―――七耀暦1206年7月15日 ヒンメル霊園
side リィン・シュバルツァー
地下に光が差し込んでいた。その先を進んだら、そこはヒンメル霊園だった。
そして、そこにはレクターさんとセドリック皇太子殿下に本校の生徒達、引率しているナイトハルト教官が待ち構えていた。
「お疲れさん。いやぁ、お早い到着で驚きだわ。‥‥いやぁ、まさか本当に、想像以上に早くてビックリだわ。帝都から車ぶっ飛ばして漸くさっきついたばっかりなのに、どうしたら地下歩いてきて、こんなに早いんだよ‥‥」
レクターさんの表情はげんなりしていた。
そのレクターさんにハードは近づくと、首を傾げて言った。
「最短距離を突き進んだ結果です。帝都からここに来るまでなら、車の方が無駄な道を通る以上、地下を真っ直ぐ進む方が距離は短いです。ですが、車の方がスピードが速いので、それらを加味すると、大体は同じくらいの時間で着くという結果です」
「あのねぇ、坊ちゃん、普通『最短距離』を突き進むと言っても、壁をぶち抜くのは『最短距離』とは言わないんですよ。真っ直ぐこっちに向かうの意味も、文字通り一直線に貫いてきただけでしょうが!」
レクターさんは現場を見たこともないのに、ずばり言い当てた。おそらく前歴があるのだろう。
そして、その指摘は酷く真っ当で、ユウナ達はしきりに頷いていた。
「いやいや、レクターさん。人類は立ちはだかる壁を何度も超えてきたんです。これまでの人類の歴史が幾度も行ってきたんです。何を躊躇うことがありますか」
「話の規模がデカい!‥‥まあ、こうなるだろうな、とは思ってたから、そういう手筈で動いたけどさ‥‥やっぱりまあ、ハードはハードだねぇ‥‥多少は気分の切り替えにはなったか?」
「‥‥まあ、それなりに‥‥」
「そうか、なら多少は兄貴分としての面目躍如かな。‥‥さて、それが‥‥」
ハードとレクターさんの気安い対応を見るに、レクターさんもハードの行動に振り回されているようだ。だが、その距離間は相当に近い様に見えた。
ハードの言動に頭を痛めながらも、レクターさんが視線を俺達の方に向ける。いや、正確に言うと、俺達が連れている共和国のスパイを見ている。
「ええ、ですが、当初の見込みとはちがいますね。アレは‥‥正体不明の
「‥‥ふぅーん、そういうことか‥‥大体は想像がつくが、お前のシナリオを聞いておこうか?」
「フフフ、そうですね。私のシナリオが何処まで使えるのか分かりませんが、少なくとも、どう料理しても、それなりの成果は出せるはずですよ」
レクターさんの問いに、ハードは自信に溢れた笑みを浮かべ、己のシナリオを話し出した。
「まず、此度の一件、共和国のスパイと我々は考えていましたが、真実は違います。彼らは所属不明、正体不明の
「ほう、真実、ねぇ‥‥俺にはそれが共和国のスパイ、いやもっと言えばCIDの『ハーキュリーズ』だと思うがねえ‥‥」
「ええ、私も当初はそう思いました。ですが‥‥それでいいのでしょうか?」
「うん?‥‥ああ、そういうことか‥‥」
「そう、彼らは『共和国のスパイ』としてしまっても、旨味がないんですよ。それ以上に旨味のある使い方をしましょう、と言うのが私の考えです」
「ふーん、そのために、お前、腕をやらかしたのか‥‥」
レクターさんがハードの左腕を見て、困ったような表情を浮かべた。
ハードの左腕に血のシミがあるので、察したようだ。本来なら魔獣との傷と考えても良さそうだが、ハードの行動から察したようだ。
だが、ハードはその視線を受け、肩をすくめた。
左腕はハードが撃ったものだ。だが、それは政治的に利用するために行った事だとこの時点で漸く気づけた。
「人聞きが悪いですね。私の腕は
「‥‥やれやれ、物は言いようだな」
「ですが、事実です。そして彼らは身分も分からず、また証明も出来ない。故に、『共和国のスパイ』という推定は出来ても立証は出来ない。では、彼らの存在を共和国に突き付けても、意味はないでしょう。おそらく‥‥」
「『共和国にそいつらは存在はしない』、まあ、そう言われるのがオチだろうな。だから‥‥」
「そう、だから彼らは正体不明の
「謎のテロリストによるテロ活動、周辺国の皆さんもお気を付けください、そんなお知らせでも出すわけか?」
「そうです。そして、そんな事を言う理由が‥‥コレにあります」
ハードがレクターさんの共和国のスパイから取り出したデバイスを見せる。
「『RAMDA』、これが今回の一連の事件で使われた姿を見えなくしたモノの正体か‥‥」
「ええ、未だ帝国ではたどり着けていない技術です。これは現在の帝国では脅威となり得るものです」
「なら、急ぎ解析する必要がある‥‥‥‥けど、お前の考えは少し違うようだな」
「ええ、この技術を解析するのは帝国だけではありません。解析するのはゼムリア大陸全国家共同での解析を行うべきです!」
「‥‥ククク‥‥なるほどな。で、それをやって、どういう落としどころに持っていく気だ?」
「この技術を全国家共同での研究を行い、透明化のギミックを解き明かし、それらに対抗する防衛手段を確立し、この技術を完全に使用不能に追い込みます」
なるほど、と思わず感心してしまった。
今回の一件はハードがいなければ、対応は不可能だった。見えない脅威が生徒達に迫っていた。俺はそれに気づくことが出来なかった。
気のゆるみがなかったとは言えない、警戒はしていたが隠形とは全く違う不可視の存在は流石に想定していなかった。
アルティナのクラウソラスの様に裏に関わる技術だとすれば、想定すべきだった。
だが、もしこの技術が表に出てくるなら、それ相応の対応は必要だと言う事は俺にも理解が出来た。
「フーン、なるほどな。だけど、それだけじゃねえよな‥‥」
「ええ、それだけではありませんよ。この研究、全国家共同で行う以上、何処で行うのが最善だと思いますか?」
「‥‥ああ、そういうことか」
「ええ。帝国にお越しいただきましょう、各国の最高叡智達に」
「態々出てくるかね? それなりの人員は出てくるだろうけど、流石にリベールのラッセル博士やカルバートのハミルトン博士なんか一線級は出せないんじゃねえのか? それに態々帝国でやる必要はないんじゃねえのか?」
「いえ、これは帝国でしか出来ません。なぜなら、この『RAMDA』は姿を見えなくしてしまう以上、何処から襲い掛かってくるかは分かりません。そんなシロモノを国外に移送など出来ますか? 奪われるリスクが大きいと思いませんか? ならば、あちらから来ていただくほかありませんよね。それに、この研究を何処か別の国で行った際に紛失、もしくは、奪還された場合の責を負うことになりますが、それを受け入れられますかね。ならば、研究は帝国で行うのが最善です。それに他国がこの申し出を断った場合、それは帝国に対するテロ行為の実行犯ないしは共犯だと疑われることになりますが、それを良しと出来る国がありますでしょうか。そして、各国が今回の申し出に賛同したとしても、一線級の人物を出せないならば、これも帝国へのテロ行為に関わりがあることがあるのでは、と疑わざるを得ません。最後に、この技術を解析するのに帝国の研究スピードよりもある程度の遅れや進みの誤差はありますが、それが度を超えていた場合、本腰を入れていないと判断できテロ支援国家と見做すことにしましょう。これで帝国へのテロ事件の潔白を証明してもらおうと思います」
「フムフム、なるほど筋が通った話だ。だが、それだけじゃあねえよな。お前の本当の狙い、それが何処に主眼を置いているのか、まだ分かっていないからな。お前の思惑、全部吐いてみろや」
「そうですね。あくまで主目的は『RAMDA』の封印。ですが、出来るならば、帝国にやってくる他国の優秀な技術者たちには‥‥‥‥亡き者になってもらいたいと考えています」
「ッ!?」
ハードの発言に緊張が走った。
生徒達も、本校の生徒も動揺している。そんな中、然したる動揺を見せていないのはレクターさんとナイトハルト教官くらいだった。
「‥‥オイオイ、随分と穏やかじゃねえな。そんな事、帝国でやらかしてみろ。各国の心象、最悪まで落ちるぞ!」
「そうですね。まあ、本来ならばそうでしょうね。でも、その批判をぶつけられる恰好な材料があるじゃないですか?」
「!‥‥『RAMDA』か!」
「フフ、仕方ないですよね。ええ、残念です。実に悲しい事件になります。でも、仕方ないですよね、だって‥‥‥‥姿が見えない謎のテロリストによる仕業、ですからね」
ハードは全てを『RAMDA』というデバイス一つに責任を押し付け、各国のVIPを排除することを提案していた。
その表情はいつも通りの表情だった。‥‥‥‥とてもじゃないが、そんな物騒な事を言い出すなんて思えないような表情だった。
ナイトハルト教官は視線を伏せていた。黙して、何も語らず、そしてあるがままを受け入れる、そう言う心構えが見えた。
そして、レクターさんは‥‥‥‥笑いだした。
「‥‥クッ‥‥ハハハ‥‥いやぁ、まさかそこまで考えているとは驚き通り越して、寒気がしたぜ。オッサンならいざ知らず、まさかお前がそこまでやる様になるとは‥‥いやぁ、兄貴分としては弟分が成長してくれて嬉しい反面、こんな悪辣な方法を覚えちまって悲しいやら、複雑な心境だねぇ」
レクターさんは笑い声を上げ、治まったら、複雑な表情を浮かべていた。
「さて、では私のシナリオにお付き合い頂けますか?」
ハードは手を出した。この作戦に乗るか、反るか、問うている。
レクターさんはその手を見て、驚いた表情を見せた後、笑ってその手を‥‥‥‥跳ね飛ばした。
「流石に、それだけは頂けねえな」
レクターさんの表情は心底残念そうに首を振って否定した。
「‥‥理由を聞いても?」
「‥‥お前だったら何でダメか、良く分かっているだろう?」
「‥‥ええ、それでもあえてお聞きしてもいいですか。どうして、この考えはいけないのか、を?」
ハードは食い下がった。それを見て、レクターさんは小さく溜息をついた。
「国家間のパワーバランス、いや信頼関係が崩れる様な言動はするべきじゃない。確かにお前が考えた様に事は動かすことは出来る。帝国内に各国の技術者を集める事は出来るだろう。‥‥だがな、その技術者を、消した場合、如何に取り繕っても、非は帝国にあるんだよ。今のお前がやろうとしているように、な」
「‥‥‥‥」
「お前が一番敏感に捉えていたことだろう、国家間の微妙な緊張状態、それを考えれば‥‥」
「もういいです」
ハードはレクターさんの言葉に口を挟むと、背中のウクレレと腰を下げていた剣を抜き、ゆっくりとその場に置いて、RAMDAをレクターさんに渡した。
「おい、ハード! 話はまだ‥‥」
「もういい、と言いましたよ。それに貴方の言は聞くに堪えない」
ハードはレクターさんの言葉に取り合おうとはしなかった。
そして、ハードは所持していたモノを全てその場に置くと、その場を去ろうと歩き始めた。
「あ、おい!?」
レクターさんが肩を掴んで引き留めた。
引き留められたハードはその手を醒めた目で見ていた。
「‥‥なんです?」
酷く不機嫌、いや、苛立った様な口調だった。
「お前、自分で聞いといてその態度は無いだろうが‥‥」
「はぁ‥‥最後まで聞かなくてもいいです、分かりましたので。レクターさんが言う通り、いや、言おうとした通りだと思いますよ。‥‥‥‥だけど、前提条件が違うんですよ」
「前提条件?」
ハードの言った前提条件、という言葉にレクターさんは首を傾げていた。
「貴方の語ろうとしたのは、健全な国際情勢、国家間のパワーバランスが緊張状態だった場合の話だ。今の状況には当てはまらない」
「それは‥‥まあ、そうだろうな‥‥」
ハードの言葉にレクターさんは否定の言葉を吐こうとしたが、否定しきれずに同意していた。
「今の状況、分かっていますよね? 帝国は他国の顔色を伺わなければならない状況ですか? 他国の力が必要な状況ですか? 違いますよね、要りませんよね。‥‥いや、むしろ国際情勢的には帝国に味方する国家はないでしょう。周辺国から見れば、帝国は是が非でも叩きたい敵対国ですよね」
「‥‥ああ、そうだな」
「クロスベル、ノーザンブリア、近年の強硬路線で国土を拡張させてきた帝国が今更周辺国の顔色を窺ってどうします。今更その程度の配慮をしたとしても、ただの弱腰にしか見られない。今すべきは周辺国に対して更なる強硬態度で譲歩、いや、屈服させるのが肝要です。それが出来なければ、反抗の牙が突き立てられるのは帝国の方です。徹底的に叩き、敵対国を一つでも多く潰しておくこと、それが将来の帝国の安寧に繋がるんです。それが分からない貴方ではないですよね?」
「っ!‥‥‥‥」
ハードの言葉にレクターさんは苦虫を嚙み潰したよう表情で、口を噤んでいた。
「‥‥ああ、そうか」
その表情を見て、ハードは何やら得心がいった、という表情を浮かべた。
「リベール、レミフェリア‥‥この二か国は特別ですものね、レクターさんにとっては‥‥」
「っ!?」
「潰すのが怖いですか、かつての学友がいらっしゃる国ですものね‥‥‥‥ハッ、くだらない!!」
「うっ!?」
ハードはレクターさんの胸倉をつかんで持ち上げた。
「下らん干渉は捨てろ、レクター・アランドール。貴方は、もう戻れない。切り捨てたんだ、過去を。だからこそ、今がある。かつての学友? だからどうした! 今は敵だ、明確な敵なんですよ。ならばどうするか? 簡単ですよね、敵ならば‥‥倒すしかないんですよ! あなた一人の私情で、多くの人が巻き込まれるかもしれないんですよ。分かっていますか、
「ゲホゲホ‥‥」
ハードはレクターさんを放した。
苦しそうに膝を付いて、咳き込んでいるレクターさんをハードは見下ろしていた。
「この先、激動の時代がやってくる。帝国を中心に始まる激動の波だ。それは今を劇的に変えることになる。その波に帝国は
「‥‥‥‥ハード」
「この先、貴方がやるしかないんですよ。この先について、察しがついている貴方にしか出来ないんですよ。この先は
ハードの表情が酷く悲し気で、そして申し訳なさそうだった。
この言葉の意味が今の俺には分からなかった。
「レクターさん、貴方の考えは正しいと思いますよ。少なくとも、私の考えは正しいことじゃないです。騙し討ちですからね、私の作戦は。でも、少なくとも私が見据える先にとっては、それが最善だと思えました。技術者、いや天才というモノは時代を変える存在です。エプスタイン博士しかり、三高弟しかり、国の技術水準を飛躍的に向上させてきました。だからこそ、消しておく必要があるんですよ。今更、ですけど、帝国の安寧のために、非道に身を落とそうとも、何としてでも、消さなければならないんです。それが出来なければ‥‥‥‥近い将来、帝国は共和国に負ける日が来ますよ」
ハードの口調はレクターさんを慮っていることが受け取れた。
だが、その言葉はまるでハードが近いうちにいなくなるように、俺には聞こえた。
その言葉を最後に、ハードは背を向けて霊園を後する。
その後ろ姿に、俺は、俺達は何も言えなかった。
あの時、俺がアイツに言葉をかけていれば、引き止めることが出来ていれば、もしかしたら、あんな未来は来なかったのかも知れない。
俺は近い未来で後悔することになるなんて、今は思わなかった。
side out
ありがとうございました。