『ねえ、ハルト。今度の土曜日は学校は休みよね。空いている?』
はい、大丈夫ですよ。バイトも休みですし。
『そう、良かった。じゃあ、ショッピングに行きたいんだけど、付き合ってもらえるかしら?』
なるほど。今回はショッピングデートですか。
あ、でも、マリアさんは大丈夫なんですか?
『大丈夫って、何が?』
その…僕と一緒にいるところを、マスコミに撮られたりとか?
『ああ、その件ね』
受話器越しのマリアさんは、少し可笑しそう。
『そうね、ハルト。わたしたち鎌倉でデートしたわよね? それで、そのことを、何かしらのメディアで見かけた?』
その台詞に、背筋がゾクリとする。
考えてみれば、マリアさんがぶら下げているペンダントだけで国家機密。なら、持っているマリアさん本人は?
ペンダントに触っただけで僕は謎の組織の黒服のお兄さんたちに連行されたんだから、迂闊にパパラッチとかがマリアさんに近づこうものなら、うわあ。
なるほど。よく分かりました。
…こえー! 国家権力、こえー!
でも、マリアさん。
『なに?』
僕の場合、マリアさんと一緒にいるところを、クラスメートに見られるのは拙いと思うんですよ。
『あら、わたしが彼女だと知られるのは嫌なの?』
そ、そういうわけじゃなくて!
生徒たちの噂でSNSとかに拡散すると拙くないんですかね?
そんで、それから週刊誌とかにスッパ抜かれたりしてさ。
ずばりタイトルは《世界の歌姫の恋人は、都立高の未成年!》
…自分で言っておいて、ないわー。
最近のラノベだってもうちょっとマシな見出しを付けると思う。
『んー…。ハルトが気になるなら、わたしに考えがあるわ』
意味深に通話を切ったマリアさん。
もしかして、マリアさんが変装でもしてくれるのかな? なんて思ってたら、デート当日、なにやら一式抱えて僕のマンションへとやって来た。
「ほら、これに着替えて」
はい。…え? これってスーツですか?
「職場にあったから借りてきたの」
…あ、何かに似ていると思ったけど、僕を拉致したお兄さんたちの黒服とお揃いじゃないか。
「そして、これはわたしのものを貸してあげる」
渡されたのは、いつもマリアさんがつけているサングラス。
とっても高級そうなそれを掛けると…我ながら見習いMIBの使いッ走りみたいな感じになった。
一言でいえば胡散臭い。
「その格好なら、ハルトはわたしの護衛のSPか、マネージャーにでも見えるんじゃない?」
…いや、そんなクスクス笑いながら言われても。
でも、これは盲点だった。
マリアさんが変装するのではなく、僕が変装してしまえばいいってのは、まさに逆転の発想じゃないか。
「これで安心した? それじゃあお買い物に行きましょう」
マリアさんに連れられて向かったのは普通に駅前のファッションビル。
てっきり超高級なブランド専門店やセレブ御用達のブティックに行くと思っていた。
「別にガチガチのブランドで固めたり、拘りがあるわけじゃないわよ?」
ウキウキした足取りでマリアさんが向かったのは、ティーンズファッションのフロアだった。
そりゃあマリアさんはスタイルが良い。
色んな服が似合うと思う。
でも、さすがにティーンズ系のものは無理が…。
「こら、ハルト。何か失礼なこと考えてない?」
コツンと頭を叩かれた。
「誤解のないように言っておきますけどね、ここで買うのは調と切歌のものだから」
へ? なんであの二人のものを?
「家族として、姉として、あの子たちにはいい服を着せてあげたいじゃない」
その台詞に、僕は少なからずジーンと来る。
しかし、マリアさんは『姉』ってアクセントを強調していたけど、本人も連れてこないで買ってあげるのって、どっちかというとお母さん的な発想じゃね?
「あら、あっちの服は切歌に、これは調に似合いそう。ハルトはどう思う?」
あ、そうですね。いい色だと思いますよ。
愛想よく答えたけど、かなり適当なことを言っている自覚はある。そもそも女の子の服の良しあしなんて分からない。
調と切歌にしたって、考えてみりゃ、知り合って滅茶苦茶日が浅いんだよなあ。
最近は、結構マメにメールの交換なんかしているけど、二人の趣味嗜好までは知らないし。
まあ、調にはあまりタイトな服はおススメせず、逆に切歌はピッチリした服が似合いそう。
「…よし。じゃあ、これとこれに、これも買いましょう」
結構な時間をかけて吟味し、結構な量の服をマリアさんは買い込んだ。
お値段も相応で、並ぶゼロの数にびっくりしてる僕の前で、例によってカードで支払う。
それから、振り返って微笑む。
「それじゃ、ハルト。荷物、お願いね」
「は、はい」
大きな袋を左右の手にぶら下げて歩く。
先を行くマリアさんは上機嫌で鼻歌まで歌っていた。
良かった、楽しそうだ。
そんな後ろ姿を追いかけながら、僕もなかなかに今この時間を楽しんでいる。
そんなマリアさんは、ティーンズコーナーとキッズコーナーの境目的なところで、ふと足を止めた。
やたらと可愛らしいワンピースを弄っているけど、それはどう見ても調にすら小さすぎるように思える。
あの~、それも誰かに買うんですか?
もしかして、切歌調二人の他にも誰か家族がいるのかな…?
尋ねると、マリアさんは弾かれたように顔を上げる。
「ご、ごめんなさい。あの子に似合うかもって思っちゃって…」
あの子?
疑問に思ったけど、僕はそれ以上尋ねるのは止めた。
マリアさんの大きな瞳がうっすらと潤んでいたから。
「さて、それじゃあ次はわたしのものを買いましょうか」
はい。お供します。
次に向かったのは上のフロアのセレクトショップ。
目についたブランド品を片っ端から抱えたマリアさんは僕に言った。
「ハルトも選んで頂戴ね?」
え?
試着室の前で待機する僕に、くるくるとマリアさんが服を着替えてみせてくれたのは、さながらファッションショー。
繰り返すけど、服の良しあしなんて僕には分からない。
けれど、どの服もとてもマリアさんに似合っていた。
そもそものスタイルが抜群で、あらゆる服を着こなしてしまうのだから、凄い。
…いや、ほんと、物凄い眼福な時間でした。
しかも試着室のカーテンの奥から衣擦れの音が聞こえるのなんて、もう。
きっと目は泳ぎまくっていただろうから、サングラスをしてなかったら、間違いなく挙動不審で通報されていた自信があります。
「これはどうかしら?」
いいですね。今までで一番いいかも…。
艶やかな黒のロングスカートに、マリアさんの髪の色が一層映える。丈のあるたっぷりとしたチェックの長袖ネイルシャツも暖かそう。
これからの季節にピッタリのコーディネイトだと思う。
「そう。それじゃこれにするわ」
マリアさんは笑顔で、このまま着て帰ります、と店員さんに告げる。
着てきた服は袋に入れて―――もちろん持つのは僕だ。
袋の数も、その重みも、ぼちぼち腕に厳しい。
あの、マリアさん? そろそろ…。
「それじゃあ、次は靴を見に行きましょうか」
…マジですか?
カップルでのショッピングはデートの定番。王道中の王道。
しかしてその際の彼氏の実態は、荷物持ちに他ならず。なお、死して屍拾うものなし。死して屍拾うものなし。
はて、誰の格言だったろう…?
軽く記憶を巡らせつつ、現在の僕は絶賛その苦難を体験中。
ってゆーか! なんでこんなに一気に買うの!? 袋は幾つぶら下げりゃいいのよ?
しかも服によっては不必要なくらいでっかい箱に入れたりして、リボンまでついてたりさ!
そんな箱やらなにやらまで両腕いっぱいに幾つも重ね持つなんて、まるでコントだよ!
「ハルト? 何か言った?」
いえいえ、何も? あんまり楽しくて、つい鼻歌でも漏れちゃったかな~。
しれっと嘘八百を口にしつつ、僕の忍耐力と体力のゲージは赤く点滅している。今なら超必殺技も撃てそうだ。
…いや、これも経験経験。
だいたい、マリアさんと一緒にいられるだけでも光栄と思わなきゃ。
でも、そろそろ辛いよ~。荷物降ろしたいよ~。
しかしマリアさんは、僕の心の叫びに全く頓着した様子はない。
むしろ僕の隣に来ると、むぎゅ! と腕に腕をからめてくる。
こ、この得も言われぬ柔らかい感触は…!!
って、マリアさん、荷物が落ちますから!
両手の上で何段重ねにもなった荷物のバランスを取ろうと僕は慌てるんだけど、それを見てもマリアさんはとにかく嬉しそう。
「ハルトと一緒のショッピングって、こんなに楽しいのね」
…え?
「も、もちろん、今まで他にもいろんな男の人と買い物にはいったわよ?」
まあ、そりゃそうでしょうね。マリアさんは、セレブや芸能人、他のアーティストたちにモテモテでしょうから。
しみじみと答えると、すっとマリアさんが僕から離れた。特に何も言ってくれないんだけど、なんとなく不機嫌そう…?
ちょっと不安になる僕が、最後よ、と引っ張って行かれたのは、まさかまさかのランジェリー専門店。
いや、さすがに一介の高校生には刺激が強すぎますよ!
「あら? 今度は選んでくれないの?」
…ッ!?
「うふ、冗談よ。冗談。…そうね、じゃあ、そこのベンチで待っていて」
ホッと胸を撫で下ろし、大量の荷物を横に置いて専門店の前のベンチで一休み。
あー、ようやっと腕が解放されて気持ち良い。
喉が渇いた。カレーソフトクリームでも食いてえ。
普通に男が一人でこんなところに座ってたら変態扱いされるかも知れない。
でも今は、大量の荷物のおかげで、荷物持ちと認識されているみたい。
こんないかにもお付きです、みたいな格好をしているせいもあるだろうけどさ。
そしてサングラスなのを良いことに、色々と店内を観察させて頂いたのは、健全な男子として非常に自然なことだと断固主張いたします。
ヒラヒラとしたもの、うわすげえ何アレってもの、どうやって履くのってドン引きするようなもの。
それら大量の商品の奥で、マリアさんが店員と何かを話しているのが見えた。
…そういえば、買い物中、マリアさんをマリアさんと気づいていそうなお客もいたけど、誰からもサインを求められたり、どころか、声を掛けられたりもしていない。
やっぱり、こんな場所にマリア・カデンツァヴナ・イヴがいるわけないっていう先入観があるのかな?
それとも、マリアさんとわかっていて、そのプライベートを尊重してくれているのだろうか。
今日は、幸いにもクラスメートや学校の連中にも遭遇していなかった。
自分の着ているスーツを見下ろす。
これって取り越し苦労だったかな。
こんな格好じゃくて、普通の格好をして、普通にマリアさんとデートを楽しめば良かったかな…。
ところで、突然だけど、僕は間が悪い男だ。
大縄跳びに飛び込んだ途端に足を刈り取られる。
ドッヂボールとかでは回避したと思った方向に偶然投げられたボールが飛んできて、道を歩けば高確率で誰かの吐きたてホヤホヤのガムを踏む。
要は、悪いタイミングで、悪い結果を引き当ててしまう体質。
マリアさんのペンダントを拾ったことなんかも、その最たるものかも知れない。
けれど、マリアさんとこうやってデートを出来る間柄になったものだから、すっかりそのことを失念していた。
そしてそのツケとでもいうべきものは、やはり最高にタイミングが悪い時に来るものらしい。
ベンチに座ったままぼーっとしている僕に、声がかけられた。
「…阿部くん?」
思わず声のする方向を見てしまったことを激しく後悔。
小金井すみれだった。
なんでここに…!? そりゃ休日だ、プライベートで買い物していたっておかしくなんかないか。
でも、よりによってこのタイミングで…!!
「やっぱり阿部くんでしょ? 阿部ハルトくんでしょ? 何やっているのこんな店の前で。それにその格好は?」
イイエ、ボクハ、ハルトクンジャナイデスヨ。フユヒコクンデスヨ?
必死で顔を逸らしながら他人の振りをする僕。
そしてそこにドンピシャで戻ってくるマリアさん。
「おまたせ、ハルト。…あら?」
かくして、僕が彼女にしたかった子と、現在の一応の彼女さんが遭遇したのでした。
…僕の明日はどっちだ!?