【千冬、客をもてなす】
私こと織斑千冬は自宅の大掃除を終えて、一足早く昼食を食べていた。
アパート暮らしで部屋数が少なく、大して広くない。物が少ない家だから掃除は楽だ。
一夏の部屋が散らかっていたものの、大晦日まで五日もある。
ピンポーン、と呼び鈴が鳴った。時計を見ればちょうど正午。
「勘弁してくれ。昼食中だぞ……」
毒づいたものの、笑顔を作って玄関に向かう。
だが、客は呼び鈴を連打した。ピンポーンピポピポピンポーン……と他人様の迷惑はお構いなしだ。
以前、近所のジャリ共の間でピンポンダッシュが流行ったことがある。あまりに頻発するので業を煮やした私は、追いかけて全員とっちめてやった。
それとも以前ボコボコにしたヤンキーや男子生徒がお礼参りに来たのだろうか。
私は扉の前で黙考する。一夏が「うるさいぞー!」と奥で叫ぶ。
ドアノブをゆっくり回してから、勢いをつけて押した。
「プギャッ」
短い悲鳴だ。座り込んで額を抑えるタバネを見下ろし、ひややかな視線を注ぐ。
「おい。タバネ。何しにきたんだ。事と次第によっては大掃除の手伝いはなかったことに」
「それだけは勘弁して! ちーちゃああああん!」
【タバネ、織斑家を訪問する】
私こと織斑千冬は客用の湯飲みに緑色の液体を注いでいた。
御手洗さんからもらった一袋千円くらいするお茶だ。タバネにやるのはもったいないが、篠ノ之家にはお世話になっている。
「タバネ、昼食は?」
「箒ちゃんの手料理を食べたからお腹いっぱいです!」
腹を強く叩きすぎてゲホゲホとむせるタバネ。
「で、何か用か」
「ちーちゃん。二九日から三一日まで暇?」
「私はな」
急速湯沸かし器のお湯で食器を洗う。タバネが唇をすぼめて湯飲みに口付ける。
「ちーちゃん。宿題は?」
「お前のを写すから問題ない」
「だから頭が悪いまんまなんだよ。ちーちゃん」
言外にバカだと言われた。
「今回は写させないよ」
「じゃあ、ヒカルノかスコールで」
「あの二人、いま真耶ちゃんのところに遊びに行ってるよ」
「やっぱりお前のを写す。大掃除の報酬だ。悪くない話だろ?」
タバネが突然手をたたき、懐から携帯端末を取り出した。
「あ、刀奈ちゃん? 今、大丈夫? よかったー。あのさあ、ちーちゃんなんだけど……うん。そうなんだよー。え? ちーちゃんなら今、目の前にいるよ」
タバネが携帯端末を耳から離し、通話口を手で塞ぐ。
「ちーちゃん。刀奈ちゃんが代わってくれって」
「
私はタバネの携帯端末を受け取る。
「もしもし。更識さんですか」
〈よう。ゴリムラチフユ。久しぶりだな〉
「切るぞ」
〈ま、待て。ちょっと待て! 織斑千冬!〉
「人の名前を間違えるなんて……楯無さんが泣くぞ」
受話器越しに「親父の名を出すとは卑怯な……」というつぶやきが漏れた。
〈おい。二九日から三一日は暇か?〉
「タバネと同じことを聞くんだな……」
〈暇か?〉
「暇だ。先に言っておくが宿題のことは聞くなよ」
〈んなもん聞かねーよ〉
「とにかく空いている。用件は何だ」
〈謝礼を出すから頼まれてくれ。うちの親戚がさ。メルトモにどうしても会いたいんだと。そのメルトモは保護者がいないとダメなところにいてさ。頼むよ〉
チビガキから「謝礼」「頼む」という言葉を聞く。私は色気を出して最後まで聞くつもりになった。
「お前も保護者が必要な年だからな。サラシキから人を出せないのか?」
〈無理。オレんとこ、今日本にいないもん。国内にいるやつは年末年始で休暇中だし。たばねーちゃんに詳細を伝えてあるから後はよろしく。謝礼はまとめて元旦に渡すから〉
「おい! 日本にいないってどういうことだ!」
通話を一方的に切られてしまった。国際電話だと気づいて、私は青くなった。長い時間を話したような気がする。金持ちのチビガキには
「ちーちゃん。料金なら気にしなくていいよ。さっきのインターネット電話だから、かかるのはパケ代だけ」
私はほっと胸をなで下ろす。
タバネの携帯端末から着信音。メールの差出人はチビガキ。タバネに断って内容を確認する。
「ところでタバネ。チビガキとセシリアちゃん、チェルシーちゃんが
凱旋門といえばパリ。パリはフランスの首都である。
【タバネ、電車を待つ】
私こと織斑千冬は午前三時にたたき起こされ、寝ぼけ眼をこすっていた。
十二月二十九日。夜明け前で何もかもが寝静まっている……はずだった。
現在、私は始発電車を待っている。
「ちーちゃん。いっくんはどうしたの?」
「昨日のうちに五反田さんちに預かってもらった。明日は
私は隣のタバネをじろじろと眺める。
ふわもこのダウンジャケット。少し大きめのニットソーをルーズに着て、チェック柄のパンツスタイル。茶系のデザインブーツ。頭はすっぽりと黒いニット帽で覆われている。通学カバンにはノート型端末と予備バッテリーが入っている。
お出かけにしては気合いが入りすぎではないだろうか。
「んー? どうしたの?」
タバネが脳天気な笑顔でのぞき込んできた。
私の格好といえば、パーカーにスタジャン、ニットソーを重ね着して、古着屋で買った防寒ジーンズ。一度盛大に破れたらしく、解体リペアの痕跡がある。靴はスニーカー。タバネに言われて、何かあったときのためにボン太くんリングをはめている。
「さぶっ」
ポケットに手を突っ込んで震える。
タバネが腕を組んで体をくっつけてきた。下手なカイロよりも人肌のほうが温かい。
「タバネ。お前ってさ。見た目だけはカワイーのな」
するとタバネがきょとんとしてから、急に真剣な表情を浮かべる。
「ダメだよ。ちーちゃん。みんなにそういうこと言うから、勘違いしちゃった女の子が告白してくるんだよ」
「んなわけあるか」
始発まで数分となった頃。
タバネがコートを羽織ったヒカルノとスコールを見つけて腕を離す。
「やっぱ寒いなー」
私はひとりで震えていた。
【タバネ、電車に乗る】
私こと織斑千冬は友達と一緒に始発電車に乗っていた。
年末だというのに乗客の多さに困惑している。若者ばかりだ。私はタバネに尋ねた。
「で、どこに行くんだ?」
ヒカルノが驚きの声をあげた。
「知ってて来たんじゃないんですか!」
「知りあいの親戚と一緒にイベントに行く……くらいしか聞いてないぞ」
ヒカルノがタバネに困惑の視線を向けた。
タバネは頭をコツンとたたいて、舌を出しながら照れ笑いを浮かべる。
「アメリカでも有名デスヨ? エディなんかキャプテンマクミランになりきるんダってギリースーツと一緒に来日したくらいデスカラ」
エディことエドワード・コーリングは、スコール曰く元Dボーイズ。嘘か本当かは知らない。
「もちろんナンパ目的デスケドネー」
「なんとなくだが男しか釣れない気がするぞ……」
まだタバネから質問の答えを聞いていない。
「で、行き先はどこ」
「大崎で刀奈ちゃんの親戚の子と合流します。そのあとは臨海副都心線」
私はゆるキャラフェスタの惨状を思い出して顔をしかめる。
「はい。コレ。一日乗車券。依頼主のご厚意だから、元を取ろうと考えなくてもいーよー」
一日券を受け取る。運賃を気にしないでよくなったので安心。あの路線は割高なのだ。
「横浜に出たら大崎行きに乗り換えるからね。ちーちゃんたち。私からはぐれないでね!」
【タバネ、落ち合う】
私こと織斑千冬はようやく大崎に到達した。道中、スコールがエディらしき不審人物を見かけたと騒いでいた。
改札を出て大きなビルに向かう。近くのコンビニで待ち合わせ予定だ。
「来たみたーい」
腹ごしらえ中に、タバネが手を振った。
「タバネ。会ったことがあるのか」
「今日初めてだよー。でもここまで送ってきた人はちーちゃんも会ったことあるはずだよ」
よく見たらふぁんとむくんに殴り倒された人だ。私服のセンスがなっておらず、タバネが解説しなかったらチンピラだと思うだろう。事実、ヒカルノがあからさまに怖がっている。
「あの子の家って、もしかして真耶んところと同業なのか?」
一見して良家の子女なのだ。大きなメガネをかけて、ゆったりとしているところもよく似ている。チンピラっぽい男を下男扱いするくらいだから、まともな稼業ではないのだろう。
「ここだよー!」
八歳くらいか。女の子がパタパタと足音を立てて階段を降ってきた。
私たちの前に立ち、自己紹介する。
「今日はお世話になります。はじめまして。
チビガキの同類かと思いきやしっかりしたいい子だった。
【タバネ、隣のビルへ行く】
私こと織斑千冬は戦場の……隣のビルにいた。大井町での混雑振りを見て、さすがに八歳児には酷だろうと思い、国際展示場駅の人混みにはうんざりした。
幸い虚ちゃんが人気が少ない隣のビルに入っていったので、ほっと胸をなで下ろした。
「タバネ。あっちにはいかないのか」
「昼から行くよー。午前中はこっち。あっ、ちーちゃん。九時半にはボン太くんの準備をしてね」
「は?」
貸し会議室にボン太くんが出る幕があるのだろうか。
私が疑問に思っていると虚ちゃんが、外国人の男性に手を引かれてやってきた。
「タバネさん。紹介します。こちら、メルトモのモルダーさん」
「タバネ・シノノノです。よろしくー」
私もその場の勢いで挨拶と握手を交わした。
虚ちゃんが耳打ちしようと背伸びしたので、私とタバネは腰を折る。えふびーあーい、と彼女は口にした。
「何でそんな人が」
私はつい本音がこぼれてしまった。虚が説明する。
「なんでもぱわーどすーつになりそうな物を探し回っているそうですよ。おーべいの大学で研究させてて、
夢のある話だ。仮面をつけた全身タイツの不審者なんかも研究しているのでは、と私は疑った。
モルダーが「ここからは少し愚痴」だという。
「人員の安全第一。防弾チョッキは重量制限がある。ソコムズはごつくて運べない。鉄マンはリスクが……。ダメ元でボン太くんに当たってみました。この後温泉でゆっくりします」
期待されていないのはわかった。ふと肝心なことを聞かなければならないと思って、タバネに声をかける。
「それで、この催し物は何なんだ」
「ロボットのプレゼン会だよ。三分間だけ時間をもらったんだよね。難しいことはしないから安心してね!」
【ペタリハンド】
私こと織斑千冬はボン太くんを身に着けて公衆の面前に立っていた。
軽々と抱いていたタバネを下ろす。
「じゃあ、ボン太くーん! さっき言ったとおりに壁を歩いてみてね!」
視線を感じる。虚ちゃんやモルダーさん。ヒカルノやスコール。脳天気な笑顔を浮かべるタバネ。そして、その他大勢のみなさん。
「ふもっふー!」
私は言われたとおり、壁に向かって歩いた。場違いにも、ぷにゅぷにゅっとファンシーな音が会議室中にひびき渡る。
これ。見た目よりずっと難しいんだよな……。
「ふもっ。ふぅもふもふもっふ……」
床に対して体を水平にする。
会場が騒然となった。
オウ……クレイジー! ジーザス! という叫び声が聞こえる。
ハイパーセンサーが失意のあまり頭を抱えるモルダーさんを発見した。宇宙人に誘拐されたような顔つきだ。
「ふもっふ。ふもっふ」
垂直の壁に立って歩くだけの見た目は簡単なお仕事だ。タバネが天井を指さす。
「ふもっ」
ボン太くんが天井に立った。モルダーさんとその他の顔がマヌケに映った。
「ボン太くん。ばんざーい!」
ゆるキャラフェスタとやってることが変わらない気がする。
「腕立て伏せー!」
おのれ、タバネ! ボン太くんにとって一番難しいことを!
抗議する時間がもったいない。私は指示通りに腕立て伏せをしてみせた。
「ふぅもふもっふもっふもっふもー。ふも、ふも! ふも、ふも!」
天井に向かって。すなわち、重力を完全に無視して。
【千冬、ガチャパンの相方に会う】
悪戯説、仕込み説が蔓延するなか、質問攻めをボン太くん語で乗り切った。
ボン太くんはボン太くん語でしかしゃべれないということを、彼らは短いやりとりのなかで悟ったのだ。
失意の背中と興奮するモルダーさんが対照的だった。
隣の会場スタッフから着ぐるみでの入場はダメだと言われ、私こと織斑千冬は大して興味のないコスプレ会場を普通の格好でさまよう。
前を行くスコールが何かを見つけたらしい。
指し示した方角には、ガチャパンの相方が年配のカメラマンに包囲されていた。元ネタを知らないので、一体何を再現しているのか見当がつかない。中腰で筒のような長物を抱え、もぞもぞと動いている。数名の男性カメラマンが熱狂的にシャッターを切りまくる。理解不能の世界だ。
「M21、サイレンサー付デスカ」
スコールが思わずうなった。本物そっくりらしい。
「コレ、ボード、ボード。メイドインボード。何でも聞いてクダサーイ」
ガチャパンの相方は知ってる英語を適当につなげてみた日本人のような話振りだ。
スコールが質問する。
「飛行機で長物は持ち運べなかったハズデハ?」
「紙で作ったカラダイジョーブ! カムフラージュはお茶の子サイサイ。機内持ち込みデキルヨウ組み立て式にシマシター。空港はおもちゃでクリアー」
ガチャパンの相方が気を良くしたのか、スコープらしき筒を取り外した。
カメラマンのひとりに筒を手渡す。
「おおー! か、軽い! 本当に紙だ!」
「コウヤッテ、コウシマース。サラニコウシマース」
銃が四分割され、断面が中空になっていた。ガチャパンの相方は、スコープらしき筒を返してもらい、器用に組み立てていく。
「ウオオオオ!」
「ハイ、元通りデス! もちろんおもちゃダカラタマは出マセーン。むしろ……ギリースーツの持ち込みの方が苦労シマシター」
笑いどころがさっぱりわからない。
ガチャパンの相方がギリースーツから素顔をさらけだした。青みがかった瞳を見てようやく人類だと認識する。
「オヤ、ドーシタンデスカ。スコールは今、ヤーパンに留学中では?」
「エディ。久しぶりデース。友達と遊びに来マシタ」
「そちらはステイ先のお嬢さんですか? 初めマシテ。おや……リューインと似てナイノデスネー」
「はじめまして。織斑千冬です」
「チフユはリューインの弟子。シノノノ流」
ガチャパンの相方は私の頭のてっぺんからつま先までじろじろと眺め回した挙げ句、こう告げた。
「コレは失礼。ハハハ! この後、焼き肉でもいかがですか。オジョーサン!」
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