最果ての航路 作:ばるむんく
「ユニオンも重桜も動かないな……」
眼鏡をかけた恭介は、新聞を片手に持ちながら膠着状態になっている戦線を確認していた。重桜南西海域に位置する新生アズールレーンの基地には、現在二十五隻の艦船が所属している。本来は二十七隻の艦船が所属しているのだが、飛鷹と隼鷹は現在も重桜に残って動いている。
「失礼する」
「エンタープライズか……どうした?」
「いや、資源回収部隊が帰ってきたことの報告だ」
「もうそんな時間か……ありがとう」
廃棄されていた基地を修理して使い始めた母港だが、何処からか現れた黄色く小さな生物によってあっという間に改造されていき、そこらの軍事母港よりも立派な姿になっている。新生アズールレーンの指揮官になったからには重桜の軍服を着る訳にもいかず、私服のまま執務室で新聞を読んでいた恭介は、エンタープライズに礼を言ってから入室してきた綾波に向き合った。
「問題なく燃料も回収できたのです。セイレーンが現れる兆候も見られないです」
「そうか……もう少し現れるかと思ったが、そうでもなかったな」
「じゃあ報告を終えたので、綾波は寝るです」
「お疲れ様、休眠はしっかりな」
現在基地として使っている島の周辺には、セイレーンの量産型艦が多数動き回っている海域が存在したが、基地周辺の安全を確保する為に一掃し、油田などを確保していた。それ以来湧いて出てくるはずのセイレーンが現れないことに全員が不思議がっていたものの、空白期間となった今は、個々人の部屋で自由に過ごしている。
「それにしても……もう三ヶ月経ったが、世界は膠着状態だな」
「慎重にもなるだろう。重桜は実質的なトップが二人抜け、ユニオンだってお前が抜けた。鉄血だってティルピッツの件で色々と躍起になっているはずだしな」
「それにつられてロイヤルも、か」
世界中で艦船の一部が行方不明にもなれば大騒ぎになるだろうことは明白だった。情報統制によって表立って騒がれてはいないが、特に重要人物が抜けたユニオンと重桜は対応に追われていることだろう。
「貴方様、紅茶はいかがですか?」
「貰おう」
「……初めに動くのは、何処だと思う?」
「どうだろうな……正直、予想しきれない状態にはあると思う。ユニオンはロイヤルに全面協力して鉄血を撃つ、と一度言ってしまった以上退くことはできないだろう。エンタープライズがいなくなったから、では世論が納得しない。同様に、重桜は今まで俺か長門の神子としての力を頼りに戦ってきた以上、不用意に戦闘繰り返すこともできない。東煌も目を光らせているだろうしな」
横から現れたニューカッスルは、恭介が新聞を折り畳んだ姿を見て紅茶を淹れた。しれっと執務室で専属メイドのようになっているニューカッスルを見ながら、エンタープライズは恭介の意見を聞きたがった。
「鉄血はビスマルクが民を優先する以上大きな戦闘は起き辛く、皇帝の支持率も落ち始めていると聞く。ロイヤルはそもそもクイーン・エリザベスを中心とする女王派、ロイヤル首相を中心とする民衆派、ロイヤル海軍元帥を中心とする軍務派にわかれ一枚岩になりきれずにいる。総じてどこも動けない状況が、今の空白期間の正体だろうさ」
「……他の陣営はどうなんだ?」
新聞やビスマルクとクイーン・エリザベスから定期的にもたらされる情報によって、世界中の情報を収集している恭介の言葉には、エンタープライズも頷くことしかできない。四大陣営全てが動けない状況が続いているのであれば、戦争が一旦止まるのもうなずける話ではあった。だが、世界に存在するのは四大陣営だけではない。
「そうだな……東煌はさっきも言ったが重桜に目を光らせている。国が近いってのもあるが、東煌だけの艦船では重桜に対抗しきれないからだ。サディアは逆に自らの目先である地中海に注力している節があるから、しばらくはセイレーンとの戦いにかかりきりだろう」
「成程……」
「貴方様、ヴィシア聖座と自由アイリス教国はどうでしょう」
「アイリスはロイヤルに亡命している負い目がある故に、ロイヤルが動けるようにならないと動けないのは確実だ。そうなってくると特に縛りの無いヴィシア聖座が一番動きやすそうではあるな」
多くを語ってから紅茶に口を付けた恭介を見ながら、エンタープライズは北連の存在を思い出した。前にプリンツ・オイゲンが動き出したと恭介に語っていた陣営ではあるが、エンタープライズも詳細を知らされていない。
「北方連合はどうなっているんだ?」
「あー……あそこはダメだ」
「ダメ?」
エンタープライズの言葉に一瞬考えるような動きを見せてから、恭介は頭をかいた。彼の言う「ダメ」と言うのがどういう意味か分からないエンタープライズは、目を細めながら恭介の瞳を見た。万が一でも彼が何かを隠しているとは考えていないが、それでも急にダメと言われてしまえば気になってしまうのが知的生命体の性である。
「ダメって言うのは、情報が全く入ってこないってことだ」
「全く? だがオイゲンは何かを掴んだんじゃないのか?」
「いや、北連がオイゲンの言う通り動き出したのは本当なんだが、全く裏が取れない。その陣営が現状では一番怪しいな」
思ったよりも重要なことを軽く言う恭介に呆れながらも、エンタープライズは世界会議でも艦船を一人しか連れていなかったのを思い出した。他の陣営が少なくとも二人は艦船を連れていたにもかかわらず、北連だけは何かを隠すように一人だけ、しかも第一世代と呼ばれる旧型の艦船を連れていた。
「北連に関しては何も言えない。そうなってくると有力候補はヴィシアなんだが……正直、手を先に出すのはロイヤルだと思ってる」
「ロイヤルが?」
恭介の言葉に反応したのは、開けっ放しになっていた扉から入室してきたフッドだった。執務室の扉を開けっ放しにしている時にこんな話をしていると思っていなかったフッドは、面食らった表情のまま入室して丁寧に扉を閉めた。
「ロイヤルが、何故ヴィシア聖座に攻撃をするとお考えなのか、聞かせていただけないでしょうか」
「……あまり気分のいい話じゃないけどな」
ニューカッスルの方へも視線を一度向けてから、恭介は息を吐いた。ヴィシア聖座とロイヤルの確執は、ロイヤル艦船が聞いてもあまり気分がいい話とは言えない。
「ロイヤルがヴィシアに攻撃する理由は……端的に言えば防衛の為だ」
「防衛? 鉄血に降伏したはずのヴィシアを攻撃することが何故……」
「鉄血に降伏したって部分が問題なんだ。ロイヤルの地理的に、海戦で最大の敵になるのが鉄血だが、鉄血は艦船の絶対数が少ない。ヴィシアもそれは同じだが……降伏したまま残っている艦船が国内にはいる。その戦力が鉄血に吸収されるのを、ロイヤルは恐れている」
鉄血潜水艦隊による通商破壊でそれなりの被害を受けているロイヤルは、これ以上鉄血に戦力が集中することを恐れていた。護教騎士団を束ねるリシュリューを中心に何隻かロイヤルに亡命しているとはいえ、リシュリューの妹である戦艦ジャン・バールやダンケルクなどの強力な艦船がまだヴィシアには残存している。海上戦力の乏しい鉄血は是が非でもヴィシア艦船を手中に収めたいだろうことは少し考えれば誰でも理解出来る。
「……ヴィシアに降伏勧告をしても鉄血との休戦を解消されることは目に見え、降伏しなければロイヤルは吸収される前にヴィシアを叩く、と?」
「そうなるだろうな。最悪の場合は……ヴィシア艦船全員が自沈する可能性もある」
「止める方法はないのか?」
フッドと恭介の言葉に、エンタープライズは焦った表情のまま恭介に目を向けた。新生アズールレーンとして、艦船と人を繋げて世界をセイレーンの脅威から遠ざける為には、ロイヤルとヴィシア聖座に今正面から衝突されるのは、今後の怨恨になる故に無視することはできなかった。
「いつ艦隊を派遣するかわからない以上、俺達から動くことは不可能だ」
「それはそうだが……このままではヴィシアが完全に敵になってしまうぞ」
ロイヤルとヴィシア聖座の争いを止めるには両者の戦闘に介入し、力尽くでも止める必要性がある。対応が後手に回らざるを得ない状況ではあるが、新生アズールレーンとしてそんな事態を見過ごせば存在意義すら危ぶまれることになる。
「落ち着け。クイーン・エリザベスからの連絡待ちでも遅くはない。ロイヤルが動き辛い状況には変わりないんだからな」
「むぅ……仕方ないか」
ようやく納得したエンタープライズに苦笑しながら、恭介はニューカッスルの淹れてくれた紅茶を飲んだ。
「全く足取りが掴めんとはな」
神子である長門、総指揮官であった神代恭介、作戦参謀として動いていた天城、穏健派のトップにいた三笠、重要人物を四人も欠いた重桜は、恭介が思っているよりも陣営内が荒れていた。長門と恭介がいなくなったのならば、一航戦がその場を取り仕切るべき時なのだが、肝心の赤城はまだ眠ったままだった。明らかに異常な程目を覚まさない赤城に期待することができないと考えた加賀は、裏切者を処断する為に討伐艦隊を即座に編成した。今や重桜の権力がほぼ全て加賀に集中していると言ってもいい現状だが、重桜政府は今も反戦争派との派閥争いで忙しいらしく、戦争関係は加賀に丸投げされている。長き間を平和で過ごしてきたツケとも言える状況に、加賀が呆れてしまうのも無理のないことだった。
討伐艦隊を編制したはいいが、神代恭介は目立った動きもせずに数ヶ月もの間潜伏している為に、足取り一つ掴めず、追跡の一つもできないことが現状だった。
「鉄血とロイヤル方面に行った、と陸奥は言っていたが……向こうから全く連絡も来ないことを見るに、ビスマルクも向こう側と考えるのが自然か」
討伐艦隊自体はそれ程大規模なものではないが、編成されている艦船は誰もがやる気に満ちている。そうなるように加賀が編成したのもそうだが、それ以上に彼女達は自分の姉妹に怒りを感じているらしい。高雄と摩耶は特にその傾向が強く、今にも飛び出していきそうな程である。
「姉上、やはりダメだったぞ」
「いやー……加賀さんの言う通りやったんやけどなぁ」
「ご苦労だったな祥鳳」
恭介が使っていた執務室で考え事をしていた加賀の元に、土佐と祥鳳が訪れた。加賀に指示されて重桜周辺海域の探索を行っていた祥鳳だが、北方面、東方面、西方面、南方面のすべてを探索したと言うのに見つけられなかったことに負い目を感じているらしく、目に見えて落ち込んでいた。
「そう落ち込むな。それだけ天城さんと指揮官の隠れ方が上手いとも言える。それに……見つからなかったならば、それはそれとして使える情報になる」
「ほんまですか? なら……良いですけど」
「ここからは私の仕事だ。祥鳳は休んでおけ」
祥鳳に休みを与えながら、地図を広げていた加賀は偵察に送り込んだ場所を赤色で塗りつぶしていた。それでも、重桜周辺の海域全てが赤色になろうと言う程の地図を見て、土佐も低く唸りながら加賀を見た。
「やはり、なにかしらの術を使って潜伏しているとしか考えられんか」
「そのなにかしらがわからない、か」
「そうだな」
赤色で塗り終わった加賀は、所々の空白地帯を見ながら肘をついた。重桜周辺海域全てを探ったと言っても、探索しきれない場所は多くある。その一つが、地図上に現れた空白地帯である聖域や鏡面海域と見られる侵入不可能な嵐の壁などである。重桜周辺海域だけでも軽く百を超えているその数に、加賀はセイレーンの影響が思ったよりも及んでいることを改めて目にして、眉をひそめた。
「土佐……鏡面海域に侵入する方法は、あると思うか?」
「……あの嵐を確実に超える方法が発見されていたら、とっくにセイレーンなど打倒していると思う」
「だろうな。だが……もしそんな力を指揮官が持っていたとしたら……」
ありもしないはずの考えが加賀の頭に思い浮かぶが、否定しきれる要素は加賀の手の中には存在しない。新生アズールレーンが嵐の壁を超える方法を持っているのだとしたら、現状の加賀達が追跡することは不可能になる。
「……なにか見落としている可能性がある」
「見落とし?」
「そうだな……重桜に残ってこちらの動きを探っている者がいる、としたらどうだ」
「それは……」
加賀の言っていることはあり得ないことではないが、それを疑い始めてしまえば、味方との連携もまともにできなくなってしまう程の懐疑心を持つことになる。それが恭介の策だと言うのならば、見つからないことも含めて全て手の平の上で転がされていることになる。
「……最悪は考えておいた方がいい。だが、今はまだその段階ではない」
加賀もそのことは理解しているので、味方へと更なる疑いの目を向けることはできない。陣営を超えた艦船を従える恭介に対し、連携の取れていない艦船の集団など有象無象にも足り得ないからだった。
「まだ情報が足りないのは事実だが、次に奴らが動くようなことは必ず起こる」
「動く様なこと?」
「正確には動かざるを得ないこと、だ」
エンタープライズの言っていた陣営間が再び手を取り合うことを目的としているのならば、やはり陣営間での戦闘に介入することは避けることができない。その情報を後から掴んでしまえば、どう動いているのかを探るのは容易いと加賀は考えていた。
「時間はかかるだろうが……必ず追い詰めて全て吐かせてやる」
重桜を裏切った恭介を許している訳ではないが、何かしらの理由があることは、加賀も一度冷静になった頭で考えた。今の重桜上層部に不甲斐なさを感じているのは加賀も同じだったのだ。
「……」
「最近は機嫌よかったのに、なんでいきなり機嫌悪くなっての? あいつ」
「
「へー」
水鏡を見ながらも全く表情の動かないオブザーバーを見て、ピュリファイアーは心底面倒くさそうな顔をしながらテスターの方へと視線を向けるが、はなからオブザーバーの機嫌になど興味もないテスターは適当なことしか言わない。
「オミッターは結局王冠に戻ったのか?」
「あっちが本業よ」
「はは、ウケる」
あれだけ騒いでいた癖に何もできずにそのまま王冠へと戻っていったオミッターに、ピュリファイアーは楽しそうに笑みを浮かべていた。
「それにしても、見事に停滞したなー」
「そうでもない。すぐに状況は動き出す……次に動き出したら、止まらないだろうな」
「でもカミシロキョウスケはよくわからないんだろ?」
「そうだな。
「めんどくさいよなぁ……人が苦労して実験だの演算だのしてんのに」
以前までは演算の内の中で特異性を見せ、未来の絞り込みができない程度だった恭介は、今では既に演算では算出できない未来を描き出す存在となりつつある。まるで自身の望むように未来を捻じ曲げるような力に、以前まではそれ程興味が無さそうだったテスターも、今では恭介の次の行動に注目している。
「…………帰還」
「コンパイラー?」
ゆっくりと歩いてきた少女の様な姿をしたセイレーンを見て、ピュリファイアーとテスターを珍しく驚愕したような顔をしていた。基本的にオブザーバーの命令に従い、姿を見せることが少ないコンパイラーに、ピュリファイアーは咄嗟にオブザーバーの方へと視線を向けた。
「お疲れ様。なにか掴めたかしら」
「……単独での世界移動は不可能」
「そう……奴らはしばらくはここにいるのね」
「コードGのことか」
「ちっ」
コンパイラーの言葉に、オブザーバーは面白くなさそうな顔をしていた。テスターは今の言葉だけで余燼と称される艦船の集団が、今もまだこの世界線の何処かにいることを理解し、ピュリファイアーは以前邪魔されたことを思い出して一人で舌打ちをしていた。
「なら、今の内に奴らの対策は講じた方がいいわ」
「
「
既に零の命令を無視して動き始めているオブザーバー達は、前回の戦いに介入し始めた時から零の干渉がないことには気が付いていた。故に、更なる人類と艦船の進化の為に、零が中層端末を起動させるだろうことを予測していた。
「テスター、ピュリファイアー、箱庭の準備をしておきなさい」
「やっとか……場所はどこがいい?」
表情を変えずに淡々と話すオブザーバーに、テスターは箱庭と言われて立ち上がった。
「バミューダよ」
「へぇ……面白そうじゃん」
興味無さそうにしていたピュリファイアーだが、バミューダと聞いて凶悪な笑みを浮かべてテスターの手から『鍵』を奪いとった。アズールレーン本部の存在するNYシティに近いバミューダ海域に箱庭を作る意味を理解していたピュリファイアーは、笑みを浮かべたまま『鍵』を片手に握り締めていた。テスターは半分呆れた様なため息吐き、コンパイラーは心底うるさそうな冷めた視線をピュリファイアーに向け、オブザーバーは変わらず無表情のまま、ピュリファイアーだけが遠足を待つ子供の様に楽しそうにしていた。
「やっと……やっと好きに暴れられるんだろっ!? 最高じゃないかよぉ! アッハハハハハハッ!」