『恋愛すると、世界が変わって見えるという。それは真実だ。
そして、相手次第によっては、周囲の世界まで変わってくる』
阿部ハルト 2029年4月3日 -
…などとアホな格言っぽいものを打ち立てつつ、僕は教室の自席で頬杖をつく。
しかし、現在の状況を見る限り、あながちアホとは言えないんだよな、これが。
先日の夕方、僕がマリアさんの運転する車に掻っ攫われた現場は、結構な生徒たちに目撃されていたようだ。
その中には斉藤を始め、クラスメートの連中もいたわけでして。
したらスマホに来るわ来るわのメッセージの嵐。
そりゃ今は学校も緊急連絡網代わりに通信アプリを使ってますからね? クラス全員、それぞれにメッセージのやりとりは出来るわけですよ。
だからって、普段ろくろく会話もしたこともない連中からまで好奇心剥き出しの質問メッセ―ジが来ていたのには、閉口するしかありませんて。
ほんと、マリアさんと一緒にいる間はスマホの電源を切っておいて正解だったぜ。
結果として、僕はその質問に対し一切返信していなかった。
一斉返信機能もあるから簡単だけど、したらしたで、どうせ更に突っ込んだ質問をされるに決まっている。
放っておいたって明日の学校でも訊かれるんだろうから、その時みんなまとめてでいいや。
そう覚悟して登校したんですよ、実際。
だけど、クラスへ入って席についても、みんなしてこっちを見ながらヒソヒソ話をしているだけで誰も話しかけて来やしねえ。
あ、これはあれか。誰が改めて質問するのかって牽制しあっているのかな? おまえが行けよ、いいやお前が聞いてこい、ってな感じ?
しっかしまあ、こんな遠巻きにされて眺められてると、動物園の動物の気持ちが分かる気がする。…僕は珍獣か何かか?
そんな中、ようやく一人が檻の前に、もとい僕の前に出てきた。おそるおそる近づいてくるのはなんと小金井すみれ。
「あの、阿部くん。昨日の一緒に車に乗っていた女の人って…?」
…ん。僕の彼女だよ?
―――前後に、多分、おそらく、って形容詞がつくだろうけどさ。
おおおぅ、とどよめきがする。
小金井も驚いた顔をして第二問。
「あの、なんかマリア・カデンツァヴナ・イヴに似ていたって噂もあるんだけど…」
あー、そりゃ見られているよなー。
これは素直に肯定していいもんなんだろうか?
でも、そうなると、彼女との馴れ初めというか、コッカキミツの件まで話がいっちゃうかも知れない。
あのペンダントとかに関しては、決して口外しないとの誓約書を、僕はしこたま書かされている。
あはは、他人の空似じゃないかなあ?
「そ、そうなんだ」
小金井は、ほっとしたようなそうでもないような、微妙な表情を浮かべている。
これ以上質問を重ねられるのはコッカキミツ的にもまずい気がした。
そういう意味も込めて、僕は小金井に逆質問。
あのさ。女の人って、デートでどんなことをしてもらうと嬉しいもんなのかな?
「えええッ!? そ、そんなの知らないよッ!」
頼むよ。参考までにでいいから。
結構必死な僕は、実は先日かなりの寝不足。
マリアさんの生歌が耳に反響してってだけなら幸福だったんだけどね。
問題は別れ際にマリアさんから出された宿題です。
今度のデートは僕のプランニングって、かなりプレッシャーですよ?
「だ、だったら、やっぱりプレゼントとか…?」
プレセント、ねぇ。
お金が全くないワケじゃあない。
でも、僕の財力というか金銭感覚からして、マリアさんとは次元が異なると思う。
「気持ちが籠っていれば、大丈夫じゃないかな?」
小金井はそういってくれたけど、しょせん僕らが高校生だから通用するロジックだ。
社会人のマリアさんを満足させるには、それなりに高級なものとかじゃないと難しいんじゃないかなー。
他には?
「う~ん…。美味しいお店とか、楽しい遊び場とか、綺麗な夜景、とか?」
ベタだけど、アリな気がする。
問題は、そこに行くまでの移動手段が僕には乏しいこと。
マリアさんは車を持っているみたいだけど、そこが彼女頼みになるのはさすがに色々と違うだろう。
…ん、分かった。ありがとう。参考になったよ。
「う、うん」
小金井が引き下がって、あとは質問してくる連中は誰もいなかった。
昼休み、一人自席で自作の弁当を食べる。
な、慣れてるもん、ぼっち飯なんて。いつものことだもん。
そういや、一番うるさく質問してきそうな斉藤はどうしたんだろう? と思っていたら、なんだか寝込んだとかで今日は欠席だそう。珍しいこともあるもんだ。
そんなこんなで放課後。
自宅のマンションへ帰ると、入口付近にも珍しい光景。
黒髪金髪の可愛らしい女の子の二人組。
着ている制服は、私立リディアン音楽院だ。
スカート丈は短く、夏服はノースリーブという攻めているビジュアルは、その筋の人間には非常に人気があるとか。
誰かマンションの友達でも訪ねてきたのかな?
二人を横目に、エントランスの電気ロックを解除して中へと入る。
例の二人組も一緒に入ってきたけど、特に気にしない。
エレベーターで14階(僕の家のあるフロアだ)で降りると、彼女たちも降りてくる。
家の前で足を止め、ドアを開けようとしたら、いきなり名前を呼ばれた。
「…阿部ハルト、デスか?」
はい? ま、まあ、そうだけど?
「アンタがマリアの『苦いワカメ』ってやつなんデスね!?」
は? 何いってんの君?
「うん、切ちゃん。それをいうなら『若いツバメ』だと思うんだ」
なんか黒髪の子が金髪の子を宥めている。
「細かいことはどうでもいいデスよ、調ぇ! 今は目の前のコイツを…ッ!」
ってゆーか、君たち、誰?
「問われて名乗るもおこがましいデスが! 私立リディアン音楽院二回生、暁切歌たあ、アタシのことデス!」
ああ、自己紹介どーもどーも。
で、そっちの君は?
「…同じく、リディアン二回生の月読調です…」
その月読調ちゃんとやらは、なんかコメカミを押さえていた。
で? 二人はマリアさんの知り合いなの?
「知り合いも何も! マリアはアタシたちの大切な家族デスッ!」
へえ、そうなんだ。
マジマジと二人を見つめてしまう。悪いけど、あまりマリアさんに似てない。
もし妹だとしたら、ずいぶんと毛色が違いすぎない? ま、僕はマリアさんの家族構成なんて知らないけどさ。
「阿部ハルト! アンタがマリアを油かして! じゃなくて、タワシかして! でもなくて、ダウルダブラ!?」
「うん、『たぶらかして』って言いたいんだよね、切ちゃんは」
「そうそれデース!」
…なんだろね、このミニコント?
あのさあ、廊下だと迷惑だから、詳しい話は家に入ってにしてくんない?
お茶くらいなら出すよ?
意外と素直に暁切歌と月読調の両名は僕の家へと上がってくれた。
玄関先できちんと靴を揃えているあたり好感度アップです。
リビングのテーブル前に座ってキョロキョロしている二人にコーヒーを淹れてあげた。インスタントだけど。
砂糖、シロップ、ミルクはお好みでどーぞ。
「あ、ありがとうございます」
ペコリと頭を下げる月読調―――もう調ちゃんと呼んじゃえ―――は可愛い。礼儀正しくて可愛い。
一方、暁切歌は―――ああ、こっちは暁でいいや―――は、あくまで挑発的な目で僕を見てくる。
「お茶菓子も出せないんデスかね、この家は?」
「切ちゃん、さすがに失礼だよ」
調ちゃんが宥めていた。
僕は首を捻る。
お茶菓子ねえ。あんまりお菓子系統は備蓄しない主義なんだよなあ。
だったら、他に茶請けになりそうなものなんて…あ、アレならあるか。
ねえ? なんなら君たち、カレー、食べない?
そういうと、二人とも目を丸くしている。
「お客にインスタントのカレーを食べさせるつもりデスかッ!?」
喰ってかかってくる暁。いや、それ以前に客だったらそんなクレームつけてこないだろーよ。
「…もしかして、今から作るんですか?」
と調ちゃん。
大丈夫、作ってある。っていうか、多分、いい感じに仕上がっているはずだよ。
「?」
首を捻る二人に、僕は置いてあった鍋をテーブルの上に引っ張り出す。
蓋を開ければ、中ではいい具合にカレーが出来上がっている。
これぞ、我が家の秘密兵器、真空保温調理器。
朝に材料を切ってひと煮立ちさせ、あとはルウと一緒に放り込んでおくだけで、余熱でじわじわと仕上げてしまう逸品よ! 煮込まなくてもいいので手間いらずだぜ!
今日の夕食にしようと思っていたので、実にちょうどいい感じで美味そうだ。
きゅう、と鳴ったのは、きっと暁の腹の音。
どう? 美味そうでしょ?
「で、デース! でも、そんなお茶うけにカレーだなんて…」
食べないの? 別にいいけど。僕はお腹へったから食べちゃお。
炊飯ジャーは朝にたっぷり5合炊き。昼の弁当に使ってもまだまだあるので、存分にカレーを楽しめるぞー。
「私はいただきます」
お、調ちゃん、食べる? 食べちゃう? ご飯の上にカレーをかける派? それとも半分このハーフスタイル? はい、どーぞ。
「ア、アタシも食べるデスよ! こんなカレーを前に我慢なんて出来ないデス!」
そうだろうそうだろう。
カレーは素敵で無敵だからね?
「カレーを食べたいって想いは、力づくで押し通すしかないじゃないデスか…ッ!」
うん、何いっているかわかんないけど、はい、どーぞ。
「頂きますデース!」
「お肉がすごいトロトロで美味しい…」
でしょ? この調理器を使うと、じっくりと火が通るから、角煮とかも最高よ?
僕は角煮作るくらいならポークカレー作るけどね!!
それにしても、カレーは美味しい。そして凄い。
調ちゃんに暁のやつも、すごい笑顔で食べているじゃあないか。
「…お代わり、いいデスか?」
はい、いいよ。食べて食べて。
三人で食べまくった結果、鍋いっぱいのカレーとご飯は綺麗さっぱり無くなりましたとさ。
「ぷはー、美味しかったデス! 満腹デース!」
満足気に床にひっくり返る暁。
「御馳走さまでした」
上品そうにコーヒーを啜る調ちゃんとは好対照だ。
そんで? 僕がマリアさんをたぶらかしているとかって話は?
食べ終えた皿を重ねながら尋ねる。
「あ、それはもういいデース」
「いいの、切ちゃん?」
「こんな美味しいカレーをご馳走してくれる人が悪い人なわけがないデスよ」
「まるでGlorious Breakみたいな手首の回転ぶりだね、切ちゃん」
訳の分からないこといっている調ちゃんの横で、僕は暁とがっちりと握手を交わす。
そうか、分かってくれたか。カレーの前には言葉はいらないよな。ビバ、カレー!
「デース!」
それはともかく、君たちに訊きたいことがあるんだけど、いいかな?
お代わりのコーヒーを淹れ直し、改めて質問すると、二人は揃って首を傾げてくれた。
「マリアの好きなもの、デスか?」
いや、ものじゃなくていいんだよ? 好きなコトとかでも。
「っていわれると、なんだろ…」
調ちゃんは考え込んでいる。
「マリアは、特に食べ物の好き嫌いもないデスしね?」
「それに、大概のことは全部一人で出来ちゃうし…」
うーん、情報なしか、困ったな。
次のデートは、僕が企画しなきゃなんないんだよ。
正直に打ち明けると、思いのほかきっちり頭を捻ってくる二人がいる。
あれ? この子たちは基本良い子なんじゃ?
「ハルトさんは、どんなことを考えているんですか?」
いや、調ちゃん、僕とタメでしょ? ハルトでいいよ。
「じゃあ、私も調でいいです」
「あ、アタシも切歌って呼んでいいデスよ!」
はいはい、じゃあ、調に切歌って呼ぶね。
話を戻すけど、そうだなあ、やっぱり高級レストランかなあって考えているよ。
第一に、マリアさんは有名人だ。
先日は鎌倉まで遠出したから知り合いには見られなかったけど、近場の手頃なレストランとかじゃあ見つかる可能性が高い。
近場でも、高校生風情に不釣り合いなほどの高級レストランであれば、目撃される可能性も下げられるんじゃないかな?
「でも、お金はあるんデスか?」
「高級レストランだと、ドレスコードとかもあると思うんだけど」
お金は、無理すれば都合できなくもない。
でも、ドレスコードってのは盲点だ。礼服なんか持ってない。まさか学生服で行くわけにはいかないだろうし。
「それに、マリアも結構高級なお店は行き慣れていると思うの」
調の言葉に、僕は考え込まざるを得ない。
マリアさんは世界の歌姫だ。
本来なら僕と住む世界からして違うはず。
それこそセレブ御用達の店なんかで食事する機会は星の数ほどあるはずだ。
どだい高校生が背伸びしても、そんな経験に勝る感動を提供できるだろうか?
「だったら、ハルトが一番得意なもので勝負するしかないんじゃないかな?」
…僕の一番得意なもの? って、いわれても。
勉強も運動神経もそこそこの、絵にかいたような平均スペックの持ち主ですよ、僕は?
「男は度胸、女は愛嬌、デスよ!」
うん、切歌も、意味が分からないけどありがとう。
しかし、考えれば考えるほど、マリアさんと僕の棲息するフィールドは違いすぎる。
先日のデートは、いわば僕のフィールドへマリアさんが降りてきてくれたみたいなもので。
じゃあ、今度は僕がマリアさんのフィールドへ?
でも、調や切歌が指摘してくれたみたいに、ちょっとそれは無理そうだ。
結論として、やっぱり僕のフィールドで勝負するしかないと思うんだけど。
周囲にマリアさんがマリアさんとバレたら、色々と面倒ってレベルじゃ済まない気がする…。
そんなアンビバレンツすぎる状況に、果たして打開策はあるのか?
使った食器を洗いながら考え続ける。
ああ、明日のご飯とカレーも仕込まないと。
…ん?
「どうしたの、ハルト?」
いや、ありがとう調。おかげで思いつけたよ。
「え?」
やっぱり、僕は僕の得意分野で勝負するしかないよな。
「何いってるんデスか、ハルトぉ?」
切歌の声を僕は聞いていなかった。
ただ、自宅のキッチンを見ながら頭をひたすら回していた。
…うん、行ける。きっと行けるさ。