「特別非常事態宣言の発令の為、現在、全ての通信回線は不通となっております」
蝉の声と共に耳に流れ込んで来る声に、シンジは意識を取り戻した。
「ここは!」
目の前には、最近では珍しい公衆電話があり、シンジは受話器を握っていた。
受話器を置くと左手の腕時計で時間を確認する。
「本当に戻って来たのか!」
視線を腕時計から周囲に移すと、水色の髪の少女が離れた所に佇んでいた。
(見送りに来てくれたんだね)
レイの表情が見える距離ではないが、シンジにはレイが微笑んでる事が分かった。
思わず声を掛けようとした時に、鳥の群れが一斉に飛び立つのに反射的に振り向いて視線を戻した時には既にレイの姿はなかった。
(帰ったのか)
シンジは鞄を持つと一気に駆け出した。今は1分1秒でも時間が惜しい。
一刻でも早くミサトと合流して、初号機に乗るべきなのだ。
「綾波も、もう少し早い時間に戻してくれたら良かったのに!」
早速、不平を言うシンジであった。
聖人ならざる身であるシンジとしては、この程度の不平は口にしたくなる。既に国連軍のVTOL機の爆音が聞こえてきたのである。
「兎に角、逃げなきゃ駄目だ。逃げなきゃ駄目だ!」
走り出したシンジの背後ではミサイルの一団が使徒に命中して爆発をする。
背中に爆風を感じて地面を蹴る脚に力がこもる。
「あれは!」
シンジの視界に青い影が映る。
青い影はシンジの前でドリフトしながら急停車をするとドアが開いた。
「急いで乗って!」
シンジが開いたドアに飛び込む様に乗り込んだ時、シンジの視界の隅でVTOL機が墜落したのが見えた。
そして、次の瞬間には使徒の巨大な足が地上に墜落したVTOL機を踏み潰す。
「しっかり、掴まって!」
ミサトがルノーを急発進させる。
シンジは助手席の背凭れに両手でしがみつく。ミサトは第三者が居れば感嘆する程の見事なドライビングテクニックで落下してくる残骸等を高速走行しながら避けていく。
当事者のシンジにしてみれば、ミサトのドライビングテクニックが優れていても、何の慰めにもならなかった。
右に左に揺れる車体は目隠しをしてジェットコースターに乗っているのと変わらなかった。
(た、助けて!)
シンジの心の声が神に聞こえたのか十分後には戦闘地帯を抜け出していた。
「もう、大丈夫よ。シンジ君」
ミサトが語尾にハートマークが付きそうな猫なで声でシンジに声を掛けてきた。
(我ながら、こんな目にあって、よくネルフに残る気になったよなあ)
シンジは過去の自分に感心しながら、荷物を後部座席に移動させて助手席に座り直す。
「それより、予定より、かなり遅れました。急いでもらえますか!」
シンジは故意に刺のある口調でミサトに要求した。
前回は役人同士の縄張り争い意識からミサトが高みの見物をした為に、結果として、ネルフ本部に到着するのが遅れてしまった。
今回は遅れられない。遅れたら、市街地で戦う事になる。そうなれば、また、トウジの妹に怪我をさせてしまう可能性があるのだ。
「分かっているから、安心してね」
口では気軽さを装っているが、ミサトは今更ながらに目の前の少年がネルフの最高責任者の息子である事に気付いて、内心は冷や汗を掻いた。
(ヤバい。ヤバい。要らん事をして司令に何を吹き込まれるか)
ミサトは車載電話で発令所に詰めている日向に連絡をする。
「日向君。彼は最優先で保護したわよ。だから、直通のカートレインを用意してくれる?えっ、嘘。N2地雷を使うの!」
ミサトは日向の返事も聞かずに受話器を置くとアクセル全開で全速力でルノーを走らせた。
「うわ。急ぐにしても安全運転でお願いします!」
ミサトはシンジに返事する余裕も無かった。諸事情でN2兵器の威力は知る身である。爆発が起きる前に遮蔽された場所に移動しなければ自動車程度は簡単に吹き飛ばされてしまう。
ミサトがN2地雷の爆発から必死に逃げていた頃、発令所ではN2地雷の起爆を心待ちにしている人間達もいた。
「まさか、国内でN2兵器を使用する事になるとはな」
「碇君には悪いが、これで終わりだな」
「要らぬ犠牲を出した。最初から使うべきだったな」
国連軍指揮官達の勝利を前提にした発言を聞いていた冬月がゲンドウに話し掛けた。
「本当にN2兵器程度で倒せるのかね?」
「まさか、ATフィールド相手に単純な火力では話にならんよ」
ATフィールドを持つ使徒を倒す事が出来るのは、同じくATフィールドを持つエヴァだけである。
既にエヴァを動かすパイロットも確保している。後は国連軍から作戦指揮の権限を受け取るだけである。
「やっと、始まるな」
「ああ、終わりの始まりだな」
ゲンドウは長年の計画が始まる事に、眼前で組んだ手で隠しながら笑みを浮かべた。
ゲンドウが発令所で暗い笑みを浮かべていた頃、ミサトとシンジはカートレインで移動中だった。
「間一髪、間に合ったみたいね」
安堵の溜め息を吐くミサトよりも余裕の無いシンジは放心状態であった。
ミサトの言う様に、まさに間一髪の差であった。ルノーがネルフ本部に入った直後にN2地雷が起爆して被害は無かったが激しい揺れが起こったのである。
(危なかった。もう少し遅ければコンクリートの壁に叩き付けられてた)
「シンジ君。シンジ君。お疲れのところを悪いけど、お父さんからID貰ってない?」
「これですか?葛城さん」
シンジがゲンドウから送られた封筒にはミサトの写真とIDカードが入っていた。
「私の事はミサトでいいわよ。それと、これ読んどいてね」
ミサトはシンジからIDカードを受け取ると同時にパンフレットを渡した。
シンジが封筒からIDカードを取り出す時にゲンドウの手紙がチラリと見えたが、内容にミサトは絶句した。
(あの髯親父は何を考えているのよ。息子に渡す手紙に一言だけとは!)
ミサト自身も、生前の父親とは不仲だったが自分の父親よりも更に上を行くゲンドウに呆れるのと同時にシンジに同情した。
ミサトの父親も不器用な人間だったが、子供宛の手紙に「来い」と一言だけを記す父親ではなかった。
「その、お父さんの事が嫌い?」
ゲンドウから送られた手紙は破かれてセロテープで繋ぎ合わされていた。
「好き嫌いとか以前の問題だと思っています。それより、ミサトさん?」
「何かしら?」
「凄いですね。車に電話が付いているなんて!」
「珍しいでしょう。特注品なのよ!」
車載電話は確かに珍しかった。セカンドインパクト以前から、携帯電話全盛期であり、車載電話等は既に過去の遺物であった。
「特注品なんですか。ちょっと触ってみても大丈夫ですか?」
シンジが子供らしい好奇心を見せたのでミサトも安心した。
シンジは車載電話を手に取ると、リダイアルをして発令所に繋ぐ。
『はい。日向ですが。葛城さん、何か有りましたか?』
「僕、碇シンジです。待ち合わせに遅刻する人は信用が出来ません。途中まで誰か代わりの人を迎えに来させて下さい!」
シンジは自分の用件だけを言うと返事も聞かずに電話を切る。
「ちょっと、シンジ君!」
シンジの意外な行動にミサトは悲鳴に近い声を出す。
「当たり前でしょう。遅刻されて、怪獣と軍隊が戦っている場所に放り出されたんですから!」
正論である。シンジからの信用を失っていた事に今更ながらに気づき落ち込むミサトであった。
駐車場に到着すると既に日向が待機していた。日向のミサトを見る目に刺があるのはミサトの思い違いではない。
「君が碇シンジ君だね。僕は日向マコト。僕が案内するから安心して大丈夫だよ」
日向は上司であるミサトを無視してシンジに話し掛ける。
「あの、日向君?」
日向はミサトの呼び掛けを無視して、更にシンジに話し掛けた。
「それから、葛城さんの事は許してやってくれないか。悪い人じゃないんだ。優秀な人だけど、ちょっとドジな所があるだけなんだ」
日向も一応は上司を庇うつもりであるが、ミサトには部下からドジと評された事が堪えた。
「大丈夫ですよ。父さんは時間に厳しい人ですから、タイミング悪く戦闘に巻き込まれたと言えば誤魔化せると思いますよ」
日向はシンジがミサトの立場を理解して自分を呼んだ事を理解した。
これで本部内を迷子になったら、流石に誤魔化せないと判断したのだろう。
「僕からも礼を言わせてもらうよ」
日向はシンジの聡明さと気配りに感心した。
「という訳で、日向君。案内を頼むわね」
ミサトとしたら針の筵状態を脱出するべく話題を転換する必要を感じていた。
ミサトが針の筵状態でいた頃、発令所では国連軍の幹部は苦虫を噛み潰した表情になっていた。
「まさか、N2兵器でも息の根を止める事は出来んとは!」
スクリーンの中では第三使徒のサキエルが仁王立ちしていた。
「やはり、ATフィールドか」
冬月が予想範囲内の事といえ、ATフィールドの防御力に驚きを超えて呆れていた。
スクリーンの中で使徒の目が光った次の瞬間にカメラ位置が変わった。使徒がカメラを攻撃したのである。
「自己修復中でも活動停止してはいない様だな」
冬月は自己修復中の間なら、攻撃も容易に出来るのではと期待をしていたが、現実は甘くなかった。
「しかし、自己修復中は移動が出来ない」
しかし、ゲンドウは既に勝機を見出だしていた。移動が出来ない使徒の近くにエヴァを置きエヴァにATフィールドで使徒のATフィールドを中和させて、攻撃すれば未熟なパイロットでも使徒を倒す事が出来る。
「はい。分かりました。了解です」
国連軍幹部が電話で何やら指示を受けた様子である。幹部は電話を切るとゲンドウに向かって、宣言する。
「今から本作戦の指揮権は君に移った。お手並み拝見させてもらおう」
「了解しました」
「しかし、君に、あの敵生命体を倒す事は出来るのかね」
「その為のネルフですから」
ゲンドウは不敵な笑みを浮かべて、静かに宣言した。