「はっ? ここで別れるって……アンタ、迷子でしょ!?」
あんまり正面切って自覚したくない自分の状況を単刀直入に叫んだリタの言葉がざくりと胸に突き刺さるも、避けて通れぬ真実には違いないので苦笑して受け入れた。
「たぶんそう遠くへは来てないと思うからなんとか帰るよ」
遠くというか、俺はテオルの森から一歩も動いていないはずだ。
それでここから帰れないなら多分どこへ行っても帰れない気がする。
森抜けるまで一緒に来ればいいのに、と言ってくれたカロルに有難い気持ちを感じながら、ともするとその優しい申し出に転びそうになる心を叱咤して首を横に振った。
「なるべく早く戻らないとジェイドさんに怒られるからさ」
というかもう確実に怒ってるだろうが今は考えないことにする。
するとそれを聞いたエステルがきょとんと首を傾げた。
「そういえば、会った時にもその名前を言ってました。誰なんです?」
「オレの、上司!」
「そのひとの力になりたくてリックは術の練習をしてたんですよね?」
そういえばカロルと話していたときにそのような事を口走ったかもしれない。
譜術が成功していたとき、成功しなくなったとき。思えばあの時点で俺の答えは出ていたわけだ。
たどり着いてみればあまりにあっさりとした結果に頭をかいた俺の正面、エステルがにっこりと愛らしい笑顔を浮かべた。
「きっとそのジェイドさんって、良い人なんですね!」
「……そ、…………」
「そんなこともないみたいだぞエステル」
思わず詰まればユーリが少し意地の悪い笑みでそう続ける。
頬を伝う冷や汗を感じながら、慌てて言葉を探した。
「いや! その! 良いひとかって言うと、なんというか、あれだけど、」
「あれって何よ」
半眼で聞き返してくるリタに引きつった笑みを返した後、俺はひとつ息をついて、うん、と頷いた。
「オレの大好きなひとだよ」
それを聞いたユーリは冗談まじりに ぱちりと片目を瞑って笑う。
「それを聞けりゃ十分だ」
身体の後ろにしなやかに腕をまわしたジュディスが、そうね、と同意する。
「そのひとは善人ではないのかもしれない。でも、少なくとも悪いひとじゃないみたい」
「だね。リックがこんなに嬉しそうに言うんだもん」
カロルが、子供らしい笑みを浮かべながら鼻をこすった。
そんな彼らの姿を見渡して俺も笑う。なんだか、大好きなひとがまた増えそうだ。
名残惜しいけれど、それでも別れの時は来る。
俺には俺の帰る場所があるように、彼らにも彼らの行くべき場所があるのだから。
「じゃあな、リック」
先に話をしておいたユーリはそう言って口の端を上げただけで、背を向けて歩き出す。
そのピンと伸びた背中と俺を見比べたエステルは、少しだけ心配そうに眉根を寄せたけど、すぐにあの柔らかな笑みを浮かべて、また王女様みたいな綺麗なお辞儀を見せてくれた。
「……お元気で!」
ユーリの背を追ってエステルも歩き出し、ラピードが俺の横をすり抜けていく。
わふん、と小さく零された声が、あの事は内緒にしとくぜ、と言っていたように聞こえた。
よろしくお願いしますと口の中で呟いて笑う。
彼らに続こうとして、俺の前で足を止めたカロルがふいに片手を上げた。
先ほどエステルに教えてもらったのを思い出し、小さく笑って、その手に自分の手を打ちつければ、ぱちっと景気のいい音がする。
「じゃあね。術の修行、がんばってよ!」
「うん、カロルも!」
追いかける存在がいる者同士のシンパシーか、なんだか彼とは他人の気がしなかった。ヘタレ同盟でしょ、というリタの声をしたツッコミが頭の奥から聞こえたけど、とりあえず黙殺してみる。
「迷子が遭難にならないように気をつけてね」
「……うんジュディス。かなりシャレにならないから本当に気をつけるよ……」
ふふ、とどこかジェイドさんにも似た読めない笑みを浮かべたジュディス。
それでも声色に込められた感情はしっかりとこちらの身を案じてくれるものだった。
「さておっさんも行くかね」
艶やかな背中が木の葉の向こうに消え、今度はあくび混じりにそう零したレイヴンが俺にひたりと視線を合わせる。
その瞬間、なぜか反射的に背筋を伸ばしてしまい、あれ、と首を傾げる俺を見てレイヴンは今まで通りの気の抜けた顔で笑って、ひらひらと手を振り歩き出した。
「ま、どこの隊か知んないけど、頑張ってね~」
その言葉に目を丸くする。
軍服のままで譜術の連続失敗なんて恥ずかしい事してたらそれこそ怒られそうだったので、練習のときはいつも私服でテオルの森まで出ていて、今日もまたしかり、だったのに。
……俺、軍人だって言ったかなぁ。
「ちょっと」
「え!?」
「何驚いてんのよ」
考え事の最中に話しかけられて意識を引き戻せば、目の前には俺を睨み上げるリタの姿。
なにか怒らせることをしただろうかと慌てる中、リタは眉間にしわを寄せ、おもむろに口を開いた。
「アンタがさっきエステル守るのに使った術だけど」
「う、うん」
「今まで見せてもらった中でいっちばん雑だったわ」
半眼で吐き捨てられた評価にぎくりと肩を跳ねさせる。
必死だったとはいえ確かにあれは自分で考えてもひどかった。
「術式ガタガタ、エアルは不安定、詠唱も固くなりすぎ! あれで暴発しなかったのが不思議なくらいよ!!」
「はい……」
返す言葉も無くうな垂れる。なんだか気分は兵士学校時代。
あのころも剣技以外ではよく怒られたものだ。いや、正直剣技でもビビリ過ぎでよく怒られていたが。
「でも、ま、合格ね」
思考の合間に零された音に、目を見開いてリタを見返す。
すると彼女は視線を泳がせながら、どことなく赤らんだ頬でぽつりと呟いた
「エステル助けてくれて……その、ありがと、リック」
口を閉じるのも忘れた間抜けな顔で止まった俺に、いよいよ真っ赤になったリタがギッと目を吊り上げて踵を返す。
「そ、そそそそれだけよ! じゃあねっ! 好きに遭難でも何でもすればいいじゃない!」
「えっ、あっ、それはちょっと!!」
だからシャレにならないんだって。
言うが早いか足音荒く遠ざかっていく小柄な背中。
ジェイドさんみたいだというには素直で、“ルークさん”のようだというにはちょこっと大人の顔をした、可愛い女の子。
「リター! オレがんばるからーっ!」
口の脇に両手を添えて簡単な拡声器代わりにしながら、もうかなり遠ざかった後ろ姿に叫ぶと、リタがぴたりと足を止めた。
それから数秒間、何か思案するような間があった後、勢いよく振り返った彼女はやっぱり真っ赤だった。
「術の練習っ! サボったりしたら承知しないからね!」
こっちに人差し指を突きつけてそう怒鳴ったリタは身をひるがえして、今度は軽く走るような歩調で一気に遠ざかっていく。
それを見て、あはは、と思わず零した幸せな笑い声が森の中に響いた。
しかしそれが途切れた後 襲いかかってきたどうしようもない静寂に、俺ははたと我に返る。
そうか、これから一人なんだ。
ジェイドさんが聞いていたなら何を今更と呆れられそうなことを考える。
さっきまで賑やかだっただけに余計この風と葉擦れの音しか聞こえてこない今がきつい。
それも普段なら心安らぐ音楽代わりなはずだけど、おそらくは見知らぬこの森においてそれらは不安を助長する材料にしかならなかった。ぶっちゃけ寂しい。
「……だ、だいじょうぶ、大丈夫だ。オレはテオルの森を出ちゃいないんだから、き、きっとここはちょっと奥なんだ……」
軍の野外訓練で来た時にもこんな場所無かったという記憶は、今のうち忘却しておく事にする。
とりあえずここでじっとしていても何も始まらないし怖い。
動かなければと頭の端で考えるも、まさに右も左もわからないこの状況でどう動けばいいのだろう。
右を見てみる。
数メートル先を見通す事も出来ないほど生い茂る樹木。
左を見てみる。
同上。あ、黄色のお花が咲いてる。
後ろ。
さっきユーリ達が行ったほうだ。 すでに影も形も無い。
ついでに上。
ぎゃあ、ぎゃあ、と鳥型の魔物が立てる物騒な声。
「…………」
ひとつ息をのむ。
少しの逡巡の末、足に力を込め、地を蹴りあげた。
もういっそ一気に駆け抜けてしまったほうが怖くないだろう。
というかもう怖い。ほんと怖い。泣きそうだ。
全力疾走のせいで弾む呼吸の合間、涙の滲む目を一度 強く瞑った。
瞬間。
すかっと足が宙をかく。
そのことに疑問を覚えるより先に、視覚から入ってきた情報が背筋を粟立たせた。
前方がほとんど確認出来ないほど生い茂った植物。
その向こうは、崖でした。
「……ジェ、」
ひくりと口元が引きつる。
「ジェイドさぁああああんー!!」
そんな悲鳴だけを空に残し、俺の体は、真っ逆さまに落ちていった。