蝶の影 作:木材
「なぁ」
しのぶと共に走りながら遠夜は声をかける。
「なんです?」
「これからいく那田蜘蛛山ってしのぶは行ったことあんのか?俺行ったことねーんだよ」
「いえ、私も行くのは初めてです。ですが近辺の言い伝えのようなものは聞いたことがあります」
「言い伝え?なんか曰く付きの山なんか?」
「はい。言い伝えだと、『巨大な蜘蛛の神が住む』とかなんとか」
「へぇ」
「……聞いておいてすごく興味無さそうですね」
「実際ねーよ」
「あら、那田蜘蛛山について聞いてきたのは遠夜の方ではありませんか」
「俺が知りたかったのは、山の雰囲気や外観、内部構造についてだ。言い伝えなんか知っても役にたたねーよ」
「それもそうですね」
それから二人はしばらく無言で走り続けた。
烏の案内に沿って走ること数十分、遠夜の円がいくつか気配を感じ取った。
「近いな」
「鬼は?」
「いる。複数なのはわかるが詳しい数はもう少し近づかないとな」
「そうですか。あ、山が見えてきましたよ」
そう言うしのぶの視線の先には、大きく聳え立つ山があった。
「あー、五体くらいいそうだな。隊員らしき気配もある」
「そうですか。でも、鬼も人も仲良くすれば良いのに。そうすればこんな山の中で殺し合う必要も無いんだから。遠夜もそう思いません?」
「はっ、思ってもねーことに同意を求めんな。そいつはお前じゃなくてカナエさんの思いだろうが。カナエさんもどこまで本気だったかは知らねーがな」
「…………」
「行くぞ」
「はい」
しのぶは遠夜の言葉に首肯すると、暗い山に躊躇なく入っていく遠夜の背中を追った。
ーーー
「ん〜思ったよりも面倒なことになってるねぇ」
遠夜は山の中を進みながらそう呟く。
「面倒とは?」
「死んだ隊員が操られてる。人形を吊して操るみたいな感じで。今んところ操作系血鬼術の鬼が猛威奮ってんな。他は気配はするけど場所までは」
「あら」
「それも結構数いるな。全部死んで……あ、生きてるのも操られてるのか?」
「本当に便利な能力ですね。実は遠夜も鬼なのでは?」
「氣と血鬼術一緒にすんな。んで、動き方だが、手分けした方が早いな」
「といいますと?」
「まず数が多い。一つ一つ潰してたら無駄に死者が出る。十二鬼月らしき奴の気配もあるから下手に時間かけたくねぇ。鬼を潰しながら隊員の救助ってとこか」
「わかりました」
「俺は東、しのぶは西な。西の方にはカナヲの気配もあるからしのぶはカナヲと合流しろ」
「遠夜は?」
「俺は一人で構わん。それに、冨岡さんの気配が近づいてきてる。多分冨岡さんも来るから合流するならそっちだな」
「わざわざ私とカナヲを一緒にしてくれるのですね」
「これ以上、継子を亡くしたくねーだろ」
その言葉にしのぶは返事をしない。僅かに気配が動いたが、すぐに普段のしのぶの気配に戻った。
「じゃ、そういうことで」
「はい」
二人は同時に姿を消した。
***
「くそ!あいつ絶対ぶん殴ってやる!」
「そういうこと言うのやめろ!」
「だって!あいつ俺のことクソ猪とか言いやがったんだぞ紋次郎!」
「炭治郎だ!」
村田が死んだ隊員の相手をしている間に操作している本体の鬼を倒すということで炭治郎は伊之助と共にその鬼の元へ向かっていた。
だが全く緊張感のない会話が夜の森に響いていた。
「つか!なんだこの糸鬱陶しい!」
「それだけ鬼に近づいているんだ!」
移動が困難なほどではないが、進めば進むほど絡まる糸に伊之助は苛々を募らせる。
そして進むうちに少し先で足音が聞こえた。
「伊之助!」
「ああ!」
伊之助も足音が聞こえたらしく足を止める。
「だめ……」
さらに聞こえてきたのは、女性の声。非常に苦しそうな声を上げている。
「こっちに、こないで……」
「またでやがったぜ」
女性は背中から糸がでており、片手には刀、そしてもう片手には仲間であっただろう人間の首を持っていた。
「だれか、階級が上の人を連れてきて……でないと!みんな殺してしまう!」
「っ!」
「ぐっ、うぅ!あぁ!」
炭治郎が動揺している隙に女性は斬りかかってくる。
(速い!)
「わ、私!こんなに、強く、ない!鬼に……操られて、動きが制御できない!」
限界以上の動きをさせられているせいで女性の身体は全身悲鳴を上げていた。関節も本来動かないような角度まで動きを強制され、もはや悲鳴すらあげることもできなくなるほどだった。
(鬼が無理矢理身体を動かしているから、骨が折れてもお構い無しだ!)
動きそのものはめちゃくちゃであるが、速度があるため反撃ができない。
(酷い……!)
炭治郎が怒りを募らせるとほぼ同時に攻撃が止まる。何事かと思うと背後で音が聞こえる。
振り向くと、そこには数人の隊員が起き上がってめちゃくちゃになった腕で刀を構えていた。
「たす……けて、くれ…。折れた骨が、内臓に刺さって……動くと、激痛が…耐えられない……殺して、くれ!頼む!」
「なっ……」
「よしわかった!」
動揺する炭治郎を他所に伊之助は隊員に向かって走り出す。
「まっ…くっ!待ってくれ!」
伊之助を止めようとしたが、女性の刀でそれを妨げてられる。
「はぁ⁈うるっ……煩えぞお前!」
「まだ生きてる!なにか助ける方法があるはずだ!」
「本人が!殺せって言ってるんだから!殺せばいいだろ!」
「だから待ってくれ!考える、考えるから!」
そう言って女性を弾いた炭治郎は数瞬、思考の海に潜る。助ける方法があるはずだと言ったはいいが、残念ながらまだ詳しいことはなにも考えていないため考える必要がある。
そして危機的状況故に思考が冴えたのか、その結論はすぐに導き出せた。
そしてそんな炭治郎の姿を、遠夜は暗闇の中から見ていた。
ーーー
炭治郎の導き出した結論は、糸を切るのではなく絡まらせて身体の操作ができないようにする、といったものだった。
結果として炭治郎の目論見はうまくいき、引き付けて、操られている身体を木の枝目掛けて投げ飛ばし、背中の糸をうまく絡まらせて操作不能にした。
「よし!」
「なんじゃそりゃあ!俺もやりてぇ!」
炭治郎の行動を見て感化された伊之助も目の前の隊員を投げ飛ばし、動けないようにした。
「よっしゃ!あと一人もやってやるぜぇ!」
伊之助がもう一人も投げ飛ばそうとしたところで、声が響く。
「おーおーいい判断だが、詰めが甘いなぁ」
突然聞こえた声に炭治郎も伊之助も固まるが、すぐにその声の主を見つける。
その声の主は先程炭治郎が投げた女性が絡まっている枝の上にいた。
「えっ?」
「発想は良かったが、これじゃ甘い。無力化はしたけど、助けたとは言えんなぁ」
「なんだてめぇ!どっから湧いてきやがった!」
「さっきからずっといたのに気づかなかったじゃん」
ずっといた。
この事実に伊之助は驚愕を隠せない。伊之助は人一倍肌の感覚が敏感だ。故に僅かな気配、視線、殺気ですら感じ取ることができる。なのにこの男はずっといたというのに全くいることを認知できなかった。嘘をついている様子はない。どれほどの気配遮断能力なのかと内心で伊之助は戦慄する。
一方炭治郎は、伊之助の言葉に飄々と返すこの手拭いで視界を覆った男に見覚えがあった。
そう、禰豆子が鬼になった日に出会った男だ。
「貴方は……」
「か、影柱様……」
「指令があったから来てみたら、なんだこのザマは。どいつもこいつも簡単に操られちゃって」
深いため息をつきながら男……遠夜は刀を抜いて糸を一本切る。
「おいおっさん!糸は切っても意味ねーんだよ!すぐに糸つけられちまうんだよ!せっかく俺様が動けねーようにしてやったのを無駄にする気か!」
「おー威勢のいい奴だな癸の割に。それにまさかこの歳でおっさん扱いされるとは」
そこまで言うと遠夜は一度言葉を切る。
「思わなかったな」
そして次の瞬間には伊之助の背後にいた。
先程まで立っていた場所から移動したのを炭治郎も伊之助も見ていない。瞬きした次の瞬間には背後にいたのだ。
「なっ!てめ、いつの間に!」
「猪頭、お前の言ってる事くらい俺も理解している」
「じゃあ」
「操る中で重要なのは主に四肢の動き。首につけてる糸はそこまで重要じゃねぇ。だから糸をそこら辺にくっつけておいた」
「だから!それになんの意味があんだよ!」
「ん?ぶら下がってる奴らが死なないようにするため」
「はぁ⁈」
伊之助が遠夜に詰め寄ろうとした瞬間、再び遠夜の姿が消える。
そして次は炭治郎の真上の枝に姿を現した。
「わざわざ解説してやらねーと理解できないみたいだな。じゃあ教えてやる。首に糸がついたまんまだったら」
そう言いながらぶら下がってる隊員の首に手をかける。そして軽く回した。隊員の首は横を向いただけだが、それをみた炭治郎は全てを理解した。
「まさか……」
「お、気づいた?」
「どういうことだ紋次郎!」
「炭治郎だ!えっと、あのまま首に糸がついた状態だったら……首を捻って殺されていたかもしれないってことだ」
結局生きてるまま操ろうが死んでるのを操ろうが全ての主導権は操作している鬼の方にある。だから生かすも殺すも鬼次第であるため、癇癪を起こした操作側の鬼が操られている隊員を殺さないとも限らない。だから遠夜は首の糸のみを切り、別の場所につけることにより少しでも首の糸が斬られたことを気づかれるまでの時間を稼ごうとした。
「……なるほどな」
「そゆこと。よくできました〜。でもさっき猪頭が言ったように糸はまだつけられる。だからそれを阻止するにはどうすれば良い?」
「……大元を叩く!」
「やればできんな。んじゃ、よろしく」
「あ、あの!」
炭治郎に声をかけられて遠夜はそちらに顔を向ける。
「どうした、少年」
「貴方は……二年前、俺と禰豆子を……」
どうやらこの少年は二年前に妹を鬼にされ、家族を皆殺しにされた少年で間違い無いようだ。知っている気配だとは思ったが、まさかこのような場面で再会するとは思わなかった。
「さぁ、なんのことかねぇ」
「な、名前を聞いてもいいですか⁈」
「じゃあ先に名乗れ」
「え、あ!お、俺は竈門炭治郎です!」
「竈門炭治郎、か。俺は無道遠夜。ほれ、猪頭はいっちまったぞ。さっさと大元倒してきな。あいつ一人だと無駄に突っ走って死ぬぞ」
「あ!伊之助!あの、ありがとうございました!」
そう言って炭治郎は伊之助を追って行った。
「またな少年、生きていたらまた今度」
そういうと遠夜は隊員がぶら下がってる枝に腰を下ろす。遠夜の真下にいるのは炭治郎に投げ飛ばされた女性の隊員だった。
「さて、十二鬼月はどこかな」
「か、影柱様……」
「ん、なに」
円を広げようとしたところで女性隊員から声がかけられる。
「助けていただいて、ありがとうございます」
「そう思うならもう少し実力つけてくれ。殆ど使えねーじゃねーか。お前らの育手の目は節穴か。実力的にはさっきの癸の奴らにも劣るぞ」
「…………」
自覚があるのか、女性隊士……尾崎は黙り込む。
「ま、ここで文句言っても仕方ないか」
それだけ言うと遠夜は立ち上がり刀を抜く。そして月に向かってこう言った。
「出てこいよ。見てんだろ」
女性隊士にはなにがなんだかわからなかった。痛みで頭が回らないのもあるが、いきなり虚空に向かって声を発する意図を読み取ることができなかった。
だが次の瞬間、その意味を理解する。
遠夜の視線の先に一人の小さな男の子が降り立った。そしてそれが鬼であることを理解するのに時間はいらなかった。
(浮いて…いるの?いや、これは……糸の上に立っているのね)
「よお」
「……僕達家族の静かな暮らしを、お前も邪魔するのか?」
静かで、それでいて冷たい声だった。言葉には明確な殺意が込められている。それだけて女性隊士は全身が凍りつくような思いだった。他の鬼とは比べ物にならない程の殺意が今の言葉には込められていた。
「家族?」
「お前らも、すぐに母さんが殺すよ」
「母さん?鬼に?鬼舞辻のことか?」
「違うよ、母さんは母さんだ」
「……あー、なるほどね。この山にいる鬼はお前の家族か」
「そうだよ。僕達は家族だ」
「あー、そういう。くく……こいつは面白い。今まで色んな鬼を見てきたが、まさか家族ごっこをする鬼がいるとはな」
皮肉げに嗤う遠夜の言葉に鬼の少年は眉を動かす。
「家族ごっこ?」
「だってそうだろう?別にお前ら血が繋がってるってわけでもないんだろうし。もし仮に一家全員鬼にされて、そいつらがみんなここにいるってんなら話は別だが、
鬼の少年の手が血のように紅く染まる。そしてそこから出る糸も紅くなり、禍々しさを増していく。
「…………お前、そんなに死にたいのか?」
「どう捉えるかは自由だ。面倒くせーから相手すんのはできれば御免被りたいがな」
「じゃあまずは他から片付けてやるよ」
血鬼術 刻糸牢
蜘蛛の巣状の赤い糸が檻のようにぶら下がる全ての隊員を捉え、そして斬り裂こうと迫る。遠夜の真下にいる女性隊士も遠夜と共にその檻が迫っていた。
「やれやれ、血の気が多い」
全集中・影の呼吸 参ノ型・改 無辺・乱
無数の斬撃を移動しながら放つことで周囲に展開された糸を全て断ち切った。
「……!」
「おいおい、こんなもんで殺せると思ったのか?随分舐めてんなぁ。あ、でもここに来た隊士の実力みたら舐められても仕方ねーか」
「ちょっとはやるみたいだね。でも……糸の硬度は今のが限界だと思った?」
「まさか。最初から最高硬度で来るなんて思ってねーよ。お前、こんなもんじゃねーだろ?なぁ、十二鬼月」
その言葉と同時に背後から静かに迫って来ていた鋭い糸をそちらを見もせずに遠夜は切る。
「……僕のことが十二鬼月だってわかるんだね。お前、ほかの奴とは違うんだな。だいぶ強そうだ。僕でも勝てないかもね。だから……お前はちゃんと準備をしてから殺してあげるよ」
それだけ言って鬼の少年は姿を消した。
刀を収めると、遠夜は頭をかく。まさか自分でも勝てないかもと言う鬼がいるとは思わなかったのだ。
鬼は得てして大体自尊心が高く勝てない相手にも自棄になって挑む傾向がある。もともと人間だったはずなのに鬼は大体人間は下等な生物だと考えている。故に自らでは勝てないかもしれないと冷静に分析できる鬼はそういない。
だからこそ面倒だ。冷静に分析できる頭があるということは自身に足りないものがなんなのかがわかる。それは放置しておくと手のつけられないものになりかねない。
「あー、面倒なのに目をつけられたかもな。ったくやってらんねーよ」
遠夜がそうぼやくと同時に吊るされていた隊士が全員床に落ちる。骨がやられているため、皆落ちると非常に苦しげなうめき声を上げた。
「っと、向こうは終わったみたいだな。こいつら手当てしてやりたいとこだが……ちょーっと道具が足りんな。この辺りはもう鬼いなさげだし、隠の人に来てもらうか」
その旨を伝えてもらうために遠夜は自らの烏を飛ばした。
「これで良し、と。あの少年大丈夫かねぇ。たしか……そうそう、炭治郎だったな。あいつ見た感じ優しすぎる雰囲気あるからなぁ」
倒れている隊士を陰に運び最低限の処置をして遠夜は立ち上がる。
「あと四体か、今夜は長くなりそうだ」
そう呟いて遠夜は姿を消した。
***
伊之助は焦っていた。
炭治郎は自分を助けたことにより彼方へと吹き飛ばされ、刃を無理やり通す方法を思いついたと思ったらその鬼は脱皮してさらに大きく、硬くなった。
今の伊之助にはこの鬼の頸を落とす手段はない。
それどころか先程戦った鬼との戦闘で負った傷の出血により普段通りの動きができない。
「くそ……やべぇ!」
「オレノォ……カゾクニィ!チカヅクナァ!」
咆哮と共に振るわれた拳を避けることはできたが、背後にあった木が粉々に粉砕される。
(やべぇ!こんなもんまともに受けたら身体がぐちゃぐちゃになる!)
「オァァ!」
振り回される丸太のような拳をギリギリ回避できているが、既に限界の身体ではどこまで避け続けられるかわからない。
(なら!ここで決めてやる!)
振り下ろされる拳を飛んで回避する。回避したその先には、攻撃後で隙だらけの頸。
「獣の呼吸 参ノ牙!喰い裂き!」
それが伊之助の今出せる全身全霊の一撃だった。今まで倒してきた鬼ならばこの一撃にほとんどが沈んだ。
しかし今回はそうはならなかった。
刃こぼれだらけの二本の刀は、鬼の頸に当たると同時に折れた。
「折れっ」
「ガァァ!」
「ぼっ!」
呼吸による隙と、刀が折れたことによる動揺により次の一撃の受け身を取ることができずに吹き飛ばされ、木に叩きつけられる。
「しまっ…た…受け身……が…」
もとより身体は限界。今の一撃によって身体は完全に動かなくなった。
立ち上がることすらできぬうちに伊之助は頭を掴まれる。
「オォオオ」
「俺は……死なねえ!獣の呼吸 壱ノ牙…穿ち抜き!」
折れた二本の刀を鬼の頸に突き刺す。しかし鬼は反応しない。この程度、なんともないとでも言うように伊之助の頭を握りつぶさんと締め付ける。
(こいつ…びくともしねぇ!)
そうしているうちにも締め付ける力は増していく。
刀は手を離れ、締め付けによってロクに力も入らない。伊之助にできることは、もうなにもない。喉から何かが上ってくる感覚がする。
(ここ……まで、か)
そう思った時に、無数の記憶が脳裏を過る。
炭治郎、善逸の顔。
山での記憶
藤の紋の家の老婆
そして、仕切りに謝る見知らぬ女性の顔
「だ……だれ、だ」
そう呟くと同時に喉から迫り上がってきた血を吐く。
意識が遠くなってきて、いよいよ死を自覚し始めたとき
「あんだけ威勢よく突っ込んでいった割には、あっさりやられてんな猪頭」
煽るような飄々とした声と、そしてなにかが切り裂かれ頭を締め付けていた力が一気に無くなる。
「グギャァア!」
「ぼっ!」
床に叩きつけられ、助かった事への安堵感と同時に疑問が生じる。
(なにが、起こっ…た…?)
「お、まだ生きてんな」
先程聞いた声が再び響く。相変わらず小馬鹿にしたようなどことなくカンに触る声だが、それに突っかかるほどの体力は今の伊之助にはない。
「この、声……手拭いの……」
「よ、さっきぶり」
(こいつが……斬ったのか?)
伊之助では斬るどころか傷をつけることすらできなかった鬼の身体をいとも簡単に切り裂いたという事実にあまり動かない頭で驚愕する。
「あの少年……えーっと、そう炭治郎はどうした。死んだわけじゃ無さそうだが」
「あいつは……とば、ざれ…だ」
「死んでは無いのな」
まるで日常的な場面での会話のように気楽に話す遠夜の背後に鬼が迫る。
「オォオ!」
蹲み込んで伊之助に話しかける遠夜に向けて豪腕が振り下ろされる。まともに受ければ遠夜とてただでは済まない。
「煩え」
遠夜は一言そういうと、視線を伊之助に向けたまま刀を後方に振るった。そして振り下ろされるはずだったその拳は宙を舞った。
「ギィィアァ!」
「あー煩え」
欠伸をしながら頭をかくというあまりにも気の抜けた態度を取る遠夜に伊之助は疑問を持った。
「お…お前……」
「なに」
「ご…怖ぐ……ねぇ、のが?」
伊之助は凄まじい圧により動けなくなるほどだったというのに、遠夜はその圧をまるで感じないとでも言うような立ち振る舞いをする。経験には確かに天地程の差があるだろうがそれでも戦場においてこれほど気の抜けた態度を取る者などいないだろう。
「……なぁ猪頭、人を恐怖させる条件って三つあるんだ。知ってるか?」
「条件……?」
「一つ、怪物は言葉を発してはいけない。二つ、怪物は正体不明でなければならない。そして三つ目」
「グオォォオ!」
腕を再生した鬼が背後からとてつもない速度で遠夜に迫る。だが遠夜は余裕な態度を崩さない。振り返ったその顔は、嘲笑に歪んでいた。
「怪物は、不死身でなければ意味がない」
影の呼吸 肆ノ型 絶影
すれ違い様に空間が切り裂かれたと思えるほどの一閃が鬼の頸を襲う。斬られた鬼は動きを止め、数秒後に頸は静かに落ちた。
「言葉を発して、正体はただの鬼。加えて不死身じゃない奴なんぞ恐怖する対象にならんよ」
消滅していく鬼を背後に刀を収めながら遠夜は伊之助に近づいていく。
「おう猪頭、まだ生きてる?それとも死に損なっただけか?」
気軽に安否を確認する遠夜の言葉など伊之助の耳には入っていなかった。
(す……凄え!なんだこいつ!凄えぞ!俺では刃を通すことすらできなかったあの硬い化け物を豆腐みたいに斬っちまったぞ!凄え凄え凄え凄え!こんな凄え奴はじめてだ!ワクワクが止まらねぇぞ!)
「ちょっと、聞いてるか?」
全く反応しない伊之助に少し苛立ちながら問い返す遠夜に伊之助はビシッと指を指す。
「おい手拭い!俺と勝負しろ!」
「…………は?」
伊之助の意図が全く読めず遠夜は素っ頓狂な声をあげる。
(なにいってんだこいつ)
「俺と戦え!」
「え、嫌だけど」
「お前の意見なんぞ知るか!お前はあの十二鬼月に勝った!そのお前に俺が勝てば!一番強いのは俺っていう寸法だ!」
「修行し直せ馬鹿が」
自慢げに言う伊之助の言葉を遠夜は呆れながら一刀両断する。その言葉に一瞬衝撃を受けた伊之助だが、すぐに遠夜に突っかかった。
「なにぃー⁈」
「今のが十二鬼月?んなわけねーだろ。そんなこともわかんねーのかこのポンコツが」
「わかってるわそんなこと!俺だってそんな雑魚、十二鬼月だとは思ってねーよ!」
「くく……雑魚ねぇ。その雑魚にやられかけたお前はそれ以上の雑魚ってことになるなぁ、えぇ?」
完全に煽りにきている遠夜の言葉に煽り耐性のない伊之助は真に受けて完全にキレた。
「あああ⁈んだとこのクソ手拭いが!ぶっ殺すぞ!」
「なんか間違えたか?お前がさっきのを雑魚呼ばわりしたんだぞ?だからそれにやられかけたお前はそれ以上の雑魚だって自分で言ったようなもんだぜ」
「煩えぇぇぇ!黙って俺と戦えやぁ!」
そう叫びながら伊之助は遠夜に飛びかかった。
「やれやれ…怪我も軽くねーのに。ちょっと煽りすぎたか」
「死ねやぁぁぁあ!」
そう言いながら振り下ろされた伊之助の拳は確かに遠夜の顔を捉えた……はずだった。
確かに遠夜の顔面に拳が突き刺さったと思ったのに、その遠夜の姿は次の瞬間には消えていた。そしてなにより拳に手応えがなかった。
「なっ」
「影の呼吸 弐ノ型 影法師だ」
背後から聞こえた声に反応した瞬間、伊之助の身体は動かなくなる。薄れゆく視界に映ったのは、手刀を構える遠夜の姿だった。
「己の怪我の具合もわからねーような馬鹿は戦場に立つな。迷惑でしかない。お前のような奴が部隊を全滅させることもあんだからな」
「あ……お……」
「てめーみたいなみそっかすを真面目に相手する程暇でも寛容でもねーんだわ、俺」
その言葉を聞きながら伊之助の意識は闇に落ちた。
ーーー
「ほんとなんだったのこいつ」
気を失った伊之助を縛り上げ、吊るし上げて胸のあたりに隠の人に見つけたら助けてやる旨を記した文を貼り付けた。なお、縛り上げた理由は下手に放置すると動き回って死ぬ可能性を考慮しただけであり、決して嫌がらせではない。決して。
「宝の持ち腐れだな」
遠夜はそう思った。せっかく優れた肌感覚があるというのにそれを十全に活かしきれていないことや、めちゃくちゃではあるが剣の筋はいいこと等に対してそう感じた。ちゃんと磨けば必ず上達して、ゆくゆくは柱と同じくらいの実力にも届き得る程の素質があるのにもかかわらずそれを磨く以前の問題である伊之助に少しだけ遠夜は同情した。
「……さて、次はどこに行くか」
山の半分以上の面積に円を広げる。これほど広い円は集中力が必要であるため移動しながら行うことはできない。だがそうすることで次にどう動くべきかを考えることができるため効率良く動くことができる。
円で感じられた鬼の気配は、二つ。
「あれ……一個減ってる。誰かやったか」
先程の鬼を殺す以前に感じた気配は、殺した鬼を除けば三つだった。しかしそのうちの一つの気配が完全に消えている。
(……微かに聞こえた雷鳴みたいな音…あれか?雷鳴、となるとやっぱ雷の呼吸かね。こんな満月が出ている夜に雷なんぞ鳴らんだろうし。どこでやったかは知らんが結構な使い手かもな)
そう予想を立てて遠夜は円の範囲を狭める。熟練度はかなりあげたが、それでも広範囲の円はかなり神経を使う。義兄である日永ならば広範囲の円を展開しながらでも移動や戦闘もできただろうが、天才であった日永とは違い遠夜はせいぜい秀才止まり。日永のようにはいかない。優秀ではあるが、天才程効率良く上達はしない。
円で感知した中で一際強い気配の鬼……十二鬼月の気配の近くに感じた気配は炭治郎のものだった。つまり現在炭治郎は十二鬼月と対峙している可能性が高い。炭治郎の実力の底は見ていないが、まだ鬼殺隊に入隊してそう時間は経っていない。故に炭治郎はまだ実戦経験が乏しく、総合的な実力では十二鬼月の下弦にも届かないだろう。
もしかしたらなにか秘策のようなものが炭治郎に
「……成り行きとはいえ、助けた奴が死ぬのは寝覚め悪いか」
もう一体残っている鬼の気配の方にはしのぶが近い。そちらはしのぶに任せてもいいだろうという判断のもと、遠夜は十二鬼月の方へ向かうことにした。
「……とはいっても、あっちにも行く必要ないと思うんだよなぁ」
そう遠夜が考えるのにも根拠……のようなものがあった。
まず、炭治郎が簡単にやられるとは思えないこと。遠夜が感じ取った気配の中で炭治郎は異色な気配だった。根拠……というには些か弱いかもしれないが、炭治郎は十二鬼月の下弦ならば勝てるとは言えなくとも簡単に負けるとはどうしても思えないのだ。先程までの戦いぶりを見るに頭を使うことはできるし、基礎的な剣技や体力はある。だがそれだけではない。炭治郎にはなにかある。そう思わせる何かがあった。
もう一つの根拠は、炭治郎の方に向かう気配だ。それは先日手合わせをした柱の中でも上位の実力を持つ寡黙な剣士だ。距離と向かっている方向を考えれば、遠夜は行く必要はない。加えて遠夜に目をつけた十二鬼月が彼によって倒されるならば遠夜としても楽になる。それに、遠夜が到着する頃には、恐らく全て終わっている。だがそれはしのぶがいる方向も同じこと。
しのぶが向かっている方向にいるのは恐らく十二鬼月ではない鬼。さらにしのぶは小柄故に身軽で素早い。十二鬼月がある方に念のため加勢に行くのが無難だろう。
「……冨岡さんの方行くか。多分、例の妹もいるだろうし」
そう判断して遠夜は姿を消した。
ーーー
予想通り、とでも言うべきか遠夜が到着した時には冨岡が到着しており、十二鬼月と対面していた。ただ予想とは違い、まだ終わっていなかった。
そして先程まで相対していたであろう炭治郎は刀が折れ、顔や身体に切り傷をつけて倒れ伏していた。恐らく限界まで体力を使ったツケだろう。まともに動ける様子は無い。そして傍らには竹でできた猿轡をつけた少女……妹の禰豆子が倒れていた。
到着した時の着地音で十二鬼月と冨岡、ひいては炭治郎も遠夜の存在に気付いた。
「お前っ!」
「……無道か」
「どーも冨岡さん、この前ぶり。必要無いとは思いますけど加勢に来ました」
「…………」
遠夜の言葉に冨岡は言葉を発しない。
「しかし、意外ですね。もう終わってるかと思ってました」
遠夜が気配を感じた時、この場所と冨岡の距離はそう遠くはなかった。遠夜やしのぶと比べて素早くは動けないが、それでもあの程度の距離と冨岡の実力ならば終わっていてもおかしくはないと遠夜は考えていた。
しかし実際はどうだろう。冨岡はたった今到着したであろう様子だ。道中でなにかがあった。そう考えて間違いないだろう。
「……色々あった」
「色々、ね」
言葉足らずの冨岡の言葉を理解しきることは難しい。しかし遠夜は展開した円から感じ取った気配から冨岡の言葉の真意を予測した。
恐らく冨岡の言う色々とは、この十二鬼月の周囲に展開された糸が関連しているのだろうと遠夜は考えた。遠夜に遭遇した際、準備をして殺すとこの鬼は言っていた。ならばその準備がこの周囲の糸だと考えるのが妥当だろう。そして冨岡の到着が遅れたのもこの糸による妨害があったと考えるのが自然である。
「……僕の邪魔ばかりする屑共が」
そう結論付けた遠夜の耳に聞こえた次の言葉は殺意と苛立ちに満ちた言葉だった。
「そこの妹も、お前達も、纏めて殺してやる」
「お前程度にやられるほどやわじゃないんだが」
「そうだね、確かに素の能力なら僕はお前達に負けるかもしれない。でも、ここは既に僕の血鬼術の中なんだよ」
そう言って鬼は嗤う。
周囲に展開されていた糸が蠢き、太さと禍々しさが増していく。
「もう逃げられない。この糸は最高硬度の糸を撚り合わせて作った糸だ。お前達でも簡単には切れない」
「準備って、これのことか」
「そうだよ。じゃあ、死ね」
血鬼術・殺目篭 辺獄
禍々しく紅く光る太い糸が篭のように遠夜達を取り囲む。その篭は徐々に網目を細かくしていき、範囲を狭めていく。
「ぐっ、うう!」
「動くな少年、お前もう身体ガタガタなんだから」
「動こうが動かなかろうが無駄だよ。最高硬度の糸を撚り合わせて作った糸だ。お前達の刀でも切れないよ」
「よほど自信があるんだな。まぁ、でもこいつは驚きだ。なぁ冨岡さん」
「…………」
「死ね!」
迫り来る糸に炭治郎は死を覚悟し目を閉じる。
だがそんな炭治郎とは裏腹に聞こえてきた声は余裕で満ちていた。
「この程度で俺らを殺せると思ってんですかね」
「……全くだ」
「舐められたもんですねぇ」
水の呼吸 肆ノ型 打ち潮
影の呼吸 参ノ型 無辺
淀みなく繋げられた斬撃と、一呼吸のうちに放たれた無数の斬撃が迫り来る糸を斬り裂き、ばらけさせた。
「な……あ……」
「で?次は?まだあんなら早く来い」
「舐めるな!」
血鬼術 刻糸牢
蜘蛛の巣状に展開された糸が義勇を取り囲む。その糸の鋭さは、人体をあっという間にバラバラにできるほどのもので義勇といえど受ければただでは済まない。
だが、先程の糸と比べて強度はない。故に、恐るるに足らない。
水の呼吸 捨壱ノ型 凪
迫り来る糸は義勇の刀の間合いに入った瞬間切り刻まれ、夜の闇に散った。紅く光る糸は月光を浴びてまるで血のようにあたりに散らばる。
「さっすが」
「油断したな!」
義勇の剣技に感嘆すると同時に背後から殺意の篭った声が聞こえてくる。遠夜の背後に移動していた鬼の存在に炭治郎は気がついた。
先程義勇を取り囲んだ血鬼術は陽動であり、一瞬でも義勇をその場に留めるためのものだった。
鬼……累の目的は遠夜を先に処分すること。遠夜と義勇では義勇の方が強いことが理解できたが、二対一では勝ち目は無い。だから弱い方を先に殺すことにした。
「死ね!」
血鬼術 刻糸輪転
禍々しく紅く光る糸が竜巻のように束ねられ、遠夜に襲い掛かる。
「無道さん!」
炭治郎の焦った声に対して、遠夜は余裕な姿勢を崩さない。
「全集中」
影の呼吸 伍ノ型 月影・初太刀
ほぼ同時に放たれた三連の斬撃は刃のように鋭い糸を遠夜に届く前に斬り裂いた。
「なっ!」
「甘い甘い。この程度じゃ不意打ちにすらならんよ」
「くっ……」
「ほれ、後ろ」
遠夜の言葉に累は正気を取り戻し、背後から迫る殺気を感じ取った。
「しまっ…」
「遅い」
水の呼吸 壱ノ型 水面斬り
義勇の鋭い一撃は、確実に累の頸を切り飛ばした。
「っ……」
斬った鬼には目もくれず義勇は刀を振って血を飛ばすと、刀を鞘に収めた。
頸を無くした鬼の身体は、なにかを求めるかのように弱々しく歩き出した。落ちた頸は、炭治郎と禰豆子に向けられたまま動かない。頸無しで動く身体はまるで親を見失い彷徨う幼子のようにも見えた。
鬼はその鬼になった時の年齢で成長が止まる。故に幼子の時に鬼になった者は幼子の姿のまま、また老人で鬼になった者は老人の姿のまま鬼として生きていくことになる。
(この鬼は、ガキの時に鬼になったんだろうな)
目の前で彷徨う鬼の身体は幼子そのもの。いつ鬼になったかは知らないが、家族に対してあそこまで執着していたことを考えるときっと人であった時家族に何かしら思うところがあったのだろう。
鬼の身体が灰になり始め、炭治郎の目の前まで来たところで倒れる。頸は既に半分近く灰になっていた。
倒れた身体に炭治郎は優しく手を添える。恐らく目の前の鬼のことを思い、慈しみ、憐んでいるのだろう。
まるで太陽のような優しさだ。
例え鬼であろうと、分け隔てなく優しく接する。無論人を喰ったことに対しては怒り、憎み、容赦無く頸を切る。しかし決して辱めることはせず最後には礼節と慈しみを持って鬼となる前の人間のことを慮った。
とても常人にはできない。少なくとも遠夜には不可能だ。というか鬼殺隊の殆どの人間にはできないだろう。故に炭治郎の在り方は理解されないこともあるだろう。それが隊士との軋轢にならないとは限らない。
その優しさを、危ういと感じた。
優しすぎる人間は得てして自らを顧みない。炭治郎がそう決まったわけではないが、そういう人間はいつか自らを犠牲にして他人を助ける。そしてその結果、憎しみが生まれる。そういう連鎖がずっと続いている。その連鎖の果てに、鬼殺隊は生まれた。
炭治郎からはなにか得体の知れないものを感じるが、それがなんなのか、または遠夜の気のせいなのかはわからない。
その得体の知れないものがこの連鎖を断ち切ってくれることを遠夜は願いながら、消えていく鬼と炭治郎を眺めていた。
「人を喰った鬼に慈悲をかけるな。子供の姿をしていようと、何十年もの間人を喰い続けている」
そんな遠夜の思いとは裏腹に義勇は消えた鬼の着物を踏みつけて炭治郎に近づく。
「違う……確かに、鬼は人を喰った。喰われた人の無念を晴らすために、俺は容赦無く鬼の頸に刃を振るいます。でも、それでも、鬼であることに苦しみ、最後はそれを悔いている者を、踏みつけにはしない!鬼は、人間だったんだ。過去の話でも……それでも!俺と同じ人間だったんだ!」
「…………」
「醜い化け物なんかじゃない。鬼は虚しい生き物だ、悲しい生き物だ。だから、足をどけてください!」
そう言って炭治郎は義勇を睨む。その瞳には、優しさと憤りの二つの感情が渦巻いていた。
一方義勇はこの少年とその下にいる少女に見覚えがあった。そう、二年前に遠夜と共に見逃した兄妹だ。
「冨岡さん、気づいた?」
「……ああ」
その問いの真意は二つあったが、どちらも義勇は理解していた。だからこそ、腰の刀に手を添える。
妹を抱き抱えながらそう訴える炭治郎の背後から一つの気配が寄ってくるのが感じられる。
素早く義勇が炭治郎の前に立ち塞がると、迫ってきていた刃を弾く。
「あら?」
弾かれた刃の主はふわりと舞って着地すると義勇と遠夜に目を向けた。
「なんのつもりですか?冨岡さん。そこにいるのは鬼ですよ」
そう言って少女は異形の刀を構える。
「鬼とは仲良くできない、と言っておきながら邪魔をするんですか?そんなだから……みんなに嫌われるんですよ」
微笑を浮かべながら義勇にそう毒を吐きかけるのは、蟲柱・胡蝶しのぶだった。
ーーー
「鬼殺の妨害は立派な隊律違反です。冨岡さんだってわかっているでしょう?」
「…………」
「さぁ冨岡さん、どいてくださいね。遠夜も邪魔しないでくださいね。なんなら私に加勢してくれてもいいんですよ」
優しく、だが静かにしのぶは義勇にそう告げる。その言葉にはうまく隠しているが確かに怒りの気配があった。
遠夜は自分に向けられたしのぶの言葉が『お前も共犯者か』と問うていることを感じ取り、内心で苦笑した。事実、共犯者であるが、この後のことを考えると義勇の敵に回ってしまいたい欲が出てきてしまう。
無論そんなことはしない。二年前、この兄妹を見逃した時点でいつかはこうなることが予想できていたし、自らで救った命を自らで断つわけにはいかない。
そう考え内心でため息を吐きながら刀に手を添える。しのぶの動き次第ではすぐに抜刀できる状態にするためだ。義勇もしのぶがどう動くかを伺っているのだろう。
だが遠夜でも次の義勇の言葉は予想できなかった。
「……俺は」
「ん?」
「俺は嫌われていない」
「いやそこ?」
思わず突っ込んでしまった。
「ああ、その言葉……嫌われている自覚が無いんですね。余計なことを言ってしまい申し訳ありません。ああそれと、嫌われているのは遠夜もですよ」
「知ってる知ってる」
そんな三人のやり取りを見て炭治郎は戦慄していた。そして顔色を伺うように義勇と遠夜に視線を向けた。無論その視線に二人がが返すことは無いのだが。
「坊や」
気まずそうにする炭治郎にしのぶは優しく声をかけた。
「は、はい!」
「坊やが庇っているのは鬼ですよ。危ないですから離れてください」
「ち、違います!いや、違わないけど……俺の妹なんです!それで……」
「まぁ……そうなのですか気の毒に。なら……苦しまないように優しい毒で殺してあげます」
(くっ……話が通じない!どうすれば……)
「無道」
「はい」
焦る炭治郎を他所に義勇は遠夜に目配せをする。遠夜がそれを見ることはできないが、気配でやるべきことを感じ取った。
「動けるか」
「は、はい」
「……無道、頼んだ」
「はいはいわかりましたよったく。ほら少年、行け。護衛はしてやる」
「冨岡さん、無道さん……ありがとうございます!」
そう言って炭治郎は走り出し、遠夜もそれに続いた。
「……これ、隊律違反ですよね?」
しのぶの額に青筋が立った。
ーーー
「やれやれ、面倒なことになった」
炭治郎を先導するように走りながら遠夜はそう呟いた。この後確実に義勇と共に緊急柱合会議で吊し上げにされることを考えると気が重くなる。今回の件は相当揉めるだろう。遠夜の意志では無かったとはいえ、それを素直に聞き入れるような集団ではない。場合によっては切腹させられる可能性だってあるのだ。不本意で死ぬなんてことになる可能性を考えるとなにをやってるのだろうと考えたくもなる。
加えて背後から一つ気配が迫っている。最後に会った時よりもさらに実力をつけているため、面倒になることは間違いない。
そしてその気配が飛んだ瞬間、一気に速度を上げた。
「やっべ」
急な速度上昇に対応しきれず、走るので精一杯だった炭治郎は背後から迫ってきた気配に蹴られてしまった。
「ちっ」
想像以上に炭治郎の身体が動かず軽く走ってるつもりでも意図せず距離が開いてしまっていたことが原因だった。遠夜も遠夜でそう遠くない距離にあるしのぶの気配が動いてこちらに迫ってきていることに僅かながら動揺してしまった。
炭治郎を蹴り飛ばしたのは、しのぶの継子であるカナヲだった。カナヲは放り出されてしまった禰豆子の頸を斬ろうとしたが、炭治郎に羽織りを引っ張られて邪魔されてしまう。
「走れ禰豆子!絶対に捕まっ!」
禰豆子に逃げるように呼びかけた瞬間、炭治郎の頭にかかと落としを放って炭治郎を気絶させる。
炭治郎が完全に伸びたことを確認するとカナヲは禰豆子に斬りかかる。
「!」
だがカナヲの薄桃色の刃は鞘から僅かに抜いた深い藍色の刃に止められた。
「よう、元気そうだな。カナヲ」
「……無道さん」
「ほれ嬢ちゃん、逃げろ逃げろ」
「!」
遠夜がそう声をかけると禰豆子は走り出した。
それを見てカナヲは遠夜を弾き飛ばして禰豆子を追おうとするが、実力差故に弾くことすらできない。
「悪いね、ちょいとここで足止めさせてもらうよ」
「…………なぜ、邪魔をするのですか」
「久々に聞いたなお前の声。さぁ?なんでだと思う?」
「……無道さんがどういう考えて動いているかわかりませんけど、私は言われた通り頸を切るだけです」
そう言って刀を構えるカナヲに遠夜はくつくつと喉を鳴らしながら笑った。
「たまにはてめーで考えて行動してみたらどうだ?」
「鬼殺隊の役割は鬼を殺すことです」
「ま、そう言うだろうしその通りなんだけど……あーあ、これ俺が悪者みてーじゃん。やだねー」
「…………」
「まーあれだ、あの鬼殺したかったら俺を倒してからいくんだな」
「わかりました」
花の呼吸 肆ノ型 紅花衣
躊躇なく放たれた攻撃に遠夜は少しギョッとしたものの、その攻撃を回避する。
「おいおい、躊躇無しか」
「峰打ちにはしておきます」
「そういう問題かよ」
苦笑しながら遠夜は姿を消した。
そして直後、カナヲの周囲に無数の影法師が出現した。
「…………」
「影の呼吸 弐ノ型 影法師ってな」
カナヲが呼吸を整え、周囲に乱立する影法師を無視して気配から遠夜を探そうとした時、背後から声が聞こえた。
急いで振り返ったが、そこには誰もいなかった。
「まだまだだな」
再び声が聞こえた時、違和感を感じる。すぐにその正体はわかった。腕にあった重みが消えている。
「目に頼りすぎだな」
次に聞こえた声は上からだった。声がした方を見ると遠夜が枝の上で胡座をかいており、その傍らにはカナヲの刀が刺さっていた。
「刀取られちまったぞ。ほれ、次はどーする?」
煽るように言う遠夜に向けてカナヲが飛びかかろうとした時、
「カァー!伝令!伝令!本部ヨリ伝令アリ!カァー!炭治郎、鬼ノ禰豆子!両名ヲ拘束シ本部に連レ帰ルベシ!カァー!」
けたましく鳴く烏の声が夜闇に響いた。本部……つまりお館様である産屋敷輝哉からの指令であるということだ。事実上、鬼殺隊の最高位からの勅令である。
「思ったより早かったな。ほれ、カナヲ」
まるで予想通りとでも言うように遠夜は言うと刀をカナヲに返した。無言でカナヲは受け取ると刀を鞘に収めた。
「さーて、と。炭治郎と禰豆子を連行すればいいんだったな」
「……はい」
「んじゃカナヲ、お前少年……炭治郎の拘束よろしく。俺は鬼の禰豆子捕まえてくっから」
「…………」
「一応これ上官命令な」
「……承知しました」
炭治郎の元へと歩みを進めるカナヲを見届けると遠夜は少し離れたところにある禰豆子の気配を追うべく走り出した。上空で烏が遠夜に張り付くように飛んでいるのを見える。
「ちゃーんと監視してるねぇ。ここで命令破るほど破天荒じゃないって」
苦笑しながら遠夜は飛んだ。
この後に来る事態を予想して気を重くしながら遠夜は禰豆子を追って夜闇に消えた。
少しだけ累を強化しました。結局やられるけど。
影の呼吸 伍ノ型 月影
連撃系の型。月影の中に無数の型があり、それらを連続して行うことで相手の呼吸を乱しながらも攻撃をしていく。