恋人はマリアさん   作:とりなんこつ

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第15話

 

マンションを飛び出すと、すぐ目前に急停車する一台のタクシー。

 

「ハルト、おそいよッ!」

 

ごめんごめん。

 

トランクへ荷物を詰め込み、調の開けてくれた後部座席へと飛び乗る。

 

「それじゃあ、運転手さん! 空港まで、最速で、最短で、真っ直ぐに、一直線にお願いするデース!」

 

「…極力急いで安全運転でお願いします」

 

調の言に、それでも結構なスピードでタクシーは走り出す。

 

「出てくるのが遅いんで、てっきり怖気づいたかと思ったデスよ?」

 

助手席から振り返って切歌は、初めて会った時のように挑発的。

 

二人が骨を折ってくれたことを無駄にはしないさ。

 

僕は笑う。ついさっき、小金井に抱きつかれたことを思いだす。

 

…勇気を貰って来たんだ。だから、もう大丈夫。

 

タクシーは空港までひた走る。

到着するなり、ドアも開くのももどかしく僕らは車から転げ出た。

 

「お代は私が払っておくから、先に行ってハルト!」

 

ありがとう、調!

 

切歌と一緒に荷物を持って走る。

 

エントランスを見回し―――拍子抜けするほどあっさりと見つけることが出来た。

黒いコートを着て、夜なのにサングラスをしたその姿は。

 

マリアさん!

 

「…ハルト?」

 

口だけが、どうしてここに? と動く。

 

やっと会えました…。

 

息を弾ませながら安堵する僕。

サングラスを外し、驚いた視線が僕と背後の切歌を往復する。

 

「…何をしにきたの?」

 

固い声が僕へと向けられてくる。

 

「あなたとの関係はお終い。もう二度と会わないって言ったはずでしょう?」

 

ええ。言われました。でも、そんなの僕は納得してません。

 

「納得しなさいな。そもそもわたしとあなたが釣り合うはずが…」

 

逃げないでください、マリアさん!

 

後ずさりするマリアさんの手を捕まえる。

細い手首は思いがけないほど震えていた。

 

「離しなさい。……離しなさいよ、ハルトッ!」

 

嫌です。絶対に離しません。

 

首を振り、僕は必死で訴える。

 

マリアさんと一緒にいた時間は、とても楽しかったんです。

ドライブデートもして、うちに遊びに来てくれて、一緒に文化祭を回って。

その日々は、本当に楽しく、夢のようで。

 

本来は、あり得ない関係。僕のような高校生とマリアさんが対等に付き合えるわけがない。

それは現実的な刃として、マリアさん自身からも僕へと突き立てられた。

 

でも、実際に、一緒に過ごしたでしょう?

一緒の時間を、共に笑い、楽しみ、過ごしたでしょう?

あれは、本当に現実にあったことで―――あの時の僕とマリアさんは、間違いなく彼氏彼女の関係じゃなかったんですか?

 

「………」

 

マリアさんは、僕のことが嫌いなんですか? 嫌いな僕と一緒にいて、それでもあんなに笑ってくれていたんですか? あの楽しそうな姿も、笑い声も、何もかも嘘だったんですか?

 

これは、卑怯な言い方かも知れない。

それでも形振りを構うつもりはなかった。

 

憧れの人を引き留めるためならば。

もう一度振り向いてもらえるならば。

…そうか。小金井もこんな気持ちだったのかも知れないな。

 

「…その言い方は、狡いわ」

 

すみません。

 

「それに、考えてもみなさいな。たった三か月よ? あなたとあってまだ、三か月も経ってないのよ?」

 

分かってますよ、そんなの。デートだって、両手で数えれるくらいしかしてませんし。

でも。

だから何なんですか?

 

互いのことを知るのに、三か月じゃあ足りないんですか?

足りないのなら、それって誰が決めたんですか?

 

想いを育てるのも、三か月じゃ不足なんですか!?

それじゃあ、どれだけ想えば伝えることを許されるんですか!?

 

そんなことに基準なんてないはずだ。

よしんば、それに十年が必要だと言われても、僕は納得しない。納得なんてしてやるもんか。

僕のこの三か月で育んだ想いが、十年の積み重ねに劣るものだなんて、誰にも決めさせやしない!

 

確かに切っ掛けは、アクシデントでした。

マリアさんが言うとおり、単なる償いや勢いで始まった関係だったかも知れません。

なので気持ちの変化に気づいても、ずっと大それたことだと自分に言い聞かせてきました。

けれど、僕はもう迷いません。

 

マリアさんを真っ直ぐに見つめる。

 

僕は、マリアさんが好きです。そのことを伝えたくて、来ました。

 

「そんなの…ッ! 単にあなたは、わたしに憧れているだけよ! 世界的な歌姫の肩書を持つわたしに…ッ」

 

往生際が悪いですよ、マリアさん。

 

僕は微笑む。

 

世界の歌姫は意外と呑兵衛で、隙だらけで、心配性で、お人好しなことを僕は知っていますから。   

僕が憧れているとするならば、そんなマリアさんにこそ、です。

 

同時に、内心では可笑しくて仕方なかった。

なんだ、マリアさんも自己評価が低いのか高いのか、よく分からないよ。

ああ、切歌が僕とマリアさんが似ているって言ってたのはこういうことなのかな?

 

それはともかく、目前の動揺しまくりのマリアさんに、もう一度告白する。

 

好きです、マリアさん。

 

「…………」

 

マリアさんが顔を上に向け、深呼吸。

 

「とりあえず、手を離してもらえないかしら?」

 

す、すみません、ごめんなさい。

 

慌てて手を離し、改めてマリアさんと対峙する。

今度のマリアさんは腰が引けていなかった。

それから、恥ずかしそうに言ってくる。

 

「…わたしも、あなたのことが好きみたい」

 

はひ? …なんですか、この期に及んでその微妙な言い方。

 

「先週、あなたが事故に巻き込まれかけたでしょう?」

 

ノイズを前に腰を抜かして動けなかった僕を、マリアさんが護ってくれた。

 

ええ。あの時は、助けてもらってありがとうございました。

 

ずっと言いたかった礼を言う。

 

「あの時、わたしはあなたを助けられたことにホッとして…」

 

ええ。

 

「同時に、とても怖くなったの。あなたを助けるのがもし、少しでも遅れていたら―――」

 

たぶん、僕は死んでいただろう。こうやって会話をかわすことも、もうなかったはずだ。

 

「そんなことを想像していたら、もうどうしようもなく気持ちが落ち着かなくなったの」

 

マリアさんが俯く。

 

「はっきりいうけど、最初、泣きわめくあなたを抱きしめたとき、弟くらいにしか思っていなかったわ。でも、一緒にいるうちに、色々とわたしの想像もつかない面が見えてきて。年下のはずなのに、とっても男らしいところまで見せられて…」

 

早口でそういった直後、マリアさんは勢いよく顔を上げて僕を見た。

 

「ねえ、これって好きってことなのよね?」

 

…えーと。目前の対象である僕に、そんなことを聞かれましても。

 

「だって仕方ないでしょう? こんな気持ちになったのなんて初めてなんだからッ!」

 

…え?

 

「あ…」

 

うわ、マリアさん、凄い顔が真っ赤だ。

 

「と、とにかく! わたしは戦士で守護者なのッ! 人類はみんな護らなきゃいけないのよ! なのに…」

 

口ごもるマリアさんに、僕は胸が熱くなるのを感じる。

なぜなら、マリアさんにとって、人類は皆平等に守らねばならない存在だ。

そんな中で僕だけに心が動く不平等。それって僕はマリアさんにとって特別ってことなんだから。

 

僕がマリアさんの弱点になるのは、まずいんですか?

 

「………」

 

だから、僕とお別れを…?

 

「………それだけではないわ」

 

マリアさんは再び天を仰いだ。

それから、僕を見ると、存外さっぱりとした顔つきになって言う。

 

「今回の任務は、期間が未定なの。つまり、いつ戻れるか分からないわ。そんなに長い間離れていれば、どうせお互いの気持ちも冷めちゃうわよ」

 

知ってます。なので、僕も一緒に行きますので。

 

「ハルトのことだからすぐに同年代の素敵な彼女が出来るでしょう。ほら、あの小金井さんだったっけ? あの子なんか年上のわたしより余程ぴったりで……って、ちょ、ちょっとハルト!? 今なんて言ったの!?」

 

僕もお供して渡英するって言ったんです。あ、小金井のことはフッたというかフラれたというか。とにかくお気遣いは無用です。

 

「………」

 

これで、別れなきゃいけない理由なんてないですよね?

 

切歌と調に極秘任務について色々と調べてくれと依頼していた。

さすがに微細な内容まではとても無理だったけれど、それでもざっくりとした概要は理解できた。

 

そもそもの発端は、この間のビル火災。

あれはテロリストの仕業で、ノイズはそのテロリストたちが使役したものだという。

そのテロリストがイギリスとなんらかの繋がりがあって、急遽マリアさんが派遣されることになったらしい。

その派遣期間は未定ということが、マリアさんが僕に対して別れを切りだした大元の理由なんじゃないの?と推測したけど、どうやら正解のようだ。

 

でも、万が一本当にマリアさんから嫌われていたら? 正真正銘別れたがっていたら?

そんな可能性に怖気づいていたけれど、小金井の告白のおかげで完全に覚悟を固めることが出来た。

僕はもう迷わない。マリアさんと一緒に行く。

 

あ、ちなみに切歌と調にお願いしていたもう一つの案件は、マリアさんが本当に24日の夜に日本を発つかの裏付けと、当日の足の準備です。

 

「ハルト、あなた…」

 

退学届も置いてきました。パスポートも家族旅行した時に取得済みです。

両親にもメールで報告を済ませてます。まだ返信はないですけど、まあ、あの二人のことですから、決して反対はしませんよ。

 

思い返せば、24日の夜に発つというマリアさんの発言からしておかしい。

本気で僕と別れたいのなら、そんなことを告げる必要はないのだから。

もしそれがマリアさんの未練による失言だとすれば?

その可能性に気づいたとき、僕の思考は前を向いた。

悩み、焦り、怯え、眠れぬ夜を過ごし、それでも気持ちが変わらなかった自分が少し誇らしい。

 

そんな散々に思い悩んだ果てに、ありったけの手札と覚悟を晒して、僕は彼女の目の前にいる。

 

マリアさん…!

 

強く呼びかけると、マリアさんの表情から力が抜けた。

 

「…全く、あなたには敵わないわね…」

 

じゃ、じゃあ!

 

それから、とても魅力的な顔でマリアさんは笑った。

 

 

 

 

 

「でも、駄目よ。あなたは一緒に連れていけない」

 

 

 

 

 

一気に血の気が引いた。

今まで積み上げてきたものがガラガラと音を立てて崩れていく。

 

な、なんでそんなこというんですか!?

そりゃ僕も英語は得意じゃないけれど、勉強してちゃんと覚えますし!

 

「ハルト」

 

困ったような表情でマリアさんが僕の両頬に手を添えてくる。

見つめられ、言い聞かせるような声音に、僕はますます焦るしかない。

 

運動だって得意じゃないけれど、絶対にマリアさんの足手まといになりませんよ!

それに知ってますか? イギリスカレーは日本のカレーの源流でC&B社が…むぐッ!?

 

唇に柔らかい感触。

それがゆっくりと離れていく。マリアさんの顔がすぐ目の前で焦点を結ぶ。

 

「…あなたの気持ちは受け取ったわ。ありがとう」

 

…ッ。 今のは……。 

 

「でもね、だからこそ、あなたは連れていかない」

 

な、なんでですか…!?

 

「ちゃんと高校くらい出なきゃ駄目よ。わたしが言うのもなんだけど、きちんとした立派な大人になって欲しいから」

 

そんなこと言わないでください! 僕はマリアさんと一緒に行ってもちゃんとした大人になりますからッ! お願いですッ! なんでもしますからッ!

 

「こら、早とちりしないの。気持ちは受け取ったっていったでしょ?」

 

マリアさんが微笑んでいる。目尻に浮かぶ涙に、僕は言葉を飲み込む。

 

「だから―――待っていてくれる?」

 

…え?

 

「必ずわたしは帰ってくるから。だから」

 

コツン、と額に額を当てられる。

マリアさんの声は震えていた。けれど、紡がれる言葉はいたずらっぽく囁くように。

 

「だから、その時まで、せいぜいいい男になっていて、わたしを驚かせて頂戴。ね?」

 

…はい。

 

そう返事する以外、僕に何が出来ただろう?

 

「ん。いい返事よ」

 

マリアさんはグシグシと僕の髪の毛を掻きまわして、

 

「頑張れ、男の子。このわたしの初めてをあげたんだからね? 絶対にいい男になってなきゃ、承知しないんだから…」

 

震える声に涙が交じる。

 

…はい。約束します…。

 

頷いたとたん、抱きしめられた。

抱きしめ返した僕は完全に泣いていた。

想像以上に柔らかく華奢な感触と温もりを両腕いっぱいに抱いて、ああ、僕は本当にこの人が好きなんだなあ、と思う。

 

「大丈夫。きっとすぐに会えるわ」

 

身体を離し、マリアさんは笑った。

それから清々しいほどに綺麗な動作で身を翻すと、振り向きながら何事もなかったかのように手を振ってくれた。

 

「それじゃ、行ってきます」

 

…行ってらっしゃい。

 

僕も手を振り返す。

その後ろ姿が出国ゲートの向こうに見えなくなるまで、僕はずっと手を振り続けた。

涙を拭うのも忘れて、振り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…これで良かったんデスか、ハルト?」

 

切歌が声をかけてくる。

 

うん。これでいい。これで良かったんだ。

 

僕の気持ちはマリアさんに伝えた。マリアさんは僕の気持ちを受け取ってくれた。

なら、どんな距離だって問題ないさ。

 

それに、しっかりと約束もしたからね。

 

「ハルトが良いなら、それで良いんだけど…」

 

僕のキャリーバックにちょこんと座ったままの調。

少し元気がない風に見えるのは、やはり二人も大切な家族が遠くへ行ってしまったことが寂しいんだろう。

そんな二人に、今回は色々とありがとう、と礼を言う。

それから、目尻の涙を拭って笑ってみせた。

 

さあ、帰ろう。まだイヴだし、せっかくだからケーキくらい食べようぜ。

 

「うん。ハルト、なんかさっぱりした良い顔になっている」

 

「じゃ、さっそくこのチケットでオリジナルカレーをデスね」

 

「そこはさすがに空気を読もうよ、切ちゃん…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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