「ジェイドさん! 今日のカレーはシーフードです!」
今日もまた無駄に元気いっぱい執務室に入ってきたかと思えば、突然そんなことを言いだした部下のきらきらと輝く瞳を、ジェイドは真顔で見返した。
あの旅の最中から何にどう目覚めたのか、自作のカレーに凝るようになったこの子供。
だがまあ、食べるだけならばやぶさかでもない。
作るたびにいつものアホみたいな笑顔で持ってくるそれを口にし、それなり、半端、まずい、と淡白な感想を返す日々にも慣れてきていたのだが。
「シーフード、です!」
「…………そうですか」
何やら返事を期待している様子だったので、とりあえずそう返す。
というか今の言葉に対しそれ以外に何を言えと言うのだろう。
食べろというなら分かるが、目の前に物があるわけでもなく――第一、昼にはまだ早い。
新しい味を作りだしたという報告なら、今度はこれがこうでと騒がしいほどに続く説明があるはずで――そもそもシーフードは新作でも何でもない。
それはすごい楽しみだ、などという温かい反応を、ジェイドに期待するような子供でもないし――もちろんそんな反応をするはずもない。
そうですか。
となれば、そう言うしかないだろう。
これ以上にふさわしい言葉があるならば教えてほしい。
表情こそ変える気はないが内心いつにない困惑に見舞われていると、元凶であるリックはそんなジェイドの反応を見てきょとんと眼を丸くした。
「……驚かないんですか?」
「何にです」
「……シーフード……」
「その中にオタオタの二、三匹も入ってればそれなりに驚いてやれますが」
そんなことがあれば、おそらく驚くよりも先に目の前の男を蹴り倒しているだろう事はこの際黙っておく。
どうやらジェイドが選んだ唯一にして最善の返答は相手が望んでいたものではなかったらしく、リックは不思議そうに首を傾げて、うぅん、と唸った。
「おかしいなぁ」
「一体全体、何がしたかったんですか?」
段々面倒くさくなりながらも何とか聞き返してやると、精一杯 まじめな顔をしているらしいリックがぴしりと人差し指を立てる。
「だってジェイドさん、今日のカレーは本当は野菜カレーなんですよ」
いつのまにか人の執務机の上に身を乗り出して、リックが言った。
チヨチヨ、と窓の外で小鳥が鳴く声がする。
いつも絶え間なく響く水の喧騒を遠いところに聞きながら、ジェイドは机の引き出しを開けた。
そしてそこから比較的 表層の厚い本を取り出し、
目の前にいる男の頭頂部へと、おもむろに振りおろす。
「ぎゃッ!!」
簡潔な悲鳴を上げてリックが机上に突っ伏した。
その頭からしゅうしゅうと上がる煙を視界の端に見やりながら、ジェイドはまた丁寧に本を引出しにしまう。
「な、なんでいきなり殴るんですか!?」
「殴りたくもなりますよ。貴方、本当に何をしたいんですか」
殴られた場所を押さえて起き上がった涙目の部下を半眼で見返しながら問うた。
するとリックは、だって、と口にする。
「今日は嘘をつくのをユリアさまが許してくれる日で、嘘で驚かされたひとはその一年を元気に過ごせるようになる日なんだって――」
なにか情報が混濁している気がするが。
「――ピオニーさんが」
「あの男いい加減にしてくれませんかねぇ」
一度だけでいい、本気で国主だということを忘れて幼馴染として殴りたい。
ついでに言えば目の前の子供をもう一度殴らせてほしかった。
「リック。あなたも何っ回騙されたら気が済むんですか」
「えっ、あ、いはいいはい! いはいれす! じぇいろはん!!」
殴る代わりに片頬を思い切りひっぱってやると、リックはベンベンと机を叩きながら ――「いう!いうえす!(※ギブ!ギブです!)」――叫ぶ。
適当なところで手を離し、涙目で頬をさするリックをちらりと見やった。
先ほどのあれは嘘のつもりだったのか、とようやく納得すると同時に、ひとつ苦笑を零す。
『嘘で驚かされたひとは その一年を元気に……』
その言葉を鵜呑みにして、おそらく、いの一番に自分のところに来たのだろう。
ほら愛されてるな、としたり顔で笑う昔馴染みが瞼の向こうに見えるようだった。
まったく、そんな意図でこの子供をからかうのもいい加減にしてほしいものだ。
「……分かってますよ」
「ぃへ? な、なにがえすか?」
まだ微妙にろれつの回らない様子で聞き返してくるリックに向けて、ジェイドはひょいと肩をすくめた。
「野菜カレーだったって事です。まあ、昼に頂きますよ」
「ほんとですか!?」
「不味かったら容赦しませんが」
「……ほ、ほんとですか……!」
満面の笑みを返せば、びくりと肩を揺らしたリックが軽く青ざめながら、「いや…大丈夫…うまく出来た……はず…」と独りごちる。
その頭を今度は手元にあった書類の束で パシンとはたいて仕事に戻るよう促せば、今度は弾かれたように動き出した部下の背中を見つめて、小さく息をつく。
分かっている。
なんでカレー作りを始めたのか。
あの嘘を聞いて、どうしてすぐ自分のところに来たのか。
分かっているから厄介なのではないか。
年貢の納め時、という言葉がふいに頭をよぎったが、もう少し気づかぬふりをするために、ジェイドは目の前の書類に意識を移した。
空白のひとつき編、譜術訓練の前。