白い壁に白い光が射し込む部屋でシンジは目覚めた。
「また、この天井だ」
シンジは見慣れた病院の天井を眺めていた。
窓の外からは小鳥の囀ずりとラジオ体操の音が流れてくる。
「前の時は昼過ぎだったけどな」
シンジは小さいが確実に歴史を変えた事を実感していた。
シンジがベッドの上で体を起こすのと看護婦が入って来るのが同時だった。
「あら、おはよう。昨日は疲れたでしょう」
看護婦は昨夜の事も知っている様で、シンジの荷物や服を持って来てくれた。
「それから、この後に朝食になるけど、朝食の後は色々と検査をするから覚悟していてね」
「はい。宜しくお願いします」
シンジが返事をすると看護婦は苦笑していた。
「元気そうね。それに、私達が礼を言う立場だわ」
シンジが朝食を摂っている頃、ミサトとリツコは使徒の爆発跡で作業中であった。
「綺麗に跡形も無いわ」
「あれだけの爆発だもの。当然だわ」
無駄だと分かりながらも、使徒が爆発した後の調査をしていた。
「どうやって、世間を誤魔化すつもりかしらね」
ミサトが広報部に対して皮肉な疑問を呟く。
「あら、広報部は仕事が出来ると喜んでいたわよ」
リツコがミサトの皮肉に皮肉で返す。
「連中も、お気楽なものね」
「空元気も元気の内よ」
第三使徒を倒したと言え、ネルフが使徒に対して不利な状況であるのは職員全員が把握していた。
「誰も経験したくないわ。サードインパクトは」
「当たり前でしょう!」
ミサトの脳裏にはセカンドインパクトの恐怖と共に胸の傷痕が残っている。
ミサト達が朝食を摂り終わり一服しているとリツコの携帯が鳴った。
「はい。赤木です。分かったわ。此方も後始末が終わったら、其方に向かうわ。結果は逐次報告して」
リツコが電話を切るとミサトにシンジが目覚めた事と検査が始まった事を告げた。
「あの子、大丈夫かしら?」
「そうね。もし、シンジ君がパイロットになる事を承諾したら、あの子に命令を出すのは貴女よ」
リツコはミサトより軍人向きなのかもしれない。軍人としての覚悟の有無をミサトに確認してきた。
「ネルフに入った時から覚悟はしているわよ」
結婚まで考えていた恋人を捨て、平凡な幸せも捨てネルフに入ったのだ。
(どの道、畳の上で死ねないわね)
リツコもミサトの胸中を察しながらも、自問自答していた。
(私も事実を知られたらシンジ君には恨まれるわね)
ミサトとリツコは共に自身の罪を自覚しながらも、更に罪を重ねる事を止める気が無いのであった。
ミサトとリツコが自身の罪の重さを自覚していた頃にシンジは検査漬けになっていた。
血液検査から始まり、胃カメラに脳神経外科まで受診していた。
「まだ、有るんですか?」
前回も検査は受けていたが、前回は全てが初めての体験で中学生には珍しい体験だったが、パイロットとして過ごす間に既に拷問と化していた。
(綾波やアスカは子供の頃から、これをしていたんだよなあ)
シンジはレイやアスカの偉大さを再確認した。
「はい。もう終わりよ。お疲れ様」
看護婦が笑顔で全ての検査の終了を告げる。
「た、助かった!」
「夕方に迎えが来るから、それまではベッドでゆっくりしていてね!」
シンジは自分に病室に戻って行く途中にレイを乗せたストレッチャーと擦れ違う。
(あっ、綾波!)
包帯だらけのレイを見てシンジは思わず声を出しそうになった。
(駄目だ。まだ、綾波の事を知らない事になっているんだから)
シンジはネルフの首脳部とゼーレを信用していなかった。
逆に信用する要素が皆無であったが、同時に諜報能力を侮ってはいなかった。
シンジは通り過ぎるレイを見送る事しか出来なかった。
「シンジ君。心配しなくていいわ。あの娘の怪我は貴方と関係無いわ」
シンジがレイを乗せたストレッチャーを見送るので看護婦は心配したらしい。
シンジは知らないが、シンジの担当した看護婦は、昨晩、シンジがミサトに被害状況を聞いた後に倒れたのを目撃していた。
「そうなんですか。紅い瞳が珍しかったもので」
平静を装いながら、シンジは内心はヒヤリとしながらも自身の迂闊さを反省した。
ここは敵中なのだ。何処に監視の目があるか分からないのである。
ベッドに戻るとシンジは、これからの事を考える。
使徒の事、人類補完計画の事、ゲンドウの事と考える材料が尽きる事は無いが、当面の問題はミサトの事である。
(また、一緒に暮らすのか?)
シンジとしてはミサトとの生活は苦しさもあったが、仮りそめとは言え、初めての家族でもあった。
思慕と嫌悪と危機を感じながらも明確な答えが出ないままに、シンジは何時の間にかに寝てしまった。
シンジが眠りの住人となっている頃、ミサトは既にネルフ本部に戻り、前日のサキエル戦の分析結果の報告を受けていた。
「注目して頂きたいのは、初号機が一回目のキックを弾かれた直後です」
マヤがキーボードを叩くと壁に埋め込まれた画面に初号機が映しだされる。
「弾かれた直後に初号機もATフィールドを展開します。この時点では互いのATフィールドは干渉してません」
画面の中の初号機が弾かれた上空で体勢を立て直す。
「この時点で互いのATフィールドが干渉を始めて、初号機が降下を始めた時にATフィールドの中和を始めます」
「中和じゃなく侵食ね」
マヤの説明にリツコが訂正をする。
「失礼しました。使徒のATフィールドは初号機のATフィールドに無力化されましたが、初号機のATフィールドは健在なまま使徒にキックを敢行します」
「初号機の全体重とATフィールドも加えた飛び蹴りね。そりゃ、使徒も耐えられないわ」
ミサトの声は平静さを保っていたが顔色は良くなかった。
もし、蹴りが外れたらネルフ本部にも被害が出る事を理解していたからである。
「ATフィールドの件だけではなく、シンクロ率も瞬間的に84%をマークしてます」
ミサトの手元の資料を見ると僅か2秒足らずであるがシンクロ率が跳ね上がっている。
「リツコ。これは?」
「まだ、分からない事だらけよ。エヴァの実戦運用が初めてなのよ」
ミサトの疑問も当然なら、リツコの返答も当然であった。
「葛城さん。シンジ君の検査は全て終了しました。異常は見つかりませんでした」
日向が受話器を片手にミサトに報告をした。
「そう。私が迎えに行くと伝えて、それから、技術部にはシンクロ率とATフィールドの件に関しては解明を引き続き頼むわ。作戦部も協力を惜しみません」
「そう。なら、流石に今日は無理だから、明日にもシンジ君に感想を聞きたいわ」
「分かったわ。シンジ君の様子を見て今夜の内に連絡をするわ」
「それなら、葛城さん。シンジ君にパイロットになる意思とは別に、この街に住むのかも聞いてもらえますか?」
「何で?」
「シンジ君は中学生ですよ。転校の準備もあります」
「分かったわ」
ミサトが気の回らない部分も気を回す日向であった。
日向に後事を任せるとミサトは病院へと向かうのであった。
病院に到着すると既にシンジは着替えて待合室で迎えを待っていた。
シンジはミサトが近付いても気付く事はなく、何か考え事をしている様子であった。
「シンジ君。お待たせ!」
「あっ、ミサトさん」
「ごめんなさいね。本当に待たせたみたいね」
「僕も今、来たところです」
幸か不幸かゲンドウと顔を会わせる事もなくネルフ本部に到着した二人であった。
「えっー。別居ですか。シンジ君。本当にいいの?」
「いや、当然でしょう」
「父子が一緒に暮らす方が当然でしょ!」
シンジの落ち着いた態度にミサトがヒートアップする。
「普通なら、一緒に暮らすでしょうけど、僕は正式なパイロットなんですから、末端の人間と組織の幹部が一緒に暮らすのは機密とかの関係で駄目でしょう」
正論とも言えるシンジの言にミサトも苦虫を噛み潰した表情になる。
シンジとしたら、ミサトが同居を言い出すか出さないかは、ミサトに任せたのだ。
結局、シンジはミサトと同居する事になった。
二人の同居の話を聞いて慌てたのはリツコであった。
「ちょっと、貴女、何を考えてるのよ!」
リツコにすれば、死地に送る命令を出す側と出される側が一緒に暮らす事など、悪質な冗談としか思えなかった。
「流石に子供に手を出したり、しないから」
「当たり前でしょう!」
リツコが内心、ミサトがシンジを自身の肉体で籠絡するのでは…と考えたのは内緒である。
ミサトのマンションに着いた途端にシンジは忘れていた事を思い出した。
シンジの眼前には汚部屋が展開されていた。
(そうだ。ミサトさんを真人間にしないと)
シンジが決意すると着替えが終わったミサトにも手伝わせて掃除に取り掛かる。
「シンジ君。今日は遅いから明日に……」
シンジの絶対零度の視線に最後まで言葉が出ないミサトであった。
掃除を済ませた後に、簡単な食事を摂るとシンジは風呂に入り、これからの事を考える。
(兎に角、ミサトさんには、掃除と洗濯と料理を教えないと)
ある意味、人類補完計画の阻止よりも難題だと言える事を決意していた。
そして、考え事をした為に長湯となり半分のぼせてベッドに潜り込む。
「おやすみ」
シンジは見慣れた天井に就寝の挨拶をすると眠りについた。