親と寮とシガレット
その日、オールマイトはオール・フォー・ワンを下した。自身の力をすべて使い切って。筋骨隆々な姿ではなく、頼りない骸骨のような姿になって。カメラを指し、『次は、君だ』というメッセージを残して。
世間は騒然としていた。神野区の悪夢、平和の象徴、オールマイトがいない時代。オールマイトの引退は、ヒーローの本場アメリカすら騒然させた。オールマイトの代わりにとノーリミット……父さんを期待する声も上がっているらしい。……その精神性はともかく、自分一人にオールマイトの代わりは無理だと本人が言っていた。「オールマイトに任せていた平和の象徴を、次は我々全員で担わなければならない」と。
本当に、すごい人だ。
俺は警察に届けられ、その日のうちに帰宅。本気で泣いた母さんを見たのは、久しぶりだった。
──そんな大きな変化が起きたとしても、日常はやってくる。
「わざわざありがとうございます」
「いえ、失礼します」
今、俺の家に相澤先生とオールマイトがきた。雄英は生徒をより強固に守るため、全寮制の導入を提案。そのための家庭訪問である。両親と生徒で対応をお願いします、とのことだったが、うちは父さんが入院しているので母さんと俺の二人だ。父さんとは、個人的に話を済ませてきている。
相澤先生とオールマイトをリビングに通し、二人が座るのを待った。いくら自分の家とは言っても相手は目上の人。先に座るわけにはいかない。そう思って座ってください、と促そうとすると、
「申し訳ございませんでした」
相澤先生とオールマイトが頭を下げていた。え、いや、なんですか?
「必ず想くんをお守りすると約束したのにも関わらず、敵に攫われてしまったことを謝罪させてください」
「あ、いいですよ。元々、攫われても仕方ないと思っていましたし、こうして無事に帰ってきてくれたので。夫も私も、そこに関しては同じ意見です」
頭を上げてください、という母さんの言葉で相澤先生とオールマイトが頭を上げて、母さんが座ったのを見て二人も座った。なんとなく取り残された気分になりつつソファに座り、気持ち背筋を正す。
「今回は、全寮制の件でお伺いしました」
「はい。それについてもよろしくお願いします」
「え」
思わず「え」と言ってしまったオールマイトに視線が集まり、オールマイトは冷や汗を流しながら頭を下げた。俺だって不思議だから、オールマイトが驚くのも無理はない。てっきり、俺は反対されるかと思った。むしろ、雄英をやめろとまで言われるかと。
ただ、母さんと一緒に父さんのお見舞いに行った時、父さんは「雄英がいいんだろ?」と言い、母さんは「私たちも、あなたのやりたいことを優先させるって決めたからね」とため息を吐いて笑ってくれた。
「……正直、嫌だとは思います。夫は、ヒーローなので誰かを守る、救うことに理解がある。だからこそ、想の意志を尊重して全寮制を承諾したんだと思います。ですが、私は、あの日。家族を二人同時に失う恐怖を覚えました」
ぎょっとして、母さんを見る。その話は聞いていない。ただ「全寮制なんだけど」と言ったらあっさり承諾されて、それで終わっていたはずだ。……ヒーローの父さんの前では言いづらかった、とかだろうか。
「こんなことを言うのもなんですが、想には他の誰かより自分を一番大切にしてほしい。あんな風に死にかけたり、攫われたりするような世界に身を置いてほしくない。……でも、あなたが」
母さんは俺でも見たことがないような柔らかい笑顔で相澤先生を見て、それから俺の手を握った。
「あなたが、この子に道を示してくれた。私たちのように見守るだけでなく、ヒーローという道を示してくれた。その道の先がどんなものであっても、私はその道を歩み始めた想の輝きを見てしまっています。……それなのに、やめてなんて、言えないじゃないですか」
震えながら力が入っていく母さんの手を、じっと見つめる。
「この子、相澤さんが相澤さんがって。職場体験に行ってからは夫の話も加わって、『父さんって、カッコいいんだな』って」
「母さん?」
「本当に尊敬しているんです。ですから、あの会見でのあなたの言葉がものすごく嬉しかったみたいで。ふふっ、この子ったら、相澤さんがくる!って髪のセットまでしていたんですよ」
「母さん!」
「『失礼がないように!』って私に言ってきたんですよ?普通私が言うことなのに」
「母さん?」
「ですから、私は信頼します。あなたを、雄英を。どうか、息子をよろしくお願いします」
「母さん……」
色々バラされて恥ずかしくなったが、頭を下げた母さんを見て俺も一緒に頭を下げる。別に、セットした髪を見せているわけじゃない。
「……ありがとうございます。今度こそ、必ずお守りします」
「そして、想くんを立派なヒーローに育て上げてみせます」
はい。と言った母さんに握られた手は、形が変わってしまうほど強く握られていた。……我慢、させちゃってるなぁ。
雄英敷地内。校舎から徒歩五分の築三日。築三日というところにとんでもなさを感じる"ハイツ・アライアンス"が、今日から俺たちの家になる。
「1年A組、無事にまた集まれたようで何よりだ」
「爆豪は集団生活無理だからこないと思ってたわ」
「何勝手に無理だって決めつけてんだ!できるわ!」
「俺が話してる」
久しぶりに受けた相澤先生の威圧にぐっと押し黙る。そういえばこの人めちゃくちゃ怖いんだった。最近色々あったから忘れてたわ。
「これから寮について説明する、が……その前に一つ。これからは合宿でとる予定だった仮免取得に向けて動いていく」
「あったなぁそんな話」
「ゴミみてぇな記憶力だな」
相澤先生にばれないよう、爆豪の足を踏み抜こうとしたが戦闘センス抜群の爆豪には通用せず、簡単に避けられた。そのまま足の踏み抜き合いをしていると、また相澤先生に睨まれる。いや、爆豪が喧嘩売ってきたんです……手を出したのは俺です。
「んで、爆豪。お前、久知を助けに行こうとしたらしいな」
「マジ?」
「……」
爆豪の顔を覗き込むように見てみると、目を逸らされた。マジかよ。あの爆豪が?今俺の足踏んでるのに?
「ノーリミットさんから聞いたぞ。なんでも、緑谷と喧嘩をしそうになっていたとか……。もしも行っていたら、爆豪だけじゃなく止められなかった全員除籍にしていた。耳郎、葉隠、久知は除いてな」
それは嫌だな。その空気地獄だろ。気まず過ぎて死ぬ。
「感情だけで動いていい問題じゃない。自分の立場とその他諸々、よく考えろよ。以上!さっ、中に入るぞ。元気に行こう」
「そうだぞ。怒られたからって気を落とすな、かっちゃん」
「落としてねぇよ」
ありゃ、いつもみたいにブチギレるかと思いきや、俺と目を合わせるだけ。足踏むのもやめたし、どういう心境の変化だろうか。あのブチギレがなければ爆豪じゃないってくらいなのに。
爆豪は俺を見て忌々しそうに顔を歪めると、顔を背けてぼそっと呟いた。
「……ったな」
「はっきり喋れや」
「悪かったな!!つったんだカス!」
耳が潰れるくらいの大声で謝られた。攻撃するか謝罪するかどっちかにしてくれ。ただ、この方が爆豪らしい。大人しい爆豪もそれはそれでありかもしれないが、こっちの方がしっくりくる。
「つか、悪かったって何が?」
「俺がザコだったせいでテメェが攫われて、だ」
「確かに。やーいザコ。これは俺が体育祭1位って言ってもいいんじゃね?」
「チッ、クソ、この野郎……!」
先に謝ってしまったからか、暴言を出しづらそうにしている。バカめ、下手に出た方が負けなんだよ。この場合の勝ち負けが何か知らないけど。
ただ、謝られてもピンとこない。爆豪も被害者だし、悪いのは敵だ。爆豪が責任を感じる必要なんてどこにもない。助けに行こうとしていたことに関しては流石に責任がないとは言えないが、個人的には、その、嬉しいし。
なんとなく照れ臭くなって歩きだし、手を振りながら爆豪を挑発した。
「ま、爆豪が俺をどうしても助けに行きたがるくらい好きだっていうのでチャラにしてやろう」
「悪ぃかよ」
「え?」
意外すぎる言葉に振り返って爆豪を見ると、心底人を馬鹿にしたような笑みを浮かべて中指を立てていた。
「ンなわけねぇだろ、バーカ」
「……!!!??」
「久しぶりに久知がブチギレた!」
「止めろ!本気で喧嘩して除籍は笑えねぇ!」
後で聞いた話だが、俺は獣のような叫び声をあげながら切島と上鳴に押さえつけられ、相澤先生にビンタされることで正気を取り戻したらしい。やっぱ敵に向いてんじゃねぇか?俺。
ハイツ・アライアンスは1棟1クラス、右が女子棟、左が男子棟になっており、一階は共同スペース。食堂、風呂、洗濯は共同スペースで行い、ソファ、テレビ等も置かれている。豪華。
部屋は二階からで、1フロアに男女各4部屋の5階建てで、俺は四階の端っこで爆豪の隣だ。調子に乗ったら死ぬかもしれん。
今日は事前に送った荷物があり、部屋を作って終わりらしい。部屋にエアコン、トイレ、冷蔵庫、クローゼットがあるのは嬉しい限りだ。
さて、部屋を作ろうと段ボールを開けようとしたとき、ふと母さんから「プレゼント、送っといたよ!」と言われたことを思い出した。とりあえず段ボールを見ていくと、大きく「プレゼント!」と書かれた段ボールを発見。絶対これだろ。
少し悩んだが、まず部屋を作ってから開けることにした。家具じゃないとは言っていたので、恐らく服か何かだろう。楽しみにしつつ部屋を作って、いざ!と気合を入れて段ボールを開けた。その中には、
「……!」
シンボルマークのオリーブを加えた鳩が描かれているパッケージ。それが段ボールの半分を占領し、他には消臭液、そしてZippoとメンテナンスキット。灰皿。間違いない。これは『アロマシガレット:Peaceフレーバー』!よく見たらZippoもPeaceモデル!この段ボールの中身だけで総額いくらするんだこれ?というか息子へのプレゼントにしては渋すぎる!が。
俺は早速Zippoにオイルを入れ、箱からアロマシガレットを一本取り出し、フィルターを下に向けてトントン、と叩いた後、口に咥えて火をつけた。Zippo特有のオイルのいい香りが鼻腔をくすぐり、カッコつけて片手でZippoの蓋を閉めると、脱力しながら煙を吐いた。
「……生きてるぅー」
もう一度吸って、吐く。肺にガツン、とくるあの感じはないが、味はPeaceだ。香りは甘すぎる気がするが、問題ない。
俺はこの日、母さんに人生で一番感謝した。