「そう。裏取りが出来たの」
ミサトは執務室で諜報部員からの報告を受けていた。
「はい。夫を事故で亡くした娘と孫の三人暮らしで、孫の成長だけが生甲斐だったそうです。セカンドインパクトで娘と孫を一度に亡くしていました」
ミサトは諜報部員の口調には同情の成分が溢れている事に気付いていた。セカンドインパクトを経験した人間なら、ミサト自身もだが同情してしまうのは仕方がない事である。
「碇司令だけを狙ったのは、感謝するべきね」
犯人はゲンドウを狙撃した直後に、犯行現場で服毒自殺していた。
遺された遺留品から犯人の身元と経歴を調べるのに二週間の時間が必要であった。
「単独犯となると、シンジ君達がテロの標的になる心配は今のところ無いわね」
「一応は隠密に護衛は続行しています」
「ご苦労様。宜しく頼むわね」
諜報部員が退室するとミサトはセカンドインパクト経験者の感傷を消し去り、冷徹な軍人に気持ちを切り替えた。
(実行犯に結婚式の情報を流した人間がいる筈よ)
ある人物の名前がミサトの脳裏に浮かんだ。
(極秘で警備も厳重だった。その間隙を突くとなると内部の人間となるわ。そんな芸当が出来る人間は限られる)
脳裏に浮かんだ名前にミサトは溜め息をつく。
(まあ。リツコには悪いけど、復讐の対象が碇司令だけなら許すべきね)
ミサトがゲンドウ暗殺について結論を出していた頃、父親を暗殺された息子も自室のベッドに横になり溜め息をついていた。
(僕が生まれる前の事だけど、セカンドインパクトで大勢の人の死に責任があるんだ。恨まれ当然だよなあ)
シンジは口に出さないがゲンドウの死を受け入れていた。
シンジはゲンドウ以上の大量殺戮者としての自覚があった。
(気の毒なのはリツコさんだよ)
シンジはリツコに対しては負い目を感じていた。
ミサトと共に見た泣き崩れるリツコの姿を忘れる事は出来なかった。
(これが最後なら良いけど……)
シンジが不安を感じるのは自分も復讐の対象になっている可能性を感じていたからである。
逆行前はサードインパクトの起爆剤として利用された結果、人類を滅ぼしたが、逆行後には不可抗力であるが侵攻して来た戦自を壊滅させていた。
(まさか、N2ミサイルをATフィールドで防いだら、戦自に被害がいくとは思わなかったよ)
死んだ戦自の隊員の遺族からすればエヴァのパイロット達は肉親の仇と思われるかもしれなかった。
しかし、その事には内罰的なシンジも抗弁したくなる。
逆行前の事だが、シンジ自身が頭に銃を突き付けられて引き金を引かれる寸前だったのである。
駆けつけたミサトに救われたが、そのミサトの致命傷を与えたのも戦自である。
(そりゃ、この世界とは関係ない逆行前の事だけど)
銃を持った兵士に追い回された経験のあるシンジとしたら正当防衛意識があるのだが、表面上の事実からすれば、ネルフに被害は無く、一方的に戦自が被害を被っているのである。
シンジを肉親の仇として狙う人間がいても不思議ではなかった。
(これも、罰なのかな?)
逆行前の世界で人類を滅ぼした罪悪感から逃げれないシンジであった。
「碇君。起きてる?」
レイが声を掛けるとシンジの部屋に入って来た。
「まだ、起きてるよ」
「そう」
「綾波、どうしたの?」
シンジの問いにレイは一瞬だけ躊躇うと口を開いた。
「碇君が司令の事で自分の事を責めているんじゃないのかと思って……」
レイの沈痛そうな表情にシンジは笑顔で否定する。
「心配してくれて、ありがとう。でも、大丈夫だよ。綾波」
シンジは予想外の笑顔に戸惑うレイの手を引いて抱き締める。
ベッドの上で身体を重ねる二人を月明かりが照らす。
「碇君?」
意外な行動に驚くレイに、シンジは返答の代わりに抱き締める腕に力を込める。
「碇君……」
シンジの気持ちを察したレイは自身の唇をシンジの唇に重ねる。
シンジが自身を責める事はなかったが不安が感じていた事を正解に理解したからだ。
(貴方は死なないわ。私が守るもの)
レイは逆行してからシンジの前では決して口にする事がなかった決意をしていた。
若い二人が抱き合っていた頃、もう一組の若い二人も自宅のリビングで抱き合っていた。
「もう。甘えん坊ね!」
アスカの呆れ口調の中に嬉しさの成分が混入していた。
「だって、アスカ先輩の事、大好きだだもん!」
シンジとレイがテロの不安を互いの温もりで慰めていたが、こちらの二人は能天気に平和を堪能していた。
保護者であるキョウコも達観しているのか二人の横で紅茶を飲んでいる。
(本当に仲が良いわね。二人がテロの標的になる事は無いでしょうけど)
キョウコもゲンドウ暗殺の事実に不安を感じていた。
(この地を離れるよりはセキュリティの整った此処に居た方が安全よね)
表面上は呑気な母親であるが、娘と娘の恋人の命が掛かっているのである。キョウコも深刻にならざるえない。
(碇司令暗殺でセキュリティが厳重になったとはいえ、内通者がいるはず、内通者がシンジ君を標的にするかが問題よね)
キョウコはシンジとレイがテロの標的にされた場合に、娘達が巻き添えになる事を危惧していた。
(アスカに二人に近づくなと言えないものね)
レイ、シンジ、アスカは同級生で戦友でもあるのだ。
キョウコの視線がヒロシに向かう。
(ヒロシ君は良い子だし、将来はアスカを支えてくれるでしょうけど)
キョウコはヒロシの事も気に入っている。娘の生涯のパートナーとして認めている。更に言えば息子の様に思っていた。
(中学生のヒロシ君にアスカを守ってとは言えないしね。保安部に期待するしかないわね)
キョウコは結論を出すとアスカとヒロシのイチャ付きに参加する。
「そこ、二人だけでイチャイチャしないの!」
キョウコはアスカとヒロシを二人まとめて抱き締める。
アスカとヒロシも見事なコンビネーションでキョウコに抱きつく。
キョウコが子供達とのスキンシップを楽しんでいる頃、もう一人の母親はネルフの一室でディスプレイを注視していた。
「既に成功しているからと安心は出来ないですからね」
ユイの言葉に、反応した人物がいた。
「ユイさんの目から見ても大丈夫でしょうか?」
ディスプレイに視線を向けたままユイが応える。
「流石にリッちゃんの仕事ね。私にも不備は見えないわ!」
部屋にはユイの他にもリツコがいた。
「しかし、リッちゃんには迷惑を掛けるわね。あの人の尻拭いをさせて」
「気に病まないで下さい。私にも責任がある事ですから」
リツコはコーヒーを淹れながらユイに返事をしていた。
リツコにしてみれば最初はゲンドウに強要された事とは言え、職業人としての本能で参加したのである。
(偽札の偽造犯が利益と関係なく偽造するのと大差ないわね)
リツコは声に出さずに自嘲してしまう。
「私も人の事が言えないわよ。シンジが産まれる前に気付いて止めるべきだったと反省しているわ」
ユイもゲンドウとゼーレの暴挙に関しては罪悪感を感じていた。
初めての妊娠に手一杯で夫や上部組織の動向を察知する事が出来なかった。
「ユイさん。少し休憩しませんか?」
リツコの声にコーヒーの芳醇な香りとクッキーの甘い香りがユイの鼻腔を刺激する。
「お言葉に甘えて頂くわ」
ユイも肉体年齢は20代である甘い菓子の誘惑に抗えない。
テーブルの上のクッキーとコーヒーが疲れた脳に染み渡る。
「私だけじゃなくキョウコさんに確認してもらった方がいいわね」
ユイが初号機のコアに取り込まれて復帰するまでの間に10年間の時が流れている。
優秀な科学者であるユイにしても10年のブランクは大きい。
「キョウコさんも私と同じ浦島太郎だろうけど、私よりは少しはマシだと思うわ」
セカンドインパクトの影響は大きく多くの優秀な人材が研究から離れて、その日の生活に追われてしまった。
リツコを代表してネルフの職員は恵まれた人達なのであった。
逆に10年間のブランクがあるユイやキョウコが即戦力として投入されるのは二人の才能が群を抜いている証拠でもあった。
「そうですね。キョウコさんには明日にも連絡してみます」
「この計画は私やキョウコさんにも責任がある事だから」
(それに、あの人が残した最後の仕事だからね)
ユイとリツコがデスクにあるファイルに視線を向ける。
ファイルの表紙には「第6次サルベージ計画」とラベルが貼られていた。
ゼーレ、ゲンドウ、亡き後に遺された人々には課された仕事が残っていた。
随分と投稿の間が開いてしまいました。
身内の不幸と連続して転勤と引っ越しにコロナ禍という事態に執筆に時間を割けない状態でした。
コロナの流行により、何かと不便な事が多い今日ですが、この状況が一日も早く解消されて、平和な日常が戻り皆様に多幸がある事を祈っております。
まだまだ、予断が許されな状況ですが、どうか御自愛されて下さい。