【 カボチャ男爵の功績 】
腕に抱えた大量の書類が重みを増した気がした。
「ああもう……なんでこんな事に」
肩を落とすと、ずるりとズレてきた視界を右手で立て直す。
目口を繰り抜かれたカボチャのはりぼての中から覗いた執務室の扉。
開き慣れているはずのそれが、なんだか試練の門みたいに見えた。
事の発端は例によって例のごとくピオニー陛下。
ちょっと仕事のことで私室に立ち寄ったら、説明より先にこれを頭に被せられた。
いわく、この格好をして大佐にあることを要求すれば今年一年ケガ知らず(大佐が)、という願掛けの儀式らしいが、俺だって積み重なる日々の中で一ミクロンずつくらいは進歩するのだ。また嘘じゃないですよねと半眼で訊ねられるようになる程度には。
まぁ結局押し切られ、こうしてこの格好でここに立っているのだが。
深く息を吸ってドアノブに手を掛ける。
寸前で怖気づかないように俺はことさら力強くそれを押し開け、叫んだ。
「ジェイドさん! お、おおおかしを貰えないと、イタズラのようなものをさせて頂く事になるかもしれませんすみません!」
そして勢いそのまま謝る。
同時に何らかの衝撃を予想して目をつむったが、どれだけ待っても、蹴りも槍もタービュランスも、分厚い書類ファイルさえ、飛んでくることはなかった。
もしかして居ないんだろうか。
そうだったらいいなぁと僅かな希望を込めて、室内の様子を窺うべく、そろりと瞼を押し上げる。
「リック?」
「ぎゃあっ!!」
カボチャの目部分を覗きこむ赤色の瞳。
その予想外の近さに、書類の束を抱え込んだまま後ずさろうとした俺の頭を、大佐がカボチャごと両手で挟んでその場に押しとどめた。
「何してるんですか」
呆れ顔の大佐に促され、とりあえず執務室に入る。
今のうちに平静を取り戻そうと出来るだけ丁寧に扉を閉めて振り返った俺の目に映ったのは、なぜかじっとこちらを見る大佐の姿だった。
ああそういえば被ったままだっけ、と己の頭を覆うオレンジの固まりに意識を向けていた俺は、その瞬間、大佐の赤い目にちらりと過ぎった不穏な光に、気付かなかったんだ。
何だか例の目的は失敗、というかうやむやになったようだし、もうコレは外してしまおうかと はりぼてのカボチャに手をやろうとしたとき、ふと顔に影が掛かった。
カボチャの目口から差し込む少ない光が遮られた要因を反射的に探った目が、これまた少ない視界に広がる青を見つけて丸くなる。
どうかしたのかと訊ねるより先に、頭を覆っていたオレンジの気配が消え、周囲に光が広がる。
いきなり明るくなった世界に慣れない目を瞬かせつつ、俺の頭から取ったカボチャを手に、にっこりと微笑む彼の人の姿をまじまじと眺めた。
「ジェ、ジェイド、さん?」
今まで見た事もないような穏やかすぎる微笑を前に、俺は首筋にじわりとした汗がにじむのを感じる。
大佐はカボチャをこちらに手渡すと、俺の肩に優しく手を置いた。
「書類を取りに行ったきり、中々戻らないから心配しましたよ、リック」
「……は?」
そんな失礼極まりない相槌が零れたのが自分の喉からだとか考える余裕もない。
「怪我をしたばかりなんですから、無理をしてはいけませんよ?」
「い、いや、いやいやいやケガならもう大分前にふさがってます、けど……」
じりっと後ずさろうとすると、肩に置かれている手に力がこもり、もう片方の手がそっと頬に添えられる。
ひ、と何の音もなり損ねた空気が喉の奥で渦を巻いた。
金茶の髪が触れそうなほどに詰まった距離で、レンズ越しの赤が柔らかく細まり、口元がゆるりと弧を描く。
「ん?」
「っ、っ、っ……ーーー!??」
おねがいだれかたすけて。
滝のように滴る冷や汗。
頭は血の気が上がったり下がったりもうワケが分からない。
真っ白に染まりかけたそんな頭を引き戻したのは、部屋の隅から聞こえてきたガタガタンという荒い物音だった。
ギギギと軋みそうなほどぎこちなくかえりみた音の先。
そこで例の抜け道の出口にあたる散乱した私物群の中から、へたな執務漬けのときより疲れ果てた顔をしたピオニーさん本人が、上半身だけ這い出たまま力尽きているのを見つけ、目を丸くする。
ずるずると顔を上げたピオニーさんは青い顔で大佐に両手を合わせた。
「ジェイド…………俺が悪かった……」
「分かればいいんです」
いつも通りの声でそう返すや否や、身をひるがえし颯爽と執務机に戻るジェイドさん。
俺は目が回るような思いで、しかしどうにか口を開いた。
「えっと、ど、どういう?」
要点を纏めてから喋りなさいと怒られそうな問いかけだったが、大佐は気にした様子もなく、その意味を確実にくみ取って「ああ」と相槌を打ちながら、作業途中だったのだろう書類を手に取った。赤い瞳が紙の文字を辿って僅かに左右へ揺れる。
短い沈黙の末、再びこちらに視線を移したジェイドさんがにこりと笑った。
「いつもしてやられるばかりというも癪なので、たまにはピオニー陛下に何か意趣返しをと思いまして?」
「オレの心臓が止まりそうでしたけど!?」
陛下のことだから悪戯を仕掛けた後は絶対にどこかで成り行きを見ているはずだと確信しての行動だったらしいけど、俺へのドッキリ比率のほうが遥かに高かった気がします。
いや、というか、これはまさしく。
「……とばっちりですか?」
「まあ何事にも犠牲は付き物ですから」
そう言って淡々とペンを滑らせ始めたジェイドさんに、俺はがくりと肩を落とした。
ついでにずっと持ちっぱなしだった書類とカボチャのはりぼてを長机の上に置く。
ソファでは疲労困憊を全身で表した陛下が寝そべっていた。
どうやら今回は大佐のひとり勝ちのようだ。
俺は小さく笑ってから、さて、と腰に手をあてる。
陛下が静かな間に大佐が仕事を進められるように、もうちょっと書類探しの旅に出てこなくては。
はりきって扉のほうへ足を向けた。
その後頭部に、かつんと微かな衝撃。
「?」
そのまま、ころんと頭のてっぺんを転がって落ちて来た何か。
とっさに差し出した手の平で受け止めたのは、色鮮やかな紙に包まれた丸い小さな飴玉だった。
それが飛んできたと思しき方向を振り返った先でかちあったのは、赤い瞳。
「ジェイドさん、これ」
「今度は何を吹き込まれて来たんだか知りませんが、欲しかったんでしょう?」
そういったものが。
ジェイドさんはちらりと俺の手に乗ったものを見る。
ソファで仰向けに寝転ぶ陛下が静かに微笑んだのが、視界の端に映った。
こうなると何だかもう事の発端さえ忘れてしまいそうな現金な俺は、へへ、と締まりのない頬をそのままに、小さな飴玉を大切に握り締める。
机の上のカボチャのはりぼてが、ほら俺のおかげだろう、と自慢げに笑ったような気がした。
きれいなジャイアン≒やさしいジェイドさん