空飛ぶにわとり番外編   作:甘味RX

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彼と僕の記録 ~ブウサギ育成日誌~

 

「俺といっしょに、帰りましょう」

 

 懇願するように語りかけながら、そっと手を伸ばす。

 それを否むように、彼は僅かに顔を背けた。

 

「もう十分じゃないですか。お願いです、お願いですから……もう」

 

 もう一度、内心の焦りを押し隠しつつ呼びかける。

 静かに向けられたその瞳を、俺は真っ直ぐと見返した。

 

「おねがいします」

 

 考えるように伏せられた目が持ち上がり、ようやくこちらに歩き始めた姿を見て、ほっと息をつく。

 

「ジェイドさ……」

 

 そして次の瞬間、頭部へ鋭い衝撃と、目の前に真っ白な光が走った。

 

 

 

 

「~~~~~っ!」

 

 額を押さえて悶絶する俺の傍らから、小さな足音が遠ざかっていくのが聞こえる。

 ヒヅメが全力でヒットした場所に手を当てたまま、涙目によろよろと上半身を起こした。

 

 小さな逃走者はすでに陰も形も見当たらない。

 広大な庭園の中、俺は情けない声で彼の名を呼んだ。

 

 

「ジェイドさまぁ~!」

 

 

 抜けるような晴天の今日。

 

 いつものごとく、てこでもサボろうとする陛下に何とか仕事をさせようとしたら、かわりにペットのブウサギ達の世話を命じられた。

 

 というか、

 

「あーそろそろブウサギたちの散歩の時間なんだよなぁ。あーあ、俺の可愛いブウサギ達が運動不足でぶくぶくに太って、ジェイドに食われたらどうしようかなー」

 

 なんていうあからさまな主張に負けて、世話役を志願した。

 

 でもこれで陛下が仕事をしてくださると思えば安いもの、とブウサギ達をつれて散歩に出たのはいいのだが、途中でブウサギのジェイド様が縄を抜けて脱走なされたのだ。

 

 傍にいたベテランメイドさんに他のブウサギを任せてすぐに追いかけたはいいものの、これが中々捕まらない。普段は宮殿育ちと思えないほどの健脚だ。

 

「そんなところ飼い主に似なくていいのにー!」

 

 またジェイド様を探して走り出しながら、脱走常習犯の皇帝陛下を脳裏に思い描いて泣き叫ぶ。

 

 ああ、この廊下もほんの数十分で何度行き来したことか。

 逃げるジェイド様は、時折わざと姿を見せては先ほどのように巧みに俺をかわしてみせる。

 

 最初は「どうしたの?」「大丈夫?」と聞いてきてくれていたメイドさん達も今は無言で失笑するのみだ。たまにどっち行ったとか教えてくれるけど。

 

 結果として軍の早朝ランニング以上に厳しい走りこみとなっている中、柱の影から姿を現したジェイド様が軽快に駆けて行くのを見つけて、また地面を蹴る。

 

「ジェーイードーさーまーぁ!!」

 

 彼は少しだけ振り向いて、俺を挑発するように「ぷぎっ」と小さく鳴いた。

 それを受けて、長時間の追いかけっこに俺の中の何かが限界を訴え始める。

 

「ジェイドさま! 怒りますよっ!?」

 

 大佐が頭をかかえるほど臆病だとて、日々の軍での訓練は伊達じゃない。

 

 全速力で後を追う内、距離が詰まってきた。

 そんな状況で、彼は少し先で立ち止まったかと思うと、俺に向けてぷいっとお尻を振る。

 

 俺の中の何かが切れた瞬間だった。

 

「こんの……っ!」

 

 ことさら強く床を蹴った俺を見て、彼もまた身をひるがえす。

 さっと廊下の角を曲がったヒヅメの音に続いて、小さく扉が開く音。

 

 後で考えたら拍手したいほど見事なコーナリングを持って同じ角を曲がった俺は、その先で薄く開いていた扉のノブに手をかけた。

 

「ジェイド!! いい加減にしなさいっ!」

 

 そして力いっぱい開いた扉の先には。

 

「……ほう?」

 

 とても綺麗に浮かべられた笑顔の前、俺もそっと笑みを口元に乗せて、涙した。

 

 

 

 

 一撃の元に伏せられた俺は、大佐のデスクの前で、特大タービュランスを受けた名残をそのままに正座していた。

 呆れるようにこめかみに手を当てていた大佐が、ひとつ溜息をつく。

 

「まあ、大体の事情は分かります」

 

 俺的マメ知識。ここで「分かってるのにタービュランスなんですね」と言ってはいけない。

 

 それにしても、大佐はここに至るまでの経緯をあらかた承知しているらしい。

 まあ大佐だから「何でも知ってるんですよ」と言われれば俺はそれで納得してしまいそうだったが、どうもそうではないようだ。

 

 ふと気付けば、大佐が呆れた顔を向けているのは俺じゃなくて、その向こう。

 不思議に思いながら視線を追う。

 

「よっ、リック」

 

 そこには執務室のソファに、我が物顔で寝転ぶピオニー陛下の姿。

 しかもその腕の中にはご満悦な表情のブウサギが一匹。

 

「へ、陛下」

 

「ん?」

 

「……執務は!」

 

 言いたいことがぐるぐると脳内をめぐり、結局 最初に出てきたのはそれだった。そのために俺は額にヒヅメマークを作ったのに。

 

 だが陛下は不敵に笑みを浮かべて、立てた親指でビシッと自分を示した。

 

「見張りがついてても脱走する俺が、見張りも無しに逃げ出さないと思うか!」

 

「自信たっぷりに言わないでくださいぃ~……」

 

 がくりと肩を落とす。

 そして陛下に寄り添うジェイド様を恨みがましく見やった。

 

「陛下、なんとかしてください。ジェイドさ……その子いつもそうなんですよぉ」

 

 名を呼ぼうとした瞬間、背後からひやっとした冷気を感じてとっさに言い換える。

 

 ジェイド様の犯行はなにも今日に限ったことじゃない。俺が世話をしようとするといつもこうなのだ。

 それを聞くと陛下は小さく笑って、優しく彼の頭を撫でる。

 

「コイツはこんな態度しか取れないけどな、お前のこと気に入ってんだよ」

 

「どこがですか~」

 

 額の痕を指差して返すと、陛下はまた笑みを深めた。

 

「嘘じゃない、気に入ってんだ。だけど根っから不器用でな。それをどう表現したらいいのか分からんらしい」

 

 膝の上に乗りなおしたジェイド様が、ぶ、とひとつ鳴く。

 それに今度はニカリと笑って、陛下は首をかしげた。

 

「な、ジェイド」

 

 そんな様子をぽかんと眺めていた俺の耳に、静かな咳払いが届く。

 

「……だから、その名前は止めてください」

 

 振り返れば苦虫を噛み潰したような顔のジェイドさん。

 そして陛下は、また声を上げて笑った。

 

「まあそういう事だ、これからもジェイドと仲良くしてやってくれ」

 

「は、はい」

 

 同じ空間に同じ名前がふたつ存在する状況に少し混乱しながら頷くと、よっこらせ、と若くない掛け声と共に陛下が立ち上がる。

 

「仕方ない。たまには真面目に仕事してやるかな」

 

「いつも真面目に仕事してください!」

 

 聞き捨てならない発言に慌てて突っ込むが、陛下は聞く耳持たず、ジェイド様を引き連れて部屋を出て行ってしまった。

 

 どっと襲いくる疲労感に一度大きくうなだれてから、俺も立ち上がる。

 そしてデスクのジェイドさんに向き直った。

 

「すみません、お騒がせしました……。でも今度こそしっかり見張ってきますから!」

 

「まあ、頑張りなさい」

 

 ぽつりと返って来た言葉に、俺は盛大に口元を緩ませる。

 よし、俺、ぜったい陛下に仕事させてみせるぞ。

 

「はい! ジェイドさんも、がんばってください!」

 

 それじゃ!と喜び覚めやらぬ頭のまま、さっきまでの疲れも何のそのと元気いっぱいに部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 嵐のような騒がしさが過ぎていった執務室の中、ジェイドは小さく溜息をついた。

 

「……まったく」

 

 口元に乗った緩やかな苦笑には、気付かないふりをして。

 

 

 




【オマケ】


「はぁ~」

 束になった紙を机でとんとんと慣らしながら、息をつく。
 すると向かいで面倒くさそうに書類と格闘していた陛下が顔を上げた。

「なんだ? お前もこのしち面倒くさいフォニック言語の羅列が嫌になったか? じゃあすぐ休憩にして街にでも女の子に声かけに行こうぜ」

「嫌なのはこの未処理の書類たちだけです」

 目を輝かせる陛下に半眼でそう返す。

「そうじゃなくて、俺は今 感動してるんです! ようやくここまでこぎつけた……!」

 今だ額に残る鈍い痛みを感じつつ目頭を押さえた。

 朝からずっとブウサギとの追いかけっこ。
 宮殿内を右へ左へ、たまに上と下へ。
 それでヒヅメパンチ。そしてタービュランス。

 その末で、陛下がようやく執務に取り組んでくれたのだ。大佐の補佐として陛下のお世話を任せられている身としては涙も出てくるだろう。

 俺をさんざん振り回してくれたジェイドさまは、今は同じ陛下の部屋の片隅をどことなく機嫌良さげに歩いている。

「それにしてもジェイドさまには手を焼かされました……」

「元気いっぱいで可愛いだろ」

 ペンを手の中でくるくると回しながら、陛下が笑う。

「まあ確かに男の子は元気いいほうが良いですけど、あれは良すぎですよー」

 宮殿を走り回る健脚ぶりを思い出して苦笑した。
 すると陛下が突然、目を丸くして俺を見る。

「は?」

「え?」

 互いの顔を見つめあったまま、しばしの沈黙。

「あぁー、そうか」

 やがて陛下は一人で納得したように頷いた。

「そうか言ってないな……まあいいか。次の書類は?」

「えっと、あ、これです」

 呆気に取られていた俺はその言葉にハッとして別の紙を渡す。

 なんだか自己完結されてしまったけど、せっかく集中して仕事してるところを邪魔するのも何なので、とりあえずそのまま黙る事にした。

 部屋には、ペンが走る音と、紙がすれる音だけが響いている。
 俺も陛下に見てもらう書類の順番を考えながら紙をめくっていると、ふと、足元に重みを感じた。

 目を数度しばたかせて、それからおもむろに机の下を覗き込む。
 そこには。

「ジェイドさ、ま?」

 俺の足元に寄りかかって、すやすやと寝息をたてるブウサギが一匹。
 それをぽかんとみやってから顔を上げると、いつの間にか陛下がこちらを見て微笑んでいた。

「言っただろ?」

 柔らかく告げられた言葉に、少し前、やはり陛下から聞いた言葉を思い出す。

 『お前のこと気に入ってんだよ』

 本当なのかはやっぱりよく分からないけど、それでも、少なくとも、俺は嫌われているわけではないらしい。

「……はい」

 足元の温もりを確かに感じて、頬を緩ませた。


 そして俺が再び脱走したジェイドさまに軽快な飛び蹴りをくらうのは、また数日後の話。
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