(結局、何も思いつかなかったなぁ……)
朝の通学路を歩きながら、真太郎はため息を一つ吐いた。
悩みの種はもちろん、今日の授業で書くことになる作文の内容。
自分の将来の夢はなんなのか。昨晩からずっと考えてはいるものの、『勇者』以外になりたいものなんてちっとも思い浮かばない。
だからといって、「僕は将来、勇者になりたいです」なんて馬鹿正直に書くわけにもいかない。書けば間違いなく先生からダメ出しされる羽目になるし、もしみんなの前で発表しなさいなんて言われたら目も当てられない。
幸い、今日の道徳の授業は6時間目。考える時間は十分残っているが……。
「最悪、将来の夢はありませんって書くしかないかなぁ……」
それはそれで怒られそうだ、と思いながら再びため息をつこうとして。
「ん?」
コツン、と。
自分の履いている靴が、何かを軽く蹴った。
足元に視線を下ろす。
一個の腕時計が、道の上に転がっているのが見えた。
しゃがみ、右手それを拾い上げる。
丸い文字盤を囲う黒いベゼルと、黒いベルト。文字盤に刻まれた、『壱』から『壱弐』までの数字。
ちょっと変わったデザインのその腕時計には時針と分針の二本の針があるが、電池が入っていないのか二本とも『壱弐』を指したまま動いていない。
(誰かの落とし物かな)
落とし物なら交番に届けるべきだが、今は学校に向かう途中だし、この近くに交番はない。
学校が終わったらすぐに交番にいこう、と決めながら、真太郎は腕時計をズボンの左ポケットに入れようとする。
ポケットの口を広げた左手に、腕時計のベルトが触れた時だった。
次の瞬間、バチンッと音をたてて、腕時計がひとりでに左手首に巻き付いた。
「うわっ!? なんだこれ!?」
驚き、咄嗟に取り外そうとする。
しかし、外れない。ベルトを引っ張っても、腕をぶんぶん振っても、腕時計は手首から離れる気配すらなかった。
まるで、ぴったりとくっついてしまったかのように。
「どうしよう……」
朝日に照らされる路上で、真太郎は呆然と呟いた。
団栗坂小学校6年1組の教室。
真太郎の席は、窓側の列の前から2番目の位置にある。
正面の黒板から視線を左に移せば、窓越しに見えるのは青い海と、その上に架かる巨大な橋――瀬戸大橋だ。
真太郎が生まれ育った四国と、四国の外の土地――本州を繋ぐ交通の要所。
もっとも、四国と本州の交通が途絶された今となっては、橋としての機能を失ってしまっているが。
「…………」
窓の外を眺めていた真太郎は、視線を自身の左手に移す。
手首には、今朝拾った腕時計がいまだに嵌っていた。
(なんなんだ、これ……)
勝手に巻き付いたうえに取り外せない、不気味な腕時計。
もしや、一度つけたら二度と外せない呪いの腕時計とかじゃ? なんて馬鹿げた考えが浮かんでくる。
とここで、学校のチャイムが鳴り響いた。
「こら君たち、席に着きたまえ。朝礼を始めるぞ」
教室に担任の先生が入り、クラスメイトたちがそれぞれの席に座っていく。
全員が着席し終えると、今日の日直が号令をかけた。
「起立」
席を立つ。
「礼」
頭を下げる。
「神樹様に、拝」
廊下の方を向いて、手をあわせる。
『神樹様のおかげで今日の私たちがあります』
そして、感謝の言葉を神樹様に捧げる。
いつもの朝の挨拶を終え、真太郎は自分の椅子に座ろうとする。
その瞬間、全ての時が停まった。
「……え?」
真太郎が異常に気付いたのは、着席した直後だった。
周囲を見回す。
クラスメートたち全員が、立ったままの状態で停止していた。
教壇に立つ先生も、こちらを向いた体勢のまま動かない。
見れば、黒板の上に掛かった時計の針も、ピタリと停まっていた。
「なんだ、これ……!?」
混乱に襲われながら、真太郎は教室を飛び出し、廊下を走った。
他の教室も同じだった。先生と生徒たちが、一人残らず静止している。
階段を駆け下り、上履きのまま校庭に出る。
広い砂の地面の上に立ち止まり、両膝に手をついて荒くなった息を整える。
音一つ聞こえなかった。
風に揺れる木々のざわめきも、小鳥の囀りも。
全てが完全に停止し、しんと静まり返っている。
――真太郎を除いて。
「なんなんだよ、一体……なにが起こって……!」
理解の範疇を超えた異常事態。
いまだに整わない呼吸とともに、疑問を口にしたその直後。
チリン、という音が聞こえてきた。
「……?」
一瞬、気のせいかと思いながら耳を澄ませる。
チリン、という音がまた聞こえてきた。
風を彷彿とさせる、涼やかな音色。
風鈴の音色だと、すぐにわかった。
音はまだ鳴り続けている。
チリン、チリン――
チリン、チリン、チリン――
チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリン――
どこからともなく聞こえてくる、無数の風鈴の音。
まるでなにかに対する警鐘のように、ひっきりなしに鳴り響いている。
(この音……もしかして海の方から?)
確か、瀬戸大橋には数えきれないほどの風鈴が吊るされてあったはず。そう思いながら後ろを振り返ったその瞬間。
視界が、極彩色の光に包まれた。
「う、ん……?」
数秒の無音の後。
視界が光に包まれる寸前、両腕で顔を覆いながら目をつむった真太郎は、おそるおそる瞼を開く。
「――――」
そして、目の前の光景に、思考を完全に停止させた。
世界が、一変していた。
端的にいえば、それは樹木の世界だった。
色とりどりの無数の樹木が、地面を覆いつくしている。
左右に立ち並ぶのは巨大な柱。頭上を見上げれば、不思議な色の空が広がっている。
絵本の中に入ってしまったのかと錯覚するほどに、あまりにも幻想的な世界。
その樹木のうちの一本の上に立ちすくみながら、真太郎は唖然としていた。
「どこだ、ここ……?」
呆けた声をこぼしながら、後ろを振り返る。
そして視界に――何かが映った。
饅頭のような形状をした白い体。
多数の分厚い歯を有した、巨大な口のような器官。
人よりもはるかに巨大なその何かは空中を浮遊しながら――こっちめがけて泳いでいる。
――やばい。
直感でそう思った。
あれが何なのかはわからない。
生物なのか、そうでないのかすらわからない。
ただひとつわかることは。
あの『化け物』は、真太郎を殺そうとしているということだ。
「う、あ――」
自ずと足が動き、後ずさるが、白い異形は予想以上に動きが早かった。
あっという間に真太郎の目の前まで接近し、巨大な口をガパリと開く。
洞窟のような暗い口の中に、真太郎の体はあっけなく吞み込まれ――
「危なああああああああああい!」
暗雲を吹き飛ばすような、明朗快活な声。
それが響き渡った直後、真太郎を食らおうとした白い異形は塵となって爆散し、跡形もなく消え去った。
へたり、と真太郎は尻もちをつく。
(生き、てる……?)
呆然とする真太郎の目の前には、3人の少女が立っていた。
「ねえ君、大丈夫!? どっか怪我してない!?」
「ぎりぎり間にあったみたいだね~。よかった~」
「ええ、でもどうして樹海に男の人が……?」
一人は、情熱の花のごとき、赤い衣装の少女。
一人は、優雅な花のごとき、紫の衣装の少女。
一人は、清楚な花のごとき、白い衣装の少女。
花を彷彿とさせる、神秘的な衣装を纏った少女たち。
これが、柊真太郎と、『勇者』と呼ばれる少女たちの出会いだった。