その日、アスカは大変に機嫌が良かった。
「加持さんとデート!」
加持の両手にしがみつき、歩く姿は微笑ましい父娘である。
「おいおい、こんな所にも付き合わせるのか!」
プレイボーイの加持も女性の水着売り場は苦手の様である。
「加持さん。これなんかどう?」
「流石に中学生には早いんじゃないか?」
「加持さん。遅れてる。今時は大人しい方よ!」
「ははは」
アスカが選んだ水着を見てジェネレーションギャップを痛感する加持であった。
アスカの買い物も終わりデパートの屋上で休憩する事にした加持はアスカの楽しそうな笑顔を見て羨ましいと思った。
「楽しそうだな。アスカ」
「うん。修学旅行って、初めてだもん」
「そうか。ドイツには修学旅行は無かったなあ。因みに何処に行くんだい?」
「お・き・な・わ!」
「今の日本で行く意味があるのか?」
2015年、日本は常夏の国である。
加持に買い物のに付き合ってもらい上機嫌のアスカの幸せは夜まで続かなかった。
「えー、修学旅行に行っちゃあ駄目!?」
「当然でしょう。貴女達が沖縄に行っている間に使徒が来たら、どうするの?」
ミサトが当然と言った顔で断言する。
「それもそうね。仕方ないか」
ミサトもシンジもアスカの物分りの良さに軽く驚いた。
あっさりと引き下がるアスカを見ると、流石のミサトも仏心が出るのである。
「それで貴女、プールの独占を認めたの?」
翌日、事の次第を聞いて、リツコの声には呆れの成分が大量に混入されていた。
「仕方ないでしょう。ドイツには修学旅行なんか無いから、アスカには生まれて初めての修学旅行だったのよ」
「それで、プールを貸し切りにしたのね」
「どうせ、修学旅行の間は学校に行っても意味は無いでしょう。それに、シンジ君には良い機会だわ」
リツコもミサトの真意を知ると苦笑するのであった。
「まさかと思うけど、日頃、シンジ君とレイに当てられている仕返しじゃないでしょうね」
「そんな筈は無いわよ」
そんな筈はあった様である。
「綾波。その格好は?」
シンジが疑問を持つのも当然で、レイは上下黒のジャージにサングラス姿である。更に何故か竹刀も持っている。
「葛城一尉がスポーツのコーチをする時の伝統だと言っていたわ!」
シンジは頭を抱えたい衝動に抵抗する気も無く頭を抱えた。
(ミサトさんは何を考えているんだ……)
レイは頭を抱えたシンジを無視して、シンジの襟首を掴んで男子更衣室まで連行する。
「ち、ちょっと、綾波!」
レイは男子更衣室まで入るとシンジに男性用水着を渡して着替えを要求してきた。
「逃げないから、着替えて訓練を受けるから更衣室から出てよ!」
「駄目。お返しよ!」
「はい?」
シンジはレイの発言の意味が分からなかった。
「私も碇君に着替える時に部屋に居座られたわ」
シンジの目に理解の色が広がると同時に涙が溢れる。
「綾波は僕の知っている綾波なの?」
「私は碇君しか知らない綾波レイよ」
「綾波!」
シンジは思わずレイに抱き付いた。
「綾波。綾波!」
子供の様に泣きじゃくるシンジを優しく抱き締めるとレイもシンジの名前を連呼する。
「碇君。碇君!」
レイも泣いているのだろう。サングラスの下から涙が流れている。
二人は互いに落ち着きを取り戻した後に簡単な情報交換をする。
「綾波は何時の間に戻って来たの?」
「私は最近よ。碇君と会ってから、夢で前の世界の事を断片的に見てたの」
「そうなんだ」
「完全に戻ったのは、この間の使徒戦の時ね。アスカとのユニゾンキックを見た時よ」
意外なタイミングで戻って来たレイにシンジも驚く事しか出来ない。
「多分、アスカとの事を嫉妬したんだと思う」
戻って来た理由にも驚いたが、今度は別の意味で言葉が出ないシンジであった。
「私、物凄く嫉妬心が強いんだと思うわ」
「そうなんだ」
何故か乾いた笑顔になるシンジであった。
「でも、綾波は無に還ると言ってたから、帰って来てくれて嬉しいよ」
「ありがとう。でも、碇君。泳ぎを覚えましょうね」
「えっ、あ、はい」
観念して、力弱く返事をしたシンジであった。
レイの特訓は過酷であった。プールの深い部分にシンジを突き落として、プールサイドに辿り着いたら再びプールに突き落とすのである。
幸いにもプール内にはアクアラングを装備したアスカがいるので万が一の事にも安心が出来る。
(あの感動の再会は何だったんだ!)
今のレイは以前のシンジを知っているので、シンジに対して、厳しくする必要がある時と必要がない時を心得ている。
「助けて、アスカ!」
シンジは近くで泳いでいたアスカに縋る様に抱き付いた。
「ち、ちょっと!離しさい、シンジ!」
「嫌だ!」
「別にシンジに下心が無いのは分かるけど、この状況は不味いっちゅうの!」
アスカの声に冷静さを取り戻したシンジがレイを見ると、そこには修羅が居た。
「碇君。いい根性をしているじゃないの!」
レイが外したサングラスを握り潰す。レイの瞳は元の赤色と別に怒りの炎で真っ赤だった。
「離せ。シンジ!」
アスカがシンジを突き放す。友情より自身の身の安全を優先したアスカを誰が咎める事が出来よう。
「碇君!」
嫉妬に狂ったレイは上下黒ジャージのままプールに飛び込む。
「ひゃぁあ!」
シンジは奇妙な悲鳴を上げて、修羅からの逃亡を開始する。
「待ちなさい!」
待てと言われて待つ者はいない。まして今のレイを相手に待つのは自殺行為に等しい。
水着で泳ぎの下手なシンジと上下ジャージ姿で泳ぎの得意なレイとでは速さは拮抗していた。
「碇君。往生しなさい!」
「嫌だ。ここで往生したら、本当に往生する事になる!」
若い二人の鬼ごっこはプールの閉館時間まで続くのであった。
「あら。結果的にシンジは泳げる様になったじゃない」
恐怖心から泳げる様になったシンジを見てアスカは日本語の諺を思い出した。
「犀王が馬だったかしら」(正=塞翁が馬)
翌日、三人はミサトからネルフ本部に待機を命じられた。
「本部に待機とか使徒でも発見したのかしら?」
アスカが核心を突く発言をする。
「かもしれないわ」
「僕達も何時でも出撃が出来る様に心の準備をしておこう」
アスカの言葉を、事実を知るレイとシンジが肯定する。
パイロットがネルフ本部で心身ともに待機をしている頃、ミサトと日向は浅間山地震観測研究所で火口内の調査をしていた。
「既に限界深度を超えています」
「壊れたら、ネルフが弁償します。構わないわ。調査を続行して!」
モニターを凝視する日向とミサトの前に目標物の反応が表れた。
「解析開始!」
ミサトの指示の数瞬後に探査機は圧壊してマグマの中に消えてしまう。
「ギリギリで間に合いました。パターン青。使徒と確認」
ミサトは日向の報告を受けて研究所をネルフの支配下に置くと宣言する。
そして、ネルフ本部に報告と共に重大な要請をした。
「司令にAー17の発令を要請して!」
「Aー17!」
ミサトの指示に青葉も全身を緊張させる。
「これは、通常回線ですよ!」
「すぐに守秘回線に切り替えて!」
ミサトの要請を受けたゲンドウはゼーレを召集してAー17の発令の審議をさせる。
「此方から討って出るのか!」
「余りにもリスクが大き過ぎないか?」
「生きた使徒のサンプルを得られるチャンスなのですよ。その事を考えたら安いものです」
ゲンドウは馬鹿らしいと思っていた。生きた使徒のサンプルを得ても研究等が出来る筈がないのである。
ゲンドウの目的はA-17の発令により、各国の現有資産の凍結である。
一時的にも資産を凍結させる事により、各国で極秘裏に建造しているエヴァ量産機の開発を遅らせる事である。
ゼーレの面々はゲンドウの予想通りに生きた使徒のサンプルという絵に描いた餅に食い付いた。
「碇。失敗するなよ」
最後にキール議長が残した捨て台詞に冬月が冷笑する。
「失敗した時は人類が滅ぶよ」
目前の餌しか見えない狂信者達の御し易い事にゲンドウも内心は冷笑していた。
そして、狂信者の首魁であるキール議長もゲンドウの思惑を読んでいた。
既にエヴァ量産機シリーズの開発が終わっている。後はダミープラグの開発だけだったのである。
今はゲンドウのシナリオに従っていれば良い。全ての計画を実行するにはゲンドウの才能が必要なのだ。
「必要な間だけ使い、使い終わった道具は処分すればよい」
ゲンドウとゼーレ、そして使徒とのサードインパクトを望む三つ巴の戦いも折り返し地点である。
その中でシンジとレイがサードインパクトを回避する為の戦いを強いられている。
しかし、シンジは今までとは違い孤独ではなかった。レイという存在がシンジを強くしていた。
シンジとレイの勢力とも呼べない極小の勢力が使徒、ゲンドウ、ゼーレを征してサードインパクトを回避する事が出来るかどうかを知る者は、この世に存在しないのであった。
蛇足ながら、アスカが引用した「犀王が馬」は間違いです。
正しくは「人間万事塞翁が馬」です。
意味は、人生の幸福も不幸も予測が出来ない事。