むかしむかしあるところに、一匹のひよこがいました。
そのひよこは暇さえあれば空を眺めていました。
【 にわとりの思い出 -The Memorial Chicken- 】
「陛下ー! 待ってくださいよぉ!」
「ハーッハッハ! ケテルブルク韋駄天のフランツと呼ばれた俺の足に追いつけるか!?」
「ちょ、誰ですかフランツって!! その前に韋駄天ってなんですか!?」
荘厳な造りの宮殿の中を、俺とピオニー陛下が雰囲気ぶち壊しで全力疾走する。
今日も今日とて執務をさぼって脱走しようとする陛下を現行犯で発見したはいいが、そのまま鬼ごっこに移行してしまった。
しかし俺だって日々きつい訓練をこなしている軍人なのに、どうしてデスクワークが主なはずの皇帝陛下に追いつけないんだ、韋駄天のフランツ恐るべし。
いや、ていうかこの人いっつも筋トレしてるじゃないか。なんで皇帝が執務の合間に体術の修行をしてるんだ。そして何故 主なはずのデスクワークがおろそかにされているんだ。
いい加減 手をつけてもらわないといけない書類の束を思い出し、何が何でも捕まえないと、と意気込んで走り出した瞬間、顔面に鈍い痛みが走った。
「ぶっは……! な、なんでいきなり止まるんですか!!」
「……止まれと言ったり止まるなと言ったり面倒なやつだな」
突如停止した陛下の、皇帝としては無駄に逞しい背中にしたたかに顔を打ち付けた俺が半泣きで怒鳴ると、陛下はそう言ってあきれたように肩をすくめる。
ぶつけた鼻を押さえながらたたずまいを直し、陛下に向き直る。
もしかしてやっと執務に戻ってくれる気になったのかと問えば、いやそうじゃないけど、というあっさりした返事が戻ってきた。……そうじゃないんですね。
「お前、今度の任務に同行するんだって?」
急な問いに、はたと頭の中を探る。
今度の任務といえば、キムラスカのバチカルに和平の親書を届けに行く件だ。
「あ、はい、大佐が俺も行くようにって」
「めずらしいな」
「そうなんです! 俺、政治が関わるこんな大きな任務に参加させて頂くの初めてですよ!」
グランコクマでやる比較的 簡単な会議など以外は、ビビる騒ぐやかましい、と大佐に締め出し又は置いてけぼりだったのに。
きっと和平交渉というくらいだから、俺がちょっとビビったくらいではどうにもならないくらい平和で穏やかな会議になるんだろう。だから今回は同行させてもらえるに違いない。
平和な任務かつジェイドさんと一緒。
期待にわくわくと胸躍らせる俺の前で、陛下が少し目を細めて頭をかいた。
「……ま、一歩前進か」
「え?」
陛下が何か呟いたような気がして、首をかしげて聞き返す。
すると陛下はさらにがしがしと頭をかいた後、なんでもないと言って俺の後頭部を軽くはたいた。
*
空をうつくしく飛び回る同胞をうっとりと見つめます。
「ぼくもオトナになったら、あんなふうにとべるんだ」
*
「あーもうほんと頭くんなアッシュのやつ~!」
逃げたスピノザをアッシュより先に見つけるんだと言うルークを宥めて無理やりダアトに向かっている現在、やはり彼は納得いかないようで、歩きながらも苛々と声を荒げていた。
隣を歩みながら、よっぽど反りが合わないんだなぁと苦笑する。
「きっとアッシュに任せとけば大丈夫だよ、ルーク」
そして気休めのようにそう口にした瞬間、翠がギッとこちらを睨んだ。
「……なんだよ、おまえもアッシュのほうがいいっていうのか?」
まずいことを言った。やっとそう認識するも時すでに遅し。
どことなく据わった目にうろたえつつ首を横に振る。
「い、いや、ただアッシュなら何とかしてくれるかなっていう……」
「あれだろ! どうせアッシュのほうが髪が赤いからだろ!?」
「待ってルークちょっと待って! 違う女の人に見惚れてた恋人に迫る女の子みたいになってる!!」
詰め寄ってくるルークに首を振るスピードをさらに上げながら弁解すると、彼はゆるく俯いた後、若干涙目になりながら上目遣いに再度俺を睨みあげた。
「もういいよ! そんならアッシュと仲良くしてこいよ! テーマだって“アッシュの意味を知る”とかにしたらいいだろ!!」
「テーマって!?」
「リックのばかやろうー!」
「あっ怒りの対象が俺にすり替わってる! ま、待ってよルーク! ルークー!!」
伸ばした手もむなしく、全力ダッシュで遠のいていくルークの背中。
行き場のない指先をしばし漂わせ、今度は俺が涙目を通り越して普通に泣きながらがくりと肩を落とす。
後ろから歩いてきたアニスさんが、そんな俺とだいぶ離れてなお走り続けるルークを見比べて、呆れたように息をついた。
「もー、ルークってばお子様だなぁ」
「アニスさん……どうしましょう、ルークを怒らせてしまいました」
「どうって、私が知るわけないじゃんそんなの」
いよいよ号泣しながら緩々とアニスさんのほうを見れば、彼女はそんな俺にまた改めて呆れの半眼を向けて首を横に振る。
ですよね、と消え入る声で返して、またぼたぼたと涙を滴らせていると、ふいに耳に届く軽快な足音。
顔を上げれば、いつのまにか数歩前に出たアニスさんが、俺に向かってその小さな手のひらを差し出していた。
「アニスさん?」
「はやく追っかけないとルークはぐれちゃうよ。……ほら、いこっ!」
俺はそれを少しの間 見つめたあと、ぱっと表情を輝かせて、その手を掴んだ。
「はい!」
*
そして壊れた木箱の上に乗っては、そのちいさな羽をはばたかせていました。
*
「ジェイドさーん! ジェイドさーん! ジェーイドさーん! ジェーイードーさぁーーんー!!」
ちょっと頼みたいことがあって、彼の人を探しマルクト軍基地を走りまわっていると、ふいに右斜め後ろのほうから盛大に息が噴き出される音がして、俺は足を止めた。
「あれ? フリングス少将じゃないです……どうしました?」
通路の片隅で肩を震わせながら声無く笑うその人に首をかしげてみせる。
すると彼は、失礼、と言ってひとつ咳払いをし、改めてぴしりと背筋を正して向き直る。
「ジェイド大佐を探しているのかい?」
「あ、はい、ちょっと」
つい言葉尻を濁してしまった俺に少将は気分を害すこともなく、穏やかに笑って「大佐なら譜術用の鍛錬場にいるはずですよ」と教えてくれた。
大佐と鍛錬場。
めずらしい組み合わせだなと目を丸くしていると、少将が言葉を続ける。
「君を見かけたらそこに来るように言ってくれと大佐に頼まれたもので」
「……ジェイドさんが? オレに?」
「はい」
笑顔で頷くフリングス少将。
嫌な汗が背筋を伝う。
少し前まで怪我人だったこともあって、外殻降下の後グランコクマに戻って以来、日課だった大佐の譜術をくらうことがほとんど無かったのだ。
先日のご落胤騒動で久々に大きいのを貰いはしたけどそれくらいのものだろう。
もしかしたら積もり積もった特別訓練が今になって? ああ、在り得すぎて目眩と悪寒がしてくる。
聞かなかったことにして今日のところは仕事に戻ろうかと震える手足の元に一瞬企んだが、いや、とすぐかぶりを振った。
「わ、わかりました、ありがとうございます、フリングス少将。い、いいい、いってみます」
ここで止めたら二度と頼めない気がする。なにがって俺が。
こんがりとこうばしく焼かれた数十分後の自分を想像して涙目になりつつ少将に礼をした。
「ところでリック」
そういえば、というように切り出された声に顔を上げる。
少将は小首を傾げながら俺を見ていた。
「前から言っているが、ジェイド大佐と同じく名前で呼んでくれていいんですよ? それなりに仕事上の付き合いもあるのに、いつまでも“フリングス少将”では堅苦しいだろう」
「いえそんな恐れ多い!!」
「まあそういう返事が戻ってくるのもいつものことでしたね」
慣れたように微笑んで、少将が手にしていたファイルでトンと自分の肩をたたく。
柔和な雰囲気があるフリングス少将だけど、そういうふとした仕草は男前だ。
「では、君が私を呼び捨て出来るくらいの地位まで出世してくるのを待つことにするよ」
ひっそり男惚れしていたら、告げられた言葉に思わず遠い目になる。
俺が出世できるならオタオタだって王様にだってなれます、少将。
そして少将は、ああ、と声を零すと、突然 お手本みたいな敬礼を俺に向けてくれた。
「きっとしばらくの間は会えないと思いますが、お元気で」
「え、なんでですか?」
「今度 ケセドニア方面部隊の指揮を取らせて頂くんですよ。とはいってもキムラスカとの平和条約は締結しましたから、荒っぽいこともなく、ただの演習です」
ここ最近は降下後の処理やら何やらでグランコクマに留まっていたけれど、フリングス少将はもともと外回りの任務を多く受け持つ人だ。
もう本来の立場に戻らないといけない時期なんだ、とそれを少し残念に思いながらも、さっと敬礼を返した。
「お気をつけて」
「もちろん。待たせている女性もいますからね。ああリック、君もそろそろ行かないと、ジェイド大佐に怒られてしまうよ?」
「あああそうだった!」
早く行かないとフレイムバーストで済んだかもしれないところがエクスプロードに変わってしまう。
こうばしく焼けるを通り越しての消し炭か、灰か。アッシュか。俺はアッシュになるのか。
「す、すみません少将! オレ行きます!!」
「はい」
もう一度しっかり敬礼をし直してから身をひるがえそうとした俺の背に、小さな笑い声が届いた。
肩越しに振り返ると、失礼、と先ほどのように笑みを堪えながら少将が片手をあげる。そしてひとつ息をつくと、彼は柔らかに微笑んだ。
「……君は、いつも誰かを追いかけていますね」
その言葉に俺はきょとんと目を丸くして、それから、苦笑する。
「オレが大好きな人たちは振り返りませんから」
前を見て、時にはきつい向かい風の中にありながらも、ぐんぐん進んでいく。
そんな人たちばかりだから、俺はいつだって必死なんだ。
「追いかけないと、すぐ置いてかれちゃうんですよ!」
でも、そんな眩しい彼らが俺はやっぱり、大好きだから。
顔いっぱいの笑顔を返せば、少将も何は言わずに、少し笑みを深めて首を傾げた。
とはいえ今は未来の俺がアッシュ化するのを阻止すべく、いち早く鍛錬場に向かわなければいけなかったので、その真意を察する余裕はなかったけれど。
さて俺は、そろそろ勇気を出さなくてはいけない。
鍛錬場への道を足早に進みながら、ぐっと拳を握った。
慌ただしく去って行った青年の背中を見送って、フリングスは手にしたファイルを持ち直しながら、どうかな、と独りごちる。
「君が足を止めれば、案外、待っていてくれるかもしれませんよ」
*
むかしむかしあるところに、一匹のひよこがいました。
そのひよこは暇さえあれば空を眺めていました。
空をうつくしく飛び回る同胞をうっとりと見つめます。
「ぼくもオトナになったら、あんなふうにとべるんだ」
そして壊れた木箱の上に乗っては、そのちいさな羽をはばたかせていました。
いつか飛び立つ、真っ青な空へ思いをはせて。