研究を中断させてまで浦原が伝えた内容は、くだらないどころの話ではなかった。
「宴会?」
そんなもの、隊長と副隊長だけ参加すればいいのではないか。席次まで参加させるなんて、そんな面倒でいくらでも変動するものを捕まえても仕方がないだろうに。
「ええ、来月末に。それで、ひとつは出し物をするらしいんスけど、なんか良い案ないですかね?」
相変わらず人好きのする腹立たしい笑みだ。帰らせろ。今すぐに途中で放置してしまった薬剤の研究をさせろ。
「私は不参「駄目ッスよ!」……チッ」
にっこりと笑いながら言葉を被せてきた浦原の言葉に思わず舌打ちをしてしまう。
結局、その日は会議をしても決まらず、ろくな案も出なかったのでそのまま解散することになった。浦原、お前に機会費用の概念はないのか。本当にいい加減にしろ。
と、思っていたうちは良かった。すっかり忘れかけて、そういえば月を跨いだがどうなっていたかと思ったときにあの男、紙切れ一枚持ってきてへらへら笑いながら爆弾を落とした。
「えー、我が隊では結局決まらなかったので、仮装することになりました!」
「「「「ええー!!」」」」
各隊員からブーイングと不満の大声が聞こえ始めたのでそっとその場を後にした。真面目に反応するだけ馬鹿馬鹿しいと、やっと気づいた。あれは好きなことを好きにやるし、意識が明確だからこそ曲げにくい。これはお遊びだ、あれが意見を曲げるわけがなく、申請書まで用意されてはどうしようもない。腹を立てる暇があるなら研究をしよう。
「全く……」
とはいえ、席次も参加、私も参加せねばならないのは確定してしまっている。茶会よりは気安いだろうが、気分は重たい。酒は呑める。しかし思考が鈍るのは嫌いだ。
何一つ思い付かないが、仮装か。仮装の対象になるものは何なのだろうか。私はメイクを落とせば十分にそれらしくなりそうだが、嫌なものは嫌なのでやりたくない。それこそ、不快なままの皮のようなもので……。
「……あるじゃないか」
どうせなら子宮も仕込んだ霊骸皮膚組織を作って、人格も一時的に封印してしまえば赤の他人の成立する環境はできる。
こういうときに御披露目して実績を積んでおかずしてどうするというのだ。バレなければそれでよし。後から報告さえしておけば、目にしている以上は認めざるを得ず、ぐうの音も出まいよ。
当日、紅を手に取り、女の顔に塗ってやっていると妙な気分になった。はて、前にも、こんなことをしたような。いや、あまり関係はないだろう。今日は無礼講の宴会だ。彼女にも気合いを入れなければならない。化粧は武装だと言っている人間もいたが、まさにその通りだ。カミを降ろすための仕掛けが、何の効果も持たない筈がない。化生になるには必須だ。
そろそろ宴も酣。化かすにはいい頃合いで、ここに人が来ることはない。
「頼むよ、香住」
目の前の女はひとつ頷くと微笑む。半結びのハイカラな髪型に、桜尽くしの着物を纏って、その女は悠然と立っている。
あまりに重たすぎるほどの酒瓶を置いて、小さな徳利を持って手招きする隊長様のところへ向かう。鮮やかなお召し物が素敵な方だだ。
「あれー? 君は?」
「香住と申します。涅様に本日の酌を申し附けられました」
享楽様、というらしい隊長の方にお酌をしつつ、その姿を盗み見る。がっちりした体格のお方で、見るからにいい筋肉してる。いいなぁ、こんな風に体を鍛えられれば、流魂街でも苦しまなくて済んだかもしれないのに。あ、でもダメか。強くなるにはご飯も一杯食べなきゃいけないし、お腹が空くもの。
そんなことを考えながら享楽様の盃にお酒を継いで、側から離れようと立ち上がる。まだやらなきゃいけないことはあるし、これから酒肴を取りに行かないといけない。そう言われているから。言われた通り、時間通りに。何より怒られてしまうのは嫌だった。せっかく、涅様に拾っていただけたのに。
でも、部屋から出ていくことは出来なかった。お隣に座っていた金色の髪の死神様が私の手首を掴んだからだ。
「……何してるんスか、涅サン」
穏やかな笑顔、それでいて、有無を言わせない声だった。彼は微笑んだまま、私を見ている。目も笑っている筈なのに、目だけが笑っていない。
怖い。柔和そうな顔付きなのに、優しげな声なのに。それなのに、何故だかこの方はとても怖い。
「え、あの……申し訳ございません、どなた様でしょうか?」
震える体を必死で押さえつけて出した声は、とても情けなかった。
「そういうことか……」
「“チェックメイト”です、涅サン」
あ、れ?
「……まさかここで解除コードを使わなくても良いじゃないかネ?」
そうだった、これ、出し物の仮装だ。ちゃんと隊士が出ていって芸をしているタイミングでだけ出ていた。私は霊骸皮膚組織を被った涅マユリだ。自分の認識していた出自もすべて嘘の塊。
「自己催眠だけでここまで見事に自分を偽れるアナタが恐ろしいですよ、ボクは」
「心にもないことを」
しかし、我ながら上手く出来たものだとは思う。阿近に頼んだのだが、もしかして彼にはその才能があるのではないだろうか。後で打診してみるか。
「しかしなんでまた霊骸皮膚組織を……?」
「どうもこうも、半端な化粧よりは生々しいだろう?」
「えっ、涅さんだったの、これ?」
戸惑いつつも手に触れてみている享楽は本当に変わらない。私の研究で生み出されたもので触覚的に差はないのだから意味ないのだが、わからないらしい。
「ああ、そうだヨ。うまい具合に化けただろう? 報告書を上げられるほど研究としての成果は出ていないがネ」
その手が鬱陶しく感じられて来はじめたので、とっとと叩き落とす。
こりゃあ一本取られたな、と、笑う享楽の横を通り抜けて、もう整えておく必要もない髪をほどいた。早く帰って化粧を落としたい。それから、この皮衣も脱いで、泥のように眠りたい。今日はひどく疲れた。
「私はそろそろ暇を貰うヨ。明日も研究はあるからネ」
「本当のところ、どうなんです? アナタ、そんなことに労力を割く人ではないでしょう?」
廊下に出て一人で歩いていたと思った筈だが、浦原は存外早く追いかけてきていたらしい。しかもこの男、やはり痛いところばかり突いてくる。言わねば離さないとでもいうような剛力で袖を掴まないで欲しいところだ。腕なら折れるだろう、ひどい皺がついてしまう。
「この皮膚を利用している死神が妊娠するか実験してるからだヨ。器官が十分に働いていれば受精卵がキチンと分裂し始める筈だからネ」
「なっ……!?」
驚いた拍子に浦原の手がぱっと離れたのを見逃さず、すぐに払い除ける。
不意打ちのように袖を掴んで、暴れようものなら制圧しようとする相手だ。下手に衝撃を加えたら胎児になる前にダメになってしまう。
「もちろん、ただの実験だ。私本体ではなく霊骸皮膚組織のだヨ。明日からは下腹部より下だけの皮膚でも問題ないか試す予定だ」
実用化してもいいが、しばらくはアンダーグラウンドでやらねばならない。というか、資金源にしたいのでアンダーグラウンドに出来ないとむしろこちらが困るのだが。
「同性愛者らは基本的に子を望めない。だが、器官を備えた単なる器ならどうだネ?」
「涅サン、それは!」
「彼らにだって希望は残るヨ。受精卵があれば成長できるならいい商売になる筈だ。技術開発局の資金源にできる可能性も高いだろう?」
「ですが……」
「倫理的に問題がある? 技術開発局を設立しておいて何を今更いうのやら」
他所では言えないものを作るのもまた技術開発局の重要な仕事だ。
「胚が出来、胎児になればそれでいいんだヨ。あとは培養槽で育てられるように工夫してやればいい」
受精卵自体は他者の遺伝子情報を取り入れようが、入れまいがなんとかなる。私になる前には知っていたことだが、開発にかなり時間が掛かってしまった。もとから知ることができるというのはやはり反則だな。しかし知識とは礼賛すべきものだが、実証できて初めて信用に値する。読んだだけ、知っているだけでは意味がない。
「霊骸皮膚組織を利用したのは、単純に手術の手間を減らすためだヨ。木偶人形に被せるだけだと体温が安定しないからネ」
皮膚を意図的に同化させ、その上で瘡蓋のようにきれいに剥がれるよう工夫は必要だが、キチンと胚が胎児になるまで安定すればそれでいい。仮に胎児の心肺が停止しても安全に取り外せるからだ。母体になりたい隊士だって貴重な戦力で、それ以前に他の隊の隊士を勝手に改造したら咎められることは明白だ。十二番隊なら問題はないが、一山いくらの存在でも数打つ前には出来る限りの努力をするだろう。
「まぁ、私は報告書を上げるだけだ。それを握り潰すか、きちんと山本隊長に報告するかはお前次第だがネ」
願わくは、人の夢が経たれることの無いように。諦めてしまった我が子という夢を、わずかばかりの希望を得られるように。
「私が危険因子だということを努々忘れるな、浦原喜助」
私が危険な存在であることを、誰もが忘れないように。
人間、衣裳を剥ぎとれば、おまえのように、あわれな裸の二本足の動物にすぎぬ。(『リア王』より抜粋)
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