【 あなたの生まれた日(中編) 】
誕生日とは。
生まれた日、あるいは毎年迎える誕生の記念日のこと。
積み上げた数々の本にうずもれるようにして、俺は机の上に突っ伏した。
資料室をどれだけ捜しても誕生日そのものに関する資料はまったく出て来ず、結局見つけられたのは、オタオタにもすがる思いで開いた辞書に書いてあったその一行だけだった。
「だから、その記念日に何をやるのか知りたいのに……」
唯一経験した誕生記念日だったらしい、陛下やユリアさまの式典は違うって言うし。
どれほど深い溜息をつけど、行き詰った思考に新たな風が吹き込むことはない。
資料室で一人、さんざん唸った末に、俺はむくりと顔を起こした。
朝の謁見が終わったころを見計らって、馴染みのメイドさん達に挨拶しつつ陛下の私室へ向かう。
二回ノックをして、失礼します、と控えめに扉を開けた。
おう、と陛下の軽い返事の傍らにふともう一つの気配を感じて、はたと、もはや癖のようにわりと常日頃から俯きがちの視線を上げる。
そこで書類片手に陛下と向かい合うゼーゼマン参謀総長の姿を見つけた瞬間、俺は条件反射のごとく、扉を閉めた。
だがすぐにハッとして、閉まった扉に向けて頭を下げる。
「し、失礼しました!出直してきます!」
「おいおい。用があって来たんじゃないのか?」
中から苦笑気味な陛下の声が響いてきた。
私的な用事ですから大丈夫です、と早口に告げて身をひるがえそうとした俺の耳に、今度はゼーゼマン参謀総長の朗らかな笑い声が届く。
「リック。わしの用件は今しがた済んだところでの、構わないから入ってきなさい」
参謀総長 直々のお言葉。俺は迷った末、おそるおそる元の位置に戻って、虫の鳴くような声で失礼しますと言いながら扉を開けて部屋に入った。
そして話を聞けばゼーゼマン参謀総長は、軍部の人達に泣きつかれて陛下の仕事をせっつきに来たらしい。
大仰に腕を組んだ陛下が、拗ねたように息をつく。
「ゼーゼマンを寄こすなんてアイツら汚いよなぁ~」
「ぐ、軍部の人たちが参謀総長に泣きつかなきゃならないほど仕事をため込んでる陛下もひどいと思います……」
きっとまた内部モノの、絶対やらなきゃいけないけど重要じゃない書類ばかりため込んだに違いない。
皆さんお疲れ様です、と掛け値なしの労いの言葉が心中に零れた。
「まぁそれはさておき、お前の話ってのは?」
なぜだか妙に楽しそうな顔でにやりと笑った陛下に首を傾げつつ、俺はこっそりとゼーゼマン参謀総長のほうを見やって、考える。
……これくらいの質問なら、聞かれてしまっても変には思われないだろうか。
一体何が一般常識で、何を知らないと不審がられてしまうのか。それなりの時間を生きては来たけれど、俺にはまだまだその境界線が分からない。
だけど戻した視線の先、陛下が「ああ別に平気じゃね?」と言うように肩をすくめたので、俺はようやく そろりと口を開いた。それにしても何か色々と適当っていうか軽いですピオニーさん。
「ええと……誕生日って、何をやるものなんですか?」
「美味いもん食ってばか騒ぎをする」
「陛下。それではあまりに身も蓋もないですなぁ」
家族や恋人、親しい人達で集まって祝うのが一般的だとゼーゼマン参謀総長が補足してくれた説明を聞いて、眉尻を下げる。
「それって、親しくないと祝っちゃダメなんですか?」
「そんなことはないが、さほど繋がりがないのなら祝いの場に同席することはあまり無いのお」
「そうですか……」
小さな溜息と共に肩を落とした。
すると得心顔で悪い笑みを浮かべた陛下が、何やら舞台上の一流役者みたいな仕草で、そこで朗報だ!と右腕で空を払った。
「親しかろうが親しくなかろうが腹に一物も二物もある老いぼれ共だろうが」
「陛下、その辺でお控えを」
「まぁ最終的にはこっちが一方的に知ってるだけの初対面だろうと、細かいこと関係無しに出来るのが、誕生日プレゼント―― 贈りものだな!」
贈りもの。告げられた言葉を復唱する。
そして浮かべた笑みをふと柔らかいものに変えたピオニーさんが、ぐしゃぐしゃと俺の頭をかき回すように撫でた。
「で、俺が教えてやるのはここまでだ。あとは自分で考えてみろ」
乱れた髪をちょっと直しながら、「はあ」とあやふやな返事をする。
贈り物と言われても、なんだか想像がつかなさすぎてどうしたらいいのか分からない。
俺みたいな薄給の一兵士が、今まで誰かに何かを贈るなんて格好良いことを出来たわけもないし、お菓子を貰ったりはするけど……おすそわけ、っていうのは贈りものとはまた違うんだろうなあ。
悩む俺を見て、ピオニーさんがまた楽しげに笑った。
*
軍基地に戻るならついでに届けて欲しいとゼーゼマン参謀総長に託された書類を小脇に、慣れた軍部の廊下を歩きつつ、俺はまた小さく唸り声をあげた。
ただ資料室で唸っていたときと違うのは、考える問題が一歩進んで入れ替わったことだ。
誕生日プレゼント、とは。
さっきからすれ違う先輩方や同僚達に、参考として何が欲しいものかを聞いてみているのだが、お金とか彼女とか愛とか、いまいちピンとこない答えばかりだった。
お金 ――大佐は俺よりはるかに高給取りだ。
彼女 ――俺なんかが心配するまでもなく、ジェイドさんは、もてる。かっこいいからな!
愛? ――「大好きだ」ということなら常日頃ウザがられるほど言葉にして、事実ウザがられている。
「うああぁ……」
考えれば考えるほど八方ふさがりだ。
いつもの調子で頭を抱えかけて、すぐ手にある書類の存在を思い出し、止める。
「…………」
一旦前方に戻した視線を、またちらりと書類に向けた。
連想的に、これを今から届ける相手のことを思い浮かべる。
前にジェイドさんがあまりにも俺の大好きを信じてくれないからと、“大好きより大好き”を伝えるための言葉を探していたときに、そっと答えをくれた人。
俺が相談だなんてどうにも恐れ多くて、ちょっと……わりと腰が引けてしまうけど。
少し考えて、それからぐっと拳を握った。
*
「やあ、いらっしゃいリック。どうしたんだい?」
「お疲れ様です! ええと、これをゼーゼマン参謀総長から、フリングス少将にって」
ありがとう、と朗らかな笑みを浮かべて書類を受け取ったアスラン・フリングス少将は、軽く紙をめくって内容を確認する。
規則的な視線の動きが文字の終わりに行きつくかというところで、俺は、あの、とうわずった声を上げた。
「誕生日プレゼントって、何をあげたら喜んでもらえるんですかっ!!」
少将が、その青い目をきょとんと丸くする。
手元で書類の束をきれいに戻しながら、しかし視線はまっすぐにこちらを見ていた。
俺はじわじわと顔が熱くなるのをどこか遠くに感じつつ、直立不動で返事を待つ。
「誕生日プレゼント?」
「はい!」
「……ジェイド大佐の?」
はい、ともう一度大きく頷いてから、今度は俺がはたと目を丸くした。
ご存じなんですか?と問うと、彼は苦笑のような、込み上げる笑みを堪えるような、そんな顔で口元に手を添えて首を横に振った。
「いや、あの方はあまりご自分のことは話されないからなぁ。でも君がそんなふうに真剣なら、きっと大佐のことだろうと思って」
そうしたら当たりだったみたいだと言うフリングス少将はいよいよ堪え切れなかったらしく、屈託ない笑い声をひとつ零した。
いつも穏やかに微笑んでいることが多い彼にはめずらしい、軽快な笑顔だった。
少しして彼はその笑みを優しげなものに変えると、それで、と僅かに首を傾げる。
「リックは、どんなものを贈りたいと思っているんだ?」
「え?」
「驚かせたい。笑わせたい。楽しませたい。喜ばせたい。贈りものにも、いろんな意図があるんですよ」
どこか、幼い子供に言い含めるように丁寧な音で発せられた言葉。
俺はゆるゆると視線を机の上に乗った書類に落とす。
誕生日。プレゼント。ジェイドさんの、誕生日。
胸の中であいまいに浮かんでいる気持ちと言葉が、どうすれば誰かに伝わる形になるのかを必死に考えながら、おずおずと口を開いた。
「……その、すみません。なんていうか俺、よく分からないんです。誕生日とか、プレゼントとか、何をどうお祝いすればいいのか、とか」
全部がはじめてで、手探りだから、俺はどういうものにどういう――フリングス少将が言うような、意図がこもるのか、それさえも分からない。
「でも、誕生日っておめでたい……大切な日なんですよね?」
脳裏に思い描くのは、いつもの金茶の髪と赤い目と、青色の軍服。
大佐はそんなに嬉しそうじゃなかったけど、それでも、やっぱり。
「喜んでもらえなくても、ジェイドさんの大切な日をお祝いしたかったんです」
大好きな人の、大切な日を。
しかし元々そんな一方通行にも程がある計画だったから、大佐の喜ぶものをと思っても、本当のところ叶うわけがない。
ついでに「貴方が何もしないのが一番のプレゼントですよ」と笑顔で斬られる想像までして軽く泣いた。
驚かせるのも、楽しませるのも、俺には到底 出来ない高難度技だ。
いっそ仕事で使う紙とかインクにしようかと考えかけて、いやそれはプレゼントではなく備品補充というものだと思い至ったところで、何も言わずに話を聞いていてくれた少将が、俺を見てそっと目を細めた。
「前、大好きより大好き、の言葉を探していた君に話したことを、覚えていますか?」
「え……あ、はい」
「ただの音の羅列にどれだけの想いを込めるか。それと同様です。贈りものという形にとらわれ過ぎず、誕生日を祝いたいという気持ちをまず、大事にすればいいんじゃないかな」
その思いだけあれば、どんなものでも最高のプレゼントになり得るのだと言って、彼は微笑んだ。
「……お、思いの丈をありったけ込めすぎてウザイって一刀両断されてタービュランスだったりしませんか?」
「いやぁそればかりは時の運だね」
贈った後の反応を運に掛けねばならないほどの相手だということは分かっていたが、フリングス少将に真剣な顔で言い切られるとちょっと切ないものがある。
はたはたと涙を滴らせ、ですよね、と呟いて目頭を押さえていると、その間にいくつかの書類に判を押した少将は、また慎重にその内容を確認して、うんと頷く。
改めて束ね直した書類を俺に差し出しつつ、彼はゆるりと目元を緩めて笑った。
「こうして君が今ここで悩んでいることも含めて、誕生日プレゼントというものなんだよ」
渡された書類を受け取りながら、その言葉にちょっと眉尻を下げて首を傾げる。
「……よく分からないです」
すみません、と謝った俺に、フリングス少将はまた僅かに微笑んだだけだった。
そうして相談に乗ってもらったお礼を敬礼と共に告げ、身をひるがえす。
すると部屋を出る寸前で名を呼ばれて、振り返った。
「大切なのは、自分の気持ちと相手の気持ち。それと、君がどうしたいか、ですよ」