私が到着したとき、会場にはまだ誰の姿もなかった。
何せ、試合には三時間も早いのだ。
それも当然だろう。
そう思っていたのだけど、しばらくすると私以外の観客もやってきた。
その人の顔を見たとき、私は顔をしかめずにはいられなかった。
彼女たちは、いわゆる
『西住まほファンクラブ』
のメンバーだったのだ。
学校のいたるところで集まっては、まほの噂話を愉しんでいる人たちだ。
正直に言えば、あまり好きではなかった。
戦車道のことを勉強していたら話しかけてきたので何度か話す機会はあったけど、話も合わなかった。
彼女たちの言う『西住まほ』と、私の知っている『西住まほ』は違い過ぎていたから。
「……」
「……」
でも、話が合わないと思っていたのは彼女たちも同じだったようだ。
目が合うと、彼女たちは私からかなり離れた席に腰を下ろした。
気まずい雰囲気だが、それでも近くに座るよりは気楽だった。
一時間ほど気まずさに耐えていると、また気の早い観客が一人やってきた。
前田メグミさん。
いつもまほにカレーを作っている栄養科の生徒が、ボストンバッグのような大荷物を抱えて現れた。
「あ、茅野さん、久しぶり」
私を見ると、気さくに手を振ってきて、隣の席に座った。
前田さんのことは嫌いじゃない。
私も話しかけた。
「前田さんが試合を見に来るなんて、めずらしくないですか?」
「まあね、いつもは食堂の仕事があるから来れないんだけど、今日はちょっと心配でさ」
そういう前田さんの気持ちは、よくわかった。
私も同じ気持ちだった。
いつもはもっと遅い時間に来るのだ。
相槌を打つと前田さんは「あ、やっぱり?」と苦笑いした。
「笑っちゃうよね、お前はオカンかって」
これも全くもって同意見だった。
でも、悪いのは私たちじゃない。
心配させるまほが悪いのだ。
そう言うと、前田さんは笑いながら何度もうなずいた。
「茅野さんは、みほちゃんと会ったことあるんだっけ」
笑い終わると、前田さんは言った。
首を横に振る。
大洗の試合の映像を見ても『うちにこんな生徒がいたんだ』と変に感心したくらいだから、偶然どこかで話したということすらないはずだ。
「じゃあ、知らないよね。私は中等部のころからみほちゃんのこと知ってたんだけど、ずっと暗い顔してる子でさ、私も『この子にはこの学校が合ってないんじゃないか』って思ってた」
前田さんの表情がいつの間にか暗くなっている。
「西住さん、そういうみほちゃんを何度か食堂に連れて来てたんだけど、見てるのが辛いみたいだった。あの姉妹ってパッと見ただけで仲がいいのはわかるんだけど、なんだか話が弾まないんだよね。みほちゃんと来るときは西住さんのカレーの減りも遅いの」
「……」
「そういうみほちゃんがさ。この大会の二回戦で勝ったとき、ニコって笑ってたじゃない? あれ見ると『ああ、これは西住さんは辛いだろうな』って」
「それに加えてみほちゃんの学校が廃校になるって話でしょ。西住さんは各校の協力を得られることになったから問題ないって言ってたけど、あれ、嘘でしょ? まあ、これで望みはつながるんだろうけど、問題ないなんて断言できるほど、文科省が融通利かないのは私でも知ってるよ」
その通りだった。
まほ自身、その話をするとき「賭けてみる」という表現を使っていた。
『勝てば西住流と黒森峰女学園の面目が立つ。けど、妹の居場所がなくなる』
『負ければ妹の居場所は守られる。けど、西住流と黒森峰女学園の面目は丸つぶれになる』
という危機は、まだまほの目の前にある。
「まっ、というわけでさ!」
前田さんは、暗くなってしまった雰囲気を吹き飛ばすように明るい声で言って、持ってきていた大荷物を開けた。
中から新鮮な土の匂いがふわっと漂ってきた。
覗いてみると、ニンジン、ジャガイモ、タマネギと何を作るのか一目でわかる食材が見えた。
「試合が終わったら作ってあげようと思って持ってきちゃった。茅野さんもどう?」
井手上メイさんがやってきたのは、それからすぐのことだ。
「茅野ユウ、話がある」
メイさんはそう言うと、有無を言わさずに私を立たせて、そのまま戦車戦のフィールド内に入ってしまった。
どうやら試合前の地形視察をしているところだったらしい。
「まほのことだけど」
かなり観客席から離れて人目がなくなったとき、メイさんは言った。
「もし今日の試合で負けたら、まほは世間から凄く叩かれると思う。それでも、まほの友達でいてくれる?」
この質問に答えるのに、もうためらいは要らなかった。
「もちろんだよ」
と私は答えた。
「そう、ありがとう」
メイさんの話は終わりらしかった。
それだけ言うと、クルッと方向転換して来た道を戻りはじめた。
でも、これで終わりという風にはならなかった。
正面から大洗のパンツァージャケットを着た5人組が歩いてきたのだ。
彼女たちは私たちに気付くと、それぞれに大きなリアクションをした。
ちょっとムチっとした体形の子と、一番背が高くて髪が長い子は他の三人を庇うように前に出てきた。
どこか猫のような雰囲気の小柄な子は眠そうな目をスッと鋭くした。
モジャッとした髪の子は、なにやら感動したような面持ちで目を見開いている。
そして、おっとりした感じの――でも、ハッキリとまほに似ている女の子は
「メイさん……」
と申し訳なさそうに私の横にいる人の名前を呼んだ。
西住みほという名前が、すぐ頭に浮かんだ。
「何の御用ですか」
髪の長い子が丁寧な口調で、しかし険のある声で言った。
それにムチっとした子と、小柄な子が同調する。
「そうだよ、またイチャモンつけにきたの!?」
「あの副隊長といい、黒森峰の生徒は人に絡むのが好きらしいな」
「あ、みんな……」
メイさんは困ったように、みほちゃんを見つめていた。
でも、そのみほちゃんが周りを止めようとしても、三人は納得しない。
どんどん雰囲気が硬くなっていった。
それを壊したのはモジャッとした髪の子の、感極まった声だった。
「井手上メイ選手ですねっ!!」
そう叫ぶと駆け寄ってきて、メイさんの手を取った。
「あの井手上さんと会えるなんて光栄ですぅ! 戦車道をしていた甲斐がありましたっ! あ、握手してもらっていいですか!?」
「あ……ありがとう?」
その子の行動で大洗の生徒たちの雰囲気がゆるんだ。
「えっと、ゆかりん? その人のこと知ってるの?」
「何を言ってるんですか!? 西住まほ隊長が操るティーガーの乗員で、高校ナンバー1操縦手の呼び声も高い井手上メイ選手ですよ! もちろん同じ操縦手の冷泉殿なら知っていますよね!?」
「すまん、知らん」
そこに髪の長い子が
「あの……優花里さん?」
と呼び掛けて、みほちゃんの方に視線を向けた。
それで優花里と呼ばれた子も気付いたらしく、あわあわと口を震わせて肩を落とした。
何というか、犬に似ている。
ちょっとかわいそうだった。
まあ、けど、これでメイさんとみほちゃんが話せる環境になった。
「みほ、久しぶり」
メイさんがそう呼び掛けて微笑んだ。
「決勝進出おめでとう」
それを受けたみほちゃんの顔に、一瞬戸惑いが浮かんだ。
けど、すぐに笑顔に変わって言った。
「ありがとうございます」
「そっちの人たちはⅣ号の乗員だよね?」
「紹介しますね。通信手の武部沙織さん、砲手の五十鈴華さん、装填手の秋山優花里さん、操縦手の冷泉麻子さん」
みほちゃんが一人一人の名前を紹介していく。
終ると、メイさんはコクッとうなずいた。
「みんないい子なんだね」
「はい、私の友達です」
視線を移すと、Ⅳ号の乗員の四人が小声で話し合っている。
「なんだ、ずいぶん西住さんと親しいんだな」
「井手上選手は小学校から西住まほ隊長の戦車に乗っている方ですからね。そのときから親交があるんじゃないでしょうか」
「さすがゆかりん、よく知ってるね」
「みほさんがこんなに笑ってるのは初めて見た気がします」
みんなみほちゃんのことを心配していたようだ。
メイさんの方に視線を戻す。
「……久しぶりにレンの鉄拳制裁が見れた」
「ふふっ、相変わらずなんですね」
「うん、たしかにみほが転校した初めのうちは大変だったけど、もう立ち直ってる」
「西住、ここにいたか!」
向こうの方で声がした。
声に続いてゾロゾロと集団が走ってくる。
みんな大洗の隊員らしく、パンツァージャケットを着ていた。
口々に言う
「また黒森峰の連中か!」
「西住隊長を助けろ!」
「まったく会長がいないときに」
とかのセリフで、さっきまでのⅣ号の乗員と同じ勘違いをしているのがわかった。
思わず、笑ってしまう。
みほちゃんは、大洗でこんなに多くの人に慕われている。
「メイさん、まほがこれを見たら、嬉しいって思うのかな?」
「……」
「メイさん?」
答えが返ってこない。
見ると、私の隣にいたはずのメイさんの姿はもう数十メートルは離れたところにあった。
逃げたんだ。
気付いても、もう遅かった。
私は大洗の生徒たちにスパイと間違われて、一時間ほども拘束された。
みほちゃんとⅣ号の乗員の言葉があって解放されたが、観客席に戻ったときには席はほとんど埋まってしまっていた。
前田さんの隣も他の人が座っていた。
ただ、例のファンクラブの隣の席だけが一つ空いている。
「……」
仕方がない。
戦車道の試合は長ければ5時間、6時間とかかることも珍しくない。
立ち見をするよりは、ましだった。
私はその責に腰を下ろして試合が始まるのを待つことにした。
あと十分ほどだったが、その十分は永遠にも感じられた。
その間、私はずっと悩んだ。
まほが勝てば大洗は廃校になる。
けど、負ければまほは今までの比ではないくらい傷つくことになる。
けど、それは勝って、みほちゃんが一人になってしまっても同じことが言えて……
(ああ、もう! どうしたらいいの!)
頭の中がめちゃくちゃで破裂しそうだった。
私がいくら悩んだって結果は変わらないとわかっていたけど、悩まずにはいられなかった。
『試合開始!』
審判の宣言が聞こえた。
両校の戦車が一気に動き出した。
序盤、いきなり奇襲を成功させたのを見たときは勝ったと思ったものだ。
はじまる前から戦力差は歴然としていたし、装甲や火力なんかの戦車の性能も圧倒していた。
そもそも数が相手の2.5倍だ。
でも黒森峰はここで1両しか倒せなかった。
明らかに隊内の動揺の結果だ。
みほちゃんの学校が廃校になるかもしれないという不安。
隊長に対する不信。
そういうものが濃く残っていることを顕わしていた。
大洗が高地に作った陣地を攻めた戦いでも、それは顕われた。
背後に現れたヘッツァーの攻撃に黒森峰は情けなくなるほど崩れたった。
せっかく包囲していた大洗の戦車も簡単に逃がしてしまった。
ここまで黒森峰は3両を撃破されている。
対して大洗は1両だけ。
観客席の楽勝ムードは消えてなくなっていた。
「だ、だいじょうぶだよね?」
となりのファンクラブの子が狼狽した様子でそんなことを言っていた。
大洗は得意とする市街地に入っている。
お世辞にも「だいじょうぶ」と言える状態ではない。
まほが市街地に潜ませていた超重戦車マウスも、大洗の奇天烈な作戦で撃破されてしまった。
「負け」
という言葉が現実味をもって迫ってきた。
だからだろうか。
そのときには、あれだけ悩んでいたのが不思議なほどハッキリと
(負けて欲しくない)
と思っていた。
勝て、勝て、勝て、と自然と念じていた。
大洗の廃校?
みほちゃんの居場所?
学園艦に乗っている人たちの人生?
うるさい死ね。
それだけの理由で、まほが負けていいわけあるか。
だって、あんなに頑張っていたのだ。
夜遅くまで学校に残って戦車道の仕事をしていたし、休みの日にも戦術の勉強をしていた。
みんなの模範にならなければいけないと言って、学業も頑張っていた。
周囲からの期待というプレッシャーにも耐えてきた。
妹が苦しんでいるのに何もできないという状況にも耐えてきた。
これで勝てないなんて言ったら、おかしいじゃないか。
「あ、あの、茅野さん?」
ファンクラブの子が話しかけてきた。
わずらわしくて顔をスクリーンに向けたまま「なに」と聞いた。
「あの、手を、離してほしいなって……」
それでやっと、その子の手を握りしめていたことに気付いて、慌てて手を離した。
「ご、ごめんね! いつから……」
「い、いいよ、マウスが倒されたときくらいからだから、そんなに時間たってないし」
10分は前のことだった。
手が汗でびっしょりと濡れていたのが恥ずかしかった。
「本当にごめんね」
「大丈夫だよ私も気持ちはわかるから」
話している最中に砲撃の音がした。
私と彼女は同時にスクリーンに視線を映した。
撃破されている車両はない。
それを確認すると、思わずため息が出てしまう。
となりの子も同じことをしているのが横目に見えた。
たしかに気持ちはわかるのかもしれない。
試合は進んでいく。
まほの率いる本隊が市街地に着いた。
大洗は各車両がバラバラに逃げることで黒森峰の戦力を分散させると、ついに廃校の敷地内でみほちゃんのⅣ号と、まほのティーガーⅠの一騎打ちになった。
不意に左手が引っ張られる感覚があった。
さっきのファンクラブの子が私の手を握っていた。
「あっ、ごめんなさい……」
「いいよ、気持ちはわかるから」
「アハハ……」
またスクリーンに視線を戻すと、そこではキューポラから顔を出した二人が映されていた。
まほは普段通りの――すくなくとも表面上は――凛々しい表情で、相手をまっすぐに見て言った。
「西住流に逃げるという道はない。ここで決着をつけるしかないな」
対する相手は、まほとは対照的に気弱そうな――なのにどこかまほと似ている――表情を引き締めて言った。
「……受けて立ちます」
二両の戦車が同時に動き出す。
現場に設置されているマイクが拾うエンジン音がけたたましく会場に響いた。
その振動のせいか、スクリーンの映像も大きく揺れた。
会場全体が、この二人の一騎打ちに全神経を集中していた。
(メイさん、ユリさん、レンさん、神様。どうかまほを勝たせてあげて)
だから私の呟きは、たぶん誰にも聞かれなかったはずだ。