最果ての航路 作:ばるむんく
ビスマルクは全身が悲鳴を上げているのを無視して皇帝の前へ首を垂れていた。本人にも理解できない力を使ったビスマルクの身体は、代償として本来ならば数日は寝たきりになっていないと動けない程の苦痛を感じていた。それでもビスマルクが身体に鞭打って皇帝の前に現れた理由は、簡潔に言えば命令違反を犯したからだった。
「此度の命令違反、どう責任を取るつもりだ」
「……私からは何も」
「ふん、道具如きが……一度目だ。今回は見逃してやる」
皇帝からもたらされた言葉は、単純な罵倒だった。ロイヤルの艦船を一人も沈められず、逆にティルピッツが沈められかけて撤退してくるなど、ただの敗走と変わらず、尚且つ皇帝の命令である命に代えてもロイヤルを撃滅しろと言う命令に逆らった形でもある。
「下がれ、今の貴様に用など無い」
「……」
明らかに見下したような言葉と共に冷たい視線を向けられたビスマルクは、表情を一つも変えずに冷え切った心で状況を客観的に観察していた。何にせよ命令に違反した自分が悪いと思いながらも、具体的なことも言わずに敵を撃滅しろと言われてできる艦船などいるはずがないとも心で感じ取っていた。
廊下に出てから、全身の痛みに顔を歪めながら覚束ない足取りで歩くビスマルクは、いつの間にか皇帝に対して憎悪にも似た感情を持っていることに気が付いた。
「あの時から、やはり何か変だ……ぐっ」
「……大丈夫か?」
自分のことなど二の次だと言わんばかりに、ティルピッツが眠っている病室まで歩こうとしたビスマルクはすぐに何も無い所で足を絡ませて前のめりに倒れそうになったところをいつの間にか現れた艦船に抱き留められた。
「フィーゼ……ありがとう」
「問題ない。だが、あなたは無事ではなさそうだ」
ビスマルクが顔をあげると、無表情の中に確かな心配さを滲ませているZ46の顔が目の前にあった。自分がZ46によって抱き留められていることに気が付いたビスマルクは、礼を言ってから立ち上がろうとしてZ46にそのまま抱きしめられた。
「心配することはない。私とて艦船であり、あなた一人を病室に運ぶ程度造作もない」
「そ、そういう心配はしていないわ」
急にZ46の小さな身体で抱き上げられたビスマルクは、全身の痛みで思うように抵抗もできずにそのまま連れていかれた。
結局そのまま持ち運ばれたビスマルクは、軍医にその姿を見られてしこたま説教された。ただでさえ意識があるのが謎な程の傷を負っているはずなのに、いきなり病室から消えていた時には本気で焦ったらしくZ46にも捜索を頼んでいたらしい。
「迷惑をかけたわね」
「気にすることは無い。あなたは鉄血の艦船が求める指揮者であるが故、私はそれを助ける必要性がある」
「……ティルピッツはどうなのかしら?」
「あまり良いとは言えません」
本当はティルピッツの元へと行こうとしていたビスマルクだが、Z46に連行された為に自分自身も病室から動けなくなってしまっていた。妹の身が心配で仕方が無いビスマルクは、点滴の用意をしている軍医に問いかけると、扉から入ってきた女性が代わりに答えた。
「ケルン……どういうことかしら」
「生命活動に支障をきたす程の傷です」
「っ……助かるに決まっているわ」
「そうだと、いいのですが……」
何かしらの書類を手に病室に入ってきたケルンの言葉に、ビスマルクは目に見えて動揺していた。その動揺が何を表しているのかがまだ理解できないZ46は、ただティルピッツが死にかけているという事実しか認識できなかった。
「フィーゼさん、ツェッペリンさんが表で待っていましたよ」
「そうか。感謝する」
ケルンの言葉に素直に答えたZ46はそのまま病室を無表情のまま出ていった。駆逐艦の中でも飛び抜けた実力を持っているZ46は、感情が上手く理解できないという欠点を持っている為にケルンが何を思ってツェッペリンのことを伝えたのかを理解できていなかった。
「艤装も修復不可能な状態で、上に新たな艤装の開発を申請していますが……通るとは思えません」
「……鉄血にはその余力も無い」
「はい。そして、ティルピッツさんが助かると決まっていない状態では艤装を作ることができない、と」
悔しそうに震える声で非常な人間の選択を告げるケルンの言葉を聞いて、ビスマルクは心の内に自分をも焼きかねない黒い炎が燃え広がるのを自覚した。そして、この黒い炎の正体が人間に対するあらゆる負の感情を纏めたドス黒い『ナニカ』であることを、ビスマルクは感じ取っていた。
一度目の命令違反は、ビスマルクが初めて皇帝の命令に対して明確な反逆を見せた。二度目の命令違反も世界会議場にてロイヤル艦隊を撃滅しろとの命令を無視して撤退したことである。
「……ティルピッツの足は治るのかしら?」
「さぁ? 何で今私に聞いたのよ」
「流れよ。艤装は修復しているのでしょう?」
「修復と言うか新しく作り直しただけよ」
ティルピッツは一命を取り留めたものの、フッドの砲撃をビスマルクから庇った時の傷が大きく、そして何よりも艤装が完成していない状態で大きな傷を負ったことが一番ティルピッツを苦しめていた。単純に言ってしまえば、本来が艤装が吸収するはずのダメージをティルピッツは身体で受けたことになる。普通の艦船ならば後遺症も無く動けただろうが、艤装が完成していなかったティルピッツには致命傷となった。
「本人はいつでも海に出る気満々って感じなんだけどね」
「……貴女、会ったのね」
「そうよ? ティルピッツだって日常生活には支障をきたしていないのだから、会うぐらいはいいでしょう?」
姉であるビスマルクが会えていないのにもかからわらず、自分だけが会っていると公言するプリンツ・オイゲンにビスマルクはため息を吐いてから外をへと視線を向けた。
「貴女も傷は癒しておきなさい」
「あら? またすぐ戦闘でもするのかしら?」
「いえ。けど……彼が動くわ」
「……神代恭介、ねぇ」
あの日以来、ビスマルクはもう人間を信用できていない。正確に言うのならば、あの力を使って以来人間の黒い部分を見るたびに抑えきれない憎悪の炎が心の内で燃え上がっていた。それだけ、ビスマルクにとってティルピッツを一件は大きな問題だった。
「動くって言ってもどうするつもりよ」
「いえ、動くのは神代恭介ではなくエンタープライズよ。そして、彼女が動くのならば必ず彼も動く……それがいい方向か悪い方向かは分からないけれど」
「……」
ユニオンの英雄であるエンタープライズが動き出す。言葉だけを聞けば、ユニオン大統領の意思に応じて敵を撃滅する為に動き出すとも考えられるが、世界会議の場で出会ったエンタープライズの姿は、過去にプリンツ・オイゲンが見た機械的な英雄からはかけ離れていた。
「ごめんなさい。ビスマルク」
神代恭介とエンタープライズを中心として動き始める事態の先を予測して、プリンツ・オイゲンはその時が訪れたのならば真っ先に鉄血を裏切ると自分でも理解できていた。それが、友であるティルピッツと交わしたビスマルクも知らないプリンツ・オイゲンの約束であり、秘密でもあった。
「……チッ」
恭介は、自らの手の中にある水色の勾玉を見て舌打ちをしてからその勾玉を机に向かって放り投げた。金属の様な甲高い音を立てながら机の上を転がる勾玉に見向きもせずに、恭介は布団に横になっていた。
『その作られた存在である艦船が望んだのは自分達を率いる正しく、そして強くある人間。艦船の想いを汲み取ったメンタルキューブによって生み出された艦船にとって極端に都合のいい存在……それが貴方よ』
脳裏に浮かぶオブザーバーの心底嬉しそうな顔と言葉は、人間として接されてきた彼にとっては今まで築き上げてきた物全てを崩す程の衝撃を与えた。
「ほう、案外荒れておらぬな」
失意と絶望に打ちひしがれながらも天井を見上げて、自分の頭を必死に整理しようとしている恭介の部屋にノックも無しに突然入室してきた者に対して、恭介は刹那の瞬間で枕元に置いてあったハンドガンのセーフティを外して入り口へと向けた。
「何があった? 話してみよ」
「……三笠、さん」
暗がりになっている扉の前から恭介の方へと歩いてきた人影の正体を見て、恭介はゆっくり息を吐きながらセーフティをかけてから先ほどの勾玉と同じように机に向かって放り投げ、再び布団に倒れこんだ。
「何も」
「そうか? お主がそうしておる時は基本的に何かあった時だった気がするが」
何故かとても安らかな笑みを浮かべながら恭介の近くまでやってきた三笠は、布団の横に正座していた。頭を撫でようと伸びてきた三笠の手を払って、恭介はそのまま三笠とは反対方向へと顔を向けた。
「…………貴女は知っていたんですか?」
「何を」
「俺が人間では無いことですよ」
「うむ」
誰かが知っているはずだった。そうでなければ重桜の重要人物に等なっていなければ、今頃何処かで野垂死にしていたに違いない。そう思っての三笠への直球とも言える質問だったが、三笠はあっさりと頷いた。
「何を驚いておる。お主を母親の様に接して育てたのは我だ」
「そうですが……」
三笠の母親と言う言葉を聞いて、恭介は深いため息を吐いた。
「メンタルキューブが消えたのは数年前だ」
「……何の話ですか?」
「お主は人間だ。
「人間では無くなった?」
まるで人間から何かに変わってしまったかのような三笠の言葉に反応した恭介は、すぐに起き上がって三笠の目を見た。まるで母親が子供に何かを諭すかの様に優しい瞳をした三笠に、一瞬怯んだ恭介は視線を逸らした。
「何故お主がメンタルキューブに選ばれたのか。それは我にも分らぬし、誰にも分らぬことではあるだろうが、それでもお主は人間として生まれた」
「……言い切れるんですか?」
「勿論。何せお主の父親は我の指揮官だった男だからな」
「は?」
さっきから初めて聞いたようなことばかりをポンポンと口から出す三笠に、恭介はなんと反応すればいいのかもわからずに動揺していた。そもそも重桜に艦船を従えられる指揮官が他にもいた、という事実は軍事機密とも言えるのではないだろうかと思いながらも、恭介は自分も軍人であることなど忘れて困惑していた。
「うむ。セイレーン大戦よりも前に病で死去してしまったが、立派な指揮官であった」
「……俺の身体に何が起きたのか、詳しく聞かせてください」
「……うむ。いずれは知ることではある……今のお主には話さねばなるまい」
今の恭介ははっきりと言ってしまえば、艦船を指揮して戦える状態ではなかった。精神状態は誰が見ても乱調もいい所であり、こんな状態の指揮官の指揮の元で戦って無事でいられる程今の世界情勢は芳しくなかった。
「そもそもお主が生まれる前、既にその時にはセイレーンはこの海を侵略していた」
セイレーンの侵略は少なくとも三十年以上前とされている。されている、という曖昧な表現でしか表せないのは、単純にその時に前線で戦っていた人間達は全員死亡し、それを記録できない程に文明レベルがセイレーンの侵略によって退化していた。人々は海を失い、文明を退化させ、しぶとく生き残っているに過ぎない。
「お主は指揮官の父親と、一般的な女性の間に生まれた。生まれに関しては、父親が指揮官であったと言うこと以外には特に何もない。と、言っても指揮官だったと判明するのはそれから数年後だが」
「何故?」
「単純に、その時期には艦船が存在しなかったからと言える」
セイレーンが海を支配し始めてから、数年間の間に世界中で多くの犠牲者が出た。それこそ世界人口が数年で半部になったのではないかと現代の学者が考える程である。人間の科学を遥かに上回る力を持っていたセイレーンは、瞬く間に世界中の海を支配して、沿岸都市を中心に空母による爆撃や戦艦による砲撃で地獄とした。
「そんな時、各陣営に匿名の人物からある物が届けられた」
「ある物……メンタルキューブ、か」
「あれは表向き四大陣営が協力して開発した物となっているが、実際は匿名で届けられた物である」
恭介はメンタルキューブの出所がセイレーンであることを知っているが、三笠の瞳もまたメンタルキューブの秘密を知りながらもわざと話していなかった。恭介が知っているかは否かは関係なく、三笠にとっては話すに値しないことのようだった。
「そのメンタルキューブから生まれたのが第一世代の艦船……つまり我だ」
「第一、世代」
「うむ。北連で言うアヴローラやパーミャチ・メルクーリヤがそうだ」
第一世代と言われる艦船が存在することは、当然恭介も知っていた。重桜の中枢に存在するとも言える恭介は、それなりの量の情報を持っているが、それでも第一世代の艦船が何を成したのかは明確に書かれている資料が残っていなかった。
「第一世代はセイレーンに対して艦船の攻撃が有効であるという証明を成した」
「セイレーンは、無敵ではない」
「そう言って多くの艦船が海の底へと消えていったがな」
恭介の零した言葉は、第一世代の艦船が現れた時に当時の軍人達が自分達を鼓舞する為に放った言葉だった。当時の戦闘を思い出したのか、三笠はその言葉に苦笑しながらもどこか悲しさを潜ませる瞳をしていた。
「それで、第一世代と第二世代を明確に分ける物はなんだ」
「セイレーン大戦に参加したか、否か。正確には参加できたか、否かだ」
「参加できたか?」
「何しろ第一世代の艦船がセイレーンに対して有効であると示したはいいものの、第一世代の装備は旧式であるからな」
何故か初めのメンタルキューブからは第一世代の艦船が生まれず、その力は日に日に強く数を増していくセイレーン相手には旧式では勝てなくなっていた。
「世界中の陣営が手を組もうと言い始め、初めてアズールレーンが生まれた。そうさせることが目的だったかの様に、アズールレーンを結成した直後に第二世代の艦船が生まれ始めた」
「そしてアズールレーンは快進撃を繰り返して、遂にはセイレーン上位個体であるテスターを撃破して一旦の平和を取り戻した、か?」
誰もが知っている話である、基本的な事実を話す三笠を訝しみながらも恭介は頷きながらもその話を聞いていた。
「うむ……恭介、お主に関する話はこれからだ」
「……俺が貴女に拾われた時、既に重桜と鉄血の経済は困窮し、疲弊しきっていた」
「ついでに言えば記憶も無かった、それがお主が気にしていることだな」
「メンタルキューブが消えたことと、何が関係あるんですか?」
話の核心とも言えることに触れようとした恭介は、三笠が少しだけ心配そうにしている姿が気にかかった。
「お主は、世界中にあったメンタルキューブに集まった艦船達の意思を体現する為に、メンタルキューブ全てを取り込んだ」
「……は?」
「言葉通りだ。勿論自分からでは無く、メンタルキューブからだが」
世界中に存在していたメンタルキューブを自分が取り込んだと言われて、理解できる人間などいるのだろうか。決して豊富にあるとは言えないメンタルキューブだが、世界中の全てと言ってしまえば途方もない数になるのは当然だった。それを全て取り込んだ存在、それが彼なのだと言う。
「実を言うと、何故そんなことが起きたのかは我にも理解できぬし、一生解明できるとも思わん」
「で、では神木に選ばれたと言う話は──」
「──長門が望んだことだ」
「ッ!?」
自分と同じ境遇の者が欲しいと切に願った長門は、無意識のうちにメンタルキューブへとその願いを聞かせていた。世界中のメンタルキューブから意思を汲み取った彼は、まさしく艦船一人一人に対して最高のパートナーとなれる存在である。
「つまり、世界中の艦船がそう望んだから……俺はこうなっている、と?」
「残酷な話だがそうだ。お主は平凡な人間だったが、その有り様を大きく歪ませてしまった」
戦場で誰よりも強く冷静でいられるのはそう望んだ艦船がいるからであり、彼が指揮する戦いで犠牲者が出ないのはそう望んだ艦船がいるからであり、彼が未来を見るような正確さを持って常勝無敗であるのは、そう望んだ艦船がいるからだ。
「……俺は、艦船の操り人形か」
告げられた真実は、恭介が予想していた物よりも遥かに残酷なことだった。元が人間であったと言う言葉が余計に彼の心に重くのしかかり、艦船が望んだからそうあるという自分の生き方にすら虚脱感があった。
「だが、お主に自由でいて欲しいと望む艦船がいる」
拳を握りこんでこの世の非情さに憎しみすら感じ始めていた恭介の耳に、三笠の声が入り込んだ。自由でいて欲しいと望むと言われ、不思議と恭介の頭に瑞鶴の姿が思い浮かんだ。
「お主と共に生きていきたいと望む艦船がいる。お主に希望を見出している艦船がいる」
三笠の続く言葉に、エンタープライズ、ビスマルクの姿が思い浮かんだ。それが恭介の中にあるはずのメンタルキューブがもたらす情報なのか、単純に彼自身が想像できる程彼女らについて深く関わっていたのか誰にも理解できないが、彼にとってはどうでもいいことだった。
「お主はどうしたい?」
「……俺は、この戦争を止めたい。鉄血もユニオンもロイヤルも、東煌も北連もサディアもヴィシアもアイリスも」
迷子の子供に手を差し伸べるように言葉を続ける三笠に、恭介はまだ戸惑いながらも三笠と視線を交わして差し伸べられた手を取った。
「俺が全て救ってみせます」
「できるのか?」
「まだ迷いはあるけど……力を貸してくれる奴は沢山いる。少しでも前に進めるのなら、俺はそいつらと前に進みたい。まだ人類に絶望するには、早すぎる」
親離れをする子供を見るような瞳で、三笠は彼を見ていた。
(貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない!)