元夜間パイロットの白昼期   作:ことり

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第九話

 比較的高緯度に位置するブリタニアの日暮れは遅く、その日は午後八時に差し掛かってなお夕暮れのオレンジ色が空を染めていた。夜間シフトになれておらず、また寝ぼけている宮藤はそれが明け方の空ではなく夕暮れだと気づくのに三十秒程を要した。

 普段よりも暗い食堂で夕食を済ませると、クロステルマンがテキパキとハーブティーをいれはじめた。

 

「これは?」

「マリーゴールドのハーブティーですわ。これも目の働きを良くすると言われてますのよ」

 

 宮藤の質問に対する過剰な回答で、今朝のブルーベリーに対抗したことを隊員の誰もが悟っとた。

 

「あら、それって民間伝承じゃ……」

「失敬な! これはおばあさまのおばあさまのそのまたおばあさまから伝わるものでしてよ!」

「それを民間伝承って言うんですよ中尉」

 

 クロステルマンの猛反論をバッヘムがバッサリと切り捨てると、それをエイラがニシシと笑った。

 それ以上の盛り上がりもなく、各々がハーブティーを粛々と飲むなか、ルッキーニの声がようやく静寂を打ち壊した。

 ルッキーニは今朝のブルーベリーの時のように、宮藤とリーネに下を見せるよう強請るも、今朝とは違い青くも赤くもましてやハーブティーと同じ琥珀色にもなっていない舌に「つまんない!」と評した。

 

「ドッチラケ」

「べべ別にウケを狙ったわけではありませんわ!」

 

 部隊の大半が渋い顔をする中、ヴィルケとバッヘムだけは平気な顔で飲み干した。

 完全に日が沈み、灯火管制により最低限まで灯りを落とした基地は暗闇に包まれた。分厚い雲が月明かりを遮るので尚更暗い。

 そんな中での滑走路の誘導灯は、まるでそれが浮かんでいるような錯覚を見るものに与えた。慣れているリトビャク、ユーティライネンはそんな錯覚もすぐに克服したが、夜間飛行初体験の宮藤は一寸先もよく見えない環境に完全に怯えきっていた。

 やがてリトビャクらに手を握ってもらいようやく離陸する様を、ほかの隊員たちはしっかりと見物していた。

 その情けない姿に坂本が苦言を漏らす横で、バルクホルンの感動にも取れる言動をバッヘムは聞いてしまい少し距離を開けた。

 

「私なんて離陸するまでに一週間もかかりました」

 

 無事飛び立った宮藤の姿に最近初めて飛んだビショップは安堵の言葉を漏らした。

 

「くくく、坂本少佐の前で無様でしたこと」

「本当に時間かけすぎです」

「時間かかったのは半分くらいユニヴェルのせいだからな」

「納得しかねます」

「それと、ペリーヌは人の事言えないよな。お前の時もたいがい酷かったぞ」

「余計なことはおっしゃらなくて結構よ! バッヘムさんも初フライトの時は案外苦戦したんじゃないかしら?」

「誰でも初めては怖いものよ。サーニャさんと同じ魔法をもつバッヘムさんもなんだかんだで苦戦してたもの。そうよねバッヘムさん」

「えぇまぁ、飛ぶには飛べましたけど。結局すんなり出来るかどうかは本人の資質じゃなくてその時の状況ですからね。切羽詰まってたら怖くて飛べないなんて言ってられません」

「まぁ今日はこんなところだろ。私はそろそろ寝よう」

 

 坂本の言葉を皮切りに隊員たちは各々の部屋へと散り始めた。そんな中、バッヘムは「もう少しだけ残る」と言いった。ヴィルケもそれに同調して、闇の中に二人だけが残った。

 バッヘムがタバコを吸う許可を求めると、ヴィルケは少し低い声で健康に悪いとだけ言った。暗闇の中でタバコの火は目立った。

 

「ゲホッ、クソっ」

「前々から不思議だったのだけど、むせるのにどうして吸うの?」

「まぁ、何となく」

「あなたが何となくでタバコなんて吸うわけないわ。依存しているなら辞めた方がいいわよ」

「……ヴィルケ中佐はあまり良い顔をしないかもしれないのであまり言いたくありません」

「そう言われると尚更聞きたくなるわ」

 

 バッヘムは言うか言わないかを考える時間稼ぎにタバコを一吸いするも、先程ではないが苦しそうに息を吐いた。

 

「私もタバコは嫌いですよ。でもこの銘柄は特別です。自信が湧いてくるんです」

「どういうこと?」

「私にとってこの匂いはスオムスにいた頃に出会った強い人の匂いです。それが近くにあればいつもなんとかなる。おまじないみたいなものです」

「その人は今でも現役なの?」

「さぁ、完全に縁が切れましたから。というかその頃の知り合いで今も手紙くれるのはウルスラとリベリオンのカウガールだけで、あとの人たちとはもう完璧な他人ですよ順当にいけばすでに上がりを迎えています」

「……なんだかんだで友人がいるみたいで安心だわ。実際に弟がいたらこんな感じなのかしら」

「いやぁ、違うかと」

「ふふふっ、確かにあなたは弟って柄じゃないわね」

 

 タバコを吸い終えるまで雑談をした二人はそれぞれの部屋へと戻った。

 翌朝、バッヘムが食堂へ行くと食卓が生臭さに包まれていた。テーブルの上に置かれたお猪口に注がれた透明な液体が発臭源だ。

 ゾクゾクと揃う面々が一様に顔を顰めながら席につき、それを睨んだ。クロステルマンはいの一番にその正体を問いただした。

 

「肝油です。ヤツメウナギの」

 

 漢字で肝油と書かれた一斗缶をかかえながら答えた。

 

「ビタミンたっぷりで目にいいんですよ」

 

 生臭さに苦言を漏らしつつ意を決してそれぞれが換喩を飲み干し、そのマズさに揃って顔を歪めた。

 

「エンジンオイルにこんなのがあったな」

「……おいバッヘム、なんでサルミアッキ食べさせてやった時より平気そうな顔なんだよ」

「不意打ちでしたので」

「不意打ちじゃなかったらユニヴェルはあれ食えるのか」

「もっと酷いものを知ってますので」

 

 バッヘムの言い草にユーティライネンが抗議したが、それに賛同する人はいなかった。イェーガーは興味本位な顔でバッヘムに尋ねた。

 

「遭難地でのタンパク源といえば相場が決まってます。以前に扶桑の方から、種類は違いますが似たようなものを佃煮とやらにして食べると聞きました」

「宮藤の顔でなんとなく想像ついたわ」

「お分かり頂けたようでなによりです」

「ちなみに中佐のは?」

「分かりかねます」

 

 バッヘムとは違った理由で肝油を美味しくいただくヴィルケが、その日の朝食のハイライトだった。

 朝食を終えるとバッヘムは夜間シフトに従い自室へと戻った。カーテンを締め切り日除けの呪符を貼ると、軽くストレッチをしてベッドに横たわった。

 夕方頃に起床すると、シャワーと夕食を手早く済ませてストライカーや銃の点検を始めた。整備士がきちんと整えているのを前提に要所だけを確認する簡易的なものだ。

 

「バッヘムさん」

「リトビャク中尉。お一人ですか?」

 

 背後から話しかけられたバッヘムは、工具を一度置いてリトビャクの方へ向いた。普段はほとんどの確率で一緒にいるユーティライネンや、ここ数日共にしている宮藤が居ないことに少し意外性を感じつつ対応した。

 

「はい。二人はちょっと悪ふざけが過ぎて坂本少佐に怒られてて」

「あのお二人はここをどこだと思ってるんですかね」

「坂本少佐にも言われてました……」

「それで私に何か御用ですか?」

「用ってほどの事じゃないのだけど……宮藤さんのことどう思いますか?」

「デリカシーを欠く事でも言われましたか」

「違います」

「どうと言われても……ある時は民間の牛舎に墜落して迷惑をかけられ、ある時は海に引きずり込まれて迷惑をかけられてと、あまりいい思い出がありませんからね。偏りますよ」

 

 冗談気味にバッヘムが言うもリトビャクは真に受けたように深刻な表情になった。

 

「バッヘムさんは宮藤さんが嫌い」

「冗談ですよ真に受けないでください。ですがまぁ、あまりいい印象はありません」

「どうして?」

「宮藤さんが、と言うより宮藤さんのようなタイプの志願者が好きではありません。経済的な問題はなく、さしたる危機もない。要するに軍人になるような人。この部隊だと宮藤さんとイェーガー大尉が当てはまります」

「でもシャーリーさんとは仲良さそう」

「宮藤さんもイェーガー大尉も軍人としては好きではありませんが、人としては目的がハッキリしてる分好感が持てます」

 

 数秒ほど返答を待ち、それがないとバッヘムは点検を再開した。さらに数分が経ち、依然として背後に感じる気配にバッヘムが先に折れた。

 

「まだ何か用ですか?」

「……バッヘムさんはシャーリーさんが──」

「サーニャー!」

「エッエイラ、急にどうしたの?」

「バッヘムと一緒にいるのが見えたから、まさか虐められてたり」

「してない」

「気をつけろよサーニャ、男はみんなサーニャみたいなかわっかっ……狙ってるんだからな!」

「私がここで一度でもそういう素振りを見せましたか?」

「まぁまぁお二人共落ち着いてください」

 

 現れるなり言いがかりをつけるユーティライネンにバッヘムもすかさず応戦したところ、宮藤が間に割って入って治めた。

 

「本当にそう言う言いがかりはやめてください」

「……悪かったよ、悪ふざけが過ぎた」

「たった今悪ふざけを叱ったところだと言うのにお前と来たら」

「しょ少佐ぁ」

「それよりもバッヘム、今更聞いても仕方ないんだが一応聞いておく。本当に体調は大丈夫なのか? もし不安が残るようなら予定の変更もできるがどうする」

「必要ありません。軍人になって体調がよかった日の方が少ないですから慣れてます」

「正直私は不安だ」

 

 坂本の意見を余計なお世話とばかりに一蹴するバッヘムに、坂本も顔を顰めて返した。二人の間にそれ以上の会話はなく、数十分後には離陸が開始された。

 バッヘムが先陣を切って離陸すると、他の三人も、先日と同様に手を繋いで彼のストライカーの主翼に付いたライトを追いかけるように空へと駆け上がるのだった。

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