「それでねユーリっ」
しかし次の瞬間、それなりに張り詰まっていた空気を完膚なきまでに叩き壊す能天気な声と笑顔に流れをさえぎられ、ユーリは少々よろめきながらも、「……うん?」と律儀に相槌を返してやった。
「こちらがジェイドさんです!」
頭痛を堪えるように眉間に指を添えている眼鏡の男を示して、嬉しげに紹介してくる。
情報を頭の中で繋げると同時に、思わず目を丸くしてユーリはその男を見据えた。
「そうか、あんたが」
“ジェイドさん”か。
ほとんど声には出さずに呟いて、苦笑する。
どうりでリックの反応が飛びぬけて良いわけだ。
くつくつと喉の奥で笑うユーリをいくらか怪訝そうに眺める男――ジェイドを、勢いよく振り返ったリックが、腕を広げるようにして今度はユーリのほうを示す。
「それでジェイドさん、こっちがユーリです! 前に森で会ったときにオレの術練習を手伝ってくれたんですよ!」
「森で?」
「…はい、森で!」
返事をする直前、リックが見せた微かな逡巡に内心首を傾げる。
自分達が出会ったのは間違えようもなく、森だ。何を迷うことがあったのだろう。
だがそれは、おそらく本人さえ無意識だったに違いない程に、短い間ではあったので、さほど気にする事もないかとユーリはすぐささやかな疑問を胸の内へ押し込めた。
「あと」
そこでリックはジェイドの顔をちらりと窺ってから、ユーリに顔を寄せて耳打ちした。
「ゴールドさんは、ピオニーさんっていうんだ」
まるで幼い秘め事のように、僅かばかり弾んだ声で伝えられたのは、それなりの意図があって伏せられていたはずの男の名。
リックと自分がいくら顔見知りとはいえ、お互いの素性はほぼ何も知らない。
なのに、それほどあっさり教えていいのか。しかも本人と(たしか)上司の目の前で。
何故かこっちのほうがリックの立場を心配をするはめになりながら、横目で双方の様子を見る。
いくら何でもこの距離だ、聞こえないはずはなかっただろうに、どちらの表情にも変化はなかった。
いや、当の本人――ピオニーが、少しばかり微笑ましげに目を細めただろうか。
どうやら無駄な心配だったらしいと肩をすくめたユーリの傍にあるリックの顔が、ふと忘れものに気付いたような間の抜けた表情に変わる。
あれ、という声と共にリックはジェイドをかえりみた。
「ジェイドさん確か、報告がてら本部に顔出してくるって……」
それがどうしてここにいるのかという疑問は、言葉にせずとも伝わったのだろう。
ジェイドは一瞬見せた苦い顔の上に、わざとらしいほどの笑みを張りつけて眼鏡を押し上げる。
「ええ。ついでに己の残務の山でも冷やかしてこようかとうっかり執務室に戻ったのが運の尽きですよ」
流れるような台詞と、その中へ器用に混ぜ込まれた溜息を聞いて、リックが遠い目をして曖昧に唸る。
まぁそう言うなジェイド、とピオニーが妙にきりっと引きしめた真顔で片手をあげた。
事情はわからないが、ここに至るまでのピオニーの言動を反芻するにつれ、なにやら分からないなりに納得できる気がしてユーリは半眼で髪をかきまわした。
「そういえばユーリ、エステル達は?」
(……おっと)
心持ち油断していたところへ飛び込んできた、呑気な口調の、しかし少し鋭い質問に、気付かれない程度の苦笑を口の端に乗せる。
「ま、色々あってな。少しだけ別行動してる」
本当に少しで済めばいいのだが、という補足は内心に留めておく。
だが目の前の男はユーリの雰囲気から何を感じとったのか、心配そうに眉尻を下げた後、グッと拳を握った。
「色々って……あっ! 何か困ってるならオレ手伝うよユーリ!」
「ああ、いや」
「そうしたら立ち話もなんだし宿で」
「あのな」
「そうだみんなの事も紹介したいし! 術も見せたいし! 実は今度ゴールドさんの捕獲用にティアさんからピコハンを習おうかと思ってだからソレでっ」
「分かった分かった。とりあえず落ち着けリック」
目の輝きと比例するようにどんどんつたなくなっていく話ぶりにひとまず休止符を打つ。
そして期待に満ち満ちたリックの表情を裏切らぬように、ユーリはなるべく気をつけて柔らかな声を出した。
「ゆっくり話したいのは山々だが、あいつらを待たせてるんでな」
「エステル達を?」
「ああ。お前が心配するようなことはねぇよ、大丈夫だ。術も、あの時とびきりのを見せてくれただろ?」
真っ直ぐに見返して笑えば、リックが少し照れくさそうに微笑んで頬をかいた。
ジェイドはその様子をちらりと窺ってから、今思いだしたと言わんばかりに「まあ」と口火を切る。
「考えてみればこちらもそう時間に余裕があるわけじゃありませんでしたね」
それを聞いてはっと跳ねさせた肩を、また緩々と落としていくリック。
するとひとつ息をついたジェイドが無駄のない動作で眼鏡を押し上げ、丸まった背を蹴り飛ばすような、切れのいい明瞭な声で言葉を続けた。
「私達には私達の、やらなければいけない事があるように。彼には彼のやるべきことがあるんでしょう」
寂しいのは分かりますが頭を冷やしなさい、と最後に付け足して颯爽と腕を組んだジェイドを、リックが涙目の上目遣いに見上げる。
その風体はどうにも情けない事この上なかったけれど、それでも何か考えるように眉根を寄せた彼の双眸が、やがてしっかりとした光を帯びて固まったのを見て小さく口笛を吹いた。
お見事、と内心ジェイドに拍手を送る。
視界の端で満足げにうなずくピオニーの姿が見えた気がした。
「ところでリック。頼んでおいた買出しは全部終わったんですかぁ?」
そこでそれまでの空気を一掃するように響いたジェイドの不自然に明るい口調と上がる語尾。
びくりとあからさまに身を震わせたリックが、やや青ざめた顔をみせる。
「だ、大体、終わってたんですけど、あと、その、こまごまとしたものが少し……あったりなかったり……」
「あったりなかったり?」
「今! すぐ! 行ってきますっ!!」
リックが弾かれたように敬礼の姿勢を取る。
対照的に、大仰に腕を組んだピオニーが「ふむ」と得心顔で頷いた。
「まあ、ちょっと俺のせいと言えなくもないな」
「ちょっともなにも貴方のせいですよ」
淡々としたジェイドの突っ込みにめげるどころか、あっさりと(おそらく意図的に)聞き流して、ピオニーは慣れた調子でリックの背を叩いた。
「そんなわけで俺が手伝ってやろう。お、メモはこれか?」
言いながら、抱えている紙袋の一番上に置かれていた紙切れを拾い上げる。
背を叩いた手が思いのほか力強かったのか、リックはよろけてむせながらも、「えぇ!?」とその背を勢いよくかえりみた。
「ピオ……ゴールドさん! ちょっ、待っ、護衛! 護衛はっ!?」
「バカ言え。お前がいるだろうが」
「ジェイドさん!?」
「行きませんよ私は。そんな面倒くさい」
「えー!?」
おろおろと双方を見比べたリックは、早々に歩き出したピオニーの方へ伸ばそうとした手を、短い沈黙の末、しょうがないなぁとでも言いたげな苦笑と共に力なく落とした。
しかしどこか嬉しそうに細められた目を何とはなしに眺めていると、そうしている間にもどんどん開いていくピオニーとの距離に気付いて慌てた顔で振り返ったリックが、半ば無意識だろう自然さでこちらに敬礼を向ける。
「ユーリ! あのさ、本当にすぐ戻ってくるから、ちょっと待っててもらってもいい?」
「おう」
今自分が置かれている状況が、多少の時間を惜しんだからとどうにかなる問題とも思えない。軽く手を上げてそれに答える。
身をひるがえそうとしたリック。
ユーリは少し考えて、今一度その背を呼びとめた。
「リック。ちょっと聞いていいか?」
「ん? うん」
静かに口の端を上げ、首を傾げて、問いかける。
「お前の年齢は?」
リックは数度目を瞬かせ、不思議そうな顔で先ほどのユーリの動きをなぞるように首を傾げた後、いよいよ見失いそうなほど離れたピオニーのほうへ足を踏み出しながら笑った。
「えっと、二十五ー!」
駆けて行くその背中にひらりと手を振る。
待ってくださいよ、と響いてきた情けない声に肩をすくめて、傍らに首筋がちりりと焼け付くような気配を感じながら、欄干に肘をかけた。
偽スキット『そのころゴールドとシャッカー』
ピオニー「よし、まずは女の子がたくさんいそうな店だ」
リック「オレほんと後でジェイドさんに怒られるんで止めてください!」
平和な買いもの班。