恋人はマリアさん   作:とりなんこつ

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第11話

 

思い返せば、朝起きて、すでに身体が重かった気がする。

朝のHRで軽い頭痛がして、一時限目の授業中にはもう喉がいがらっぽく、飲み込む唾が痛い。

 

あ、こりゃまずいな。

 

そう思って休み時間に保健室へ行った。熱を測れば37.8度。

 

「うん、これは風邪ね。早退してお医者さんへ行きなさい」

 

保健室の先生の勧めで早退することに決めた。

一旦教室へ戻るも、階段の上り下りで息が乱れる。

 

どうして熱があるって自覚すると、急に具合が悪くなってくるんだろうね?

 

荷物を持ち、クラス委員に早退する旨を告げ、僕は学校を出た。

日中は陽が差して結構暖かい―――と思ったとたん、背筋にぶるると悪寒。

 

こりゃ本格的にまずいな。

ふら付く足取りで、自宅の近くの病院へ。

受付で症状を告げ、検温すれば38.3度。久方ぶりの38度越えだ。

おかげで、待合室で待っている間も、ぼーっとするだけでスマホを弄る気力も沸いてこない。

 

「喉も赤いし風邪でしょう。お薬を出すので、温かくして安静にしていて下さい」

 

ぼーっとしたまま診察を終え、ぼーっとしたまま併設の調剤薬局で薬を受け取る。

それから帰り道のスーパーでスポーツドリンクのペットボトルとかを買い込み、どうにか自宅へと帰還したのはまだ午前中だったと思う。

当たり前だけど、誰もいない部屋は冷え切っていた。

こういう時、一人暮らしは辛いと痛感する。

 

制服を脱ぎ散らかし、パジャマへと着換える。

薬は食後に、と言われたけど、全く食欲がなかったので、とっととスポーツドリンクで流し込んだ。

 

…やべ、本格的に頭が痛くなってきたわ。

 

冷凍庫から、しばらく使ってなくてカチコチのアイスノンを引っ張り出してタオルにくるむ。

ぜいぜい言いながら自室のベッドへ転がり込んで、それでもスマホをしっかり持つのを忘れない。

一人暮らしで病気のとき、万が一の生命線はこれだ。

 

もうその頃には、喉が痛くてコンコンと咳は出るし、頭痛がひどくて目を開けているのも辛い。

それでも最後の気力を振り絞って、メールを送った相手は切歌と調。

 

『風邪ひいてるから来るな』

 

でないと、平気で遊びにくるんだもん、アイツら。

それを最後に、とうとう僕は力尽きたらしい。

後頭部は冷たいのに、頭の中が痛みでぐるぐるする。

眠りたいのに痛みで眠れない。

それでもひたすら目をつむっていると、眠ってしまったようだ。

 

喉の渇きで目を覚ます。

全身にびっしょりと汗。

 

のろのろと身体を動かして腹ばいになって、ペットボトルから直接スポーツドリンクを飲む。

口の中に熱っぽい膜が張った感じで、味は良くわからない。熱い喉を、生ぬるい感触が流れていくだけ。

 

ゴホゴホと咳き込む。

今、何時だ? 着換えなきゃ。

 

上半身を起こした途端、くらっと来た。

そのままベッドへ倒れ込む。くちゃっと溶けて温いアイスノン。

すごい悪寒がする。熱を測らにゃ、と思ったけれど、しまった、体温計はリビングの棚の中だ。

ガクガクと身体が震える。

取りに行こうと思うけど、寒くて寒くて動けない。

身体を丸めて必死で温まろうとするんだけど、震えが治まってくれいない。くそ、なんだか涙まで滲んできた。

 

…これってマジでやばいんじゃないか?

 

そんな不安が頭の中で滲んで、僕は何も分からなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

―――歌が聞こえる。

 

何の歌かは分からない。知らない歌だ。

でも懐かしく、そして温かい歌。

 

不思議と気持ちが安らぐ。

まるで温かい水底を揺蕩っているような。

 

額に柔らかい感触。

 

目の前の光が、ゆっくりと形を作る。

それは。

 

見たことがない姿。

見たことがあるはずの記憶。

 

もどかしさのあまり、僕は思わず口走る。

 

お母さん―――。

 

 

 

 

 

「…ハルト?」

 

涙で滲む視界が輪郭を取り戻す。

 

…マリア、さん? 

 

「うん、少し熱は下がったみたいだけど」

 

額に覚えのある感触。

ああ、夢で感じたのは、マリアさんの手だったのか。

 

それよりマリアさん。どうしてここに…?

 

「切歌と調にメールしたでしょう? それで、ハルトは一人暮らしだって聞いていたからね。お見舞いに来てみたの」

 

でも、玄関に鍵がかかっていたと思うんですが。

 

「…そ、そこはちょっとね」

 

口ごもるマリアさんだけど、そんなのどうでもいい。

今は、こうやってマリアさんが来てくれただけで嬉しい。

 

「それより、相当具合悪いみたいね」

 

ええ。僕もこんな熱出たの久しぶりです…。

 

「喉は乾いてない?」

 

カラカラです。

 

頷いて、マリアさんはストローでスポーツドリンクを飲ませてくれる。

 

「落ち着いた? だったら着替えましょうか」

 

普段だったら自分でするって突っぱねただろう。でも、今日の僕は本当に限界だった。

 

すみません、お願いします。

 

マリアさんに支えてもらって上体を起こす。

まだ頭はクラクラとする中、これまたマリアさんに手伝ってもらってパジャマとシャツを脱いだ。

汗で両方ともビショビショだった。

マリアさんが熱いタオルで背中を拭いてくれた。

 

「結構ハルトの背中って逞しいのね」

 

正直、恥らう余裕もなかった。

別の熱いタオルを渡してもらって、顔を拭う。

髪の毛も汗をかいていて気持ち悪かったけど、こっちは我慢するしかないか。

 

「着換えた服は、洗濯機に入れておくといいかしら?」

 

すみません、色々と…。

 

マリアさんが部屋を出ていき、僕はまたベッドへと倒れ込む。

すごくさっぱりして気持ちが良くなる。アイスノンも冷たいものに交換してあることに初めて気づいた。

 

「お腹、空いてない?」

 

小さな鍋をもって戻ってくるマリアさん。

中身は…よく分からないけど甘い匂いがする。

 

…それは?

 

「パン粥よ。牛乳があったから借りてつくってみたの」

 

そういってマリアさんはベッド脇に座ると、

 

「ほら、食べさせてあげる」

 

そ、それはさすがに恥ずかしいですよ!

 

「何が恥ずかしいの? 誰が見ているわけでもないのに」

 

そりゃそうですけど…。

 

「それとも、なあに? わたしの手作りのお粥は食べられないっての?」

 

…頂きます。

 

そんな拗ねたような口調で言われたら断れないですよ。

 

「ん。それじゃあ」

 

ふーふーとスプーンへ息を吹きかけて冷ますマリアさん。

 

「はい、あーん」

 

…あーん。

 

甘く、柔らかく、懐かしい味。優しい味がする。

 

うん、美味しいです。

 

「そう。良かった。はい、あーん」

 

………あーん。

 

それでも三口で限界だった。

 

「じゃあ、ちゃんと薬飲んでおくのよ?」

 

鍋を持ってキッチンへ片付けにいくマリアさん。

見送って、僕の頬は熱かった。もちろん風邪のせいだけじゃない。

わざわざお粥を作ってくれるだけでも嬉しいのに、まさか食べさせてもらえるなんて。

しかも、ふーふーって。ふーふーって!

 

「あ、ハルト?」

 

ひゃ、ひゃい!?

 

「体温計はどこにあるのかしら?」

 

あ、リビングの棚の引き出しの一番上に…。

 

「わかったわ」

 

間もなく戻ってきたマリアさんの手には体温計。それとボウルにリンゴと果物ナイフ。

 

「ほら、熱を測ってみなさい」

 

渡された体温計で測れば、37.7度だった。微妙に下がってきているのかな?

 

「それと、りんごも食べるでしょう?」

 

そういってマリアさんはリンゴを剥きはじめる。

その姿に、見惚れてしまった。

こういう光景って、なんかいいなあ。安心するよなあ。

 

「…? どうしたの?」

 

視線に気づかれてしまい、慌てて目を伏せる。

心臓がドキドキしてうるさい。おまけにそのせいで頭痛までしてくるんだから始末が悪い。

 

なんか、本当に申し訳ないです。明後日のデートまでには必ず治しますから…。

 

「なにいってるの? その身体じゃあ無理に決まってるじゃない。中止にしましょう」

 

そ、そんなあ…。

 

せっかく映画のチケットもとって、どこで食事を食べるかも入念にリサーチしたのに。

マリアさんはあんまり粉ものを食べたことなさそうだから月島のもんじゃ焼きにしようとか思ったけど、比較的近場に『ふらわー』とかってお好み焼きが美味しい店があるそうだから、そこにするかな、なんて。

 

「わたしも残念よ? でも、今回は、ゲームじゃないけどハルトは一回休みね」

 

うう…。

 

嘆いても仕方ないか。もともと風邪を引いてしまった責任は僕にある。

 

「リンゴは摩り下ろした方がいいかしら?」

 

しゃりしゃりとリンゴを剥き終えたマリアさんが聞いてくる。

 

え、と。薄く切ってもらえれば大丈夫そうです。

 

ニッコリ笑い、マリアさんはうすーくリンゴを切ってくれた。

渡してくれたものを食べる。シャリとした歯ごたえに、甘酸っぱい汁が口の中で美味しいというより気持ち良かった。

 

「…こんな風に看病するのは、あの子以来だわ」

 

ポツリとマリアさんが言う。

 

あの子って誰です?

 

「わたしの妹よ。もう死んじゃったけどね」

 

ご、ごめんなさい。

 

「いいのよ。…セレナって言ってね。とても優しい子だった」

 

そういって、優しくも遠い目をするマリアさんに、思う。

 

僕は、マリアさんのことを知っている。

世界的なスーパースター。トップアーティスト。そして英雄。

誰もが知っていることの他に、誰もが知らないだろうマリアさんの別の一面も知っている。

 

でも、マリアさんの過去は知らない。

世界的な歌姫として注目を集めるまで、彼女がどんな風に生きてきたのだろう?

誰と出会い、何をしてきたのだろう?

 

…あの、マリアさん。

 

「ん? なあに?」

 

マリアさんは、歌手としてデビューする前までは、一体どんな風に…。

 

訊ねた直後に激しく後悔。

自分から語ってくれるまで、その人の過去を詮索するのはマナー違反だろうが。

そう常々自分でも戒めていたはずだけど、熱のせいでタガが外れてしまったのか。

…もうそんなの言い訳だ。一度口に出してしまった言葉は取り消すことは出来ない。

 

「―――ハルトは、わたしの昔のことが知りたいの?」

 

マリアさんの頬は笑っている。でも、目は真剣だった。

まるで、僕の覚悟を問おうとするかのように。

 

その眼差しに、僕は目を逸らせない。同時に謝るしかないと思った。

すみません、失礼しました不躾でした、と。

 

だけど、口から飛び出た台詞は、全然違っていて自分でも驚く。

 

彼氏さんは、彼女さんのことをもっとよく知ってあげれば、益々仲が深まるって言われたじゃないですか…。

 

マリアさんは目を見張った。

それから花のように唇がほころぶ。

 

「そうね。彼女さんも、もっと自分の気持ちに素直になれば、とも言われたわね」

 

文化祭で一緒に占ってもらった時の結果だ。

あの時は益体もないものと思ったけれど、少なくともマリアさんの心の鍵穴を回してくれたように思う。

 

「でも、聞いたらまた国家機密に抵触しちゃうと思うけど、聞く?」

 

え? もしかしてまた誓約書を何枚も書かなきゃいけなかったり?

さ、さすがに、それは…。

 

「うふ。冗談よ。でも、わたしたち自身でも話せない部分もあるけれど、構わない?」

 

ええ、もちろん。構いません。

 

「…わたしとセレナはウクライナの寒村の出身でね。そこもとある事情で住んでいられなくなって、両親や祖父母とも別れ、アメリカの施設に拾われたの」

 

―――なるほど。ウクライナか。

スラブ系には美人が多いって聞いていたけど、だからマリアさんも美人なのか。

 

「そのアメリカの施設で、調と切歌とも出会ったわ」

 

すると、二人とも孤児なんですか?

 

「詳細は分からないけど、多分そう。あ、でもわたしから教えられたのは二人には内緒でお願い」

 

はい、もちろんです。

 

「その施設での事故でセレナは死んだわ。それも含めて、施設自体にはあまりいい思い出はないかもね」

 

………。

 

「でも、そこには、わたしたちのお母さんと呼べる人もいたの。厳しく、強く、なによりとても優しい人だった」

 

…きっと、良い人だったんでしょうね。

 

「本来なら、世界を救ったのはあの人なの。英雄と呼ばれるのはあの人こそが相応しいのに…」

 

マリアさんの声が急に湿り気を帯びた。

 

…大丈夫ですか?

 

「うん。大丈夫」

 

目尻を拭ったマリアさんの顔は、いつも通りの笑顔。

 

「それから、紆余曲折があって歌手になってデビューして。あとはハルトも知っているとおりかな」

 

そうだったんですか…。

 

マリアさんが、僕に過去を語ってくれた。

それは何よりうれしく、胸が熱くなる。

 

同時に頭に浮かんできたのは、先日切歌たちに「ハルトとマリアは似ている」といわれたことだった。

その時はそんなバカな、と否定したけれど、今なら納得できる台詞だ。

何の接点もない僕たちの間に共通項があるなら、それは喜ぶべきことなのかも知れないな。

 

だからといって、そのことを面と向かって本人に告げるのは恥ずかしいし、僕もそんな度胸はない。

なので、少し角度を変えた言葉をマリアさんへ言ってみた。

 

切歌たちが僕に親近感を持ってくれている理由がわかりましたよ。

 

すると、マリアさんはきょとんとした顔付きになる。

 

「どうして? あなたのご両親は健在でしょう? 今は沖縄にいらっしゃるんだっけ?」

 

以前、黒服に拉致されて誓約書を書かされた時、中年男に散々説明した内容だ。

そのことを、マリアさんが知っているのは何も不思議な話じゃあない。

むしろ、それ以上のことを知らないことを、僕は激しく訝しむ。

 

あれ? もしかしてマリアさん、知らないんですか?

 

「え? 知らないって、何を」

 

僕は両親と血は繋がってないんですよ。

 

「…え?」

 

僕も孤児で、この家の養子なんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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