俺達の旅は今、史上最大の危機に見舞われている。
「ジェイドさーん! みんなー! しんじゃイヤですぅ!」
「風邪で死んでたまるかぁーー!!」
横になっていた俺は、最後の気力を持って起き上がり、寝台にへばりついて号泣するリックにそう怒鳴った。
外殻降下作業を進める旅の途中、俺たちはある小屋に滞在していた。
もともと旅人用に開放してあるものらしく、中には簡単な調理場と、部屋いっぱいのベッドが設置してある。このあたりは町と町の間隔が広くて、しばらく休める場所がないからだろう。
しかし急ぎの旅をしているはずの俺たちがこんなところで留まっているのには理由がある。
ここ最近の強行軍が祟ったのか、はたまた近隣で流行していたのか、俺たちは揃いもそろって、風邪で参っていた。
「ええと、パナシーアボトル、パナシーアボトルですね!?」
「……それはいいから水をください」
しかもあのジェイドすら感染している。
死霊使いを寝込ませる風邪。
まずい、死んでたまるかとは言ったけどもしかすると俺なんか消えるかもしれない。
人数分の寝台があったのは幸いだったけど、治癒術を使えるティアやナタリアまで寝込んでしまい、唯一 健康なのが。
「ジェイドさぁああん! ルークー!! みんなぁー!」
……よりにもよって、この男だった。
その頭の上にはやはり心配そうなミュウの姿。種族が違うゆえなのか風邪はうつらなかったようだ。
ていうかリックのやつも本気でチーグルなのかもしれない。だってあのジェイドを倒した風邪なのに。
「うるさいなぁ~……騒がないでよぅ、あ、あたまガンガンする……」
「す、すみませんアニスさん。あの、ところで」
リックが、きょとんとした顔で首をかしげる。
「風邪って、なんですか?」
その瞬間、俺は生まれて初めて、ユリアに祈った。
ついでに段々つらくなってきたので目を伏せる。ああ、無事に明日の朝日をみられますように。
「……それマジで聞いてるわけ」
アニスがつかれた声で聞き返すのが聞こえた。
「そういえば軍の先輩方が冬ごろになると訓練を休むことがあったような……あ、でも一人だけ夏に」
「それはバカです」
当人いわく本当に久々だという風邪がきついのか、ジェイドがいつも以上に切って捨てる口調で突っ込んだ。
なんでだ。俺も前 夏に一回ひいたぞ。
「風邪というのは、悪性の音素が体に進入することで起こる病気よ……。主にくしゃみ、咳、発熱や倦怠感などを伴う…わ……」
右向こうからティアの解説がか細い声で響いた。
固い、っていうか、病気のときくらいもっと肩の力抜いてもいいと思う。まじで。
休むのが不器用すぎるティアが心配でなんとなくハラハラしていると、もっとハラハラする事態がやってきていた。
「風邪……病気……うん、分かりました! 俺とミュウでみんなを看病すればいいんですね!」
「がんばるですのー!」
確かに今動けるのはリックとミュウの二匹、もとい一人と一匹しかいないのだから、そうなるのが自然なのだけれど、なんだろうか、このどうしようもない不安感。
しかしあれでも軍人として、俺より三年長く生きてきた言わばレプリカとしての先輩だ。信じていいだろう。うん、きっと。
「えっと、まず何をしたらいいんだ?」
「そうだなー……」
リックの問いかけに答えたのはガイの声。
彼もまた熱で頭が働かないのか、考えるような間があった。
「布を水で冷やして、頭に乗せるんだ。 出来るか?」
「分かった」
それから手ごろな布を探しているのか、荷物を探るような音の後に、今度は調理場の方向から水音。
この調子なら大丈夫だろうと俺も安心して眠りにつこうとしたとき。
「………………っ」
?
呻くような声。
なんだろうと思うより先に、ガイの悲鳴が耳に届いた。
「ッ顔ぜんぶにかけなくていい!!」
「え!?」
そうなの?と聞き返すリックの傍らからゼェゼェと荒い息が聞こえてくる。もしかして濡らした布を顔前面に掛けたのか。
「というかこれ絞ってないだろ!?」
ころす気か。ああ一気に冷や汗が出てきた。
そこで外で物音がしたとかで、リックとミュウが軽く怯えつつも剣を片手に様子を見に行ってしまった。
小屋の中に、安らかな寝息を立てているナタリアを除いた面々の物言いたげな沈黙が広がる。
するとジェイドが寝ているほうからシーツが擦れる音が聞こえてきた。
あいつ潜ったな。我関せずで一人だけ難を逃れるつもりか。
「アンタもおとなしく看病されろよジェイド」
すると同じく気づいたらしいガイの声と、身を乗り出したのか寝台がきしむ音。
薄目を開けて見ると、ジェイドの隣の寝台にいるガイが、ジェイドが被っているシーツの裾を引っ張って潜るのを阻止していた。
そうだ、俺だってこんだけ怖い思いをしてるのに一人だけ逃げさせてたまるか。
「いえいえ老体はやはり静かに眠るのが一番の薬ですから、看病してもらうほどのことはありません」
風邪を引いてるとは思えない滑らかな喋りだが、若干声は掠れていた。ジェイドも人の子だったんだな。
そこでガイがめずらしく声を荒げて、やかましい!と怒鳴った。
「ルークの育て方を大失敗したのは確かに俺だが、リックについては旦那の責任だろうが!!」
え、大失敗なの?
「看病の仕方くらい教えとけよ!」
「そんな暇ありませんでしたよ。第一あの子自体やけに丈夫で、風邪はおろか花粉症にかかっているのすら、ここ三年間は見たことがありません」
「三年?」
「その前は私の直属じゃなかったんです」
しかしリックのあの様子からするに三年どころじゃなくて、風邪というものにかかったことがないのかもしれない。あいつどれだけ健康なんだ。
そのとき、がちゃりとノブが回る音がした。リックが戻ってきたらしい。
「すみません。ただのオタオタでしたー……あ、ガイ起きてていいのか?」
「あ、ああ。ちょっとな。今寝るよ」
ガイがあわてて寝台に入ったのを見て俺もまた目を閉じる。
倒したの?というアニスの問いに、ミュウにミュウファイアで追い払ってもらったとリックが答えた。
当然のように言ってるがかなり情けない。お前の剣は単なる精神安定剤か。
「そういえばもうだいぶ陽が落ちてましたよ。そろそろお夕飯作りますね」
「ごめんなさい。お願いするわ」
申し訳なさそうに言ったティアに、リックが「へっちゃらですー」と和やかに笑う声。
リックの料理は特別美味しいというわけじゃないけど、普通に食べられるから、これは安心していい――……
「じゃ、カレーでいいですか?」
「いいわけあるかぁーー!!」
ガイの叫びと共にシーツが跳ね除けられる音。
そして早足に調理場のほうへ歩いていく気配がする。
「病人への食事はまず消化の良さだ! 次に栄養! ああ出来れば温かいものがいい! アレンジ法がいろいろあるが簡単に作れる病人食筆頭はお粥だ!」
語りの合間に、がちゃんがちゃんと調理器具を引っ張り出しているらしい音、水を鍋に入れたらしい音、中にエンゲーブライスを入れたらしい音、が連続して聞こえてきた。
「いいか、まず鍋にライスと水を入れる! それから火にかけて――……!」
ガイラルディアの三分クッキング。
なぜかそんな言葉が脳裏をよぎった。
一から十まで、俺にすら分かり易くおかゆの作り方を説いていくガイ。
そして最後、実際に火をかけた音がする。
「後はこのまま二十分炊くだけだ! 途中で混ぜたくなるかもしれないが混ぜたらダ、」
唐突に途切れた声を不思議に思った次の瞬間、大きな何かが盛大に床へ倒れる音がした。ああガイー!とリックの悲鳴が聞こえる。
……ありがとうガイ。お前の雄姿は無駄にはしない。
「ご主人様! つらくなったらすぐミュウに言ってですの! がんばってなんでもするですの! ご主人様、さむくないですの?」
人の布団の上でぴょこぴょこ飛び跳ねながら喋りまくるチーグルを踏みつけてやりたいと思いながらも、熱が上がってきた体が動こうとする気配はない。
遠のいていく意識の中、俺は誓った。
もう絶対、風邪なんかひかねぇ。
*
翌朝。
俺は熱が下がってることより、太陽を拝めたことに感動していた。
どうも感染力が強い代わりに一日で直る風邪だったらしく、他のみんなもすっかり元気になって、一夜を明かした小屋の前にそろっている。
「まあ、それではリックとミュウがずっと私達の看病をしてくれてましたの?」
大変だったでしょう、とねぎらいの言葉を掛けるナタリアと、嬉しげに笑うリックとミュウの後ろで、俺達はみんな心なしかげっそりとしていた。
「結局ナタリアは朝までぐっすりだったな……」
「なんか、うらやましいかも……」
ガイとアニスが朝日を見て眩しげに目を細めながら呟き合う。
俺もあれからずっと寝ていたのであまり偉そうなことは言えないのだが、話を聞くとあの後も大変だったようだ。
「体をあったかく、って言ったら今度は布を熱湯につけようとしますしねぇ」
「その後、頭は冷やすのよ、って教えたら布団の上にやかんを置こうとしたわね」
ティアとジェイドの軍人二人はまだ客観的だったが、どことなく目が遠かった。
ああ思い起こせばただの風邪なのに、ほんと、大変な目にあった。
「ルーク! 元気になってよかったなぁ!」
歩き出した俺の横に並ぶと、満面の笑顔を向けてきたリック。
朝起きたら、俺の寝台に突っ伏して眠っていたリックとミュウ。
額の布の代えを握り締めて、まぬけな顔で。
「…………」
ああほんと、ひどい目にあった。
だけど、ああいうどたばたした感じとか、看病とか。
眠っている自分の額に手を当ててくれる、誰かとか。
「さんきゅな、リック」
まあ、悪くないかもって、思った。
オールドラントでのウイルスの扱いが分からなくて、とりあえず悪性音素。でもそのへんは普通にウイルスだったのかもしれません。