最果ての航路 作:ばるむんく
霧の中で始まった鉄血とロイヤルの衝突は、既に小競り合いでは済まない程の規模になっていた。鉄血のリーダーであるビスマルクが率いる艦隊と、ロイヤルの戦艦を象徴するとも言えるフッドが率いる艦隊の衝突ともなれば誰もが小競り合いとは呼ばないだろう。
ハンターの魚雷を避けた後に、フッドの弾幕に視線を誘導させてから放たれたハーディの魚雷によって、ライプツィヒとプリンツ・オイゲンが中破させられて始まった海戦は、鉄血が不利な状況のまま戦闘は硬直していた。ハーディの魚雷以外に決定打になる攻撃もできず、互いに弾薬を消費するだけの状態となっている戦況を打開しようとフッドもビスマルクも動こうとするが、どちらもそれを許さない程の実力を持っていた。
「……霧さえ晴れてしまえば」
「霧が晴れる前に片付けなければ……」
戦況を膠着させている原因の霧に意識を向けながら、フッドとビスマルクは少しでもダメージを受けないように立ち回っていた。アーク・ロイヤルとフォーミダブルが後方で控えているロイヤルは、霧が晴れてしまえば一転して制空権を奪って戦局を一気に覆すことができる。旗艦として仲間の状態を把握しているビスマルクは、霧が晴れてしまえば、圧倒的不利な状況の中撤退することになるのは見え切っていた。かと言って、霧が晴れる前にロイヤルを撃退できる程有利な状況でもなかった。
「このまま撤退もあり得るわね……」
「姉さん!」
「っ!?」
フッドに意識を集中して戦っていたビスマルクは、背後から超至近距離まで近づいていたハーディに気が付かなかった。霧に紛れてビスマルクの背後から忍び寄っていたハーディに、一番早く気が付いたのはティルピッツだった。呼ばれる声に反応して振り向いたビスマルクの視線の先には、既に魚雷を発射体勢のままビスマルクを沈めようと貪欲に急所を狙っているハーディがいた。
「余所見ですか?」
「しまっ──」
「──もう遅いです」
ハーディに対して反応しようとしたビスマルクに、フッドは何故か少しだけ悲しそうな顔をしながら砲塔をビスマルクへと向けていた。ビスマルクさえ倒れてしまえば敵鉄血艦隊の統率は乱れ、すぐにでも決着が付くと考えたフッドの考えを汲み取ったハーディとの挟撃は、確かに成功した。
巨大な爆発を起こして水飛沫を上げた魚雷と、戦艦による砲撃を同時に受けたビスマルクは、一瞬で大破まで追い込まれた。
「っ、主砲を放って魚雷を手前で誘爆させて被害を最小限に抑えたのですね」
確実に沈めることができると踏んでの攻撃を、寸での所で回避したビスマルクに対してフッドは舌を巻いていた。自分が同じ状況にあった時に果たして同じような芸当ができたのだろうか。そう考えるだけでビスマルクの異様な程の実力が手に取るように理解できたのだ。
「次は逃がしません!」
「ここで沈んで頂きます」
すぐさま追撃を仕掛けようとハーディとリアンダーが接近しようと加速した瞬間、二人の進行方向へと飛び込むようにプリンツ・オイゲンとティルピッツが行く手を塞いだ。鉄血の魂と言えるビスマルクを沈められる行為は、これからの鉄血の終焉を意味することだった。
「行かせないわよ」
「これ以上はやらせない!」
ハーディへと向かって行くプリンツ・オイゲンと、リアンダーを牽制しながらビスマルクを庇うように前に立つティルピッツ。必然的にフッドが狙うのはビスマルクを庇っているティルピッツだった。
「美しい姉妹愛ですが、こちらも陣営の未来の為に戦っているのです」
「ま、待ちなさい……ティルピッツ、避けて!」
「っ」
リアンダーへ牽制しながらフッドの相手をできるだけの力は、ティルピッツにはなかった。艦船として生まれてから積んだ戦闘経験の差は、残酷な程に如実に出てしまうのが艦船と言う存在だった。
フッドの砲撃を一、二発直撃した程度で沈む程ビスマルク級戦艦の装甲は生易しい物ではないが、ティルピッツは既に大きな損傷を受けていた。何せ彼女の艤装は、完全に完成している訳ではないのだから。
「ティルピッツ、逃げなさい!」
「できないわ」
「何故っ!」
「姉を見捨てる妹など、世の中に存在すると思っているの?」
グラーフ・ツェッペリンの支援に動いていたライプツィヒだったが、ビスマルクとティルピッツの状況がどんどんと悪くなっていることに気が付いて全速力でリアンダーを狙う為に艤装を動かすが、それを上手くハーディが牽制していた。プリンツ・オイゲンの主砲が直撃すれば一撃で大破するかもしれない程の装甲しかもっていないはずのハーディだが、そんなことは関係ないと言わんばかりの砲撃の嵐に、プリンツ・オイゲンも手を焼いていた。
「霧も晴れてきましたわ。そろそろ終わりにしましょう」
「ソードフィッシュ!」
「幕引きよ!」
徐々に晴れていた霧の向こう側、フッドの背後からソードフィッシュとフェアリーアルバコアが立て続けに霧を突き抜けて現れた姿を見て、ビスマルクはこの戦いの完全敗北を悟った。
「全艦撤退よ! 私は置いて行きなさい!」
「ビスマルクっ!? できる訳ないわ!」
「撤退だ。ビスマルクよ、良き破滅を願うぞ」
戦場の艦船全てに届く様な声で叫んだビスマルクの言葉に、一番最初に噛みつこうとしたプリンツ・オイゲンの肩を掴んだのは、グラーフ・ツェッペリンだった。いつの間にか背後まで移動していたグラーフ・ツェッペリンに驚きながら、ビスマルクを見捨てる判断を一瞬で下した相手に、プリンツ・オイゲンは最大の怒りを込めて睨みつけた。
「見捨てられる訳ないじゃない!」
「そうか。ならば卿もここで死ぬか?」
グラーフ・ツェッペリンの口から出た言葉至極簡単なことだった。ビスマルクを助ける為に自分も一緒に死ぬか、ビスマルクの想いを汲み取って自分達が生き残るか。どちらかしか選択できないという簡潔な言葉に、プリンツ・オイゲンは唇を噛んで下を向いていた。
「ハンター!」
隙のできたプリンツ・オイゲンに攻撃しようとしたハーディは、ふとグラーフ・ツェッペリンと戦っていたハンターへと視線を向けると、そこには今にも沈みそうな状態で倒れ伏しているハンターが浮いていた。
「しっかりして!」
「……う」
「ほう、まだ息があったか。卿にはいい形で終焉を迎えさせてやれたと思っていたが」
フッドは全く損傷を受けずにハンターを下したグラーフ・ツェッペリンを見て、今はできなくともいずれ必ず沈めなければならないことを悟った。
襲い掛かるソードフィッシュとフェアリーアルバコアに対空砲を向けながら、リアンダーとフッドにも主砲を向けているティルピッツの精神力に感心しながらも、フッドはビスマルクを沈める為に前進した。
「ティル、ピッツ……逃げなさい!」
「嫌よ。折角会えた姉と、また別れるなんて、お断りよ」
艤装の完成していないティルピッツにとって、対空戦は何よりも厳しい物だった。対空砲を完全に搭載している訳ではないティルピッツは、本来の性能であれば落とせたはずであるソードフィッシュやフェアリーアルバコアを落とせず、リアンダーとフッドに挟まれてどんどんと損傷を増やしていく。
「くっ……」
ティルピッツが逃げるつもりなど無いと悟ったビスマルクは、決死の力を振り絞って立ち上がった。ふらふらと今にも倒れそうな姿のまま、ビスマルクは対空砲を動かしてソードフィッシュへと狙いを定めた。
「ティルピッツ、貴女はフッドとリアンダーに意識を集中させなさい」
「……分かったわ」
既に対空砲を動かすことすらまともにできないはずのビスマルクと、対空砲を撃つことが難しいティルピッツは、背中合わせの形でロイヤル艦隊へと向き合っていた。
「ふっ……」
ビスマルクとティルピッツの抵抗する姿を見て、グラーフ・ツェッペリンは楽しそうに笑みを浮かべたままMe-155A艦上戦闘機を飛ばし始めた。霧が晴れても、ロイヤル側だけが空母から艦載機を発信できる訳ではないと言わんばかりの笑みで艦載機を発艦させたグラーフ・ツェッペリンは、そのままライプツィヒにプリンツ・オイゲンと共にハーディを何とかするように小さく指示を出した。
ロイヤルの艦載機を食い破らんとする勢いで飛び立つ灰色の艦載機の群れは、あっという間に敵艦載機群の半数を海に落とした。艦載機の動きはある程度発艦させた空母が操ることができると言えど、敵の攻撃を全て避けて空中で回転しながら機銃で敵艦載機を落とすなどと言う行為は、通常の空母ではまず不可能である。
「圧倒的な制空能力を持つ艦載機を扱ったとしても、ここまでの戦果をあげるのは単にあのグラーフ・ツェッペリンの性能故……脅威と言わざるを得ないですわ」
「余所見かしらっ」
「優雅さ故の余裕ですわ」
頭上を飛び回る艦載機の群れの動きを見つめていたフッドに対して、ティルピッツは肉薄して砲撃を放とうとするが、すぐさまリアンダーが射線上に入り込んで牽制の弾を撃ち始める。フッドと言う戦艦による必殺の一撃に全てを込める為に、リアンダーはひたすらビスマルクとティルピッツの妨害役に徹していた。
「ぐっ……」
「終わりですわね」
必死に対空警戒をしていたビスマルクだったが、すぐに海面へと膝をついた。轟沈寸前の状態で戦い続けられることなど普通の艦船では不可能である。対空警戒をできていただけ、ビスマルクは異常なのだ。
フッドがが構えた砲塔は、ビスマルクの胸へと向いていた。撃ち抜かれればその時点で轟沈することが理解できる程容赦のない標準に、ティルピッツが慌ててフッドを止めようと主砲から砲弾を発射するが、既にフッドはどんな攻撃を受けようと引き金を引くことを止めなかった。
「姉さん!」
今から散っていく命であることを理解しながら目を閉じたビスマルクの耳に、戦場へと一際大きく響いた砲撃の轟音が聞こえた。胸を貫かれた感触もなく、自分の身体に何の異変も無く生きていることを理解したビスマルクが目を開けた時、身体の一部を抉られ、鮮血を撒き散らしながら海面へと倒れる妹の姿だけが映っていた。
ビスマルクは鉄血の希望として生み出された艦船である。セイレーン大戦以前に生まれた、所謂古参の艦船であり、幾多もの戦いを生き抜いてきた歴戦の艦船である。その力は未だに鉄血のトップとして、他の艦船全ての管理を皇帝直々に任されている程である。
鉄血の為に力を使うことが全てだと考えていた彼女の人生観全てを変える出来事が起きたのは、セイレーン大戦より数年後のことだった。
よく晴れた夏空の下、ビスマルクはいつもの様に哨戒の為に海に出ていた。セイレーン大戦によって得られたセイレーンのデータに比べて、アズールレーンが失った戦力は大きすぎた。セイレーンが現れなくなり、平和となった海の支配権を求めて再び争いを起こすかもしれない兆しを見せ始めた人類にため息を吐きたい気分になりながら、ビスマルクは一人で海を哨戒していた。
「ん……これは……メンタルキューブ?」
平和となった海に別段何かの異常がある訳でもないのに哨戒させられているビスマルクだったが、その海に浮かんでいる小さな立方体に目が惹かれた。それは、艦船を生み出す為の材料であるメンタルキューブだった。機密事項として、そのメンタルキューブが何処で発見されて、どうやって人類にもたらされたかも知られていない謎の物体。驚くことに、そのメンタルキューブは人類の想いを汲み取ってセイレーンに対する力として艦船を生み出す摩訶不思議な物体だったのだ。
「何故こんなところにメンタルキューブが……」
アズールレーンが保持するメンタルキューブの数は有限であり、そこまで膨大な量ではないことを知っていたビスマルクは、何故こんなところにメンタルキューブが浮いているのかも理解できなかった。それは砂漠にあるはずのないオアシスが突然目の間に現れることと同じような現象であった。
見つけてしまったメンタルキューブをそのまま放置する訳にもいかず、ビスマルクはそのメンタルキューブをそのまま回収して自分の上司とも言える皇帝に意見を仰ごうと考えてからメンタルキューブに触れた瞬間、急に光り始めたそのメンタルキューブを放り投げた。光り始めたメンタルキューブに対して砲塔を向けながら、警戒心も全く絶やさないビスマルクは、光が収まって行く姿をずっと黙って見ていた。
光が消え、メンタルキューブがあった場所には人間サイズの何かが立っていた。更に警戒を高めたビスマルクは砲弾を装填しながら静かに一歩一歩近づいた。
「ん……」
「……てぃ、ティル、ピッツ?」
光の中から現れた人影を見て、ビスマルクは動揺のあまり声を上擦らせていた。艦船として生まれたティルピッツ等今まで見たことが無いビスマルクだったが、その姿を見た瞬間にその艦船は自分の妹だと本能が叫んでいた。姉妹艦を本能で見分けることができる謎の感覚などビスマルクにはどうでもよく、ただただ彼女にとって最愛の妹であるティルピッツを発見できたことだけが全てだった。急いでティルピッツへと近づくビスマルクに、ティルピッツは視線を向けてからその存在を認識した。
「姉さん?」
「……取り敢えず母港まで帰りましょう」
何故ティルピッツが目の前で生まれたのか、何故メンタルキューブが誰にも発見されずに海に浮かんでいたのか、今のビスマルクにはどちらもどうでもいいいことだった。今のビスマルクにとって重要なことは、ティルピッツが艦船として自分の目の前にいるということだけだった。
「オイゲン、聞こえるかしらオイゲン」
『はいはい。何か用かしら』
哨戒中の艦船から何かしらの連絡が来るなど全く予想もしていなかったプリンツ・オイゲンは、欠伸をしながら適当に無線に出た。
「哨戒中にメンタルキューブが海に漂っていて、それに触れたらティルピッツが現れたわ」
『…………白昼夢でも聞かされているの?』
「いいから。今から戻るから、色々と準備をお願いするわ」
『取り敢えず、帰って来ないと何も理解できないわ』
メンタルキューブが海を漂っているという時点で全く信じることもできないプリンツ・オイゲンは、ビスマルクの言葉を適当に聞き流しながらもビスマルクの帰還を待つことにした。
数十分後にティルピッツを連れて母港へと戻ってきたビスマルクを見て、出迎えのプリンツ・オイゲンとZ23は唖然としていた。まさか本当にティルピッツを連れて帰ってくるとは全く思っていなかった二人は、困惑しながらも艤装を開発する為に技術開発部門へと連絡を始めた。
「ようこそ、ティルピッツ。私達の母港へ」
ビスマルクが生まれて初めて心の底から笑顔になれた日のことだった。
ビスマルクの脳が目の前の現実を理解することを拒んでいた。
──この顔に付着した赤い液体は何だ。
倒れ行くティルピッツの左の脇腹が本来ある部分から、フッドが砲塔から煙を発している姿がビスマルクには見えていた。
──何処までも碧い海を赤く染めていくこれは何だ。
水面に倒れたままどんどん沈んでいくティルピッツの身体に手を伸ばそうとして、ビスマルクは身体の痛みから前に進めずに同じように前のめりに倒れた。
──オイゲンが涙を流して何かを叫んでいる。ライプツィヒが驚愕したまま動けなくなっている。ツェッペリンが目を閉じて何かを呟いている。
絶望と言う感情がビスマルクを覆っていく中、彼女の視界に影が映り込んだ。人型をしていて、戦艦級の艤装を纏っているスカートの女性。
「……かつての戦友、ビスマルク。貴女個人に恨みはありませんが、これで終幕です」
心底悲しそうな顔をしながらも、フッドは倒れ伏したビスマルクの前までやってきて砲塔を向けていた。艦船同士が争わなければならなくなった世の犠牲者となるビスマルクに、フッドは心を痛め、本当は手を差し伸べたい気持ちをロイヤルで待つ仲間達の為に堪えて砲塔を向けていた。
──フッドが悲しそうな顔をしながら、こちらを狙っている。フッドの服に付着している血は……誰の血?
しかし、その行為はビスマルクの中にあるナニカを起動させてしまった。
──ティルピッツのものだ。
「ふ、ざけるな……」
「ッ!?」
地獄の底から聞こえてきそうな程冷たく、殺気の籠った声を発したビスマルクに戦場の全員が固まった。近くで聞いていたフッドとリアンダーも、後から追い付いてきたアーク・ロイヤルとフォーミダブルも、遠くで見ていたハーディも、仲間であるはずの鉄血の艦船も。誰もがその声に一瞬怯んだ。
──ニクイカ?
動けないはずのビスマルクは、身体からドス黒いオーラを放ちながらゆっくりと何かに引っ張られるように立ち上がった。全身から金属が軋むような音を発しながら立ち上がったビスマルクは、既にビスマルクではなかった。
──ナラバコロセ。
「フザけるナ!」
ビスマルクがフッドに向かって腕を振った瞬間、周囲を飛んでいた艦載機が暴風に煽られてコントロールを失い、ビスマルクを中心に大きな波ができる程の力を見せた。
「この力は、一体──」
「──フッドっ!」
風圧によって吹き飛ばされたフッドは、すぐさま態勢を整えてビスマルクが立っていた場所へと視線を向けようとした瞬間、アーク・ロイヤルの焦った声と同時に全身が砕けるかの様な衝撃を感じて宙を舞っていた。辛うじてフッドの視界に映ったのは、赤黒いオーラを全身から迸らせているビスマルクの、破壊されて使えなくなっていたはずの主砲から砲撃した後の煙が立ち昇っている光景だけだった。
「おまえ、タチが……ティルピッツを……テッけツをッ!」
誰も状況が理解できていない中、ビスマルクは一人荒れ狂う嵐のように感情を昂らせていた。
最早ビスマルクを止めることができる者は、この戦場にはいなかった。