元夜間パイロットの白昼期   作:ことり

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第二話

「ねー、なんで私にはお菓子くれないの」

 

 六月の昼下がり、ラウンジで新聞を読み耽るバッヘムに、ハルトマンは唐突に言った。

 

「一度もねだられた覚えはありませんが」

「そこはさぁ、こんなに可愛い私に自ら──」

「どこへ行ったんだハルトマン!」

「まずっ、隠れるからトゥルーデに黙っててね」

 

 ハルトマンは窓から飛び出し、窓下の壁に体を寄せた。間髪入れずやって来たバルクホルンは部屋を見回し、バッヘムに詰め寄った。

 

「ハルトマンの奴を見なかったか」

「どうかしたんですか?」

「あいつ、また訓練をサボったんだ。今度という今度は徹底的に絞ってやる」

「いいえ見てません」

 

 そう言いながらハルトマンの隠れている方を指さした。それを理解したバルクホルンは「分かった」と応え窓の方へ走った。

 急激に近づく足音に異常を察するも座った状態からは逃げることも出来ず、あえなくハルトマンはバルクホルンに捕まった。

 

「バッヘムの裏切り者!」

「匿うなんて一言も言ってません」

「随分と元気そうじゃないかハルトマン。これならたっぷり訓練ができるな」

「えー勘弁してよ……そうだ、それならバッヘムも一緒にどう」

 

 いかにも作り物な笑顔を浮かべるハルトマンは、服の襟を後ろから捕まれ逃げることを断念したものの、ならば巻き添えと言わんばかりに提案した。

 

「遠慮しておきます」

「そんなことを言うなバッヘム。ちょうどいい、私も参加しよう」

 

 計ったようなタイミングでやってきた坂本がバッヘムに参加を促した。少しの間黙ったバッヘムだったが、徐に立ち上がると坂本の方をむいて「どうしてもですか」と聞いた。それに坂本が頷いたのを見るやいなや、目くらましのように新聞をばらき窓から飛び出した。

 逃がすまいと、坂本も飛び出した。あと少しで服を掴めそうだったその瞬間、バッヘムはオープンテラスへ続く階段の最上段から飛び降りた。

 

「嘘ぉ!」

 

 一部始終を見ていたハルトマンから出た言葉を後目に、芝生の上でしっかりと受身をとったバッヘムは目にも止まらぬ速さで走り去った。

 

「あれは少し捕まえられそうにないな」

「そういう訳だハルトマン、いくぞ」

「うわぁ、ずるい!」

 

 バルクホルンに引きずられていくハルトマンとは対象的に、肩で息をしながらも逃げ切ったことを確信したバッヘムは小さく拳を胸の前で掲げた。今朝の事がなければ逃げなかっただろうと、空に浮かぶ三人の姿を眺めながら思った。

 バッヘムの朝は早く、日課としてランニングを行っている。それも今日までだと彼は決心済みである。

 いつもと違うコースを走っていると、刀の素振りをする坂本と遭遇した。そして延々と続く素振りに付き合わされた末、現在の決意が生まれた。

 坂本の自主訓練には絶対に付き合わない。

 先程ばらまいた新聞を片付けるためにラウンジへ戻ると、ビショップが既に片付け始めていた。

 

「すみません、私が自分で片付けます」

「えっ、あっはい」

「ありがとうございます」

 

 ビショップが既に集めた分の新聞紙を受け取り、残りの物を拾い始める。その様子をビショップはまごまごとしながら眺めている。

 ビショップはバッヘムが配属になる前から一方的に知っていた。彼女の姉であるウィルマ・ビショップがダイナモ作戦に参加しており、バッヘムが生還した際、ウィルマの口から聞かされていた。他にもバッヘム自身の知名度が、スオムスでの戦果故に高く、彼の生還がプロパガンダのために報じられていた事も理由の一つである。

 そんなビショップにとって、実物のバッヘムは意外の連続であった。人や新聞から聞く彼の話から想像したバッヘム像は、いかにも軍人と言った屈強な男の姿だったが、実際は自分と同じかそれ以下のサイズの少年だった。

 

「よし。手伝ってくださってありがとうございました」

「いえそんな、ほとんど何もしてません」

「これはお礼です。今渡せるものが飴くらいしかなくて、こんなもので良ければどうぞ」

 

 妙に律儀なところも意外な点である。

 渡された赤い飴を見つめながら物思いに耽けるビショップの横を通り過ぎようとしたその時、突然ビショップがバッヘムの手首を掴んだ。驚いた様子のバッヘムとビショップは数秒ほど見つめあった。

 

「えっと、何か」

「……ごめんなさい! なんでもないです」

「犯人は現場に戻ると言うが、あれは本当だったようだな」

「坂本少佐っ」

「逃げないほうが身のためだぞバッヘム。ちょうどいい、リーネお前も一緒に来い」

「私は今日非番なんですが」

「それはさっき言うべきだったな」

 

 バッヘムは何を言っても無駄と悟り、諦めて訓練をすることにした。巻き込まれる形でビショップの訓練も始まった。バッヘムへのものは滑走路を横にダッシュという、どちらかと言えば罰則のような内容だった。足を緩めようにも、書類仕事終わりのヴィルケが見張っているため手は抜けない。

 

「タイムが落ちてるわね、もう一本。はい!」

 

 ヴィルケが打ち鳴らした手を合図にバッヘムは走り出す。バッヘムが戻ってくるまでの間、ヴィルケはビショップが泣きそうな顔で坂本に追い回され何度も撃墜を取られる様を眺めていた。

 

「美緒も容赦ないわね」

「くっそ、訓練学校よりしんどいぞ」

「無駄口はやめなさい、もう一本」

「ミーナ中佐、鬼だな」

「何かしらエイラさん、あなたも走りたいのかしら?」

「なんでもないです」

 

 戻ってきたバッヘムは膝に手をついて荒い呼吸を繰り返した。走り始めて既に三時間が経過し、往復六十メートルのタイムも八秒後半だったものが十秒台まで落ちた。

 そんなバッヘムを見かねてヴィルケは微笑んだ。

 

「バッヘムさんも疲れてきたみたいね。じゃああと五本連続で十秒切れたら終わっていいわ」

「うわぁ」

「じゃあエイラさん、あとよろしくお願いすわね」

「あぁうん、分かった」

 

 ヴィルケが去り、七本目を走ろうとするバッヘムをユーティライネンが止めた。

 

「なに律儀に走ってんだよ。絶対出来ないから適当に切り上げた方がいいって。ミーナ中佐もそのつもりで言ったんだろうしさ」

「……私もそう思います」

「じゃあもうやめやめー」

「でも後でバレて困るくらいなら今走ります」

「はぁ付き合わされる私の身にもなれよな。次行くぞー」

 

 一時間かけて、バッヘムはようやく課題を終えた。疲れきってすぐにでも座り込みたい所を、坂本らの着地の邪魔にならないように滑走路からハンガーの搬出口横まで移動した。

 時を同じくして飛行訓練をしていた四人が着陸した。なんの反応も示さないバルクホルンとは対極的に、ハルトマンは舌を出してバカにしたような態度をとった。今のバッヘムにはまだそれを相手にしている体力はない。

 

「まさかずっと走ってたのか」

「びっくりするくらいずっと走ってた」

 

 呼吸の整わないバッヘムの代わりにユーティライネンが答えた。

 

「こんなになるまで走らせるつもりはなかったんだが……まぁこれに懲りたら訓練から逃げないことだな」

「バッヘムは今日の訓練休みだぞ」

「それならそうと初めから言えばいいのに逃げるから」

「スオムスにいた扶桑人は休みとか関係なしに訓練強いてきたのでつい」

 

 ようやく話せるようになっての第一声はスオムス義勇独立飛行中隊にいた頃のことだった。彼の言う扶桑人に心当たりのある坂本は苦笑いをした。

 

「そう言えばお前は智子さんの部隊にいたんだったな」

「二ヶ月だけでしたけどカウハバ基地に勤めていました。なんというか……刺激の強い場所でした」

 

 納得したユーティライネンと、対照的に疑問符を浮かべる坂本を、を置いてバッヘムは着替えを取りに部屋へ立ち寄った後、シャワーを浴びに男性宿舎へ向かった。

 手早くシャワーを浴びると、今度は食料庫から材料を集めて食堂へと向かった。この基地には下士官が彼とビショップしか居ないため、二人が当番で食事を作ることになっている。

 料理が嫌いなバッヘムはビショップほど凝らした物を作らないものの、味は概ね受け入れられていた。

 ヴィルケにおいてはバッヘムの本当の料理の腕を知っているため、文句こそ言わないが不満ではある。

 

「お手伝いします」

 

 バッヘムが頭に白い布を巻きエプロンをつけ終えた所にビショップが持ちかけた。ビショップは既にエプロンを巻いており、勢いが余ったのか握り拳を作っていた。

 

「ではじゃがいもの皮をむくのを手伝ってください」

「はい」

 

 背の低い椅子に向かい合って座ると、ボウルに入ったじゃがいもを一斉に剥き始めた。

 

「やっぱり意外です」

「何がですか?」

「バッヘム曹長がです。新聞とかお姉ちゃんから聞かされた話と全然違うので」

「新聞はプロパガンダですし、お姉さんとは面識がないので、多分それも人伝の話だと思います」

「時々する女の子っぽい仕草が一番びっくりでした」

「は?」

 

 バッヘムは手元から顔を上げてビショップを睨んだ。しかしそれも一瞬のことで、手元から目を離したことが災いし、手をナイフで勢いよく切った。

 

「すぐに救急箱取ってきます!」

「大丈夫、そんに深く切って──ないのに。行っちゃったよ」

 

 親指と人差し指の股から中指と薬指の股までが切れており、手袋から血が滴っている。

 食材にかからないようシンクまで移動しておもむろに流水にさらした。手袋を外そうとしたが、直ぐに救急箱ビショップが戻ってくるため手袋はつけたままとなった。

 何分もしないうちにビショップが箱を抱えて食堂へ戻った。

 

「消毒するので見せてください」

「自分でするので結構です」

「でも包帯とか──」

「巻けます」

「……わかりました」

「それよりも料理をお願いしてもいいですか。こんな手では食材にも触れませんので」

「はい!」

 

 救急箱を片手に食堂のドアに手をかけた瞬間、反対側からドアが引かれた。ドアを引いた相手はハルトマンだった。バッヘムは咄嗟に左手を隠したがハルトマンはそれを見逃さなかった。

 

「どうしたのさその手、血塗れじゃんか!」

「少しナイフで切っただけです」

「ちゃんと処置しないと感染症になっちゃうよ、ほら早く見せて」

「いえ結構です」

「これでも医者志望なんだから信用してよまったく、ほら」

 

 無理矢理手袋を剥ごうとするハルトマンが引っ張るあまり、切り口から脆くなっていた手袋がビリビリと音を立てて破けてしまった。

 手袋の中から出てきたのは裂傷と熱傷の後で浅黒く皮膚が所々溶けたような皺だらけの手だった。

 それを見て固まるハルトマンの手を振り払い、ポケットに隠した。

 

「説明しなかった私が悪いのでお気になさらず」

 

 それだけを言うとハルトマンの横を通り抜けて部屋へ足を向けた。

 そういう物を初めて見た訳でもないのに酷く落ち込むハルトマンと、間近で目にするのは初めてのビショップはお互いに顔を見合わせては気まずそうに顔を逸らした。

 治療を終えたバッヘムは早足で食堂へ戻った。申し訳なさそうな二人を見て、案の定と言った顔をした。

 

「ユニヴェル、まさかそういう事だとは思ってなくて……本当にごめん」

「気にしてません。それよりもこれから夕食なので引きずられる方が迷惑なので、もう気にしないでください」

 

 バッヘムが勤めて柔和な態度で言うも、おづおづ了承を得るのが限界だった。

 ぎこちない雰囲気で食事も済まされ、もう寝ようかと言う頃、ハルトマンがバッヘムの部屋を訪れた。

 

「どうしたんですか?」

「やっぱりさっきのこと謝りたくて」

「その事でしたら気にしてません」

「でも見られたくないから隠してんでしょ。なのに私のせいで……ごめんなさい!」

「分かりました。でしたらやって欲しいことがあります」

「なっなに?」

「今後私を訓練に巻き込もうとしないでください」

 

 ハルトマンは胸を撫で下ろした。もっとすごいことを要求されると思っていたと言わんばかりの態度だった。

 

「じゃあもう私をトゥルーデに売らないでよ」

「それは保証できかねます」

「えー、でもわかった……あの事は絶対誰にも言わないから」

「ありがとうございます。それではおやすみなさい」

「うん、おやすみー」

 

 ベッドに戻った彼は手袋越しに出来たばかりの傷を眺めた。軍人になりたかった訳では無い彼にとって、その傷は理不尽の象徴とも言えるもので、故に手袋で隠して見えないようにしてきた。

 気分が落ち込みすぎる前に目を閉じ、昼間の訓練も相まってバッヘムは驚くほどすんなりと眠った。

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