【 たった・たられば 】
「で、今日の一撃は?」
「兵士学校時代の教官から稽古のお誘いを頂いたのを俺が全力で遠慮し続けていた末のタービュランスです……」
入室すると同時に夕飯の献立を問うがごとく訊ねてきたピオニー陛下へ、俺は術の名残で少々よれた姿のまま答えながら、軍部で大佐に託された書類を机に置いた。
それを面倒くさそうに一瞥しただけで動きを見せない陛下に代わって、向かい合う位置の椅子に腰を下ろした俺が締め切り順に並べ直す。
その中からいくつか、とりあえずこれだけは今日中にやって貰わなければ確実に(俺が)上級譜術でお仕置きされるであろう分を差し出して涙ながらに懇願した。
するとひょいと肩をすくめた陛下がようやくペンを手に取ったのを見てほっと息をつく。
「にしてもまぁ、よく毎日くらってるもんだよな」
陛下がサインを書く合間に乱れっぱなしだった髪や服を軽く直していると、半ば感心したように掛けられた言葉に、いや俺もくらいたいわけではないんだけどと思いながら肩を下げた。
「むしろどうしたら一日一譜術じゃなくなりますかねぇ」
「いっそ女の子だったら違ったんじゃないか?」
「そんな自分の意思では今更どうしようもないこと言われても! 第一いくら体が女の子でも、中身が俺じゃ意味ないですよ」
多少の相乗効果は発揮しているかもしれないが、基本的にウザがられているのは男だからではなくて俺だからだ。
言っていて涙ぐんでくるがそればかりは変えようのない事実なので仕方ない。
ていうか陛下もいきなりそこ行ったって事はもう俺自身には手のつけようが無いって思ってるんですね。
そんなこちらの内心を知ってか知らずか、陛下はそこでグッと拳を握った。
「いや意味無くなく無いぞ! お前が女の子なら俺はいつもの十倍以上は分かりやすく可愛がってやる。女の子ならな」
「それもう俺がどうじゃなくて、ただ陛下が女の子好きってだけじゃないですか……」
「ああ女の子は大好きだ」
真顔で返してきた皇帝陛下の向こうに、日々胃を患っていく大臣様達の幻が見えた気がしてそっと顔をそらす。なんだよ、と半眼で呟いた陛下に、いえ、と首を横に振った。
「で? 結局お前はどっちが良いんだ!」
「ど、どっちも何も……」
最初から女の子になりたいと望んだ覚えは無かったが、とりあえず頭の中にその風景を思い描いてみる。
男の自分。
女の自分。
「俺は―――」
*
ふ、と意識が浮上するのを感じて、ゆっくりと瞼を押しあけた。
視界に映った紙の束を見ながら、ここはどこだっただろうかとぼやけた頭で考える。
確か朝起きて、大佐のところに行って書類と譜術を一発貰って、それで陛下のところに……。
陛下の……。
「……執務っ!!」
がたんと音を立てて椅子から立ちあがった。
仕事中に眠っていたという事実に血の気が引く。
まずい、書類も出来ていない上に陛下に脱走されたとあっては、上級譜術どころじゃなくミスティック・ケージものだと涙ぐみながら見回した室内。
「おぉ、なんだなんだ」
ペンを片手に書類を前に、という確かに仕事をしていたと分かる様子で、眠りに落ちる前と変わらぬ位置のまま、突然起きたこちらに驚いたのか目を丸くするピオニー陛下の姿に、今度は自分がこぼれ落ちそうなくらい目を見開く事となった。
「脱走、してなかったんですか!?」
「寝てるリックを置いて脱走するわけ無いだろー? あ、これ急ぎのやつ、終わったぞ」
にっこりと満面の笑みと共に差し出された書類の束。
それと陛下の顔を何度か見比べて、俺は眉根を寄せる。
「何か企んでますか?」
「どうしたんだ、当然」
「いや、だって、この隙に脱走してないとか」
あり得ないと言ってはなんだが、こうして自分が取り乱す程度には珍しい事態だと思った。
陛下が「おいおい」と苦笑して肩をすくめる。
「俺が眠ってる女性を置いてどっか行くような男に見えるか?」
「……女性?」
「そりゃまぁ実年齢的に言えば女の子だろうけどな」
十歳だし、と小さく付け足した陛下の声をどこか遠くに聞きながら、少し悩んで自分の体を見下ろした。
そこにある胸のふくらみを確認して、首を傾げる。
胸。そう、胸だ。
胸があって当然だろう。
自分は、女なんだから。
なのになぜ今、ちょっとショックを受けたような気がしたのか、どうして女性と言われて不思議に思ったかと、考えたのはほんの一瞬。
ひとつ瞬きをした後は、自分がそれらに違和感を覚えたことすら忘れていた。
「ところでリック」
「あ、はい」
「稽古の約束とやらは平気なのか?」
「へ?」
「いや、兵士学校時代の教官と」
古いぜんまい仕掛けの音機関のように、自分の脳が回転する音が聞こえた。
今朝方ジェイドさんから譜術を喰らう要因となった話が、流れるように浮かんで消える。
勢いよく時計のほうへ顔を向け、そこで表されている時刻と、約束の時間を照らし合わせ、
「すすすすみません陛下ちょっと失礼します!!」
陛下の楽しげな笑い声を背に受けながら、転がるようにして部屋を飛び出した。
マルクト軍本部にある譜術用の鍛錬場。
収縮した音素が、炎となって膨らみ、弾けるのを見届けた女性教官が深く頷いた。
「見事なフレイムバーストだねぇ、リック。……もう少し近ければ」
「へ、へへ……」
自分が経っている位置から最も遠い、
それなりの広さを誇るこの鍛錬場の壁際ぎりぎりのところで発動したフレイムバースト。
兵士学校時代から変わらない自分のこの癖を再確認した教官が、ギッと眉尻を吊り上げたのを見て取り、ひ、と小さく悲鳴を上げて後ずさった。
「せめて半径八メートル以内くらいには入れたらどうだい!?」
「だ、だって自分の近くで術が発動するのって怖いじゃないですかぁ!!」
「だからってあの距離は無いだろう!視力検査やってんじゃないんだよ!」
譜術士が術にビビってどうする、とこれまでも幾度となく言われた指摘を受けて、返す言葉もなく肩を落としていると、ふいに鍛錬場の扉が開く音がして顔を上げる。
そこから現れた姿を視認した瞬間、一転して表情を輝かせ、力いっぱい床を蹴りあげた。
「ジェイドさぁあああん!」
「おやリック」
そのままの勢いで抱きつこうとしたこちらの頭を、大佐が直前で掴んで止める。
「稽古は終わりましたか?」
「ま、まだです……!」
輝くような笑顔とは反対に五本の指へジワジワと込められていく力を感じて、頭を掴まれたまま、冷や汗を浮かべながら敬礼した。
結構、と笑みを深めた大佐の手がこめかみから離れて行く。胸に手を当てて息をついた。
「それで大佐はどうしてここに?」
「少し確認する事があったんですよ」
大佐はそう言って、手に持った書類の角で鍛錬場の奥にいる人を指してみせた。
あれは確か情報部の偉い人だ。気付かなかった。
「その後は戻るんですか?」
「ええ、進めたい仕事があるので」
「じゃあ……!!」
「稽古、頑張って下さいねぇ?」
自分も一緒に、と言いかけたところで見事に刺された釘に打ちひしがれつつ、はい、と半泣きで頷いた。稽古から逃れたいという思惑などお見通しらしい。
とぼとぼと歩き戻った先で、教官が呆れたように片眉を上げた。
「あんた、よくあんなおっかない男に付いていくねぇ」
「そんな! おっかなくなんて! ……無い事もないですけど」
オトリにされた記憶やら日々炸裂するエナジーブラストやらを思い出して少し目をそらす。
その先で偉い人と何か話しあっている大佐を横目にちらりと窺って、ふへ、と締まりなく口元を緩めた。
「でもジェイドさんは――」
「あー。もういいもういい。その顔みりゃ分かるよ」
「そうですか?」
どこか呆れた顔で言葉を遮った教官に、いかに大佐が格好良いかを語ろうとした音をどうにか飲み込む。
大佐のことならいくらでも話せるのになぁ。ちょっと残念だ。
さて稽古の続きを、と零した教官にどきりと心臓を弾ませる。
そんなとき、小さくもしっかりと、自分の耳に届いた声があった。
「リック」
聞き間違えるはずもない大好きな声。
見れば、鍛錬場の扉を半分ほどくぐったところで足を止めた大佐の姿。
こっちを真っ直ぐ捉えた赤い目に、これはまさか、と顔を熱くする。
い、一緒に行って良いって事……。
ふらりと足を大佐の方へ踏み出しかけ、途中ではっとして振り返ると、教官は動物を追い払うように手の甲をこちらに向けて数度振った。
「今日の稽古は終了だ」
「いいんですか!?」
「ほらさっさと行きな」
「はいっ!」
拳を握りしめながら頷いて、彼の人めがけ走り出す。
「ジェイドッ、さぁーーーん!!」
「エナジーブラスト」
焦げた煙を上げて床に突っ伏したこちらに、大佐は何事も無かったかのようないつもの笑顔を浮かべ、ぱんと手を打ち合わせた。
「行きますよリック」
「はいジェイドさん!」
若干頬を滴るものがあるのはさておいて勢いよく立ち上がり、身をひるがえした大佐の後を小走りで追う。
その途中、少しだけ視界に映った大佐の横顔に、おや、と目を丸くした。
「ジェイドさん、もしかしてご機嫌ですか?」
「まあ」
返事と共に押し上げられた眼鏡の反射に隠れてしまった赤色の目。
首を傾げつつ、まあジェイドさんが楽しそうならいいやと、自分もまた笑みを深める。
世界には柔らかな水の音が響いていた。
*
水の音。乾ききっていないインクの臭い。
薄く目を開き、ぼんやりとした頭で頬に触れる紙に焦点を合わせる。
ああ何だ、ただの機密書類か。
…………。
いや、待て。
「……機密書類!?」
目の前の書類を掴んで跳ね起きたところで、はたと我に返り周囲を見回す。
自分がいるのが陛下の部屋だという事をようやく認識して、機密書類があっても不味くない場所なのだと知り安堵の息をついた。
「ようやく起きたか」
声が聞こえて気付けば、机の端で頬杖をついた陛下。
起き上がったときに力が入ったのか、ちょっとシワがついてしまった書類を慌てて伸ばす俺を見て肩をすくめた。
「お前が寝てるってのに脱走もせず仕上げてやったぞ。感謝しろよー」
「す、すみません、ありがとうございます……?」
寝ぼけた思考のまま反射で頭を下げてから、いや執務ってそもそも自主的にやるべきものなのではと思い至ったがとりあえず黙殺してみる。
そして俺が寝ている間に嵐の後みたいになった机の上を片付けていると、ついさっきまで見ていた夢の内容を思いだしてきた。
女の子だったら、なんて話してたからあんな奇妙な夢を見たのか。
それにしても自分はどのみち一日一譜術らしいと考えてほろりと涙を滴らせ、集めた書類をいくつか確かめたところで、思わず笑みを零した。
分かりづらく散らかされてるけど、すっかり片づいた急ぎの仕事。
素知らぬ顔でそっぽを向いているピオニー陛下を窺いみた。
「変わりませんでしたよ」
「……は? 何が」
怪訝そうにこちらを映す青。
俺は返す言葉に堪え切れぬ笑い声を混じらせて、首を横に振った。
「いえ、何でも」
『で? 結局お前はどっちが良いんだ!』
『俺は――――』
ふたつの自分を思い描いてみたのは、ほんの一瞬。
答えはすぐに出た。大好きな大好きな赤色の目。
『別にどっちでもいいです、ジェイドさんと一緒にいられるなら!』
呆気に取られたように丸くなった青色の瞳はやがて細く弧を描き、太陽みたいな笑顔に変わった。
ピオニー「ところでお前、稽古の約束とやらはいいのか?」
リック「…………はっ!!」
オマケ『先天性でなく突発的に女の子化した場合』
・ガイの場合
「なんで逃げるんだよガイー!」
「すまん!お前は悪くないんだがこればっかりは……!」
・ジェイドの場合
「いやぁ、さほど違和感がない事がむしろ気色悪いですね」
「ひどい!!?」