜は鬼の頸を飛ばす。
その瞬間、鬼の頸が黒い塊に変化し、無数の触手を放って来た。
影の呼吸・壱ノ型、無間舞踊
遠夜はしのぶの前に立ち塞がり迫り来る触手を全て斬り落とした。すると鬼の頸と身体はどろりと溶けて消えた。
「ありがとう」
「任されたからな」
「……これはやはり血鬼術でしょうね」
「だろうな。そして俺の予想が正しければ」
その言葉とほぼ同時に闇の中から無数の触手が生えてくる。
そしてそのうちの一つに目と口が生えてくる。目には『下弦』と『参』の文字が刻まれていた。
『ほう、鬼狩りじゃあないですか。しかも柱。獲物としては上等ですね』
「お、喋るのかこれ」
「気色悪いですね」
『今日はいい夜だ。月も出ていないし柱という上等な肉が食えるだなんて』
「こいつ鬼の癖に月嫌いなのかよ」
「別に鬼だからといって月が好きだというわけではないでしょう」
「それもそうか」
どこか緊張感の無い会話をする二人(主に遠夜)に鬼は僅かながらイラッとした。今までこの影を見せただけで鬼狩りを含め多数の人間が恐怖したというのにその様子が全く無いからだ。
『私の名は法陰。殺す前に貴方方の名前を聞きたい』
「え?これから殺す奴の名前知ってなにがいいの?どうでもよくね?」
「生憎、私には鬼に名乗るような名前は持ち合わせていません」
『………………』
なぜか今までで一番カンに触る二人(主に遠夜)だと法陰は思った。
『残念です。なら、せめて一息に殺してあげましょう。名も知らぬ柱達よ』
その言葉と同時に無数の触手が襲い掛かってくる。
「遠夜!」
「はいよ!」
それらを一息のうちに全て斬り落とす。さらに追加で襲ってくる触手はしのぶが突きと鋒の斬撃で対処する。
「これ本体やらないと永遠に斬り落とす遊びになりそうだな」
「そうね、遊びではないけれど。相手もまだ本気じゃないでしょう。早めに本体を見つけて叩きたいところね」
「本体みつけるのは……」
「貴方が適任でしょうね」
「ええー、今日二回目の円かよ」
「いつもやってるでしょう?」
「そうだけどさー。じゃあほんの一瞬任せるぞ」
「ええ」
そういうと遠夜としのぶは前衛後衛を入れ替える。入れ替わった瞬間、遠夜は『氣』を練り上げ球体状に広げていく。
「見つけた」
「相変わらず早い」
「そういうものだ。これだけ大規模な血鬼術だ。そう遠くにはいない」
「それもそうですね。それで敵はどこに?」
「真後ろの方角だな」
「あら」
てっきり影の触手が生えてくる方向にいると思っていたが、どうやら真逆の方向にいたらしい。遠夜のような気配を探る方法はしのぶにはない。無い、は言い過ぎかもしれないが遠夜ほど正確に広範囲にできはしない。
「一度呼吸で一掃する。その隙に本体に向かえ」
「承知しました」
しのぶの返答を聞くと同時に遠夜は深く息を吸い込む。
「全集中」
影の呼吸、参ノ型 無辺
一呼吸のうちに繰り出される無数の斬撃によって影の触手は全て切り裂かれ跡形も無くなる。先ほど無数の触手を一掃した時よりもはるかに鋭く、斬撃数が多い。
「いけ」
その言葉と同時に刀を納めしのぶは走り始める。
遠夜に言われた方向を辿ると、確かに鬼と気配が強くなってくる。
(近い)
そう感じ取ると特殊な日輪刀を抜く。
「おや、貴女だけか。一人で私を倒せるとお思いで?」
「……貴方方は、何人殺しましたか?」
「そんなことが気になるのですか?そうですね、もう何人殺したかなんて数えてませんね。印象に残っている数名なら覚えてますよ。貴女のことも覚えられるかもしれませんね」
そういって闇から出てきたのは紳士風の服装に身を包んだ初老の鬼だった。
「うーん、せっかく話の通じる仲良くできそうな方でしたのに」
「おや、仲良くしようという気概があるのですか?」
「ええ、鬼も人も仲良くすればいいのにと思っているので」
姉がよく口にしていた言葉を言うが、しのぶの内心はそんなことかけらも思っていない。人を殺しておいて仲良く?なにをふざけたことを、と思っているのだから。
「具体的にはどのようにするのですか?」
「そうですねぇ、まずは両眼をえぐります」
「おや」
「次に全ての指を斬り落とし、舌を引き抜き、全ての内臓を引き摺り出します。本当はもっとしたいところですが、それで仲良くできるかなぁって」
「仲良くする気が全く感じられないのですが」
「ええ、でもそれくらいしないとあなた方の罪は赦されませんよ?」
「はっはっは!これはいい!貴女の名前が聞けないことだけが心残りですがこれで私も貴女のような華奢な少女を殺す覚悟ができましたよ」
そういうと法陰は手をあげる。
「血鬼術・黒腕」
法陰の背後にある闇から無数の腕が生えてくる。
「私の血鬼術の真髄は『影』。影がある場所ならば無限に身体を作り出せます。触れている影は私の身体そのものとなるのですよ」
「わざわざ教えていただけるなんて。親切ですね。それとも舐めてるんですか?」
「これくらいの手加減は必要でしょう?貴女はどうやら頸を切れないようなので」
「ご親切にありがとうございます。じゃあ」
死んでください。
そういうとしのぶは目にも留まらぬ速度で法陰の頸に日輪刀を突き刺した。
「ごっ⁈」
「先程の速度が最高速度だと思いましたか?あの程度の速度が全力だと思われるのは心外ですね」
そういうとしのぶは刀を頸から引き抜き間髪入れずに呼吸によってトドメを刺しにかかる。
蟲の呼吸・蝶の舞 戯れ
放たれた刺突により法陰は仰反る。
「……素晴らしい速度です。私では反応することすらできない。ですが刺突の攻撃では鬼は倒せませんよ?」
「それは釈迦に説法ですよ?貴方に言われなくともそんなことわかっています」
ではなぜ?と思ったところで法陰は肉体に異変を感じる。突き刺された部分が熱い。それは徐々に広がり痛みを伴い始めた。
「これは、毒か⁈」
「ご明察です。藤の花から抽出した毒を改良したものです。並の鬼なら大体即死になるような調合にしたつもりでしたが、やはり十二鬼月ともなると即死には至りませんね」
「ぐっおおお!」
即死はしないが、確実に効いているのはわかる。体内で分解される可能性もあるためもう何発か打ち込んでおこうと思った瞬間、違和感を感じる。
法陰が苦しまなくなった。
死んだわけではない。ということは毒を分解したのだろうか。だがあまりにも早すぎる。上弦の鬼ならばわかる。ここ百年以上変わっていない上弦の鬼ならば試作の毒程度すぐに分解してもおかしくない。だが下弦の鬼がこれほど早く分解できるとは思えない。
「は、はは……いやはや、素晴らしい毒でした」
「もう分解したのですか?」
「いいえ?私は鬼の中でも肉体は弱い方でしてね。肉体の再生速度などは十二鬼月の中では最低辺です。ですが私は血鬼術で十二鬼月まで登り詰めたの者なのですよ。先程言ったでしょう?影は私の身体そのものだと。貴女が私に打ち込んだ毒を身体である影に流したのです。影に毒を流し込んだところで影響はないので。尤も、この血鬼術がなければ貴女の毒で私は死んでいたでしょうけどね」
なるほど、と納得する。影は法陰にとって身体であり、身代わりとなるものなのだ。恐らく、影に隠れることもできるだろう。
その代わり肉体はやはり弱いようだった。先程しのぶが突き刺した場所はまだ塞がっていない。十二鬼月にしては肉体はかなり弱いのだろう。
「毒は効かない、頸も切れない。将棋ならば貴女はもう詰みですね」
「…………」
反論はできない。この手の鬼は今まで会ったことなかった。過去に色々な血鬼術を使う鬼を見てきたが、その中でも血鬼術だけならしのぶと最も相性が悪い鬼だ。
「仕方ありませんね」
「諦めて投降しますか?それならば痛みを感じさせずに殺してあげますが」
「私が殺すのは諦めます。あとは任せますよ」
「遠夜」
その瞬間、背後の闇から遠夜が飛び出した。
「!」
驚愕はしたものの、法陰は無数の腕を遠夜に向けた。
「またかよ」
空中で回転しながらその腕を斬り落としていき、しのぶの横に着地する。
「遅かったわね」
「ちょっと距離おいて観察してたからな」
「…………」
「必要なことだ。むくれんな。援護頼むぜ」
そういうと遠夜は法陰に向かっていく。
「些か真っ直ぐすぎでは?」
闇から無数の腕を出し、遠夜を捕らえにかかる。しかしそれらのくる場所がわかっているかのように遠夜は回避しながら法陰に向かう。
「ほう…ならば」
その声とともに法陰は遠夜の足元の影に力を集中させる。
「…下か」
遠夜は気配を下から感じ取り、高く飛び上がる。それと同時に地面から剣山のような影が飛び出してきた。
「おー怖」
「これを回避するだと⁈」
どうやらこれは法陰にとってかなり必殺率の高い技だったらしい。
「ですが、空中ではこれは回避できないのでは?」
そう言って法陰は闇を刃のように変形させ遠夜に刺突を繰り出す。実際空中では満足に回避することはできない。
「しのぶ」
「ええ」
だがその刃はしのぶの鋒によって斬り裂かれた。
「なんと!」
「さすが」
遠夜が滞空しながら繰り出される刃はしのぶの援護もあって一つも遠夜には届かない。
横からなぎ払うように振り回される刃が遠夜に迫るが、それを遠夜は空中で身を捻り、刃の側面に手をついて回避する。
「っ!」
「身軽さなら自信あるんだなこれが」
しのぶほどではないが、と内心で付け加えながら刃の側面を走る。
「なんと!」
「驚いてる場合か?」
「しまっ」
一閃
法陰の頸は空高く舞い上がった。
「…?」
感触に違和感を覚える。鬼の頸にしては柔らかすぎる。いくら身体が弱いとはいっても、これほど柔らかいことはないだろう。
「遠夜?」
「気を抜くなしのぶ。まだ終わってない」
「え?」
「こいつは偽物だ」
その言葉と同時に身体が影に溶ける。
「いやはや、今のは実に危なかった。もう少し判断が遅ければ私の頸は落とされていた」
声と共に背後からぬるりと法陰が影から生えてくる。
「へぇ」
「あなた方が如何に強くても私の血鬼術の前では無力。月の出ていないこの夜に私を倒すなど無理なのですよ」
月が出ていないということは辺りは完全に夜闇に包まれているということ。それはすなわち法陰にとって身体となる場所がほぼ無限であるということ他ならない。
どこからでも攻撃をしかけられ、しのぶの毒を肩代わりする影も無限故に毒も効きづらい。
「……なんだ、簡単じゃん」
「え?」
どうするかしのぶが考えていると唐突に遠夜は納得する。当然しのぶは遠夜の考えがわかるわけない。故にしのぶは遠夜の真意を聞かねばなにがわかったのかわからない。
「なにがわかったのですか?」
「ん?殺し方」
「え」
「しのぶ、殺す毒じゃなくて、『身体の自由を奪う』毒はあるか?」
「え、まぁありますけど」
「それ使ってあいつを攻撃しろ」
「で、でも、それじゃあ」
「よろしく」
そう言って遠夜は法陰に向かっていった。
「……ほんと、言葉が足りないんだから」
しのぶは額に青筋を浮かべながら鞘の中で調合を変えて痺れ薬の方にシフトさせる。
遠夜が法陰に向かっていくことにより法陰の意識は今完全に遠夜に向いている。加えてしのぶの毒は法陰に効果は薄い。つまり法陰の中ではしのぶはいてもいなくても変わらない存在となりつつあるのだ。
そしてしのぶもそれを理解している。認めるのは癪ではあるが、事実である以上仕方ない。ならばそれを利用するまでと思考を切り替えると息を潜める。
必殺のタイミングで確実に仕留めにいく。それにのみ集中するために。
「無尽蔵すぎんだろ」
「言ったでしょう?この影は全て私の身体なのです」
「ならこれはどうだ」
影の呼吸・弐ノ型 影法師
遠夜の姿が消えた、と思ったらあたりに影法師のような影が無数に立っていた。
「これは……」
「どこ見てんだ?」
「なっ」
背後から聞こえた瞬間に法陰の腕が飛ばされる。
「なに⁈」
「遅いねぇ」
「ごっ」
続け様に蹴りを顔面に突き刺す。
その瞬間無数の刃が遠夜に襲いかかるが、致命傷となり得るものだけを空中で回転しながら切り裂き、他のものはかする程度に受ける。
「はっ!」
「なんの!」
振り下ろされた日輪刀を法陰は刃の影で受け止める。
そのまま影の刃と日輪刀の剣劇が続く。だがやはり手数の差から徐々に遠夜は押し込まれていく。
「ぐっ」
刀が影に弾かれて身体を無防備に晒す。その瞬間を十二鬼月が逃すはずもない。
「トドメです」
影の刃を突き刺さそうとするが、その瞬間の遠夜の表情に法陰は固まる。
笑っていたのだ。
なぜ?そう考える間もなく肉体を貫かれる感触がする。
背後を見ると、蝶の髪飾りをつけた小柄な少女が微笑んでいた。
「しまった!」
「私のこと、途中から忘れていましたでしょう?」
「おのれ!」
「そんなに私は影が薄いですか?」
だが毒は影に受け流せばいい。そう考えていたがその瞬間身体が固まる。毒ならば受け流せばいいのにそれすらもできない。簡単な話動けないのだ。
「痺れ毒か!」
「その通りです」
「考えましたね。ですが痺れ毒程度なら私でもすぐに分解できますよ」
「でしょうね」
そういうとしのぶはまるで蝶のように軽やかに舞うと夜闇に紛れた。
なにをしている、と考えていると痺れ毒が分解されてきた。動きづらいが、動くことはできる。殺せてはいないのに退くのに理由はあるのだろうか。
「足元がお留守じゃないか?」
考えていると足元から声が聞こえる。同時に顎に衝撃。
「ごっ!」
空中に蹴り上げられさらに追撃でさらに持ち上げられる。
影舞踊と言われる影の呼吸に伝わる武術の一つであり、空中に投げ出された相手の影のような動きからそのように名付けられた。
「くぅ」
「お前の強みは血鬼術の特異性。だがタネが割れれば大したことない」
「なん、ですと?」
「お前は言ったろ。『触れている影は全て私の身体』だと。なら、影に触れていなければお前の血鬼術はなにも意味がないものなるんじゃないのか?」
「っ!」
「終わりだ。全集中」
影の呼吸・肆ノ型 絶影
投げ出された法陰の頸にむけて空間が斬り裂かれたと錯覚するほど鋭い一撃を放つ。空中で身動きの取れない法陰はなす術もなく頸をはねられた。
「ま、さか……私、が…」
「お前の敗因はあれだな、多対一に慣れてなかったことだな」
それに尽きる。片方に意識が集中してしまいもう片方への警戒が疎かになった。その隙を突いたに過ぎない。
法陰は音もなく消えていった。
「下弦にしては厄介な能力だったかもな。他の隊士が対応できなくても仕方ないわ」
「いつ影に触れていなかったら身体を影に逃せないって気がついたの?」
「ん?あの鬼が最初に自分の能力について話した時」
その言葉にしのぶは絶句する。そんな早くから気がついていたというのか。
「どんな能力にも欠点や制約がある。上弦ならぶっ壊れ能力も大いにあり得る、というか上弦はどいつもこいつもぶっ壊れた能力してんだろ。でなけりゃ歴代の柱が死ぬはずがない」
「そうね、その通りだと思うわ」
「だが下弦ならどうだ。下弦はしょっちゅう柱に倒されて入れ替わっている。つまり能力的にはまだ発展途上で強くなっていない。そんな奴らなら能力に制約がない方が不自然だ。本気で俺たちを殺す気ならずっと影に引きこもって影の人形出して倒された振りして騙し討ちなりすればよかったのにそうしようとはしない。つまり奴にも影にずっと潜っていられない理由があったのだろう。
そういう予測を立てた上で敵の話をよく聞く。なぜか鬼は無駄に自尊心が高いから、自分の能力をやたら話したがる。無論全員とは言わないがな。だから敵の話を聞いてると時々自分の能力の欠点をぽろっと話すこともあんのよこれが」
「……そんな馬鹿なことをするとは」
「今回はそれがうまく行っただけだがな。確証もなかったが、まぁ妥当な制約だと思ったから試しただけだ」
その言葉を聞いてしのぶは感心した。昔から頭はよく回ると思っていたが、ここまで推論を瞬時に立てられるとは思っていなかった。
だがそれはそれでしのぶは文句があった。
「遠夜、そういう大事なことはちゃんと口に出して言いなさい。御館様にも言われたでしょう?大事なことを敢えて口に出さない悪癖があるって」
「この程度、ちょっと考えりゃわかるだろ?」
「誰でもあなたのように常に頭を回せる訳じゃないの。まったく……」
呆れながらも内心で感謝を述べる。なぜなら、この鬼はしのぶだけだは倒せなかったからだ。毒が効かない以上、しのぶは鬼を殺す術がない。助けられたのは紛れもない事実だが、素直に言う気にはなれなかった。
「……遠夜」
「なに?」
「傷をみせて。治療するわ」
普段と比べてしおらしい態度に遠夜は少し驚いた。しのぶとしても礼を言わないのは嫌だったため、せめてもと思いの行動だった。
遠夜は普段なら断るところだったが、この前怒らせたことを思い出した。
「……んじゃ頼むわ」
満足そうに笑うしのぶを見て今回は間違えなかったと内心安堵しながらも今の笑顔は貼り付けたものではないことを遠夜は理解した。昔のように、ころころと表情が変わる頃のしのぶの顔の、非常に珍しい笑顔。
遠夜から視線を外すとしのぶは歩き始め、そゆなしのぶの後に遠夜は続いた。
そこでふと遠夜は思い出した。
「そういやあの提灯は?」
法陰と闘う前はあったしのぶが待たされたという提灯。戦闘に気を取られていて忘れていたが、あれはどこにいったのだろう。
「闘う前に物陰に隠してきました。みんなに見せたいですからね」
そう言いながら振り返り笑う顔はいつもの貼り付けたものに戻っていた。
「……そうか」
それだけ言うと遠夜は口を閉じた。
しのぶの持つ提灯の灯りのみが夜闇から二人を照らした。
月を隠す雲は、まだ晴れない。
影の呼吸
壱ノ型 無間舞踊
弐ノ型 影法師
参ノ型 無辺
肆ノ型 絶影
影の呼吸は現状陸ノ型まで存在します。
下弦ノ参の割にあっさりしすぎかもしれませんが、柱二人だからご容赦ください。
あと遠夜の見た目は短い黒髪でほかに大した特徴はありません。手拭いくらいです。服で隠れた部分には無数の生傷がありますが、見えないので特徴とは言い難いです。
次回は……多分原作絡めた日常回にできたらなと思ってます。
現状で考えているエンド
主人公生存エンド
主人公死亡エンド
主人公鬼化エンド
……どれやろう。