空飛ぶにわとり番外編   作:甘味RX

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レプリカ保護官と悩みごと

 

 透明な硝子の向こう、店先に並んだ色とりどりの響律符。

 あの旅の中で見つけたものとは違ってほとんど実用的な効果はない一般向けの……いわばお守りのようなそれらを見るともなしに眺めながら、うぅんと唸る。

 

 ぐるぐると頭の中を巡るのは、目の前に並んだ品々とはまるで関係の無い言葉と感情。

 ついでに、知ってるかリック、と笑った彼の人から聞いた話を胸の内で反芻してひとつ息を吐いた俺の肩を、誰かが突然ぽんと叩いた。

 

「よっ」

 

「ぅわあっ!!!」

 

 色んなもので頭がいっぱいで何一つ気配を察せなかった剣士失格な俺が思わず悲鳴をあげて飛び退くと、誰かも「うおっ」と声を上げたのが聞こえる。

 とても聞き覚えがあるその声に、俺は驚いた勢いで涙の滲んだ目で後ろを振り返った。

 

「ガ、ガイだぁ……ごめんびっくりさせて」

 

「いやこっちこそ……まさかそんなに驚くとは思わなくてな。どうしたんだ? 何か悩み事か?」

 

 さすがガイ。いくら俺がビビりといえど慣れ親しんだグランコクマの街中で肩を叩かれただけでここまで驚くのは……うん、たまにしか無い、はずだから、何かそこまで周囲に気が回らなくなるほどのことがあったのでは、と察してくれたらしい。

 

 いつも話を聞いてくれるときと同じように、穏やかな空色の瞳が俺を見る。

 さっきまでとは違う意味で視界が滲みそうになるのをぐっと堪えながら、俺は「うん」と肩を落としながら頷いた。

 

「って言ってもあの、レプリカ保護官としての、みたいなすごい悩みではないんだけど」

 

「はは。悩みごとにすごいもつまらないもないだろ。……店先で立ち話ってのもなんだし、時間あるなら向こうで座って話すか」

 

 ガイに促されるまま移動して、噴水のそばにあるベンチに二人で腰を下ろす。

 さらさらと落ちる水の音を聞いているうちに渦巻いていた心が少し落ち着いて、ほうと気の抜けた息をついた。

 そんな俺の様子を見計らい、「で? 何を考え込んでたんだ?」とガイが改めて問い直してくれる。

 

「あの……『今日は実の父親から義理の父親、近所の頑固親父から全マルクト国民の父親的存在といえるこの俺まで、オールドラントのありとあらゆる“父”と名の付く存在に感謝と贈り物を捧げる日なんだ』って……陛下が」

 

「またあの人か!!!」

 

「あっ、いや! さすがにオレもそれは嘘だなって分かったぞ! 軍の先輩が今朝また娘さんに洗濯物いっしょにしないでって怒られたって言ってたし!」

 

「分かり方がなんとも切ないな」

 

 何にしても陛下の話はただの発端であって悩みの原因ではない。

 そう前置きをしてから、俺は隙あらば胸につっかえてしまいそうになる思いを、どうにか言葉に変えて押し出した。

 

「オレ、そこで陛下に“父親”って言われたときにさ……その、真っ先に、ぱっと思い浮かべちゃったんだ」

 

「誰を?」

 

「…………ジェイドさん、を」

 

 消え入るような声でその名前を口にして、ぎゅうと身を小さくする。

 視界の端でガイがちょっと驚いたように目を丸くしたあと、苦笑するように、けれどなんだか微笑ましげに口の端を緩めたのが見えた。

 

「なぁリック」

 

「……、はい」

 

「お前のことだから、たぶん血が繋がってないとかそういうことを気にしてるんじゃないんだよな」

 

 こくりと頷く。

 だってそれは俺があの旅の中で学んだことのひとつだ。血の繋がりがなくても親子は親子なのだと、みんなが教えてくれた。

 

「じゃあジェイドが父親ってのがイヤってい、」

 

「すっっっごくうれしいです」

 

「食い気味にくるなぁ」

 

「……だからこそ、どうしたらいいか分からないっていうか……オレはうれしいけど、ジェイドさんはオレが、……その、そういうふうに呼んだら、困るんじゃないかとか……あと普通にカーティスの名字だけでも畏れ多いのにこれ以上色々身が持たないっていうか」

 

 聞き上手なガイのおかげで緩んだ心が、今まで胸いっぱいに詰まっていた迷いをぽろぽろと吐き出していく。

 

 うん、そうだ。俺は嬉しかった。

 書類上のことでも、ジェイドさんと親子になれたことがすごくすごく嬉しい。

 それだけでもう溢れるくらいに嬉しかったから、だから、それ以上を欲しがろうなんて思っていない……つもりだったけど。

 

 『父さんとか父上とか呼んだりしたの?』

 

 アニスさんに言われて、ああいいなって、そう呼んでみたいと思ってしまった自分がいることに気づいてしまった。

 言われるまで自分の気持ちに気づかなくて、誰かに教えてもらって、すでに知っていたはずの感情を手に途方にくれるこの感じもまた、あの旅の中で何度も味わったものだ。

 

「あー……なんかオレ、いっつも知ってる道を遠回りしてる感じだよなぁ……」

 

「でも、遠回りしたおかげで見つかったものもあっただろ?」

 

 子供を見守る大人みたいな目で、ともだちみたいな気安い声で、そう言ってガイが笑う。

 だから俺も、頼もしい兄を見るようだと、大切なともだちに答えるようだと、そんなふうに感じてもらえたらいいなと思いながら、笑みを浮かべて「うん」と小さく頷いた。

 

「なぁガイ」

 

「うん?」

 

「……とうさんって呼んでも、ジェイドさん怒らないかな」

 

「そうだなぁ、まぁ、ためしに呼んでみるのが一番いいんじゃないか?」

 

「いや!!! それは!!! ……も、もうちょっと心の準備をしてから、ということで……」

 

「なんかもう遠回りのプロだな」

 

 苦笑したガイは怖気づく俺を慰めるようにぽんと頭を撫でたあとで、もう一度「呼んでみればいいさ」と独り言のように呟いて、空色の瞳を柔らかく細めた。

 

 

 




アビス15周年ときいて。

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