初号機が長いトンネルを抜けて地上に現れた時には夕陽にオレンジ色に染められた世界が広がっていた。
初号機の正面には西日を受けた自己修復中のサキエルが仁王立ちしていた。
「いいわね。シンジ君」
ミサトがエントリープラグ内のシンジに声を掛ける。
「は、はい」
シンジもミサトの声で母との語らいから、現実世界に引き戻された。
「最終安全装置解除。エヴァンゲリオンリフトオフ!」
ミサトの命令と共に自由を得た初号機は大地に降りた立った。
(此方が夕陽を背にして、地の利はある)
前回の第13使徒戦で夕陽を背にした敵との不利を体験しているシンジは、歴戦の戦士になっていた。
「シンジ君。先ずは歩く事だけを考えて」
スピーカーからリツコの声が流れてくる。シンジは敵を前に状況把握をしていたが、発令所のリツコにはシンジが戸惑っている様に見えたのだろう。
シンジはリツコの声に従い一歩目を踏み出した。
「歩いた!」
リツコの感嘆の声がスピーカーから流れてきた。
(歩いた程度で喜ばれても……)
前回も同じくリツコは感嘆の声を出したのだろうが、シンジは覚えてなかった。それだけ、今のシンジには余裕があった。
そして、余裕は油断に変わり易いものでもある。
一歩目を踏み出した初号機は、いきなりバランスを崩した。
前回と違い街中ではなく、郊外での戦いである。偶然にも何処からか飛んで来たブルーシートを踏みつけて足を滑らせたのである。
「うわっ!」
反射的に、二歩目を踏み出して転倒するのを防いだが、一度、失ったバランスを取り戻すまでには至らずに三歩目、四歩目と踏み出して、何時の間にか走り出していた。
「暴走?」
発令所ではミサトが懸念の呟きを漏らしたのを聞き咎めたリツコが反射的に反論をした。
「失礼ね。全て正常よ。暴走はしてないわ。でも、暴走しているわね」
スクリーンで初号機を観察していたリツコの反論も尻すぼみになる。
リツコの言葉通りに、スクリーンの中の初号機は文字通り暴走していた。
「これって、坂道で止まらなくなった人と同じ理屈なわけ?」
ミサトの問いにリツコも渋い表情で首肯くしか出来ない。
「誰か!止めて!」
シンジの悲鳴に近い叫びが発令所に虚しく響いていた。
暴走する初号機に発令所の面々は困惑していたが、敵であるサキエルも困惑したであろう。
迎撃するにはエネルギー充填する時間も距離も無く、避けるにもサキエル自身は動けない。
そして、サキエルは使徒として当然の選択をした。
岩と岩が衝突した様な鈍く低い大きな音がした。
発令所のスクリーンにはオレンジの壁に激突して大の字に張り付く初号機の姿が映しだされていた。
「あれは、痛い!」
青葉が漏らした感想はスクリーンを観ていた全員の内心を代弁していた。
「一応は神経接続は切りましたけど」
マヤが青葉の感想に返事をした途端にシンジの声がスピーカーから流れた。
「痛い!」
マヤの言葉を裏切る様にシンジの声に発令所の視線が一斉にマヤに集中する。
「ほ、本当に切りました!」
集中した視線に耐え兼ねてマヤが弁解する声に重なる様にシンジの声が流れて来た。
「痛い。絶対にシートベルトが必要ですよ。日向さん!」
どうやら、プラグ内で股間を打ちつけた様である。スクリーン内ではシンジが両手で股間を押さえていた。
「操縦席は正面のコンソールを跨ぐ形に作っているから」
ミサトは呟きながら、エヴァのパイロットは、シンジが初めての男性パイロットであった事を思い出した。
「ぜ、善処するわ」
リツコが小声でミサトに応えた。
股間を強打したシンジは、既に油断は消え去りサキエルを警戒していたので、サキエルの目が光るのを見逃さなかった。
サキエルの目が光る寸前に初号機は大きくジャンプする。
一瞬前まで初号機が居た場所が爆発する。
初号機は爆発を眼下に置いて空中で体勢を変えるとサキエルに飛び蹴りをくり出す。
サキエルの前に、オレンジの壁が出現して初号機を弾き返す。
プロの軍人である発令所の面々には初号機の飛び蹴りの威力は想像が出来た。当たれば一撃必殺となったであろう。
その初号機の飛び蹴りを弾き返すATフィールドには忌々しさを覚えずにはいられなかった。
「また、ATフィールド!」
人類の最後の切り札であるエヴァンゲリオンでさえ、ATフィールドの前に敗れるのかと発令所には絶望感が漂った時に、スクリーン内を紫の影が横切った。
その直後、スクリーン内からサキエルが消えた。
「……!」
発令所の全員が事態を把握する前にカメラが変わり、腹部の赤いコアを粉砕された倒れるサキエルが映し出された。
その直後、スクリーンが白色の光で満たされる。
「ま、眩しい!」
「マヤ。調光、最大限!」
ミサトが光の直撃を受けている間にリツコは、素早くマヤにスクリーンの光量調整を指示する。
光量調整が終わったスクリーンにはキノコ雲が映し出されていた。
「パターン青。消滅。使徒の殲滅を確認!」
マヤの宣言に発令所から歓声が起きる。
「初号機は?」
歓声の中、ミサトが素早く日向に指示を出す。
爆発する使徒を背にして片膝と片手を付いていた。
「初号機は無傷、パイロットも各数値は正常!」
日向の宣言で再び発令所には大歓声が沸き起こる。
国連軍でも倒せなかった使徒に人類が対抗手段を得る事が出来たのである。
ましてや、司令の息子とは言え、中学生をパイロットにした罪悪感からも解放されたのである。
「急いで初号機を回収。パイロットの保護を最優先!」
ミサトが勝利に酔いしれる発令所で冷静な声で指示を出すと、発令所は瞬時に落ち着きを取り戻して、ミサトの命令を実行する為に作業に取り掛かる。
ミサトは初号機がケイジに回収された事を確認すると、発令所を出て行こうとする。
「ミサト。何処に行くの?」
「ケイジよ。シンジ君を出迎えに行くわ!」
ミサトも勝利した事を、単純に喜んでいる様に見えた。
作戦部は単純に今の勝利を喜んでいれば良いが、リツコを頂点に技術部はそうじゃなく初めてエヴァを用いた使徒戦の解析をしなければならない。
更に操縦席の改善に回収した初号機の点検とメンテナンスの準備もある。リツコは勝利の後も忙しいのである。
実はミサトも単純に喜んでばかりではない。
これから、シンジに正式なパイロットになる事を説得しなければならない。
そして、シンジが最大限に実力を出せる様にメンタルケアと環境を整え、戦闘訓練と計画立案と作戦課のトップとして仕事が山積みなのである。
(まあ。面倒な事は後にして、今はシンジ君を誉めてあげなきゃね)
ケイジでは既に初号機が回収されて、次々と拘束具や安全装置が取り付けられている最中であった。
「エントリープラグ排出!」
エントリープラグが初号機の背中から抜き出される。
LCLが吹き出されてエントリープラグがアンビリカルブリッジに横着けされた。
エントリープラグからシンジが出て来るとミサトはLCLで濡れ鼠のシンジを抱き締めた。
「立派よ。シンジ君!」
「あのう。ミサトさん」
顔を赤くしながらシンジがミサトに真剣な顔を向けた。
「今の戦いで被害は?」
「大丈夫よ。初号機も人も被害は無いわ」
「そう。それは良かった!」
ミサトの返答にシンジは安心した表情を見せた途端に、ミサトの腕の中で崩れる様に気を失ったのである。
「シンジ君!」
「誰か、担架を持って来い!」
「赤木博士に連絡しろ!」
ケイジ内が使徒戦とは別の緊張に包まれる。
ミサトがシンジを運ばれたストレッチャーに乗せるのを眺めながら冬月がゲンドウに鮮やかな勝ち方をしたシンジに疑問を口にする。
「本当に初陣とは思えぬ戦い方だったな」
「問題無い。初号機の中にはユイが居る。ユイが手助けをしたのだろう」
「ユイ君か」
「目覚めてないが母親の本能だろう。何にせよ、最優先課題は使徒を倒し尽くす事だ」
「確かに」
冬月もゲンドウの主張の正しさを認めるしかなかった。
「それに暫くは初号機が戦いの主力になる。初号機の戦闘力が高いほうが都合が良い」
冬月はゲンドウがユイとの再会を諦めてシンジと共に生きる事を期待していたが、ゲンドウの意志は変わらぬ様である。
(私も罪深いが覚悟を決めるか)
使徒、ゼーレ、ゲンドウの三つ巴の戦いが始まったと冬月は思った。
この時、冬月もシンジを初号機を動かす道具としか見てはなかった。
人類の未来を懸けた戦いは、始まったばかりである。