恋人はマリアさん   作:とりなんこつ

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第1話

卸したてのズボンに、バイト代をはたいて買ったジャケット。

今日の僕は、我ながら完璧だったと思う。

予定やするべき行動も頭に叩き込んできたので、夏休み終了一週間前に宿題を全部済ませたみたいな気分。

や、生まれてこの方、夏休みの最終日まで宿題を終えたことはないけどさ。

 

とにかく、今日の僕は絶好調だった。

ぐっすり眠って目覚ましのセットした時刻前に目が覚めて、身体に調子が悪いところもない。

あんまり調子が良くて、楽しみ過ぎて、一時間以上前に待ち合わせの駅ビル前についたくらいだ。

遅刻はダメだけど、早く来るぶんにはいいよね。

早くみんなも来ないかな~っと。

 

手持無沙汰でスマホを弄ってると、目の前をコートを着た若い女の人が歩いて行く。

続いてカツンと何かが落ちたような音。

足もとを見ると…なんだこりゃ? ペンダント? 麻雀の点棒みたいな感じのやつ。

材質は紫水晶っぽいかも。

あのお姉さんが落としたのかな?

お~い、お姉さん、ちょっと待って!

 

「なに?」

 

落としましたよ? はい、これ。

 

「見たの…?」

 

そりゃ見ましたよ。って、あれ? サングラスを外したこのお姉さん、どこかで見た記憶が…。

もしかして、マリア・カデンなんちゃら・イヴさん!?

 

やべ、マジで本物?

だったら凄いや、握手して貰えませんか?

って、何、この黒服のお兄さんたちは?

もしかしてマリアさんのボディーガード?

はいはい、避けますよ、避けますから。

え? ちょっとなにすんだよッ! 警察呼ぶよ…むぐッ!?

 

 

 

 

 

 

…はい。なんか歩道に横づけにされたワゴンに乗せられました。

拉致でしょうか。誘拐でしょうか。

真ん中の座席にすわらされ、左右を黒服のお兄さんにガッチリ腕を掴まれて、なんか目隠しされてます。

はっきりいって怖いです。生きた心地がしません。

 

あの~? 僕はどこに連れていかれるんですかね?

 

返事がありません。沈黙が嫌すぎます。

 

もしかして、マリアさんに触っちゃったからですかね? だったら謝りますから勘弁してもらえませんか?

僕、これからとっても大切な約束が…。

 

はい、無視ですか。そうですか。

ドラマなんかだと、ポケットに入れたスマホを指先だけで操作して誰かに助けを求めたりするんだろうけど、車に乗せられてまっさきにボッシュ―トです。

なので、怖いけど、暇です。

若者のスマホ依存ってマジでヤバいよね。

 

どれくらい車が走ったんだろう?

なんかどこかに停まったらしく、腕をひっぱられて外に出ました。

なんか湿っぽい感じがするから、地下みたい?

 

鼻をひくひくさせていると、ぐいぐい背中を押されました。

歩くと床がコツコツと音を立てます。

ガチャン、バタンとドアの開く音。

肩を掴まれて、椅子に座らされて、いきなり目隠しを取られて、視界が真っ白。

ようやく目が慣れてくると…なんだこりゃ?

まるで刑事ドラマの取り調べ室みたいじゃないか。

 

「やあ、こんにちは」

 

対面の、中年のおじさんがにっこり。

 

あの~、僕はなんでここに?

ひょっとしてここは警察署ですか? 僕は警察のお世話になるようなことをした記憶はないですよ? マリアさんに握手すらしてもらってないし。

 

「うん、ここは警察と違うかな。もっと上の組織」

 

え?

 

「ぶっちゃけるとさ、君は国家機密に触れちゃってるんだよね」

 

じょ、冗談でしょ!? 生まれてこの方、そんなもんに触った記憶が……あ。

 

「そう。彼女の持ち物なんだけどね」

 

ま、まさか、あのペンダントがこっかきみつ…?

あんなものに触ったくらいで?

 

「一年くらい前は違ったんだけどね、最近は厳しくてねー」

 

そんなラーメン価格の値上げみたいな軽いノリで言われても。

 

「そういうわけで、一つ、君には色々と誓約書とか書いてもらわにゃならんわけさ」

 

一つって割には、なんですかその分厚い書類の束は?

…いやいや、僕は今日、これから大事な用があるんですよ! こんなことしてる暇はないんですって!

ってゆーか、いま何時なんですか!?

 

「うん、まずは一枚目の誓約書の内容を要約するとね」

 

無視しないでください! 教えてくださいよ! 

あ、なんなら後日ってことで勘弁してもらえませんか!?

 

「ごめんね、こっちも仕事なんだ。じゃあ、なるべく早く片付けようね、お互いに」

 

 

 

 

 

 

…それから僕は、誓約書の内容をいちいち読み上げられ、一生分かと思うくらいサインをさせられた。

自分の名前を書いていてゲシュタルト崩壊したくらいだ。

やっと書き終えたかと思ったら、今度はなんか色々と質問が始まった。

 

「えーと、君の名前は阿部ハルトくんだよね?」

 

はい、そうですよ。

 

「都立高校の二年生で、現在17歳ね」

 

…つか、さっきまで何度も同じことを書類にサインしてるじゃないですか!

 

「はいはい、少し落ち着いて。あ、お腹へってない? なんか食べる? 官弁しかないけどさ」

 

結構です。早く続けて下さい。僕は今日用事があるっていってるでしょ!?

 

「んー、君の保護者と連絡が取れなくてさー。こっちもちょっと困ってるんだよ」

 

うちの両親はサイケデリックだから、メールでしか連絡取れないんですよ! それも下手すると一週間返信放置とかザラだし!

 

「それじゃ、ご両親はいまどこに?」

 

親父が沖縄に出張…って、あれ? 起業だっけ? とにかく単身赴任みたいな感じで、お袋も一度様子を見るって遊びに行ってから、戻ってこないんだよ!

…まあ、家賃とか生活費はきちんと振り込まれてるからいいけどさ。

 

「ふーん、そっか。で、都内のマンションで一人暮らし、っと」

 

あれ? そんなことまで話しましたっけ? …もしかして、僕の情報は全部知っているんじゃないですか?

 

中年男はにっこりしたまま答えない。

それから、もううんざりするほど同じことを繰り返し聞かれて、さすがにぐったりしてしまう。

ああ、スラックスもジャケットも皺だらけだ。

 

「うん。とりえあえず、ご苦労さま」

 

トントン、と書類を纏めて中年男が席を立つ。部屋を出ると入れ違いに黒服のお兄さんたち。

はい、予想通りの目隠しですね。

また歩かされて、車に乗せられて。

 

「そこ、足もとに気をつけて」

 

停まった車の外に出され、目隠しを取られる。

拉致された駅ビルの前だ。もうあたりは薄暗い。

 

「ご協力、感謝します」

 

黒服のお兄さんが僕のスマホを渡してきた。

ワゴンに乗り込んだと思ったら、あっという間に見えなくなった。

 

…人を拉致っておいて、それだけかよ!?

 

理不尽だと思ったけれど、そんなことより重要なことがある。

急いでスマホの電源を入れれば、やっぱり夕方の17時過ぎ。

次々と表示される電話の着信履歴と通信アプリの履歴を必死で追う。

待ち合わせに僕が来ないと心配するメッセージの履歴に少しだけ希望を抱いたけれど、くそ、やっぱり僕一人が欠席したところで、今日のグループデートは中止にするわきゃないか。

 

心配するメッセージも、段々不満やおふざけの内容に変わっていく。

結局は、デートを楽しむ内容の実況中継になって、色々な写メも混じってくる。

そしてとうとう最後のメッセージまでスワイプさせ―――僕の手からスマホが転げ落ちた。

その写真は、クラスメートで今回の発起人である斉藤涼馬と、僕の焦がれていた小金井すみれのツーショット。こちらにむけてピースする斉藤の頬に、すみれがキスしている写真だった。

 

 

 

 

 

 

それから、どうやって家に帰ったのかよく覚えていない。

気づいたらリビングのソファーに座っていた。

脱ぎ捨てたらしいジャケットは、まるで10年くらい使ったみたいにくたびれていた。

かくいう僕もくたびれていた。

謎の組織に拉致られたことに対する憤りはもちろんある。

けれど、斉藤から送られてきた写メがショック過ぎてトドメだ。

 

…そうだ。カレーを食べよう。

 

昨日作ったカレーは、今朝も食べてまだ残っている。

残ったカレーを温めなおして食べよう。

カレーは強い。何にでも合うし、なんでもカレー味にして食べられるようにする。

強いカレーを食べるとき、僕も少し強くなれる気がする。

カレーの入った鍋をコンロの火にかけたとき。

 

ピンポーン

 

チャイムの音。

誰だろう、今時分? 新聞の勧誘だろうか。

玄関へ行き、何気なくスコープを覗いて―――。

 

「こんばんは」

 

ドアの向こうには、マリア・カデンなんちゃら・イヴさんがいた。

 

…何か、用ですか?

 

我ながらドライな声が出たと思う。

 

「とりあえず、開けてもらえないかしら?」

 

……。

まさか、開けたとたん、また黒服のお兄さんたちがいたりしないよな?

でも、開けてあげた。しかも全開。

 

…で? なんでしょうか?

 

マリアさんはいきなり頭を下げてきた。

長い綺麗な髪にドキリとする。

 

「今日は、わたしがうっかりペンダントを落としたばかりに迷惑をかけてしまったみたいで…」

 

…は? うっかり?

 

僕があっ気にとられていると、マリアさんはすんすんと鼻を鳴らす。

 

「…なにか、焦げ臭くない?」

 

…!!

 

キッチンへ走る。

焦げ臭い匂いが益々強くなり、慌ててコンロの火を止めたけど時は既に遅し。

カレーは完全無欠の炭化物に成り果てていた。

 

………。

 

「大丈夫…?」

 

マリアさんが勝手に上り込んできたけれど、もうどうでも良かった。

僕の中で、何かがプツンと音を立て切れた。

 

 

…ざッけんな! ふざけんなよッ!

今日は、せっかくのデートだったんだぞ!?

去年の年末、地面から沸いて出てきたクソでかい棒のおかげで、半年の避難所生活!

それからどうにか学校にも通えるようになって!

三か月くらい経って、街も直って、ようやく元の生活が戻ってきて!

そんなこんなの、ほぼ一年越しで約束したデートが、今日だったんだぞ!?

 

それがいきなり国家機密を見たとかって拉致されてッ!

ようやく解放されたと思ったらデートは終わってて!

好きだったあの子はクラスメートの野郎にとられて!

 

おまけにカレーも台無しになった挙句、今日一日の原因はうっかりだぁ!?

うっかりで、僕の一日が全部パアなのかよ!

僕の一年越しの想いも何もかもぶっ飛んだのかよ!

 

きっと僕は泣き叫んでいたと思う。

床を踏み鳴らし、地団駄を踏んで、子供みたいに暴れていたと思う。

 

でも、どうしようもなかった。

空腹で、悔しくて、やるせなくて、頭の中がぐちゃぐちゃで自分でもどうしようもなかった。

どうしようもないから、もっと涙が止まらない。止められない。

 

突然、ふわっと温かいものに包まれる。

 

「落ち着きなさい。あなたの言い分は分かったから…ッ!」

 

…ッ!

 

「ごめんなさい。謝って済む話じゃないけれど、ごめんなさい…ッ」

 

僕は更に泣いた。

今日、僕を不幸のどん底に落としたのがマリアさんだったとすれば、今日、僕に初めて同情して謝罪してくれたのも彼女だったのかも知れない。

 

ふわんと良い匂いに、ようやくマリアさんに抱きしめられていたことに気づく。

恥ずかしくなって身体を離す。顔を拭えば、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。

ティッシュで鼻をかみながらマリアさんの様子を伺う。

真剣すぎる目がじっとこちらを見ていた。

 

「…どうすれば償えるかしら?」

 

……。

 

簡単に、もういいです、とは言えなかった。

でもまあ、マリアさんに抱きしめてもらっただけでチャラかなとも思っている。

 

さっきは思わず泣き叫んだけど、内容は盛り過ぎも良いとこ。

小金井すみれに僕が想いを寄せていたのは本当だけど、向こうが僕に気を持ってくれていたのかは全く自信がない。

今日のグループデートでその気持ちを確認しようと思っていたけれど、斉藤との写メを見る限り、そういうことになったのだろう。

だからといって、僕がデートに参加出来ていれば、僕と小金井が付き合うことになった未来も否定できないと思う。少なくとも微粒子レベル程度の可能性はあったはずだ。なんかシュレディンガーの猫も泣きそうな結論だけどさ。

 

…さらば僕の青春の1ページってヤツですよ。

 

マリアさんに向かって、僕は照れ隠しのように告げた。

小金井と付き合うことになったと仮定して、この先の文化祭やクリスマスといった青春イベントを勝手に夢想していた。

夢想は夢想で終わったということだろう。

もしかしたら、という可能性は、告白することすらなく潰えたのだけど。

もう全てが遅い。

時間を戻せない以上、いくら泣き叫んだって結局は諦めるしかないのだから。

 

僕の台詞は、そんな小ッ恥ずかしい想いと、今日の出来事の諸々を、まとめて笑い飛ばしたつもりだ。

だから、マリアさんの発言に、全力で耳を疑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…わかったわ。わたしがあなたの彼女になってあげる」

 

…え?

 

「わたしが恋人では不満かしら?」

 

……はいぃいいいいいいいッ!?

 

 

 

 

 

 


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