マユリ様になりきれない!   作:小森朔

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没案の加筆供養。涅マユリになりきれなかった男の話。

パッションリップ戦、前回からずっと加筆していますが進みません。つらい……


番外編
要らぬ自苦を背負った末は、


 ぐら、と視界がぶれて右半身に衝撃が走る。先ほどまで眺めていた月が少しばかり遠ざかっていた。

 身じろぎをすれば皮膚にざりざりとした感触があり不快だ。しかし──体が、うまく動かない。

 

(はて、原因は何なのか)

 

 呼吸機能はまだ喪われてはいない。心停止もしていない。単純に、吊り下げた肉人形の糸でも切ったように。神経が動かないだけなら無理に動かせばいいが、そんな気にもなれなかった。何故なら、それが徒労に終わると理解していたからに他ならない。

 

 私はもう幾ばくもないうちに、完全に死ぬのだ。

 

(まさか、ここまで早くに限界が来てしまうとは)

 

 床に臥せるわけではなかった。ただ、夜半の光を頼りに思考していただけだ。茶を呑み、頭を休め、そして切り替えるための夢想をする。ただそれだけのルーティンに不完全なことなどない。

 時折、研究材料の状態や作業進捗の問題から手を離せずカンヅメにされる以外には至極健康的な生活だっただろう。

 

 だが不意に。先ほどまで異常はなかったのにも関わらず、急速に思考と心臓が鈍った。予兆すらもなく、である。

 そのままじわりと快楽が襲い来て、痛みが誤魔化されていく。決して軽減されると言うことはない。ただ、苦痛が快楽によって覆い被せられ、ない交ぜになることによって痛みや異常への忌避意識が薄れるのだ。

 そうともなれば、自分の肉体に起きた不調について理解することは容易だ。むしろ、理解できない方がおかしかった。

 

 どうにも、自分の命はここまでのようだ。

 

 

「っ、マユリ様!」

「お父様、お父様しっかりしてください!」

 

 

 廊下の向こうから娘たちが駆け寄る音がする。

 視神経に問題なし。姿も見える。

 

「……ネ、ム、……さく、ら」

 

 娘たちに助け起こされる。痺れはしていないが、四肢の自由は効かなくなっていた。必死に手当てをしようとする姿は、誰に指示されたものでもない時点で十分に喜ばしいものだった。

 

 

 これで、私の研究は成功。やっと、結実したのだ。

 これほど喜ばしいことがあろうか。

 

 呼吸機能が低下している。視界は不明瞭になりつつあり、思考も鈍化していた。声もろくに出やしない。これでは最後に言伝てることも叶うまい。しかし、資料はある。この娘たちはそのすべてを読み、理解する。私の予想通りに。

 

 恐らく、悪くない終わりなのだろう。もっと研究をしたかったという点さえ、除くことができるのであれば。

 

 

 

 

 

 ホームルーム終了と共に騒ぎかと紛うほどのざわめきが起きるのはいつものことだった。

 鞄に教材をしまい込み、課題をすべての終わらせていることを確認する。高校の課題程度であれば、休憩時間で解いてしまえば自由である。解き方はとっくに知っているのだから、そう言えるというだけのことであるのだが。

 しかし、実際にはそれはクラスメイトたちからすれば当然ながら異様である。終礼までにはすべての課題を必ず終わらせて、自由に帰宅するのだ。何度か、答案目的の阿呆につっかかられたことすらある。そのときは口八丁で丸め込んだが、それからは時折、声がかかった。

 

 

「土屋ー! 帰ろうぜ!」

 

 今日もそうであるようで、あまり名前を覚えているわけではないが、コイツは出欠確認で最初であるせいで覚えている。確か浅野だったはずだ。

 

「断る。呼び出しを喰らったし、毎度断っているだろう」

「ちぇっ、数学Ⅱの課題教わりたかったんだけどなぁ~……時間あったら教えてくれよ」

「嫌だヨ。そんなもの、自分で考えねば意味がないだろう」

 

 最近では金をとってやろうか、とも思っていた。さして交流もなく聞いてくるのだから、こちらに利益がない。講師でもした方がまだ利益があるのだ。

 しかし浅野はそれでもめげない。それを許せてしまう底抜けの明るさのようなものがあるのだから、そうした部分は其奴の美点ではあるのだ。悪意も、瑕疵もほぼない。それは少なからず評価できた。

 

「頼む! ヒントだけでも!」

「教科書46ページ第二例」

 

 だからこそ、応えることはやぶさかではない。益を見いださないのは無意識に自分が避けているのだと、最近気がついた。そこで安易に馴染んでしまえば、私は私の固守してきたものを喪失してしまうと考えている。

 

「土屋くん、」

「何だね、井上」

「……ううん、何でもない! 具合、悪そうだったから」

 

 私が、正しい道を行けば解剖したいと考えていた女が心配だと言いたげな顔をする。

 

 全く、おかしなこともあるものだ。これでは、常人として生きるのに不足などないというのに、欲を満たすこともできやしない。

 

 世間に馴染み、知ることは喜ばしくとも、平生に心を休める寄る辺がなくなるとは。危険などないと以前から生きていた意識の残滓が告げて、危険な目に遭ったことは一度や二度ではない。

 だからこそ、安寧が続かないと知るや離れんとした。何故、死神であった頃の記憶を保ち続けているかなど知る由もない。だが、霊視とそれらしき技術は身についていた。なるほどこれはまだ逃げられないのだ、と理解するには足りる。

 安寧を求めつつも安寧ならざると避けることを、やめたくないといえば嘘になる。しかしこれが一番安寧に近いのだ。どうしようもなく、異端であると髄まで教え込まれる。それを忌避するのは正しかろう。最早張りぼてを維持する必要はなく、臆病心を見せ、それを抱えたまま塞ぎ込むことも、ひとつの防衛策としては悪くはない。

 

 とはいえ。

 履き替え、考えをもう一度始点近くまで戻す。

 

 

 学校には折り紙つきの不良として黒崎一護がいる。

 同時に、黒崎一護と共に問題を起こした茶渡泰虎もいた。

 私が殺した滅却師の弟子の石田雨竜も同校に通っている。

 井上織姫や有沢竜貴も同校在籍者であり──そして先日、朽木ルキアという女が転校してきた。

 

 

 関わることを極力避ける。だが、既にして崩れきった話筋はどうにかなるものであろうか?

 

 否、回る。明確に生がある世界だ。地続きであると実感できるほど地名もなにも何一つ変わらないこの世界で、当然ながら後釜などいくらでも居よう。眠計画も私の死によって終着が見えた。花籠計画もあの時点でできる限りの研究は行った。今後の困難への対策にしろ、あのときの私に打てる手はすべて打っていた。

 

 ならば、そこに執着を残すこともなければ、今後私のしたいことをする以外にすべきこともない。

 

 なにもしないことが肝要だ。付き合う義理もなかった。

 

 

 一直線に正門へと向かう。蝉の鳴き悶える姿に、じわりと心が悲鳴を上げる。──調べたい。もっと、もっとだ。死ぬまで。意識が消え去るまでは、やめるわけにはいかない。渇えを満たしたい、と。

 

 

 私が「土屋マユリ」として生きるうえで、切り刻まれた四肢の赤さなど一々思い出す必要はない。意識すれば、教室の窓から差し込むその赤色を解剖室と錯覚する程度には混同してしまうのだ。慎重に、意図して意識から切り離さねば、今世を全うすることに支障が出る。

 兄弟に残された菓子を娘にと考えることも。看守をしていた素直で年若い死神も。以前に見た、撥ね飛ばされた子供の挽き肉のごとき肢体を滅却師に重ねることも。すべて、この身体にふさわしくない異常であるのだ。それらを切り離すことに注力せねば。私は既に、「涅マユリ」の生を終えている。

 

 研究はするとしても、役を終えたものが再び壇上に上がることはない。そんなことをしては興ざめだろう。

 では、今世では何をするか。直接関係のない研究であれば何をしても問題はない。生物学だろうが物理学だろうが医学だろうが、何だって構わないのだ。語学が修得できていればどの地域に移住しても差し支えない。ただ、より良い環境であれば、それだけで十分だろう。

 

 私がなくとも回るであろうから、早々にこの地域から逃げ出してしまいたい。できれば、関わりの薄いうちに。

 

 

 いや、止そう。すべて正しくない。

 私はただ、渇きを、意識したくないのだ。

 どうしようもない渇きは、再び死んでも満たされることなどありはしない。次がある、と思考することが愚かなのだ。来世など存在せず、満ち足りることなどない。未来永劫、決して。

 

 

 汗が滲む。

 

 

「いやぁ~、探しましたよ! ()()()()さん」

「は?」

 

 振り向いた先には、日光をたっぷり吸って光る髪の、ずいぶん昔に逃げ出した愚か者がいた。

 

 ……映像庁には、この会話も姿も筒抜けだろう。それでも出てきて、私を土屋ではなく涅と呼んだということは、余程のなにかが起きているのか。

 仮にそうだったとしても、私に出来ることなどありはしない。

 

 

「確かに私は、涅マユリだが」

 

 歩み寄り、軽薄な笑みを浮かべる男の胸ぐらを掴む。

 

 ──()()()()()()()()()()。そして、先日、両親は離婚した。元気がないと振る舞いは、そうした心情が少なからずあったからでもあるのだろうと自覚している。

 腹立たしいことに、学校では通名であり、現在の私の実名は涅マユリだ。これが偶然だとすれば、何と、底意地の悪い。

 

 

 顔を近付け、男の目を覗き込む。睫毛同士が触れる。

 

 仕込みなどはないようだが、どこに何を隠しているとも限らない。というよりは、十中八九なにか仕込んで接触してきたのだろうから油断がならない。

 男は、相も変わらず軽薄さを隠そうともしていない。

 

 威嚇の意を込め、そのまま口を開く。

 これだけは、言わねばならない。この男の掌に載せられたとしても、これだけは宣言せねば、ちっぽけな矜持も、人格も、保つことが出来そうになかったのだ。

 

 

「私は、お前の望む涅マユリにはなりきれない」

 

 

 

 目の前の男は、それでもなお、至極愉快そうに嗤っていた。

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