恋人はマリアさん   作:とりなんこつ

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第10話

師走も目前にせまり、日に日に寒さが身に染みる。

さすがにエアコンだけでは辛くなってきた我が家では、とうとう押入れからコタツを引っ張り出していた。

 

でも、このコタツ、長方形で6人くらい一気に入れるデカいタイプ。

両親も不在の今、僕一人では持て余す。

掃除も面倒くさいし、そのうちもっと小さい円卓タイプでも買おうかな…。

 

それでも、当座はこれを使うしかないか。

そう思って設置したわけだけど。

 

「ハルト。リビングのドアの隙間が開いてて寒いから閉めて」

 

「もう蜜柑がないデスよぉ?」

 

いつの間にか、不埒な女子高生二人組に占拠されてましたとさ。

 

…あのさあ。ここは僕ん()よ? トイレいって戻って来たらドアはちゃんと閉めろ。ついでに蜜柑は玄関脇の箱ん中だ。取ってこい!

 

「寒いから()(デス)!」

 

調と切歌の声が見事にハモる。

あ、これはもう梃子でも動ないタイプだ。

 

…仕方ないなあ。

冷え切った玄関の段ボール箱から蜜柑を回収する。きっちりとリビングのドアを閉めて、コタツの上の籠に蜜柑を補充すれば、先を争うように不精者たちが手を出してくる。

 

「いやあ、日本のコタツは最高デスなあ♪」

 

蜜柑を頬張りながら上機嫌な切歌。

 

「コタツには魔物が棲んでいるって噂は本当だね、切ちゃん」

 

蜜柑の白いスジを一本一本丁寧に外しながら調も暢気なもんだ。

 

ったく、ここしばらく毎日のように僕ん家に入り浸りやがって。

 

「ハルトの家にはコタツがあるから仕方ないんデスよ!」

 

そんなの、自分たちの家でも買えばいいだろ?

 

「でも、私たちの家じゃあ、蜜柑やご飯は出てこないし…」

 

おい、コラ。

 

声を荒げると、キャーッと二人してコタツの中へすっぽりと頭ごと引っ込んでしまう。

子供かよ。

そして、やっぱりでかいコタツってのは考えもんだ。

 

「で、今日の晩御飯はなんなんデス?」

 

切歌がコタツから亀みたいに顔を出している。

 

知らねーよ。むしろ、おまえたちに食わせる飯はねえ!

 

すると、切歌の隣に調も揃って顔を出す。

 

「今日のご飯はともかく、私たちは、昨日のデートがどうなったか訊きたいんだけど…」

 

ああん? どうもこうもないよ。だいたい昨日は君たちも一緒にいたでしょ?

 

 

 

 

 

 

先日の日曜日。

マリアさんからのデートのお誘いで指定されたのは、とある都心の高級ホテル。

クリーニング仕立ての一張羅のジャケットを着て行ったけど、入口にベルボーイが立っていたりして入るのを躊躇してしまう。

それでもベルボーイはにこやかにドアを開けてくれて、一歩中に踏み込むなり、場違い感が凄い。

 

いや、ああいうホテルって、中に入ると空気まで違うんだよね。

アホみたいに高い天井に、シャンデリアとかキラキラしててさ。

なんかゆったりとしたクラシックのBGMが流れていて、とにかく静かで綺麗。

 

あまりの別世界っぷりに、ガチガチに緊張して、ホールの真ん中でおのぼりさんみたいに周囲を見回すしかない。

そんな僕を見つけてくれたマリアさんは、ゆったりとしたチェックとパンツスーツ姿で、本当に優雅だった。さすがにこんなホテルを常宿にしているだけのことはあるなあ、と感心してしまう。

 

「待ってたわ」

 

マリアさんに手を引かれて、ホテル内のブティックへ。

ってゆーか、なんでホテルの中に普通にお店があるの?

お店があるのは普通商業ビルでしょ?

セレブリティの世界観に戦慄する僕に、マリアさんが買ってくれたのは、海パン。

 

…へ? 今は11月も終わりですよね?

 

「今日は、ここのプールを貸し切ってあるから、泳ぎましょ」

 

さらっと飛んでもないことを言うマリアさん。

 

そ、そんな、丸々貸切なんて!

 

「それでも、4時間くらいしか借りられないから、急いで着替えて頂戴?」

 

いや、4時間でも十分凄いです…。

 

で、プールの入口らしき前でマリアさんと別れ、係りの人に男性用の脱衣所に案内されたけど、とても脱衣所に見えない。

うん、併設されているサウナは分かるよ? じゃあ何この乾燥室ってのは?

あ、入る前の塩素プールはどこですか? え? ない? そうですか。

 

しっかし、ここにあるものは全てご自由にお使い下さいって言われても。

アメニティとして使い捨てらしい歯ブラシや髭剃りもあるけれど、僕の普段使いより高級そう。

こっちのタオルに至っては、ふわふわ感と手触りが半端ない。

…家に一枚くらい持って帰っちゃダメかなあ。

 

日常とのあまりのギャップにクラクラする。

それでもどうにか着替えて、プールへ続く扉を開けたとたん、全力で回れ右したくなった。

 

うん、僕の知っているプールと違う。

 

室内なので空調は完璧に利いている。

そこに来て吹き抜けのように高い天井に、周囲は全てガラス張りってなんなの?

楕円形を組み合わせたお洒落な形のプールはとにかく広くて、なんか飛び込み台まであるし。

デッキチェアの周りには南国風の植物がワサワサで非常にトロピカルです。

いやあもう、学校の25メートルプールしか知らない人間にはギャップが強すぎですよ。

 

「おまたせ、ハルト」

 

マリアさんが来た。

着ている水着は純白のビキニに、腰には同色のパレオ。

とても清楚な印象を受ける反面―――それに包まれたボリュームは凶悪すぎる。

 

「…? どうかした?」

 

い、いえ。とっても似合ってますよ。

 

「そう、ありがとう」

 

マリアさんはニッコリ笑ってくれているけど、僕はその笑顔すら直視できない。

世界的なスーパースターなこともあるけど、マリアさんは過去にも水着写真とか出しているわけですよ。僕もネットとかで見たことあるし。

 

でも、写真と実物じゃあ全然違う。生々しさって表現は好きじゃないけれど、いま、目の前でその水着姿で動かれると、その…。

 

軽い眩暈を覚え、僕はふらふらとデッキチェアへ腰を降ろしてしまった。

 

「どうしたの? 具合でも悪かった?」

 

だ、大丈夫です。少し慣れない雰囲気に酔ってしまったみたいです、たぶん。

 

「なら、何か冷たいものでも飲む?」

 

マリアさんは係りの人へと注文している。

お冷でも持ってきてくれるのかな…って思ったけれど、そんなわけはなかった。

お盆に載って運ばれてきたでっかい金魚鉢みたいなグラスの中には、氷とブルーハワイ色の液体がたっぷり。

グラスの縁には皮つきでカットされたパイナップルが刺さっていて、ジェットコースターみたいにループしたストローが差し込んである。

うわー、映画とかでしか見たことない正真正銘のトロピカルドリンクやー。

 

とりあえず口をつけてみた。

甘くて美味しいと思う反面、これでいくらするんだろう? って考えてしまった貧乏性の僕を笑いたきゃ笑え。

 

…あの~、マリアさん。僕は大丈夫ですから、先に泳いでて下さいよ。

 

「そお?」

 

僕も落ち着いたらすぐに行きますから。

 

「…ん。分かったわ」

 

そういうとマリアさんはパレオを投げ捨てるように外し、プールへと飛び込んだ。

見事な飛び込みに綺麗な飛沫が上がる。

そのまま力強いクロールでプールの半ばで泳ぐと、顔を上げて振り返ってきた。

濡れた髪が額に張り付いている姿に、背筋がゾクゾクする。

 

手を振りかえし、僕はまたトロピカルドリンクを啜る。

クールダウンしろクールダウン。

 

そのまま対岸まで泳ぎ切ったマリアさんは、ひょこひょこと飛び込み台の上へと登って行く。

 

「ハルト~!」

 

僕の名を呼んだあと、踏切台の上で軽くジャンプ。

見事な後方二回転を披露し、スッと着水。

本当に何でも出来る人なんだな。…ってゆーか、あれってプロ選手並みじゃないの?

 

そんなマリアさんは、す~っと平泳ぎでこちらへ戻ってくる。

 

「ほら、そろそろ一緒に泳ぎましょう?」

 

プールの縁に両腕を載せながらマリアさん。ポタポタと後れ毛から水が滴っている姿も色っぽい。そんな格好をされると、どうしてもむっちりとした胸の谷間に視線が引き寄せられて…いかんいかん!

 

いえ、僕はもう少し…。

 

「せっかくのデートなのよ? 一人で泳いでいてもつまらないわ」

 

―――ごもっともな意見です。しかし、男には、いえ、男だからこそ、動けない時があるんですよ!

 

心の中で絶叫しても、マリアさんに伝わるはずもなく。

ああ、もう、頬をぷくーっと膨らませる子供じみた真似すら素敵で困るよ、マリアさん。

 

…ん?

 

たったったと何かが駆けてくる音。

続いて、僕らの視界を横切る二つの影。

どぼーんと盛大に上がる水飛沫に、マリアさんは顔を歪め、僕はモロに浴びてしまう。

 

そして、沈んだものが顔を出す。

 

「ズルいデスよ、二人だけでプールで泳ぐなんて!」

 

き、切歌ぁ!?

 

「私も最近乙女の秘密の数字が増加中だから、泳ぎたいの」

 

調まで?

 

ど、どうやってここを嗅ぎつけたんだよ? マリアさん、心当たりは?

 

マリアさんは渋い顔で首を振っている。僕も心当たりなんてないから、二人して尾行でもしてきたのか?

 

「ハルトも一緒に乗らないデスか?」

 

切歌が自前らしいワニさんボートにのって後ろを指さした。

調に至っては、ビーチボールを抱えてウキウキ感を隠そうともしない。

 

…どうやら、さっきまでのドキドキな空気さんは完全に息の根を止められちゃったみたいですね。

一気に雰囲気はレジャーに来た家族連れだよ。

 

「あなたたちね…」

 

マリアさんが眉毛を逆立てている。

さすがに怒るかな? と思ったけど、やっぱり力が抜けた。

そもそもマリアさんは二人に甘いから、絶対にこのまま帰れなんて言わないだろうし。

 

それでもマリアさんは僕に目くばせをしてくれた。謝っているようにも見えるし、どうする? って問いかけているようにも見える。

僕は苦笑して頷く。マリアさんの好きにして下さいって意味でね。

 

「…もう。仕方ないわね」

 

それから僕らは四人で信じられないほど健全にプールで遊んだ。

一応、切歌と調の水着姿もなかなか可愛かったと言及しておこう。

 

 

 

 

 

 

 

「プールで遊んだとこまではさすがに覚えているデスよ!」

 

「あのあと、ハルトはマリアと二人っきりでディナーだったんでしょ?」

 

ああ、訊きたいのはそっちの件ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

プール遊びを堪能したあと。

僕はまたぞろマリアさんにブティックへ連行されて、ピリッとしたスーツを着せられた。

同じブティックでマリアさんも真っ赤なドレスに着替えている。

本当にゴージャスで素敵だった。

ただ、背中の部分がぱっかりと開いてたのには赤面してしまった。

さっきまでもっと露出の高い水着姿を見ていたのに、何でだろうね?

 

文字通りのドレスコード姿で向かったのは地上35階にあるというレストラン。

眺めは本当に素晴らしかったよ。

ディナーのフレンチのフルコースなんて初めてだったけど、マリアさんがテーブルマナーを手取り足取り教えてくれたからどうにか食べれたさ。

それから、ワインを飲んで少し酔っちゃったらしいマリアさんをホテルの部屋まで送って…。

 

 

 

 

 

 

 

 

「部屋まで送って…どうしたデス?」

 

「…どきどき」

 

え? 夜も遅いから、そのまま帰ったよ? あ、でも帰り道に牛丼屋でカレー食べたなあ。

いや、フルコースなんて喰ったことないから、正直何を食べたかも覚えてなくて…。

 

「………つっまんないデース!」

 

「………ハルトって、おバカさんなの?」

 

なんだよ、ひどい言い分だな?

まあ、いいよ、なんとでも言え! どうせ僕はフルコースの味なんか分からないよ! カレーの味しか分からないつまらない男さ!

 

「…そういうこといってるんじゃないんデスけどね」

 

切歌と調が揃って溜息をついている。

 

へ? じゃあどういうことなんだ?

 

「ハルトはマリアに幻想を抱きすぎだと思うの」

 

だって、マリアさんって世界一の歌姫で、そんで世界を救った英雄でもあるんでしょ?

しかも美人なんだから、僕にとっちゃ存在自体がファンタジーってもんだよ。

まあ、それをいっちゃあ平凡を絵にかいたような僕が、マリアさんを彼女にしていること自体ファンタジーか。ははは。

 

ジト目で切歌は僕を見ている。

 

「ハルトは平凡っていうけど、カレーに対しては異常な能力を発揮するデスよね?」

 

否定はしないけど、異常っての言い過ぎじゃね?

 

「マリアだって同じデスよ」

 

つんと澄まし顔で言う切歌に、

 

「うん、切ちゃん。今の台詞、オトナの女って感じでカッコいいよ」

 

なぜかパチパチと拍手をする調。

 

…僕があのマリアさんと一緒だって? そんなの比べること自体おかしくない?

  

「アタシたちは家族だからわかるんデスけど、ハルトとマリアは似ている気がするデスよ」

 

「そうだねー」

 

だから、似ているわきゃないでしょ?

本当に意味が分からないこというね、二人とも。

 

「ところで、さっきから何を作っているの?」

 

あん? おでんだけど? …なんだよ、二人ともそんな驚いた顔して。

僕だってたまにはカレー以外のものも作るよ? 

 

「コタツに入って熱々のおでんを食べるなんて、最高に決まっているデス!」

 

「楽しみだね、切ちゃん」

 

なにその食べて行くことが既定路線になっている会話は?

 

…まあ、いいや。どうせ多めに作っているし。

つっても、やっと大根の下茹でが終わったところだから、今から土鍋で煮込んで出来上がるまでは40分くらいかかるかな?

 

「えー、待っているのは退屈デスよ、ハルト~」

 

「なにかゲームとかないの?」

 

…なんなんでしょう、この好き勝手絶頂な二人組は?

いや、キレてないですよ? 僕をキレさせたら大したもんですよ。

 

えーと、そこのサイドボードの引き出しを開けてみ。

 

「これデスか?」

 

意地でもコタツに下半身を入れたまま、切歌がサイドボードを漁っている。

 

「うわあ、ボードゲームがこんなにいっぱい」

 

同じく、コタツから上半身を生やして調は感嘆の声。

 

それは親父の趣味でね。二人から出来るやつもあるから、適当に遊んでたら?

 

「なら、さっそくするデス、調ぇ!」

 

「たくさんあって迷っちゃうけど…。よし、これにしよう、切ちゃん」

 

お、Splendorか。比較的初心者もとっつきやすいヤツだね、確か。

でも調、ちょっと待って。それ海外版だから、説明書はドイツ語だかスペイン語だったかと思うんだけど。

 

「ドイツ語もスペイン語も読めるよ?」

 

…何気にスペック高いのね、キミ。

 

二人して、コタツのテーブルの上にゲームを広げ始めた。

一番最初のゲームはルール説明をしながら30分。二試合目は15分ほどで決着がついたようで、ちょうどおでんも仕上がった頃だ。

 

ほら、鍋を運ぶから、ゲーム片付けて。

 

広いテーブルの真ん中に鍋を置き、小鉢にそれぞれよそっていく。

定番の大根、こんにゃく、卵。

練り物系はさすがにお店で出来あいを買ってきた。

ウインナーと牛スジは当然として、湯剥きしたミディアムトマトを入れてあるのが我が家流かな?

 

「おでんにトマトなんデスか!?」

 

ああ。結構イケるよ?

 

「あ、本当だ。美味しい…」

 

辛子と七味、柚子胡椒はお好みで使ってくれ。

 

熱々のおでんを、三人してほふほふ言いながら楽しむ。

 

「なんだか、身体がポカポカしてきた」

 

調が額の汗を拭っている。

 

そりゃあさっきからずっとコタツにも入っているしね。いい加減、身体も芯から温まってきたんでしょ。

 

「…ちょっとレギンス脱いじゃお」

 

コタツの中に手を入れてごそごそすることしばし、調は黒いレギンスを引っ張りだした。

畳んでいるのを横目で眺めたけど、裏起毛で暖かそう。

 

「アタシも暑くなってきたから脱いじゃうデスよ」

 

え? 切歌はこの寒いのに生足だったろ?

 

「だから毛糸のぱんつを脱いでるデス」

 

聞けば、冬でも生足の女子高生はその殆どが履いている必須アイテムで、結構暖かいそうな。

うーん、長年の謎が解けたというべきか、無駄な知識を得たというべきか。

 

「…そろそろお腹いっぱいデスよ」

 

「私も…」

 

これから〆を作るんだけど、二人とも食べない?

 

まだまだ具が残っている鍋をキッチンへ運ぶ。

火にかけて、少し出汁を足し、更にそこに投入するのは。

 

「…まさか!?」

 

鼻をヒクつかせる二人に、僕はニヤリと笑う。

 

当然〆はおでんカレーでえす。

 

さっそくご飯にかけて頬張る。

うん、染み染みの大根にさらにカレーが染みて最高。齧って出てくる出汁とカレーのアンサンブルが素晴らしい。

ちくわぶもカレー味でモチモチになって、牛スジなんか言わずもがなだね。

煮玉子を崩しながらカレーと混ぜて食べるのがまた…。

 

ぐびり、と僕以外の誰かの喉の鳴る音がした。

 

「ア、アタシも食べるデスよ!」

 

はいはい、いまよそってやるから待ってな。

 

「…おに、あくま、ハルト!」

 

えーと、涙目でそんなこと言いながら皿を差し出されても。

結局調も食べたいんでしょ?

 

まあ、そんなこんなでカレーもたらふく食べた二人は、コタツの中にひっくり返っている。

 

こら、せめて片付けくらい手伝えや。

 

「ん~、もう少し後で手伝うデスから~」

 

「いま、すごく気持ちいいの…」

 

まあ、気持ちは分からんでもない。けど、人ん家で少しは遠慮しようぜ?

それにそろそろいい時間だろ? 帰らなくていいのか? 明日も学校でしょ? つか帰れよ!

 

「う~ん、アタシはハルトの家の子になるデス~」

 

そんな手伝いもしない大きな子はいりません!

調も早く起きて帰る支度しなって。

 

「切ちゃんが帰るって言ったらするから」

 

おいおい、こっちも帰る気がないのかよ?

 

ぼやく僕の前で、ますますコタツの奥深くへ潜り込む二人。

 

…仕方ない。

不承不承、それでいて少し期待に胸を躍らせながら、僕は最近頻繁に連絡を取っている人へ電話をした。

 

 

 

 

「…ごめんなさい、二人が迷惑をかけているたみたいで」

 

玄関先で出迎えると、いきなりマリアさんに謝られる。

 

いえいえ。僕こそ急に呼び出してしまってすみません。

 

いわゆるコタツの魔性に捕まった二人を引っ張り出すために、僕が召還したのはもちろんお母さ…いやいや、マリアさん。

 

「コラ、切歌! 調! ハルトに迷惑かけちゃダメでしょう!」

 

リビングに入るなり開口一番そういったマリアさんだけど、なんか目を見張っている。

 

…どうしました?

 

「い、いえ、これってコタツよね? 噂には聞いていたけど、見るのは初めてで…」

 

そうなんですか? まあ、ホテルとかには置いてないでしょうからね。

 

「マリアも入ってみるデスよ」

 

「うん。とっても暖かくて気持ちいいよ?」

 

コタツから首だけ出して調と切歌。

少し迷っているらしいマリアさんがスンと鼻を鳴らす。

 

「あら? この匂いは…?」

 

あ、夕飯におでん作ったんですよ。もう〆でカレーおでんにしちゃいましたけどね。

…もしかして、マリアさん、夕食、まだだったり?

 

「…実はそうなの。食べようと思ってお店に入ったらハルトから電話が来たから…」

 

そ、それは失礼しました! まだ残ってますけど、良かったら食べませんか?

 

マリアさんはコタツと、そこから顔だけ出した切歌と調を見て、難しい顔をしている。

切歌と調はニヤニヤした表情でマリアさんを見上げている。

 

「…そうね。せっかくだからご相伴にあずかろうかしら?」

 

はい。それじゃあ今温めなおすんで、コタツにでも入って待っていてください。

 

キッチンで鍋を火にかけていると、ストッキングに包まれた長いおみ足をおそるおそるコタツへと差し込むマリアさんが見えた。

 

「…へえ。コタツの中ってこんな風に温かいのね」

 

「そんで、コタツには蜜柑なんデスよ!」

 

「眠かったら、そのまま眠っちゃっても大丈夫なの」

 

切歌と調が熱心にコタツの素晴らしさをアピールしている。

 

 

ところで、家族ってのは、一緒に暮らしていると、趣味嗜好、考え方が似てくるものだ。

そして調と切歌はマリアさんと家族だと言っていた。

血の繋がりとかなくたって家族として互いに感化しあい、一緒の価値観を共有してしまうことだって往々にある。

 

…そんなの両親にさんざん感化された僕が、真っ先に気づいて然るべきだろ?

なので、僕は、半ば絶望的な表情で目前の光景を眺めるしかなかった。

 

「ハルト、悪いけど、お燗をもう一本付けてもらえないかしら?」

 

カレーおでんに舌鼓を打ち、おちょこ片手に上機嫌のマリアさんが居る。

なんとマリアさんもコタツの魔性に捕まってしまっていた。

 

…まあ、調と切歌が陥落しているんだから、そりゃマリアさんも落ちるよな…。

 

今や我が家のリビングルームは、まさにミイラ取りがミイラになる、という諺を絶賛体現中。

コタツに足を突っ込んだまま切歌と調はカードゲームに興じ、マリアさんはそれを眺めながらお酒と食事を楽しんでいる。

 

そんな団欒の光景に、僕は憮然として―――その実、内心はちょっぴり懐かしい。

 

ああ、昔、親父もこんな風に酒を飲みながら、お袋と僕がゲームで対戦しているのを嬉しそうに眺めていたっけ。

 

「…このカレー味の大根、たっぷりと七味をかけていただくとたまらないわね」

 

マリアさんがほふほふと口に大根を運び、きゅっと日本酒で流し込んでいる。

おでんの出汁を作るとき、みりん替わりに使った日本酒の残りだ。

マリアさんから、なんで吟醸酒なんてを使っているの! って怒られてしまったけど、ちょうどみりんを切らしていたから仕方なかったんですよ。

 

「ふう…。なんだかわたしも暑くなってきちゃたわ」

 

そういってマリアさんは上着の胸元のボタンを外している。

続いてコタツの中に手を入れてなにやらゴソゴソしていたけど、ひっぱり出されたストッキングを見て、さすがに僕もドギマギしてしまう。

 

ちょ、ちょっとマリアさん! コタツの中でいきなりストッキングを脱ぐなんて…!

 

「え? 誰も見てないから構わないでしょ?」

 

「そうデス! コタツの中は温かいまま着替えられて凄いんデスよ!」

 

小学生並みの感想を漏らす切歌に、僕の動揺を理解させるのは難しい。むしろ数秒で諦めた。

しっかし、コタツ周辺のカオスは増すばかりだ。

冗談抜きで、三人ともこのままコタツで雑魚寝しそうな勢いだぞ。

なにか根本的な解決策は…あ。

 

僕はリビングの壁際へと歩く。

そして、そこに刺さっているコタツのコンセントをブッコ抜いた。

 

さあ、あとはドンドン冷えてくるぞ。

温かくないコタツなんて冷蔵庫と同じだぞ?

早くでないと身体まで冷えてくるぞー。

 

そう脅しても、なおコタツに身を沈める切歌と調だったが、さすがに温度が下がっているのは体感出来たらしい。

悔しそうにこちらを睨んできたけど、もうコンセントは刺させませーん。

ああもう、最初からこうしてりゃ良かったよ。

 

「仕方ないから帰るデスよ、調!」

 

「ハルトはやっぱり意地悪だね」

 

名残惜しそうにコタツから出て、この言い草である。

 

あのね、もともとここは僕んち。

所有権も領有権も僕にあるの。ユーアンダスタン?

 

そう嫌味くさく言ってみたが、まるで反応なし。

それどころか、

 

「これで勝ったと思うなデス!」

 

「コタツ好きは何度でも戻って来るんだから」

 

捨て台詞を吐いて、二人は玄関から出ていった。

…いっそ塩撒いてやろうか?

僕が軽く逡巡していると、きっちりと身形を整えたマリアさんが隣に立っている。

 

「今日もご馳走様。それと、本当に二人のことはごめんなさい」

 

少しだけ頬が赤く見えたけど、ついさっきまでコタツの前でだらけきっていた姿の欠片も見られないのはさすがです。

 

いえいえ、それじゃあお休みなさい。

 

マリアさんを見送り、僕はリビングへ取って返す。

コタツの布団を全部テーブルの前に捲り上げたのは、マリアさんの残り香を嗅いで…なんてことは絶対にないからな! あくまで掃除のための換気だからな!

それでも、マリアさんを始め、あの三人がコタツの中でゴソゴソしていたと思うと…うん、ちょっとそそられるものがないこともない。

 

そんな煩悩を振り切りつつ、掃除機をかけようとしたら、見慣れないものを発見。

なんだこれ? 

真っ赤な毛糸の…なんだ?

手に持って広げると、なんか形は短パンみたい。

おしりのところにウサギのアップリケがあるこれは…ああ、切歌が言っていた毛糸のパンツってやつか。

しかしパンツっていっても、子供くさい上に色気は皆無だな。

 

ったく、勝手に脱いで忘れて行きやがって。

どうしよう? まだマンションを出たくらいだから、走れば追い付けないこともない。

仕方ない。届けてやるか。

 

さすがに剥き身で持ってこられるのは嫌だろう。適当な紙袋に放り込み、僕は自宅を出る。

丁度きたエレベータに乗り込み、エントランスへ下りれば、三人の背中は玄関の外に見えた。

 

おーい、待ってくれよ、切歌!

 

マンションを出て、少しいった歩道で三人に追いつく。

 

「どうしたデスか?」

 

どうしたもこうしたも、ほら、忘れ物だよ。

 

「忘れ物?」

 

毛糸のパンツだよ。さっきコタツの中で脱いで忘れてったろ?

 

紙袋を差し出すと、切歌は不思議そうに首を捻る。

 

「アタシはコタツから出るときしっかり履いたデスよ?」

 

へ? じゃあ、これは…?

 

顔を真っ赤にしたマリアさんに、袋ごと掻っ攫われた。

 

…リアリィ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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