まるで、夢でも見ているような顔だった。
こちらに伸ばしかけた手を、半端な位置で宙に留めて固まっている。
戸惑いがちに情けなく眉尻を下げたその男の、頼りなげなその手の平に、ユーリはトンと拳をあてた。
「リック」
ここにいるのは触れれば消える幻などではない。
そう伝える代わりに、もう一度ゆっくりと名を呼んだ。
すると俯きかけていた顔が勢いよく上がったけれど、まだ言葉は出てこない。
そんなリックに掛けようとした、久しぶり、という言葉を引き止める。
ユーリは少し考えてから、にっと口の端を上げて笑った。
「オレ達にあれだけ付き合わせた術練習、続いてないなんて言わせねぇぞ?」
それと分かるように からかう色を乗せて言う。
次の瞬間、目の前の男からぶわりと溢れた涙に、びくりとして反射で引きかけた手を、今度は向こうから逆に掴み直された。
「ユーリぃいい……!」
「……おう」
真昼間の街中で二十代の男二人が手を取り合っている(しかも片方は号泣している)光景のシュールさを少しばかり考えもしたけれど、とりあえず顔に浮かんだのは相変わらずな顔見知りに対する、苦笑というには苦みの足りないそれだった。
「オ、オレっ! 夢じゃないって信じてたけど、状況が状況だったしちょっとだけ夢だったのかなーなんて思ったりもして、でもやっぱり夢じゃなかったんだユーリ~っ!!」
「わーったからちょっと落ち着け」
涙でぐずぐずになっている男の肩を、掴まれていないほうの手でなだめるように叩く。
前に会った時はここまで子供っぽい男じゃなかったと思うんだが。
ふと覚えたささやかな相異感は、足元のほうから聞こえた憮然とした呼びかけにかき消された。
「盛り上がってるところ悪いが、オマエら俺のこと忘れてるだろう」
地べたにあぐらをかいた体勢でひとつ息をついたのは、先ほど青白い閃光になぎ倒された金の髪の男。
そしてその膝の上にちょんと乗っかっている、見慣れた魔物――オタオタの姿。
戦い慣れた体が思わず動きそうになったその寸前で、気付く。
青と白のラインをつなぐ、平和な大ぶりの縫い目。ふたつの目はボタンで出来ていた。
オタオタのぬいぐるみだ。どうやら先ほど男に向かって投げつけられたのはアレだったらしい。
リックがはっとしたように姿勢を正すと、精一杯きりりと眉を吊り上げて男へ向き直った。
「そうだ! もう何してるんですか! へい、」
「アビスゴールド」
継ごうとしていた言葉を切れのいい声に遮られたリックは、目を丸くして口を閉ざす。引きあげたばかりの眉尻がまた緩々と下がっていくのを見た。
「……えっと」
「ア・ビ・ス、ゴーーールド」
有無を言わさぬ青の視線を、おそらく真正面から受け止めたのだろうリックが、短い逡巡の末に控えめな声で、ごーるどさん、と繰り返した。
それに満足げな笑みを浮かべた男の様子を見てから、リックは改めて会話を仕切り直す。
「だから、その、買出しの途中に同僚が大慌てで声かけてきて、何かと思ったらゴールドさんがどこにもいないって言うし……探してたんですからね!」
買出しの途中だったという言葉通り、それなりの量の荷物を小脇に抱えたままのリックが怒ったように腰に手を当てたが、それさえなんだかどうにも迫力がなくて、自然と笑いが零れる。怒られている男も同様だったのか、口元に手を当て小さく咳払いをしてごまかしていた。
それで、と膝の上にあったオタオタぬいぐるみを軽く掲げる。
「これは?」
「マクガヴァン元……さん、へのお土産です。いやぁ投げられそうなのが手元にそれしかなくて」
「どうでもいいがお前、俺の扱いが日々ぞんざいになってきてないか」
「色々気にしてると逃げられるから手段は選ばずとにかく動きを止めろとジェイドさんに教わったので実践してみました」
きらきらと瞳を輝かせてリックが口にした名前には聞き覚えがあった。
ジェイドさん。
あの森で出会ったときも、あいつは感情たっぷりにその名を呼んでいたっけ。
「それにしてもゴールドさん! 街に出るなら誰かに言っていかなきゃダメじゃないですか!」
「まあ待てリック。いくら俺でもそこまで立場をわきまえずに街中フラフラすると思うか?」
「……すみません、ちょっとだけ……っ!」
リックが滴る冷や汗もそのままに両手で顔を覆う。
正直な奴め、と男は半眼で呟いた。
「安心しろ。ちゃんと護衛付きだ」
「あ、もしかしてユーリがそうなんですか?」
「それも面白そうだな」
至って真剣な声色の相槌にうすら寒いものを、馴染んだ会話のテンポに昨日今日のものではないだろう彼らの繋がりを垣間見ながら、ユーリはついと視線を後方に滑らせる。
「あそこで茶ぁ飲んでる眼鏡の奴だろ」
出店らしい簡易的なカフェの屋外に設置されたいくつかのテーブルのほうを顎で示す。
「よく分かったな」
金の髪の男がにやりと笑った。
「え?」
きょとんと眼を丸くしてユーリの視線を辿ったリックの顔がさっきの何倍にも輝いたのと、テーブルについて優雅な仕草で茶を飲んでいた眼鏡の男が、感情の読み辛い完璧な笑みを浮かべたのは、ほぼ同時だっただろう。
「おや、気付かれてましたか」
低いわりによく透る声が、人の賑わいに混じりかろうじて耳に届く。
店主に軽い礼を述べて席を立った眼鏡の男は、どこか騎士団の者を思わせるしっかりとした足取りで歩みよってくる。
それを待たずに駆け寄って行ったリックの後ろ姿に、千切れんばかりに振られる尾の幻が見えた気がした。
見ていて毒気を抜かれるほど体全体で好意を示すその姿を眺めながら、ユーリは、すいと目を細める。
「どうかしたか?」
ふと向けられた問いかけに視線をずらせば、いつのまにか立ち上がった金の髪の男が、青い目を真っ直ぐにこちらへ向けていた。
「……さてな」
それに肩をすくめて返したユーリは、名を呼ばれて再度リック達のほうへ視線を戻す。
対して距離があるわけでもないのに満面の笑みでぶんぶんと手を振りながら戻ってくるリックに苦笑しつつ、軽く手を振り返してやった。
そしてその後ろからこちらに向けられた、レンズ越しの眼差し。
淡く浮かべられた笑みの奥にあるものを感じて、ゆるりと口角をあげた。
この街に来てからは初めて向けられる類の気配。
だがそれは、明け透けの好意よりもむしろ身に馴染んだものだ。
「これはこれは、初めまして」
「どーも」
どう来るか、どう出るか。
次の手を脳裏に巡らせながら、赤の双眸と視線を交差した。