社畜の軌跡   作:あさまえいじ

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第三十九話 怒りの火

―――七耀暦1197年 DG教団研究施設

 

 この地に連れて来られ、日々儀式と称して、人体実験を行われた。

 ここに連れて来られた時、最初に思ったことがあった‥‥‥‥コイツらは生きていてはいけない。

 人を何だと思っているんだと、声を大にして言いたい。私達を故郷から、家族の元から引き離し、ただただ己達の欲望のままに振舞うその姿は‥‥‥‥人ではない。人の皮を被った悪魔だと思うほどだった。

 

「次はこの薬を試そう。上手くいけば力が大きく向上するはずだ」

「ですが、それは以前の実験でうまくいかず、腕が弾け飛んで死んだんでは?」

「なに、問題ない。あれから改良は施してあるし‥‥‥‥何よりそいつなら耐えられるだろう」

 

 発言した大人は私を見て、ニヤリと、嫌な笑みを浮かべる。

 その眼は何処までやれば壊れるのか、また耐えるのだろうか、そんな知的好奇心に満ちた、酷く醜悪な眼だった。

 

 

 私ともう一人が体を拘束され、寝かされた。大人が私達に近づき、右腕に注射をして、去っていった。

 私達が寝かされている場所から、ガラス越しに大人達が見える。何か、時間を計っているようだった。だが、それに気にする余裕は無くなった。体に異変が起こったからだ。

 

「ぐおおおおおおおおおお!!!!???」

 

 体が燃えるように熱くなり、少しでもこの熱から逃げたくて、必死で暴れた。だが、体は拘束されたままであり、その拘束を壊すことが出来なかった。

 体は尚も熱を帯びる、全身に軋むような痛みが走り、ブチブチと何かが切れるような音が聞こえた気がした。

 だが、私は耐えた。歯を食いしばり、耐え続けた。どれくらいの時間が経ったのか、分からない。1時間なのか10分なのか、1分なのか、それとも一瞬だったのか、意識が朦朧としていて分からないが‥‥‥‥治まった。だが、

 

「あああああああああアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 仲間の一人の右腕が肥大化していく。腕がどんどん膨らみ、色が変わりだし、そして‥‥‥‥弾け飛んだ。

 

「‥‥‥‥ぁぁ、おかあ、さん」

 

 私と同じく、暴れ続けた彼が発した言葉、それが最後の言葉だった。もう彼は、動かない‥‥‥‥

 

「ふむ、やはりコイツは素晴らしい素材だ。それに引き換え‥‥‥‥おい、早くコイツを餌にして来い」

 

 大人は腕を失くした彼を、まるで汚いものでも見るような目で見て、酷い言葉を叩きつけた。‥‥‥‥だが、大人達の顔は酷く醜悪な笑みを浮かべていた。

 一体何が面白いのか、一体何が楽しいのか‥‥‥‥理解できない。いや、したくもない。

 ‥‥‥‥ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!! 自身の中に湧き上がる、炎のような感覚が、まるで己の意識を食らいつくさんばかりに、猛狂った。

 

「グああああああああ!!!」

 

 拘束を壊さんばかりに、私は暴れた。

 アイツらを許さない! 同じ目に会わせてやりたい! 彼の腕を返せ!‥‥‥‥俺達を家族の下に返せ!!!!

 

「おお、おお、元気のいい事だ。‥‥‥‥おい、さっさと眠らせておけ」

 

 部屋の中に煙が入り込んできた。

 まずい、これは、い、つ、も、の‥‥‥‥

 急激な睡魔に襲われ、意識が遠くなっていく。

 畜生!! もっと、力が、あれば‥‥‥‥こんな拘束なんて、こんな苦境なんて‥‥‥‥アイツらなんて、みんな、みんな、みんな‥‥‥‥壊してやれるのに‥‥‥‥だけど、せめて彼の魂だけは‥‥‥‥こんな場所にいちゃいけない。

 意識が失われる最中、死にゆく彼の魂を私の中に入るのを感じた。暖かい火が私の中に灯ったような気がした。いつか、きっと、ここから出れるその日まで、私と共に居てくれ、最悪の中で共に苦しんだ友よ。

 

 

 

 

 いつもの部屋に、私だけが一人。

 もう他には誰もいない。みんないなくなった。だけど、私の中にはみんながいる。みんなのために、私は死ねない。頭の中の声が今も私に生きることを強いる。

 私は帰る。必ず、父さんと母さんの下に帰るんだ。その願いを今も必死で抱いて、今日を生き抜く。

 

「時間だ、出ろ」

「‥‥‥‥」

 

 いつもの男が部屋に響き、私を呼びつける。私が立つと、部屋の扉が開く。

 私は大人しく、部屋を出て通路を歩く。道順は扉が開き、その通りに進む。

 拒否しても構わないが、そうした場合、首の機械が作動して、締め上げられる。

 以前、拒否した子がいて、その子は首を絞め上げられ、遂には‥‥‥‥死んでしまった。

 だから、大人しく従わざるを得なかった。‥‥‥‥今は、まだ‥‥‥‥

 広い部屋に、中央に椅子がある。いつもの拘束用の椅子だ。そこに慣れた様子で座る。

 

 

「では今日も薬の投与を行う。なあに、お前なら大丈夫さ、これまでも耐えれたんだ。明日も儀式に参加出来るぞ」

「‥‥‥‥」

「ふむ、反応はないか。まあいい、いつものように実験中にだけ、声を出せばいい。たっぷりとお前の声を聞かせてくれよ、絶叫をな!」

 

 体が椅子に拘束された。手と足、それに首の機械が椅子に引っ付いて、動かなくなった。

 そして薬剤が首元に注射される。

 

「っ‥‥‥!」

 

 何度繰り返されても慣れることない痛みが走る。そしてこれから起こるであろう激痛に折れそうになる心を無理矢理奮い立たせた。

 いつか必ずここから出る。父さんと母さんの下に帰るために‥‥‥‥ 

 

 

 

 

「あアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 私の悲鳴が上がる。

 今日は筋肉を増強させる薬を打ち込まれた。全身が燃えるように熱く‥‥‥‥痛い。

 腕が、足が、腹が、背中が、首が、頭が、膨らみ破裂しそうだ。

 

『生きろ』

 

 頭にいつもの声が響く。生きないと、いけない。だから、この薬を克服しなくては‥‥‥‥

 

「ウオオオオオオオオオ!!!!」

 

 肥大する筋肉を意志の力で抑えつける。

 静まれ、静まれ、静まれ、静まれ‥‥‥‥‥‥歯を食いしばり、必死で意識を繋いだ。もし、意識を失えば、全身の筋肉の肥大を抑えきれずに破裂し‥‥‥‥死ぬだろう。そんな事は出来ない、私は生きなければならない。父さんと母さんの下に帰るために‥‥‥‥

 そして、遂に‥‥‥‥薬の影響を抑え込だ。

 

「おお、素晴らしい。流石は我がロッジが誇る最高傑作だ。もはやこの程度の筋力強化など、意味を成さないか。いや、実に素晴らしい、人を超えた存在を我々の手で生み出した。この高揚感、全能感‥‥‥‥女神の祝福などではない、我々の叡智が作り上げた、やはり女神など‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

 耳障りな男の声が部屋に響き渡る。

 このロッジの責任者の男、それがご自慢のご高説が始めた。

 ‥‥‥‥酷くイラつく。声が、思考が、存在が、全てが目障り極まりない。

 この部屋から出られれば、あの男に近づければ、こんな首輪などなければ、あの男を‥‥‥‥殺してやれるのに‥‥‥‥

 

 

 

 

 この施設に来て、どれほどの時が経ったか、分からない。空を見上げる事も出来なくなったから、どれだけの日数が経ったのか、分からない。それに最近では眠れなくなったから、体感時間も無くなった。

 

 部屋に一人でいると、色々考えてしまう。最初はこの部屋にも多くの同じ年の頃のに子供たちが居たのに、今はもう‥‥‥‥ここにはいない。全て、私の中にいる。

 私の人から外れた力が、いつか必ず外に出すために彼らを私の中に匿った。彼らの肉体は‥‥‥‥もうないけど、せめて魂だけは、こんな場所に在ってはいけない。全ての痛みは私が背負う、彼らの分も私が背負う。私は生き残り、彼らをここから出す。こんな暗闇を共有してくれた友のために、そして今も暗闇の中でも私を照らしてくれる友のために‥‥‥‥

 

 

 

 

 その日は突然始まった。

 いつものように実験が終わった後、煙を流される前に爆音が響き渡った。

 

「なんだ一体!?」

「例の組織の襲撃です!! 急ぎお逃げ下さい!!」

「くっ、致し方ない。急ぎデータを集めて逃げるぞ!!」

 

 男達は慌てている、何かが起こった、と言う事は分かった。‥‥‥‥そして、私の拘束がされていないことに気付いていないようだ。

 

「ウオオオオオオオオオ!!!」

 

 私は全身の力を使い、ガラスに飛び掛かった。そして‥‥‥‥ガラスは砕けた。

 

「ば、バカな!? あのガラスは防弾性だ、それを己の肉体のみで砕き割るとは‥‥‥‥‥‥‥‥実に素晴らしい」

 

 恍惚とした笑みを浮かべる研究者、いつもはガラス越しに見ていた顔が目前にある。

 私はその気持ち悪い笑みを浮かべる男の顔面を‥‥‥‥思いっ切り殴った。

 

「ウワアアアアアア!!!」

 

 ここに連れて来てからの私の怒りを、いなくなった友の分の怒りを、悲しませたみんなの家族の怒りを、全てを込めた一撃を叩きつけた。

 男の顔は鼻が砕け、見るも無残に変貌していた。だが‥‥‥‥

 

「ウラァ! ウラァ!! ウラァ!!!‥‥‥‥」

 

 只管に殴り続けた。倒れ込んでも、意識を失っても、息がある限り、殴り続けた。何度も、何度も、何度も‥‥‥‥だけど、治まらない。足りない。もっと、もっと、もっと‥‥‥‥痛みを与えないと‥‥‥‥

 コイツは顔だけしか痛みを受けていない。だけど、ここにいた友たちはもっと‥‥‥‥痛かった。

 腕が弾け飛び、足が弾け飛び、腹が、背中が、頭が、弾け飛んだ友たちもいた。なのに、コイツは顔だけだ。ならばもっと痛みを負わせないと、みんなの分も私が与えないと、ここにはもう私しかいないから‥‥‥‥

 私が拳を振り上げた直後、

 

「そこまでにしておけ」

 

 背後から声を掛けられた。一体誰だ、私を止めるのは‥‥‥‥

 そこにいたのは銀の髪を靡かせ、ロングコートの身に纏い、左手に剣を持つ男だった。

 

「これ以上踏み込めば、戻れなくなるぞ」

 

 戻れなくなる‥‥‥‥何の事だ。だが、そんな事はどうでもいい。ここにいると言う事は‥‥‥‥私の敵だな!!

 もう動かないクズに対してよりも、私の怒りを邪魔をしたこの男に怒りを覚えた。

 

「ウアアアアアアアア!!!」

 

 邪魔をする奴は‥‥‥‥

 

「アアアアアアaaaaaa!!!」

 

 ホロビヨ!!!

 

「aaaaaaaaaaaa!!!」

 

 全身の筋肉が収縮し、床を踏み壊し、牙を剥く。

 

 

 

 side 銀髪の男

 

「‥‥‥‥堕ちたか」

 

 まだ大人になりきる前の――――弟のような存在よりもなお年少であろう少年の動きを見極め、攻撃を躱す。

 

 この施設に襲撃を掛けた。生存者は‥‥‥‥ただ一人。それもたった今、堕ちた。‥‥‥‥救えなかった、か。‥‥‥‥ままならないものだ。ならばせめて‥‥‥‥

 

「人として終わらせてやる」 

 

 この施設にいる子供たちには何も罪などない。

 当たり前の日常があり、当たり前の明日があったはずだ。

 ‥‥‥‥ただ、それを理不尽に奪われた‥‥‥‥かつての俺達の様に。

 歪みを正すべきだ。だから俺は、そのために俺は、人間として生きる道を棄て、修羅となった。

 目の前の彼の命を奪う権利など、俺にはない。だからそれを背負おう。そして、彼をせめて人としての終わりを、傲慢ながら与えよう。

 

「aaaaaaaaaaaa!!!」

 

 地を駆け、壁を伝い、己の拳を叩きつけてくる。屈強な肉体‥‥‥‥おそらくはここの研究者たちに改造されたであろう肉体から繰り出される一撃は容易に床を壁を破壊する。

 その姿に最早理性などなく、本能の赴くままに戦っている。その姿は人間を棄てた‥‥‥‥棄てさせられた者の悲しき姿だった。

 人を外れたその姿は人外‥‥‥‥いや、人から堕とされた姿‥‥‥‥畜生のそれだった。

 

 なんと哀れな事だ。自分から修羅となった俺とは違い、無理矢理に堕とされた彼が悪いわけではないことは分かっている。

 だがこれ以上彼の生を冒涜する気は俺にはない。すまないが‥‥‥‥これで終わりにしよう。

 

「受けてみろ、《剣帝》の一撃を!」

 

 俺の空気が変わったのを察知し、これまでの様に動き回るではなく、俺から距離を取り、息を整えている。身を低くし、己の両腕を地に付けた。その様は四足魔獣の体勢に近い。その体勢で俺の動きを伺う。その気配は最早野生のそれだ。

 だが、その内に宿る闘気には野生の獣ではなく武の気配を感じさせた。野生と武の混合とでもいえる、これまでに感じたことのない気配だ。その眼には真っ向から俺を打ち破らんとする気概を、剣士として真っ当な立ち合いを挑まれているようにすら感じる。

 

「フッ、武の心得があるようだな。ならば、武人として立ち会わせてもらおう」

 

 俺の言葉を受け、その気配がなお一層鋭くなる。体勢は低く、こちらのスキを見つければ、一息に飛び出してくるだろう。気を抜けばやられるのは俺の方かもしれない。

 今だ幼き身にこれほどの才覚を感じるとは‥‥‥‥もし彼が真っ当に武の道を進めていれば、きっと‥‥‥‥いや、詮無い事だ。これから終わりを迎えさせるものに不要な感傷だ。

 

「‥‥‥‥行くぞ」

 

 俺は思考を止め、攻撃を仕掛けた。それに呼応するように彼もこれまで以上のスピードで俺に向かってくる。

  

「ハアアアアアアアアアッ『鬼炎斬』!!」

 

 俺の必殺の一撃は確実に首を捕らえた。だが、その一撃を首元に嵌められていたモノで受け、そして衝撃を体さばきでいなしてみせ、そのまま体を回転させ俺に拳を振り下ろす。

 

「aaaaaa!!!」

 

 俺はその攻撃を鬼炎斬の反動で体を回転させ攻撃を躱した。

 

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

 

 最初の立ち位置と逆になったまま、互いに睨み合う。互いに視線で牽制しあうが、不用意に飛び込むことを避けた。

 先程の一合で良く分かった。野生の獣のそれに武人としての立ち合いが混合とはなんと厄介な事か。

 まさか、こんな躱し方をされるとは思わなかった。身体能力と判断力、そのどれもが欠けては出来なかった大した動きだった。本能がそうさせたとしたら、随分と貪欲な生存本能だろうか。

 だが、俺の一撃を防いで見せたのは紛れもない事実、こんなことを彼女に知られれば、また嬉々として鍛錬に付き合わされるだろう。‥‥‥‥まあ、それも仕方がないな、甘んじて受けよう。

  

 俺は思考を他所に割いている最中、彼から視線を外さず警戒を続けていた。次に何をしてくるか、一挙手一投足に警戒を続けた。 

 だが、彼は‥‥‥‥俺に背を向け、走り去っていった。

 勝てないと見るや、全力で逃走か‥‥‥‥随分と思い切りがいい。

 

「aaaaaaaaa!!!」

 

 彼の雄たけびが建物に響く。

 追いかけるのは‥‥‥‥止めておくか。彼の命を奪いたい訳ではない、ただ彼を人のまま終わらせようとしただけ。それを当人が拒むなら、俺が深入りするべきではないな。

 

「‥‥ぁ‥‥ぁ‥‥‥‥」

 

 彼の獲物がまだ生きている。

 

「‥‥‥‥た、す、け、て、く、れ‥‥」

 

 ‥‥‥‥今更だな、これまでの行いを鑑みれば到底そんな事を口に出来る訳がないと言うのに、何処までも恥知らずだ。

 俺の恥知らずの口をこれ以上開かせない様に、剣を走らせた。

 

「‥‥ぁ‥‥‥‥」

「彼の獲物を横取りしたこと、心から詫びよう」

 

 それ以後、その存在は動くことはなかった。

 彼の獲物を奪ったことに心苦しく思う。これであれば、彼に本懐を遂げさせてやるべきだったな。だが、もしまだ戻れるのであれば、きっと‥‥‥‥戻るべきだった。

 最早、彼の歩む道はきっともう真っ当な道には戻れない。例え今日の事を忘れたとしても、きっと彼は何度でも‥‥‥‥この道を行くことになるだろう。

 

「‥‥‥‥レーヴェ」

「‥‥‥‥ヨシュアか」

「‥‥‥‥どうかした?」

「‥‥‥‥いや、大したことじゃない。そちらはどうだ?」

「被験者に生存者はいなかった。全員死んでたよ、そっちは?」

「生存者は‥‥‥‥人間は一人もいなかった」

 

 彼が行った道に視線を走らせ、そっと逸らす。

 

「‥‥‥‥行くぞ、ヨシュア」

「ここの研究者たちを始末しなくていいの?」

「‥‥‥‥いや、それは止めておこう。俺達が手を下さずとも、しかるべき裁きが奴らに下る」

 

 俺は悲しき獣の叫びを耳に残し、施設から去った。

 

 

side out

 

 

 銀髪の男との戦いを避け、目標への道をひた走る。

 あの男には今は勝てる見込みがなかった。

 だから、全力の一撃を迎え撃つでもなく、受けるでもなく、逃げを選んだ。気が逸れた一瞬を突き、全力を持って逃げた。

 勝てないと私の本能が告げていた。勝てないと、殺されると、そう言っていた。

 それに、私の目的はあの男ではない。目的は、ここの研究者たち。ならば無駄な戦いは極力避けるべきだ。

 

 逃げる最中、耳障りな息遣いが聞こえた。それに向かうと目標の研究者の一人を見つけた。

 俺は床を力強く蹴り、一気に研究者に飛び掛かる。

 

「アアアアアアアアアアッ!」

 

 私の拳が研究者の背中に叩きつけられた。研究者はその衝撃で倒れ込む。そして、私を見て、心底いやらしい表情を見せる。

 

「な、なんだ。貴様か、実験動物の分際で主人に手を上げるとは‥‥‥‥お仕置きが必要だな」

 

 研究者はおもむろに白衣のポケットからスイッチを取り出し、押した。

 

「‥‥‥‥」

 

 何も起こらない。一体何用のスイッチなんだ?

 

「えーい、貴様一体首輪に何をした!?」

 

 どうやら首輪のスイッチのようだ。先程あの男の剣を受けるのに使ったが、その際に壊れたようだ。ならば、こんな首輪‥‥‥‥引きちぎってくれるわ!!

 私は首輪に手を掛け、全身の力を指先に集中させる。

  

「ハアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 首輪に徐々にヒビが入っていく。少しずつ、少しずつ、だが確実にその形状に崩壊が進む。

 

「‥‥‥‥砕けろぉぉぉぉぉ!!!」

 

 そして遂に限界を迎えた首輪はその役目を終えた。

 

 ここに連れて来られた時に嵌められて以来、随分と長い間、私を、私達を苦しめてきた枷が遂に解かれた。

 これよりは自由だ。何をするのも、誰に止められるでもない。ならば‥‥‥‥

 

「ハアッ、ハアッ、ハアッ‥‥‥‥‥‥クハッ、ハッハッハッ、ハッハッハッ‥‥‥‥これで、私は自由だ。なあ、そうだろう‥‥‥‥なあっ!!」

「ヒッ!?」

「おい、どうした? 何を怯えている?」

「あ、あ、あ、‥‥‥‥く、来るな!!? ば、バケモノ!!」

「バケモノか‥‥‥‥ああ、良いだろう、この場に置いてなんと呼ばれようが最早気にもしない。私はキサマに私達と同じ痛みを与える。その様を誰になんと言われようと止めるつもりは最早ない。だがただ一つだけ、言っておきたいことがある‥‥‥‥‥‥‥‥‥お前が言うな!!」

 

 渾身の一撃が研究者の顔面を粉砕する。

 頭部は私の拳と、背後の壁を挟みこまれ、その形状を大きく変え、男の息が完全に無くなった。

 だが、それで許すつもりも毛頭なかった。

 

「死して尚、貴様を許すつもりは無い。貴様を女神の下になど、決して行かせはしない。お前が言ったバケモノの力、とくと味わえ!! おまえの魂をもらう『ソウルハント』」

 

 研究者の男を死後も尚、追い詰めた。その魂を肉体から引き剥がし、己の中に取り込む。‥‥‥‥養分として。

 先に亡くなった友の様に魂を守るために己の内に取り込むではなく、ただ私の食事として魂を喰らった。かつては忌避した人ならざる力を嬉々として使った。

 

「‥‥‥‥いい、いいぞ!! お前達の怨嗟の声が私を歓喜させる。我が糧となり、我が力となり、我が血肉となれ。それが貴様達、愚かな人間の末路だ!!」

 

 爽快だった。かつての友たちの怨嗟の叫びを一心に受け止めた私に取って、研究者達の怨嗟の叫びはただの逆恨みにしか思えない。当たり前の今日があり、当たり前の明日があったはずの私達から奪った者達への正当なる報いだった。

 泣いていた子供達に研究者たちは何をしてきたか、その時何を感じていたか、友たちの魂が克明に教えてくれた。痛かった、苦しかった、悲しかった‥‥‥‥多くの負の感情が私の中に流れ込んできた。気が狂いそうだった、頭が変になりそうだった、自分から死を選びたくなった‥‥‥‥だけど、それは出来ない。

 

 私には約束があった。亡くなった友たちをこの地から出すと、アイツら研究者達にこの怒りをぶつけてやると、あの家に帰って父さんと母さんの帰りを待つと、そんな約束があった。

 だから果たそう、その約束を。果たせなかった約束を友のために私が果たしてみせる。終わってしまった友たちの無念を私が代わりに果たして見せる。そして、帰れなかった友たちのために私だけは帰ってみせる。

 

 私の歩みは止まらない。まずは研究者たちへの怒りを友たちを代表してぶつけるまでだ。

 

 

 

 

 私は只管に研究者たちを探した。

 研究者たちを探す中、先程戦った銀髪の男に見つかるのを避けるために細心の注意を払った。だが、もういないみたいだ。あの男を警戒しなくて良くなったのは大きかった。

 

 幸い研究者たちを探すのに苦労はなかった、この場所での人体実験によって得た力―――感応力がそれを容易にした。感応力だけではなく、目や耳や鼻、五感が研ぎ澄まされ、更にそこに行く足や体が強くなった結果、全ての研究者を探し尽くせた。

 

 あるものは物陰に隠れているので、引っ張りだした。その際抵抗したので、腕を引きちぎって、魂を奪った。男の最後の言葉は、死にたくない、だった。

 またある者は逃げようとしていたので、追いかけ追いつき、足を砕いて、魂を奪った。男の最後の言葉は、このバケモノ、だった。

 またまたある者は研究所の外にまで逃げて、森の中を隠れながら進んでいたので、木に突き刺してから、魂を奪った。最後の言葉は、どうして、だった。

 

 酷いものだ、死にたくないといった子に研究者は何をしたか、このバケモノを生み出したのは一体誰だったか、どうしてこんなことになったのか、全ては自分達に帰結するものだというのに、何処までも、何処までも自分勝手な言い分だった。度し難い程愚かだった。『人間』という存在を心底嫌いになりそうだ。

 

 だけどこれで、漸く終わった。

 私はその場に座り込み、胸に手を当て、亡き友たちに報告をした。みんな‥‥‥‥終わったよ。

 どれ程問いかけても、返事は帰ってはこない。それは分かっている。だけど、それでもしない訳にはいかなかった。それが生き残った私の責務、ただ一人だけ‥‥‥‥生き残ってしまった者の贖罪だから。

 失ったものは帰ってこない。時も人も、帰ってこない。それはイヤというほどわかっている。

 だけど、一言だけでいいから、返して欲しい。『私は生きていていいのか』、その問いにだけは答えて欲しかった。

 

 

 

 

 私は研究所から離れ、随分と歩いた。

 不思議と、自分の帰り道が、ヘイムダルへの道筋が分かった。

 いつだったか青い錠剤を飲まされてから、色々なことが分かるようになった。知らないはずの事でも、何故か分かった。ただ、その代わりに眠らなくて良くなった。完全に寝なくてもいいわけではなく、少しの睡眠で問題なくなった。どうやら、薬の質がそれほど良くはなかったそうだ。まあ、どうでもいいけど。

 

「‥‥‥‥今日はここまでかな」

 

 眠らなくても、夜は来る。周囲は真っ暗で、何も見えない程の闇が広がっている。

 空にも星は見えない。曇っている、明日は雨かも知れないな。

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

 私は一人、木に背を預け、夜が明けるのをじっと待った。

 虫の声、風の音、草木の揺れる音、そんな音の中で一人、ジッとしていた。

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥寒いな」

 

 夜が明けるまで一人、闇の中にいた。

 




ありがとうございました。

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