「軍にも娯楽が必要だよな……」
いつものごとく大佐の執務室に入り浸っていた陛下がソファに寝そべりながら零した呟きに、書類をさばいてた大佐と、さばいてもらう書類を区分けしていた俺は、は?と聞き返すことも出来ないまま、いつになくまじめな陛下の横顔を見つめていた。
ぽぽん、ぽん、ぽぽん。
晴れ渡る青空に打ち上がる連絡用譜術。
それが残したしろく丸い煙がふよふよと風に流されていくのを呆然と見つめる。
「……ジェイドさん」
「あれが皇帝なんだから仕方ないでしょう」
消え入る声で名を呼べば、彼は吐き捨てるようにそう言った。
俺の少し前に立つ上司の背中になんともいえぬ哀愁を感じてほろりと涙するが、
「さ、リック。やるからには勝たないとお仕置きですよ」
振り返った大佐は華麗に開き直っていた。
それがあの陛下のもとでやっていくための必須スキルなんですね。郷に入っては郷に従いまくるんですね。
陛下のあの呟きから数日。
水の都市グランコクマでは『マルクト軍、秋の特別強化訓練』と銘打たれた行事が今、開催されようとしていた。
いつもはそれなりに厳かな宮殿前の庭は、簡易テントとカラフルな紙飾り、そして地面に引かれた幾筋もの白い線と、正直雰囲気もへったくれもない。
ロープで区切られた中心部分の外にはたくさんの一般市民。
屋台も出ていて実に賑やかだ。俺もなんか買ってこようかな。いや違う、そうじゃない。
「強化訓練っていうか、これつまり運動……」
「秋の特別強化訓練だ」
「え、えらい人はいつもそうやって名目でごまかす!」
「おまえらのためだろうが」
頭にハチマキ、手にプログラムと書かれた小冊子を丸めたものを持ってやってきた陛下が、俺の言葉をさえぎってあくまでも訓練だと言い張った。
ヒマだからだ。ぜったいに最近自分が暇だったからだ。
「……それで、軍人のみ参加の行事になんで俺まで?」
疲れ気味に立ち尽くしていたガイが、そこで初めて拱手つきで声を上げる。
この突発的な軍行事に、なぜか貴族であるはずのガイラルデラ……ガ、ガル、ガラン伯爵も参加する運びとなっていた。いつもの調子で引っ張り込まれたらしい。ごめんガイ、俺まだ本名言えない。
「気にするな、面白そうだったからだ。俺が」
「ええそうでしょうとも」
こんなときばかり皇帝オーラを出しながら言う陛下にガイがひきつった笑顔で返す。
「じゃ、せいぜい頑張ってくれ。まぁ勝つのは俺の皇帝連合だがな!」
ハーッハッハッハ。
どこかの空飛ぶ譜業博士みたいな高笑いを残して、陛下は対岸の簡易テントへと去っていった。
「いえいえ、最後に勝つのはこちらですよ」
その背を見送り、不敵な笑みでささやく大佐。
俺とガイはそんな二人を遠い目で眺めて、顔を見合わせた。
この運動…もとい特別強化訓練は、ふたつの派閥に分かれて行われる対抗戦の形になっている。
ひとつはピオニー陛下率いる重鎮の方々含めた皇帝連合。
もうひとつは、ジェイドさん率いる懐刀選抜。別名死霊使いチーム。
相手が皇帝とあれば軍人は遠慮するのが常というものだけど、遠慮はいらないと陛下が先ほど宣誓で言っていたので、あの人がそういう以上本気のはずだ。
そして本当に遠慮をして欲しくないからこそ、陛下は大佐をこちらのリーダーに据えたのだろう。大佐なら遠慮はしない。
「譜術の暴発はルール違反じゃありませんよね?」
ほんと、もう、遠慮皆無です。
輝く笑顔で振り返った大佐に、俺はふるふると強く首を横に振った。逃げて皇帝連合の人たち。
*
「続きましてはー、結束力強化訓練ですー」
新兵らしい少年が、本部席から間延びした調子で項目を読み上げる。
白い線で描かれた大きな楕円形のトラックの中、複数の軍人たちと一緒にスタートラインに並んだ俺とガイは、またも呆然と顔を見合わせた。
そんな俺たちの足には、きっちりと結ばれた白い紐。
「結束力強化っていうか……」
「なあガイ。これって二人三きゃ、」
「結束力強化訓練ですよ」
突如聞こえた優しい声に、え、と振り返る。そこにやわらかな銀色。
陛下に続いて俺の言葉をさえぎったのは、フリングス少将だった。
この状況を理解するのに必死で気づいていなかったが、見れば隣のレーンで部下とおぼしき男性と片足を繋いでいる。
「少将も参加するんですか?」
「はい。マルクト軍全員参加ですから」
そう言って笑みを浮かべた少将が、すいと俺に右手を差し出してきた。
「お互い正々堂々、勝負しましょう。やるからには負けませんよ!」
「……は、はぁ」
いつにない熱さを見せる彼に腰が引けつつも、その手を握る。
フリングス少将は人がいいから参加はするだろうと思ってたけど、ここまで乗り気なのはなんでだろう。
そう考えたところで、彼がふいに観客席の一部へと手を振った。
「見ててください、ジョゼットー!」
「が、がんばってアスラン」
観客席から私服の女性がひとり、恥ずかしげに返事をかえす。
少将がグッと拳を握った。
「あなたのために勝ちます!!」
そういうことか!!
その瞬間、周囲の心はひとつになった。
いつもは平静な若き将軍の燃えように、いちについて、の掛け声にガイと二人で前傾姿勢を取りながら、愛は人を変えるんだなぁとぼんやり考える。
「スタート!」
ぱん、と小さな譜術が破裂音を立てたところで、みんな一斉に走り出した。
全体は二チームなのだが、競技…もとい訓練にはレーン分の走者がいる。
点数の計算方法がいまいち不明だけど、ゴール人数でも変わるのかもしれない。
この特別強化訓練のために急遽 組んだ他の人たちと比べ、俺とガイは付き合いがある分だけ息も合っていると思う。
というかガイの合わせ方が上手いので、俺たちはぐんぐんと周りを引き離していた。
よし。
このまま行けば、勝てる!
「あっ! ジェイドがパフェ持って手招きしてる!」
「え!!?」
「ぉぶッ!!」
すばやくブレーキをかけ頬を赤らめて声のしたほうを顧みる。
隣から何かが地面に叩きつけられるびたんという音と、オタオタが潰れたような声が聞こえた。
しかし声のした方向に大佐の姿はなく、そこには胸を張る陛下の姿。
「引っかかったな リック!」
「ひ、卑怯ですよ陛下!」
「こんなのに引っかかるお前が悪い! というか俺だって本気で引っかかるとは思わなかった」
くう、と己の不覚さに拳を握り、ガイに謝ろうと振り返った先で、地面にべったりと突っ伏すガイを見つけて声なき悲鳴を上げた。
「ガイ! なんで、どうして、こんな姿にー! ……陛下なんてことを!!」
「俺か? なあ、ほんとに俺か?」
力なく伸びるガイとそんなガイを抱えて泣く俺の向こうで、フリングス少将たちがとっくにゴールテープを切っていた。