加持が姿を消す前夜、レイは自分が生まれ育った部屋に居た。
通常なら限られた人間しか入れない場所である。
「綾波、本当にいいの?」
「問題無いわ」
レイの先導で、シンジはダミープラグがある部屋へ到着する。
レイが慣れた動作で照明のスイッチを入れると、無数のレイが全裸で水槽内を漂っていた。
(貴女達は私、私は貴女達…私は偶然に選ばれただけの存在。もしかしたら、貴女達の誰かと私は立場が入れ替わっていたかもしれない。ごめんね。)
魂の無い肉体(うつわ)に、レイは罪悪感を感じていた。
そして、シンジと共に生きる事を選ぶ事は人として生きる事でもある。
人として生きる事は肉体のスペアを捨てる事でもあった。
「綾波……辛いなら、僕が」
「それは駄目。もしフィフスの説得に失敗した時、碇君は、私に任せてくれる?」
「ごめん。僕が間違っていたよ」
「別にアナタが謝る事じゃない」
レイは覚悟を決めて、水槽に繋がるパイプのバルブを回す。
レイがバルブを回し終えると水槽の内のレイ達が崩壊していく。
(おめでとう)
(貴女は人になったのね)
(私達の分まで幸せになってね)
(さようなら)
(ありがとう)
レイにしか聞こえない声が聞こえてきた。
崩壊するレイ達には魂は無かったが、心はあったのだ。
そして、レイは思い出した。二人目のレイが選ばれて水槽から出て行った日の事を。
(そう。私も貴女達と同じ気持ちだった)
「綾波!」
シンジの声でレイは自分の頬を熱い物が流れた事に気づいた。
「涙。私、泣いているの?」
この時、レイは全てを悟ったのである。逆行前のサードインパクトの最中に、二人目のレイの心が自分と融合した事を。
そして、今、水槽内のレイ達の心も自分に融合した事を。
(そう。私は貴女達、貴女達は私。一つになったのね)
レイは生まれて初めて嬉し涙を流したのであった。
この時、ゲンドウやゼーレと違う人類の補完が極小規模で実現した事に気づいた者は当事者であるレイも含めて誰もいなかった。
「綾波、帰ろう。僕達の家に」
レイは小さく頷くとシンジに両手を絡めた。
そして、シンジはレイの肩に優しく手を回した。
シンジはレイの流した涙を見て、父であるゲンドウとゼーレに闘志を燃やすのであった。
そして、無言で二人は、寄り添う様に部屋を出て行った。
翌朝。加持の姿が消えた事とダミーシステムが破壊された報告を受けて、ゲンドウはダミーシステムを破壊した犯人を加持 リョウジであると考えた。
ゼーレが、自分に対する警告のつもりで、加持に指示させて行った事であり、加持の姿が消えたのは口封じを兼ねての脅しだと捉えた。
「老人達め。無益な事を」
ゼーレにすれば、加持が音信不通になったのはゲンドウによる口封じ、そしてダミーシステム破壊は裏切りの証拠を隠滅する為だと考えた。
「碇め。鳴らない鈴の存在が邪魔だったようだな」
互いに敵視して相手の仕業と思い込んだのである。
第三勢力と呼ぶ事も出来ないシンジ達の仕業だと疑う事はなかった。
それぞれが相手の仕業だと思い込む事で、加持は行動の自由を得たのである。
「碇、加持君の事は仕方ない。それより、葛城君が面会を求めているぞ」
「そうか。昨日、病院に行っていた様だが体調不良なのか?」
「その報告かもしれんな」
「分かった。会おう」
ゲンドウと冬月の予想は当たっていたが、内容は見事に外れた。
「葛城君。昨日は病院に行っていたみたいだが、体調は大丈夫かね?」
「はい。その事で報告がありまして……」
「何か問題でもあったのかね?」
「その、あの、実は、妊娠しました!」
顔を赤くするミサトに、冬月も絶句する。
「そっ、そうか……それで?」
「はい。使徒との戦いが終わったら産休に入りたいと思いまして」
ここで、ゲンドウが初めて口を開いた。
「了解した。葛城君が産休に入るのと同時に日向二尉を一尉に昇格させて、当面は課長代理を務めてもらう」
「ありがとうございます!」
「別に礼を言われる筋合いではないが、この事は内密に頼む」
「了解しました」
「うむ。では、仕事に戻りたまえ」
ミサトが退出すると、冬月がゲンドウに皮肉な視線を向けた。
「なんだ?罪滅ぼしのつもりかね?」
冬月も父親に関しては誰であるか、見当がついていた。
「別に。彼女は使徒がいる間だけ居てくれれば良いだけの人間だ」
冬月は何も言わなかったが、ゲンドウと同意見であった。
使徒に対して復讐心を持ち、それ故に、視野狭窄になっている人間は多いが、ミサトは別格であった。
「彼女も貢献してくれたからな」
冬月はミサトの父葛城 ヒデアキ博士とは知らぬ仲ではなかった。知人の娘と思えば、使徒を全て殲滅した後に起こるゼーレとの戦いに巻き込みたくはなかった。
(入院先は松本が良いだろうな)
冬月は脳裏の交友名簿から松本で病院を経営する友人をピックアップした。
「十数年ぶりに電話をしてみるか」
冬月は知人の娘と孫を守る為に、ゼーレの人類補完計画を阻止する事に闘志を燃やし始めた。
行方不明となっている父親の代わりに色々と手配を冬月が考えていた頃、父親の方は既に第三新東京市を離れていた。
「しかし、兄ちゃんも災難だったね。折角の出稼ぎで貯めた金盗まれるなんて!」
「まあ。大半は送金した後で、帰りの切符と土産代程度でしたから…この船に便乗させてもらえたのは不幸中の幸いでしたよ」
加持は漁船に乗っていた。夕方に出港する漁船に第二新東京市から出稼ぎに来たが、財布を盗まれて帰れないからと言って、漁船に便乗させてもらったのだ。
「しかし、兄ちゃん。百姓だけあって体力があるなあ。俺達も仕事を手伝ってもらったから助かったよ」
漁師の年齢は加持達の親と同じ世代だろう。
「俺の息子も生きていれば、兄ちゃんくらいの歳だわさ」
「自分も死んだ親父と一緒に居るみたいで楽しかったですよ」
「そうか。なら俺も嬉しいもんだ」
セカンドインパクトで息子を亡くした男と親を亡くした男の会話である。
「父ちゃん!兄ちゃんを独り占めしたらあかんがね!」
漁師の女房が加持と旦那の間に割って入る。
「おめぇ、独り占めとか人聞きの悪い事を!」
「父ちゃんの人聞きが良かろうが悪かろうが本当の事じゃろ。それより、向こうの港に着いたら、馴染みの魚屋が松本までトラックで運んでくれると連絡があったでね」
「それは、本当にありがとうございます!」
「礼を言われる事じゃにゃーって、向こうさんも荷物の積み下ろし手伝って欲しい言うとったでね」
目的地に着いた加持は、漁師夫婦が手配してくれたトラックに乗り第二新東京市へ向かうのである。
別れ際に漁師はお駄賃という名目で数枚の紙幣を渡してくれた。
「無料(タダ)で運んでもらったのに、お金まで頂くわけには…!」
「兄ちゃんが手伝ってくれたで、俺達もどえりゃ楽が出来たでね」
「そうじゃ。それに、その金はお前さんにやるんじゃにゃー。嫁さんと子供に、途中で何か土産を買いなせにゃ。」
そこまで言われ、加持も紙幣を受け取った。
「この御恩は、決して忘れません」
これは加持の本音である。ネルフの外に出ると子供達を死地に送り出す事に慣れた自分達が如何に汚れているかを自覚する事になる。
加持は、トラックの助手席に座り、渡された紙幣を握り締めた。
(貴方達の息子さんの仇は必ず討ちます)
セカンドインパクトを引き起こしておきながら、権力の座に身を置いて正気の沙汰とは思えない計画を実行しているゼーレに対して、加持は静かに闘志を燃やしていた。
(先ずは松本に着く事が大事だな)
ゼーレとネルフから追われる身となった加持は、最後の肩書きである日本政府内務省調査部調査員としての権限を利用する為に第二新東京市へ向かうのである。
加持がゼーレに闘志を燃やしていた頃、加持の行方不明の報を聞いた日向も静かに闘志を燃やしていた。
(そうか、加持さんが行方不明なのか。葛城さんにアタックするなら、今が好機!)
敗北は既に決定的であるが、それを知らない日向は、ミサトのネルフ内での世話に精を出すのであった。
事情を知る冬月からは生温かい視線を向けられてる事にも気づかないままである。