【 あるグランコクマの一日 】
ブウサギの鳴き声響く部屋の中、ほうきを手に持った俺は仁王立ちで目の前の人物を睨みつけた。
「いいかげん掃除っ……してくださいとはもう言いません! ええ言いませんから! だからせめて!」
トコトコと愛らしく歩いてきたブウサギが、口に咥えようとした紙を寸前でさっと引き抜く。
それを眼前の、マルクト帝国ピオニー九世陛下へと突きつけて、俺は叫んだ。
「国家機密モノの書類を床に放置するのは止めてくださぃいい!!」
整理整頓しろなんて無理なことも言わないから、ブウサギが食べないところに置いて欲しい。
間違って食べられた重要書類が今までいくつ出たことか。でもブウサギに罪はないので怒れない。
となると陛下に管理してもらうほか方法は無いのだ。
いいかげんにしないと ここのブウサギたちが大佐にフレイムバーストで丸焼きにされてしまう。俺だってブウサギは好きだからそんな暗黒色の展開は断じて避けたい。
陛下は聞いてるんだか聞いてないんだか、膝に乗せた一匹のブウサギ(あれはネフリー様だ)を撫でながらあっけらかんと笑った。
「バっカだなぁお前~。俺にそんな器用なこと出来ると思うか?」
「上に乗せとくだけで良いんですぅ!」
「んじゃリックが乗せといてくれ」
ああ、いつもこうして陛下に負ける。
涙ながらに床の書類を拾い集め、机の上においた。
いやいや、一回戦は負けたが、まだまだ勝負はこれからだ。
俺は手にしたほうきで部屋の掃除を続けながら、今一度 陛下に向き直った。
「じゃあ掃除の件はもういいですから、仕事してください陛下」
頭の中で二回戦のゴングが鳴る。
机の上には先ほど置いた他にも、目を通さなければならない書類の山が築かれていた。
それにちらりと目をやった陛下がうんざりした顔になる。
「……後でやる」
「ダメですー! そう言って陛下いつもやらないじゃないですか!」
なんでマルクトの皇帝と、こんな夏休みの宿題をめぐっての母と子みたいな会話をしているんだ俺。
理性は状況の異常さを認識しながらも、毎度のやりとりすぎて正直あまり違和感を覚えていない自分に瞑目する。
「陛下が仕事してくれないとジェイドさんが大変なんですっ」
「お前は寝ても醒めてもジェイドさんジェイドさんと……。たまには俺のことも昔みたいにピオニーさんって呼んでみろ! 自分が考える究極に可愛い声で呼んでみろ!!」
「俺、声はまごうかたなく二十五歳の男ですよ!?」
「いや、いいんだ。俺が楽しいから。ていうかどれだけ気色悪いか試したい」
陛下と大佐は本当に幼馴染なのだと思い知らされる瞬間だ。この『楽しいから』でどこまでもやらせる辺りがまさに一緒だ。
まずい。これ以上 会話してるとまた負ける。
最終手段として、俺はさっと部屋の外に出て、顔だけをだし扉から中を覗き込んだ。
「とにかく、ちゃんと仕事してくださいね!」
「あ、リックてめ……ッ!」
悪態は聞ききらずに、がちゃん、と扉を閉めて、さらにすぐ外から鍵を閉めた。
少しの間、中から声が聞こえていたけど、やがて静かになったのを感じて扉からそっと背を離した。
「……か、勝った……かな?」
扉に耳をつけて、物音を確認する。
すると中からは微かな紙の音が響いていた。
目を輝かせて拳を握る。
やった! 今日こそ勝てたんだ!!
初めての勝利を噛み締めながら、ほうきをメイドさんに返しに行くため、その場を後にした。
そして三十分後。
差し入れのお茶菓子を持って、俺は部屋の扉を叩いた。
「陛下、ちょっと休憩しましょう」
いつもなら休憩という言葉に飛びついてくるはずなのに、少し待っても何も反応が無い。おかしいな、寝ちゃったのかな。
「……陛下? はいりますよー」
首をかしげながら、かけた鍵を外して扉を押し開けた。
いつもどおりブウサギだらけの雑然とした部屋の中。
そこに主の姿は……なかった。
手にしたお菓子の乗ったお盆を思わず落としかけるも、ダメになったらもったいないという気持ちがとっさにブレーキをかけて踏みとどまる。
とりあえず机の上にお盆を置いた。
がしゃんと少し派手な音をさせてしまったのはもう仕方ない。
重なった書類の上につっぷして、ぶるぶると震える。
「……へいかぁああー!!」
扉にも窓にも外から鍵かけといたのに、なんで脱走できるんだ あの人は!
「で、ここに来たと」
「…………めんぼくないです」
デスクに腰を落ろした上司は、うなだれる俺を前にそれはもうイイ笑顔を浮かべて言った。
うう、怒鳴られた方がまだマシだ。この笑顔の大佐は怖い。
だけど陛下の行動パターンは大佐が一番よく知っているし。もしかしたらここへ逃げてきてるかもしれないとも思って来たのだが、あいにくと陛下の姿は無かった。
「どうしましょう大佐ぁ」
「知りませんよ。アレの面倒を見るのはリックの仕事でしょう?」
「動きが奇想天外すぎて俺には予測がつきません……」
俺の仕事は大佐の補佐。
そして大佐の補佐というと、その内容の六割が陛下の相手だった。
その間は仕事が はかどるようでジェイドさんはわりとご機嫌だ。
だから出来れば大佐に頼らないで何とかしたかったのだけど、俺にはもうお手上げ状態。
宮殿内はくまなく探したと思うのに、陛下は一向に見つからない。
ぐったりと肩を落とす俺を見かねたのかは定かじゃないけど、大佐が少し笑みを浮かべて口を開いた。
「頭を冷やしなさい、“人”を探すからいけないんです。“隠れる場所”を探しなさい」
「隠れる場所?」
「ええ。あなた得意じゃないですか、人に見つからない場所を見つけるの」
これで人を探すのがと言われないあたりちょっと切ないが、大佐の言うとおり俺は隠れ場所を探すのだけは得意だった。
それすなわちビビリだからだ。誰にも見つからない安全な場所は本能が心得ている。自信たっぷりに言うの本当に切ないけど。
「自分だったらどこに隠れるか、それを考えて探しなさい」
「……やってみます」
こくりと頷いたあと慌てて敬礼を付け加え、俺は大佐の執務室から出た。
扉が閉まりきるその間際、「がんばりなさい」とジェイドさんの声が聞こえた気がして振り返るも、すでに扉は音も無く閉じていた。
幻聴だったのかもしれないけど、俺は熱くなる顔をひきしめて、拳を握った。
お、俺、頑張りますジェイドさん!!
宮殿入り口を出発点に、俺は自分だったらどこへ隠れるかを考えながら歩き出した。
例えば植木の裏だとか、大階段の影、資料室の本棚の横や、客室の隅っこ。
決して人がこないわけじゃないけど、気付かれない。そんな場所を重点的に見回った。
でも謁見の間の椅子の裏まで見たところで、やっぱり自分の勘では当たらないんじゃないかと不安に駆られる。
ジェイドさんはああ言ってくれたけど、陛下は本当に計り知れないところがあるし。
見張りの兵士さんと挨拶を交わして通路を歩きながら、うぅん、と唸った。
こうなると宮殿のてっぺんとかいう可能性も考えるべきだろうか。
でももし俺だったら隠れるためにわざわざそんな所には……。
そこで、ちかり、と頭の中に白い光が瞬いた気がした。
目を見開いて顔を上げる。
*
「……陛下」
「お、見つかったか。思ったよりは早かったな、これで夜まで逃げおおせるつもりだったのに」
「全然早くないですよ! ずっと探してたんですから!!」
陛下の部屋の、ブウサギの眠るベッドの陰。
ちょっと身を乗り出してそこを覗き込めば、ゆったりと床に座り込んだ陛下が笑っていた。
まさに灯台下暗し。
陛下は脱走なんかしてなくて、最初からずっとここにいたんだ。
「まったくもう、こういうことしないでくださいよぉ。俺、本当に焦るんですからー……」
「ハハハッ、わりぃわりぃ」
ちっとも悪いと思っていなさそうな軽い謝罪に俺はまた肩を落としたけれど、すぐに顔を上げて苦笑した。
「あんまり心配させないでください、ピオニーさん」
手前に寝転ぶブウサギに体重半分 預けながら言うと、ピオニーさんはすこし目を見開いたあとに、がしがしと後頭部をかく。
「……わり」
ほんのちょっとだけ、バツが悪そうにそう呟いたピオニーさんの顔は、ほんのちょっとだけ、赤かった気がする。
女の人にはあれだけ愛を囁くのに、自分に「大好き」を向けられるのは苦手な、優しい人。
この人はやっぱりジェイドさんの幼馴染なんだろう。そんなところまでそっくりだ。
俺は腕の中のブウサギと顔を見合わせて、笑った。
「じゃ、仕事しましょうかピオニーさん!」
「悪いリック俺ちょっと腹痛が」
床に放置するのは内部関係のつまんない書類だけで、ちゃんとした国の書類なんかはしっかり管理してたりする陛下。要するに遊ばれてる。
そして陛下の妙な言い訳にいちいち騙されるからまた遊ばれる。