最果ての航路 作:ばるむんく
「天城、すぐに動くぞ」
「指揮官様、その手は」
「問題ない」
「…………わかりました」
右手から血を滴らせたまま執務室へと戻ってきた恭介を見て、彼が何を思っていたのかを大体理解した天城は、静かに頷いてからヴェスタルを呼んだ。天城が今ここで、赤城の件は恭介のせいではないと言うことは簡単だが、それでは恭介の心を覆っている負の感情を消し去ることはできない。むしろ、実の姉である天城が慰めてしまえば、より強い感情となって恭介の暴走を産むことになる。
「相手は十二隻編成の大艦隊か……素直に分断する方が楽か」
「指揮官様、相手は重桜の艦船。説得も一手かと」
「……説得、か」
恭介は無自覚のまま、自分を慕ってくれていた赤城に対してあんな仕打ちをしておいて、今更加賀が話し合いに応じてくれるはずがないと考えていた。卑屈とも言える考え方ではあるが、以前から何かと意見が噛み合わないことが多かった加賀と恭介の関係を知っている天城は、確かに現実的ではないかもしれないと思っていた。特に、今の恭介に対しては加賀は怒りを覚えるだろうことは確信していた。かつて強い意志を宿していた恭介の黒い瞳は、今は吹けば飛びそうなほど儚く揺れていた。
「はいはーい。作戦会議はそこまでにして……指揮官、傷の手当てをしましょうね」
急に執務室に入ってきたヴェスタルを見て、恭介は天城の方へと視線を向けたが、帰ってきたのは有無を言わさぬ笑顔だけだった。
「指揮官、怪我をしたのか?」
「その手ですね」
「なッ、血が出てるじゃないか!」
何故かヴェスタルに付いて来ていたエンタープライズが騒いでいる横で、ヴェスタルは天城と同じように有無を言わさぬ笑顔のまま、人では到底かなわない膂力で恭介の腕を掴んでいた。
「ヴェスタル、腕折れる」
「人間の骨って結構丈夫なので簡単には折れませんよ。でも、この手はちょっと骨に罅入ってそうですね」
「ほ、本当かヴェスタル! すぐに指揮官を休ませないと」
「エンタープライズちゃんはちょーっと出ていってもらってね」
恭介の怪我を見て唐突に慌て始めたエンタープライズは、ヴェスタルの笑みを見て若干顔を青くしてから押し黙った。ユニオンにいた頃から、ヴェスタルの手当てを一番多く受けてきたエンタープライズは、すぐに今のヴェスタルがかなり怒っていることに気が付いていた。
「……天城、エンタープライズとさっきの件を進めててくれ」
「はい。指揮官様も無理をなさらずに」
このままヴェスタルを無視して進めることはできないと判断した恭介は、ため息と共に信頼している天城に託して医務室へと向かう為に立ち上がった。
「指揮官、人は艦船と違って傷つきやすいんですから……無理しないでくださいね。皆、心配してしまいますから」
「悪い。わかっていたつもりだったんだけど、わかっていなかったみたいなんだ」
執務室を出てヴェスタルの二人きりになって、恭介は自嘲するように苦笑いをしていた。自分の行為が全て正しいと思い込んでいた訳ではなくとも、心身ともに赤城のことを深く傷つけていた現実を直視して、恭介は新生アズールレーンの指揮官となってから一番落ち込んでいた。
恭介が苦笑したまま俯いている姿を見たヴェスタルは、かつて戦闘しか存在意義がなかったエンタープライズの姿を重ねていた。英雄と呼ばれながらも決定的な勝利をユニオンにもたらすことができず、一人で魘されていたかつてのエンタープライズと同じように、恭介は今指揮官と言う立場に押し潰されそうになっていた。
「ふふ……手当てのついでに、カウンセリングもしてあげますよ」
「助かる、って言えばいいのかな」
気をつかってくれていることを理解した恭介は、苦笑を浮かべたままヴェスタルの提案を受け入れて諸々全てを吐きだしてしまおうと思った。
医務室に辿り着いた恭介は、すぐに椅子に座らされると手早く右手の傷の手当てをされた。さっきまで感じてもいなかった痛みを感じて、涙目でヴェスタルの方へと視線を向ければ、無茶をするから悪いのだと微笑まれて恭介も黙り込んだ。
「はい。手当て終わりです」
「ありがとう……手際がいいな」
「昔はエンタープライズちゃんもよく似た怪我をすることが多かったですから」
演習に力を入れすぎて怪我をすることが多いことは、以前本人からも聞いたので恭介も知っていたが、まさか鉄柵を思い切り殴った時と同じような怪我をするほどまでとは知らなかったので、渇いた笑みだけが口から出ていた。
「それで……どうしたんですか?」
「あー……すごい面倒くさい話になるぞ?」
「いいですよ。カウンセリングですから」
まさしく聖母の様に笑うヴェスタルに苦笑しながら、恭介は今まで自分がやってきたことを頭の中で整理しながら口にした。
今まで惰性で生きてきた中、エンタープライズと瑞鶴のおかげ立ち直れたこと。ビスマルクやクイーン・エリザベスから向けられた期待に応えたいと思って、新生アズールレーンを今まで引っ張り、その行いが艦船達にとっても人間にとっても正しい道であると信じていたこと。けれどもその裏で、惰性で生きていた自分を信じてくれていた赤城を裏切り、傷つけたまま放置してしまったこと。
一つの組織のトップとして、普段弱気な姿を見せることが無い恭介の弱気な姿に、ヴェスタルは微笑みを浮かべながら相槌を打ち、しっかりと話を聞いていた。
「俺は、間違っていたのかな」
正しいと信じていた行為が、大切な人を傷つけていたという真実は、恭介の心に深い影を作り出していた。
「指揮官……きっと、貴方は答えを求めているんですよね」
「そう、なんだと思う」
今進んでいる道が赤城を傷つけるものであったことがわかり、恭介は道を進み続けることが間違っているのではないかと考え始めていた。だが、今道を引き返してしまえば、恭介を信じてくれた仲間達を裏切ることになる。その板挟みの中で、恭介は必死に手を伸ばして助けを求めていた。
「私が今「貴方は正しい道を歩いています」と言うのは簡単です。けど、きっと正しい道なんてものはどこにもないんですよ」
カウンセリングをしようとしていたヴェスタルだが、彼が精神的に追い詰められているのではなく、ただ迷っているだけなのだと確信し、優しくする必要がないと考えての発言だった。
「気休めなんかじゃないですよ? 指揮官はきっと今とっても苦しい状態にあるんですよね? でも……貴方が求めている答えはきっと、その苦しみぬいた先にしかないと思うんです」
「正しい道はないって言ったのに、答えはあるのか?」
「私が言った正しい道がないって言うのは、きっと人それぞれに正しい道があると思うからです。赤城さんには赤城さんの、私には私の、指揮官には指揮官の。それが交わるか交わらないかは、その人達次第だと思いますけどね」
苦笑を浮かべる恭介に、ヴェスタルは微笑みを浮かべたままユニオンにいるヨークタウンのことを思い出していた。今はエンタープライズと道を違えてしまっている彼女も、ヴェスタルはきっと共にあることができると考えていた。
「私達は貴方に道を預けたんです。先頭の貴方が迷ってしまえば、みんな迷ってしまいますよ」
「責任重大だな」
「ふふ、その割には身軽そうな顔をしてますね」
その肩には信じてくれた全員を背負う義務があるのだと言うヴェスタルに、恭介は言葉とは裏腹に肩を竦めて憑き物が取れた様に笑っていた。
「俺が先頭なら、好き放題やっても付いて来てくれるんだろ?」
「ある程度までなら、ですけどね。無茶やっても付いてくるのはエンタープライズちゃんだけですよ?」
「充分だろ」
エンタープライズが一人いれば充分だと言い切る恭介に、ヴェスタルは苦笑していた。今の言葉をエンタープライズ本人が聞けば、目を輝かせて大きく頷くことは間違いないと思いながらも、少しだけ前向きになれている恭介に安心していた。
「瑞鶴、この後長門、三笠、フッド、オイゲン、愛宕と鳥海、綾波を呼んで執務室に来てくれるか」
「別にいいけど……なにかあったの?」
ヴェスタルの治療を受けた恭介は、執務室に帰る途中にすれ違った瑞鶴へと三人を呼ぶように声をかけた。伝える相手を聞いて何かあったのではないかと思った瑞鶴は、恭介の手に包帯が巻かれているのを見て停止した。
「これか? これは……俺が馬鹿だっただけだから心配するな」
「そ、そっか……えーっと長門様、三笠さん、フッドさん、プリンツ・オイゲン、愛宕さん、鳥海、綾波だっけ?」
「頼む。お前も執務室に来いよ」
「わかった」
緊急事態でも起きているのかと思っていた瑞鶴は、恭介が笑みを浮かべているのを見てそこまで重要性が高い訳でもないのかと考えていた。呼ぶ人数が多いだけに早めにいかなければならないと思った瑞鶴は、恭介に了承したことだけを伝えて廊下を走っていった。
「ふぅ……二手に分けるって言ってもな……」
重桜の問題であり、恭介が残してきた問題であるとは言え基地の近くで起きるかもしれない海戦である以上、新生アズールレーンの全戦力を使ってでも事に当たる必要があった。
「戻った」
「お帰りなさいませ指揮官様」
「話し合いはどうだ?」
「さっぱりだ。加賀がどう動くのか私達には知る術がないからな」
執務室へと戻ってきた恭介の言葉に、天城とエンタープライズは若干肩を落としながらも首を振った。相手が十二隻による大艦隊で動くことは知れていても、加賀がどのような考えで艦隊を動かしているのかがわからない。
「話し合いだと嬉しいんだけどな」
「そう簡単にはいかないだろう」
「知ってるよ……加賀とは俺が話す」
右手に巻かれた包帯を見ながら、恭介は決意を秘めた瞳でエンタープライズと天城を見据えた。ヴェスタルと話して何からしら心境の変化があったのだと察した天城は、恭介の決断に静かに頷いた。
「艦隊を二つに分けたい。重桜の艦船は三笠を旗艦として指揮の全てを天城と三笠に任せる」
「重桜の艦船を?」
「それ以外は俺と動いてもらう」
アルゴーを動かす恭介と共に、鉄血とロイヤルとユニオンの艦船、そしてガスコーニュを連れて行き、三笠を旗艦として天城の指揮で重桜の艦船全員を動かす。そこにどんな意味があるのか理解できないエンタープライズは、首を傾げたまま天城へと視線を向けたが、天城もその意図を察しきれていなかった。
「予測でしかないが……向こうは俺達と少しでも対話する気があるのだと思う」
「それはどうして?」
「陣営内に内通者がいることを確信しながらも、艦隊の情報を簡単に寄越す奴だと思うか?」
「…………わざと私達に知らせた、と?」
「断定はしないが、そうであると考える方が自然だろうな」
赤城が動けない状況でありながらも加賀が冷静さを失っていないのだと仮定した場合に、恭介が考えた加賀が一番にやりたがっていることが、天城に対しての問いかけだと判断だった。前からイマイチ意見の合わない所が多かった加賀が、自分に対して何かを求めていることは無いと考えている恭介は、加賀がわざわざ新生アズールレーンに接触しようとする理由が天城しか見当たらなかった。
「説得全てを任せる訳じゃないが、加賀との話し合いは天城に任せる。俺が会ったところで即攻撃されて終わりだ」
「…………了解しました」
「じゃあ私達は?」
「バックアップみたいなもんだな」
加賀が何を求めているのか全く想像もできないエンタープライズからすれば、恭介の言っていることは正しいのかどうかも判断できない。それでも、恭介が信頼している天城の頭脳を信頼しているエンタープライズは、天城が了承したことで納得の形を見せた。
「戦闘になる可能性はないとは言い切れないからな。十分に準備してからでいいだろう……幸い向こうはこちらの基地を見つけられていない」
「なら全員に知らせるか。今回は基地防衛要員はナシ、だろう?」
「結果的には全員出撃、かな」
「よし。早く知らせに行こう」
「指揮官、連れてきたよ」
恭介としても基地を空っぽにするのは気が引けるが、相手が大艦隊でありながら話し合いを求めているかもしれないとなれば、それなりに準備も必要であり、人手も必要だった。
すぐに情報共有が必要だと判断したエンタープライズが、執務室を出ようとした瞬間に扉を開けて瑞鶴がやってきた。
「悪かったな。基地内奔走させて」
「別にいいけど……私も用事なんでしょ?」
「そうなるな」
既に必要なメンバーを集め終わっている事実に驚いているエンタープライズを無視して、恭介は集まったメンバーを見て一度息を整えた。
「新生アズールレーンとして、またやるべきことができた。頼むぞ」
新生アズールレーン指揮官としての言葉に、三笠、プリンツ・オイゲン、フッドが笑みを浮かべ、長門は若干呆れた様な顔をしていた。
「……メンタルキューブが共鳴しているわ」
「それ、確か重桜の……鶴に渡した奴だろ」
「翔鶴よ」
バミューダ海域にて仕掛けを行っていたセイレーン一行のオブザーバーは、自らの持っていた黒色のメンタルキューブが不自然な共鳴を起こしている姿を見て、以前憎しみを
「彼女、ようやく動くのかしら」
「あー……別にどうでもいいんじゃないか?」
「よくないわ。特異点を刺激する為に生み出したのだから。そうね……テスター、駒を動かして」
「私の、か?」
「そうよ」
静かに『箱庭』の準備をしていたテスターは、オブザーバーの言葉に目を細めながらも、一つだけ頷いて自らの駒である意識だけをインストールした量産型のテスターを起動させた。
「もし、彼女が鏡面海域を展開できる程の憎悪を獲得した時は、祝福の様に彼女を援護してあげて頂戴。オミッターも向かわせるわ」
「随分大掛かりだな……ダメ?」
「ダメよピュリファイアー。貴女は目的を見失うでしょう」
「そんなことないってばー」
あくまで特異点である神代恭介に刺激を与える為の行いであるとして、オブザーバーはピュリファイアーの言葉を一蹴した。セイレーン大戦以後に指揮官として動き始めた神代恭介は、未だに上位型のセイレーンとの直接的な戦闘経験がない。故にオブザーバーは神代恭介が高みへと至る為の刺激としてテスターの駒とオミッターを送り込んだ。
「特異点の刺激はゆっくりと、少しずつ行うのよ……」
「なーんか野菜育ててるみたいな言い方だな」
「あながち、間違いではないのかもしれないがな」
オブザーバーの入れ込みから考えて、テスターはピュリファイアーの冗談交じりの言葉を肯定した。テスターの駒は一度に大量投入できるが、所詮は意識データをコピーしただけの駒でしかなく、本物のテスターに比べてしまうと戦闘能力は激減してしまう。オミッターも相手を侮る傾向がある為、適当に雑魚の処理を任せるとでもオブザーバーが言ってしまえば、オミッターは主兵装も起動せずに舐めた攻撃を相手に繰り返すことは簡単に想像できた。逆に、ピュリファイアーは気狂いのようでありながらも、戦闘に関しては一切の油断も加減もなく敵を消し去ろうとするところがある為に、オブザーバーはピュリファイアーを神代恭介から遠ざけたのだった。
「ピュリファイアー……貴女には『箱庭』があるでしょう。完成したら思い切り遊べばいいわ」
「え? 思い切りでいいのか? 怒られるだろ」
「怒られる? 馬鹿なことを言うのね……」
バミューダ海域に『箱庭』を生み出してしまえば、簡単に多数の艦船が集まることは想像できたピュリファイアーだが、それを相手にして思い切り戦ってしまえば人類の敗北を意味することになる。それをすれば、流石に『零』に怒られることは間違いないのだが、ピュリファイアーの言葉を聞いてオブザーバーは笑った。
「私達を怒るのは誰? 零? ソウゾウシュ様? 誰もいないのよ」
「零もソウゾウシュも干渉してこない、だと? オブザーバー……」
オブザーバーの言葉に違和感を覚えたテスターは、オブザーバーが独断でなにをしたのかを察していた。
「今はもう誰も私達を止められないのよ。なにせこの世界線は……
「正気か、オブザーバー」
「狂気よ! アハハハハハハハ!」
最果ての世界線が、観測されているはずの世界線から切り離されていることを知ったテスターは、静かにオブザーバーを責めるような言葉を発するが、既にオブザーバーには聞こえていなかった。
世界をも切り離す狂気の瞳には、特異点である神代恭介しか見えていなかった。