あの夜から私はまほを観察するようになった。
それにともなって、まほの私が考えてもいなかった性格が見えるようになってきた。
成果は大きく分けて、二つある。
その内の一つを象徴する話として、カレーの話なんかはうってつけの話だろう。
私とまほが一緒に先生に謝った、次の日。
まほから食堂に行かないかと誘われた。
お礼に何かをおごらせて欲しいということだった。
黒森峰の食堂は品ぞろえが豊かだ。
ドイツ文化の影響を強く受けている学校だけあって欧風料理はあるし、みそ汁なんかの和風料理もある。
しかもレストランよりも美味しいと評判だった。
ちょっと値も張るのが難点という話だったので、私なんかの庶民は羨ましく思いつつも近づいたこともなかったから、この申し出は嬉しかった。
食堂に着くと、まほから解説を受けながら聞いたこともないドイツ料理を頼むことにして、まほに伝えた。
まほは頷いて、食堂を運営する栄養科の生徒に
「彼女にアイスバインを頼む」
とだけ言った。
自分の注文は言わなかったのだ。
「西住さんは食べないの?」
栄養科の生徒が行ってしまったあとで私は聞いた。
私にだけ料理を食べさせて、自分は我慢するつもりじゃないかと思ったのだ。
そうだとしたら、さすがに落ち着いて食べられない。
でも心配は杞憂だったようで、まほが答えるよりも早く、私にも馴染みの深い香辛料の香りが匂ってきた。
それを私たちの座るテーブルに置いた栄養科の生徒が言った。
「西住さんはこれだよね」
「ああ、ありがとう」
それを見た瞬間、ある噂が思い出された。
『西住隊長はカレーしか頼まない』
という噂だ。
一時期、まほのファンや戦車道をやっている生徒が噂し合っていたから、黒森峰の生徒ならみんな知っているほど有名な噂だった。
いつの間にか聞かなくなったから、まあ何らかの決着がついたのだろうと思ってはいたけど、私は興味もなかったし、結末を知ろうとしなかった。
だけど、これでどんな決着がついたのか察することができた。
どう見てもカレーしか頼んでいない。
それがわかったから噂がなくなったのだろう。
わかりきったことを噂にするほど、女子高生は暇ではないのだ。
しばらくして私の頼んだ料理もやってきたが、私の意識は完全にまほのカレーに持って行かれたままだった。
「西住さんって、本当にカレーしか頼まないの?」
思い切って聞いてみた。
まほは
「そんなことはないと思うが……」
と言いながら、料理を持ってきてくれた栄養科の生徒を見た。
彼女はうなずくと、まほと話しはじめた。
二人はそれなりに親しい間柄らしかった。
「たしかに入学以来、カレー以外は注文されたことないね」
「そうだったか?」
「うん、結構、噂にもなってたんだよ? 『西住隊長がカレーしか頼まないのは自分をコントロールするための訓練なのだー』ってね」
この話も『カレーしか食べない』という噂と一緒に、私の耳にも届いていた。
「……好きだから頼んでいるだけなんだが」
「わかってるって。西住さんがカレー食べる姿って、作る側としてはすごく癒されるんだよね。大好きだって伝わってくるよ」
「……」
栄養科の生徒が、まほの肩をポンポン叩いた。
まほは答えずに視線を落としてスプーンを動かしはじめた。
このときの私には、表情に現れた変化がわからなかったが、今になって思うと照れていたのだろう。
それはそうと、このとき私の頭に浮かんできたのは『健康に悪いのではないか』という疑問だった。
おせっかいかなと思いつつ、言わずにいられなかった。
「ねえ、西住さん。栄養のバランスとか、ちゃんと考えてるの?」
どうも、そうとは思えなかった。
まさか朝昼晩、三食カレーというわけではないだろうが、昼だけでも全てカレーだとすると栄養バランスは崩れるだろう。
案の定、まほはスプーンを止めた。
それから栄養科の生徒を見た。
「まあ、良いとは言えないよね」
そう栄養科の生徒が答えた。
それに続いて私は言った。
もう気分は、まほの母親だった。
「好きなのはわかるけど、ためしに色んな料理も食べてみたほうがいいんじゃない?」
それからは私も食堂でお昼を食べるようになった。
料理が思っていた以上に美味しかったからというのもある。
けど主な理由は、まほがバランスの取れた食事をしているか監視するためだ。
まほは戦車道の仲間と食堂に来る。
その時に食べているものを盗み見るのだ。
最初の一週間は、ちゃんと色々な物を食べようとする努力が見られた。
「へえ、まほがカレー以外なんて珍しいな」
なんてことを一緒にきた戦車道の隊員に言われながら、焼き魚定食、ラーメン、野菜炒め、ハンバーグと色々な物を頼んでいたようだった。
しかし翌週には、ビーフシチュー、ハヤシライス、肉じゃが、ハヤシライスと何やら雲行きが怪しくなってきた。
二度目のハヤシライスの日、一瞬まほと目が合ったが、すぐに逸らされた。
次の日、あえて時間をずらして食堂に行ってみた。
すると、食堂の隅で一人こそこそとカレーを食べているまほを見つけることができた。
スプーンの動きがハヤシライスのときとは比べ物にならないほど早い。
私は気づかれないように後ろから近づいて、耳元でささやいた。
「またカレー食べてるの?」
この時のまほの反応は、見物だった。
ビクッと体を跳ねさせてかと思うと、激しく咳き込んだのだ。
みんなの憧れ『西住まほ』とは思えないほどの慌てぶりだ。
「そんなんじゃ、隊員に示しがつかないんじゃないの?」
すこし大げさに呆れた様子を作って言ってやると、まほは
「……仕方ないだろう。好きなんだ」
と言い訳をして、スプーンを一層はやく動かした。
その顔は私にもわかるほど、赤く染まっていた。
つまりだ。
『結構かわいい』
これが第一の発見だ。
もう一つは、まほは私が思っていた以上に戦車道の履修生たちに頼られている、ということだ。
クラスには戦車道履修者が八人いる。
まほは休み時間のたびに、その八人と別のクラスからやってくる生徒に囲まれる。
最強を誇る黒森峰戦車隊の面々は向上心も旺盛なようで、暇さえあると、まほを質問攻めにするのだ。
昼休みともなれば同学年だけでなく、さらに下級生まで集まる。
それでクラスの皆に迷惑がかかるから昼ごはんは食堂で食べることにしているんだ、と前に教えてくれた。
私が食堂を覗きに行ったときもそうだった。
まほはいつも尊敬の眼差しを自分に向ける履修生たちの中心に座り、次々に投げかけられる質問に答えながら食事をとっていた。
青春をスポーツに捧げる女子高生たち。
戦車道ファンの生徒や先生たちは、この集まりをそう見ているに違いなかった。
この光景を何も知らずに見たら、余計にそう思うだろう。
私自身、この光景と、この光景をあらわした『青春をスポーツに……』という言葉に疑問を持ったことはなかった。
でも、このときの私にはそれらが歪なものに見えて仕方がなかった。
いや。
青春をスポーツに捧げる女子高生たちの中心にいる西住まほ。
深夜の学校で狂ったように暴れていた西住まほ。
この二つが現実に存在しているのは、絶対にあってはいけないことだった。
まほは皆の信頼と期待のせいで、ああでもしないとストレスを吐き出せなくなっていたのだ。
クラスで授業を受けているときなど、私は後ろの席からまほの背中を眺めながら、こんなことを考えていた。
(そもそも、西住まほがどんな人なのか知っている人が、どれだけいるんだろう)
もしかしたら誰も知らないんじゃないだろうか。
それどころか、まほが二十歳にもならない高校生だということすら忘れているのではないか。
だからこんな風に、どう考えても重すぎる尊敬と期待を一人の女の子に背負わせて平気な顔をしていられるのではないだろうか。
いつだったか、戦車道ファンの友達に聞いてみたことがある。
「いくら何でも、戦車道の履修生って西住さんにベッタリくっつき過ぎじゃない? あれじゃ西住さん、ちょっとした息抜きもできないよ」
すると、友達は私を不思議そうな目で見て
「だって、あの西住さんだよ? あの西住さんが、そのくらいのこと気にするかなぁ」
とだけ、答えた。
私は黙り込むしかなかった。
本音で話し合える友達でもいたらと思って辺りを見渡しても、そういう人物はいそうになかった。
まほと同じ戦車に乗っているという本条メイさんと吉川ユリさんはどうだろうと二人の様子も見ていたのだが、どうやらこの二人も違う。
たとえば戦車の操縦手だという本条さんとの絆が深いのはわかる。
二人ともお互いが目を合わせただけで、相手が何を思っているのかわかるらしい。
けど、まほが頼れるかというと、何となく違う気がした。
通信手の吉川さんもそうだ。
彼女は口下手なところのあるまほの言葉を過不足なく補うという、相互理解の必要な仕事をしている。
でも、まほの方に何となく遠慮がある。
まほは二人を信頼している。
それは確かだ。
他の戦車道の履修生たちのことも、少なからず信頼しているようだ。
こんなに信頼できる友人に囲まれて、羨ましいくらいだ。
でも、その信頼関係は、まほを相手の方が『誰にも負けない凄い人』と勝手に決めつけてしまうことで安定しているように見えた。
だから、まほは仲間に相談できなかったのではないか。
だから、仲間たちも、まほの悩みに気付かなかったのではないか。
だから、まほは夜に一人で頭を抱えていたのではないか。
まほに必要だったのは、そういう内面に踏み込むことができる友達なのではないだろうか。
そう思った私は、めずらしく勇気を出すことにした。
十二月の、そろそろ冬休みに入ろうかという日の授業が終わったあと。
戦車道の練習に向おうとするまほを捕まえて言った。
「ねえ、西住さん、次に熊本に寄港したら一緒に遊びに行かない?」
断られるかもと思っていた。
けど、まほは意外に悪い顔をしなかった。
「ああ、わかった。練習が休みの日が決まったら連絡しよう」
このことはクラスメイト達の間でかなり噂になったようだった。