あれから一頻り姉への不満をシャウトした
いまは雪ノ下からもらった紅茶を啜り、ようやく落ち着きを取り戻したのか再び口を開き始めた。
「でも、そんな姉貴が去年の十二月くらいから変わり始めたんです」
「……そう。去年の十二月から、ね」
「それって……」
ねえ、ちょっと。何で雪ノ下と由比ヶ浜はその台詞と一緒にこっちを見てくるわけ? あとその白けたような視線止めてくんない? なんか、すごく心が痛いんですけど。
「か、一葉!? あんた、それ以上言ったら……」
「大志のお姉さん。ちょっと、ウチの姉貴を取り押さえといてもらえます?」
「……任せな」
「川崎先輩!?」
慌てて席を立って一葉の口を塞ごうとした一色が、川崎によって羽交い絞めにされてんだけど……。やだ、もうなんか嫌な予感がひしひしと感じ過ぎて、もはやこの先の話聞きたくない。
「高校に入学した姉貴は、サッカー部の葉山先輩をターゲットにしていました。ちなみに、俺のこのヘアスタイルも葉山先輩を真似たものです。葉山先輩への対策として強制的に髪を切らされました」
そう言いながら自らの頭頂部へ手をやり、呆れたような表情を見せる一葉。
一色のことだから、弟にヘアスタイルを真似させることによって、葉山と相対したときのイメージトレーニング代わりにしていたのだろう。唯でさえライバルは多いのだ。クラスメイトはもちろん、総武高校中の女子生徒が恋敵であると言っても過言ではなく、なんなら学外にも葉山ファンの影がちらついている。唯一の救いは、葉山のガードが某公国の宇宙要塞並みに堅いこと。さすがディフェンスに定評のある葉山と言いたいところだが、それはそっくりそのまま一色にも跳ね返ってくる。
故に、葉山への可愛さアピールは万が一にも失敗できない。だからこそ一色は実の弟を犠牲にしてでも対策を立てた。用意周到、準備万端、徹頭徹尾抜かりなく、そなえよつねにの精神で……。
その発想と実行力には脱帽であり、さすが一色と言わざるを得ない。やだもう、いろはすったらマジ健気。そこに痺れる憧れ…………いや、やっぱないわ。なに対策って。適当にそれっぽい理屈考えてみたけど、弟のヘアスタイルを葉山と同じにするメリットってなんだよ? もはや次元が違い過ぎて霊圧が感知できないレベル。
「……あんた、弟にそんなことまで強制したわけ?」
「アハハ……。チガイマスヨー、カズハニ、ニアウトオモッタカラデスヨー」
「目が泳いでるけど?」
「……まあ、これはこれで周りからの評判も良かったんで別にいいんですが」
「だ、だよね!」
「一色さん、ちょっとは反省しなさい」
「……ふぁい」
一葉からの肯定的な意見に息を吹き返しかけた一色が速攻で雪ノ下に黙らせられた。
ただ、内容が内容だけに誰もフォローしない。あの由比ヶ浜ですら気まずそうに苦笑いを浮かべるだけだし。川崎に至っては侮蔑の視線を向けている。まあ、ブラコン気質な川崎からしたら弟を利用する一色のスタイルは相容れないのだろう。
誰も擁護してくれないと悟ったからだろうか、ショボーンと顔文字みたいな表情でしょぼくれる一色。だが、一葉はそんな姉を相手にすることなく話を続けてゆく。
「クリスマスの時期を前後して、姉は徐々に変わっていきました。これまで男を手玉にとることだけに心血を注いでいたあの姉貴が、夜な夜な少女漫画を読み始めたんです」
「……一葉。あんた、わたしのこと何だと思ってるわけ?」
勿体ぶった割には、なんか微妙にショボイ変化だった。
他の奴等もそう思ったのか、何となく白けた視線が一葉に集中した。ついでに言うと、一色は頬を引き攣らせて口角がピクピクしている。大分ご立腹らしい。
「待って! 待ってください!! これまで『自信がない? そんなアナタにこれ! カワイイ私発見メイクで彼氏をゲットだ!』だとか『恋の季節! 胸キュン春コーデを大特集!!』なんて頭の悪そうな字面が並ぶ雑誌を愛読していた姉貴ですよ!? それが少女漫画? ……俺は直感しました。これは異常事態だって!!」
「で、でもほら、マンガぐらい誰だって読んだりするし?」
「……私はあまり読んだ記憶がないのだけれど」
「ゆきのんは、ほら……ちょっと特殊だから」
「……そう」
必死な顔で力説する一葉の気迫に押されたのか、エア・リーディング検定準一級を誇る由比ヶ浜には珍しく、踏まなくてもいい雪ノ下の地雷を勢いよく踏み抜いた。
……おい、止めろ。心なしか部室の気温が下がっただろ。俺たちを巻き込むな。これ対人地雷とちゃう、対戦車地雷や。
無表情な雪ノ下から放たれる冷え冷えとした冷気。不穏な空気を察した由比ヶ浜が強引に話を進める。
「か、一葉くん! それでそれで!?」
「あ、はい。え…と、俺だって姉貴が普通に漫画を読んでるだけだったら、そこまで気にしませんでした」
「……つまり普通じゃなかったと?」
俺の確認にコクリとひとつ頷いた一葉が、なんだか微妙な表情で一色を一瞥すると、身内の恥と言わんばかりに溜息まじりに愚痴をこぼす。
「はい。なんかニヤニヤして読んでたと思ったら、ときたまフヒッて笑うんです。ぶっちゃけ不気味です」
「うわあああああああああああああああ」
うわぁ……。それは確かに不気味…………あ、それラノベ読んでるときの俺じゃん(涙目)。
俺が自分を顧みて地味にダメージを受けている横で、羞恥によるものなのか、顔を赤くして絶叫する一色。しかし、そんな姉にはかまうことなく弟は容赦なく追撃していく。
「かと思えば、感情移入し過ぎたのか鼻水流してボロクソ泣いてるときもあって……。それで、気になって姉貴が読んでた漫画を調べてみたんですよ」
「ぎゃあああああああ!? ちょっ、一葉待ってそれストップだめぇええええ」
「……一色さん、ちょっと黙りなさい」
「ふぉがむもっ!?」
およそ年頃の女子高生が出しちゃダメな感じの叫び声を上げていた一色の口へ、雪ノ下がお茶菓子として用意していたマフィンを無理矢理捻じ込み、物理的に黙らせた。
……あの、マフィンを二つは流石に窒息すると思うんですけど。それでなくても顎が外れちゃう。一色を羽交い絞めしてる川崎もドン引きしてるぞ。
「どうぞ、続けて?」
「う、うす。姉貴が読んでた少女漫画なんですけど、タイトルが『Crooked☆まいんど』っていって……知ってます?」
「……壊滅的なネーミングセンスね」
「うーん。そんな漫画あったかな……? 沙希はどう?」
「あたしも、読んだ記憶は無いかな」
一葉が口にした漫画のタイトルを聞いて、雪ノ下がそのタイトルセンスを全否定し、由比ヶ浜と川崎が脳内ライブラリーを検索するもヒットせず、首を傾げている。
俺も小町が持っていたであろう少女漫画を思い出してみるが、残念ながら該当する作品はなかったように思う。
「どうもウチの母親くらいの世代のときに流行った少女漫画みたいです。母さんが全巻揃えて保管してたのを姉貴が引っ張り出してきたみたいで」
「そーなんだ。それで、どんなストーリーなの?」
「大雑把に言えば、よくある学園恋愛モノなんですけど……」
「けど?」
「んーっ! んんーーーっ!?」
一葉がストーリーを説明しようとした途端、それまで諦めたようにモグモグしていた一色が突如暴れ出した。どうやら、よっぽど俺たちに知られたくないらしい。
しかし、その想いが弟に届くことはなく、呻く姉をサクッと無視して一葉が一息にストーリーを解説する。
「内容がですね、いつも八方美人で、それでいてちょっと自分の気持ちに素直になれない女の子が主人公なんです。で、その女の子がイケメンで学園のアイドルでもある先輩に一目惚れするんですけど、次第に捻くれてて普段は無愛想だけど、不器用で優しいもう一人の先輩に気持ちが傾いていって……ていうちょっと変則的な三角関係がメインの物語なんです」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……んもむぅー」
俺の何とも言えない微妙な視線が、大志の居た堪れない様な視線が、雪ノ下と由比ヶ浜、それに川崎からのジトッとした視線が一色へと注がれた。
なんなの、これ。どういう反応を返すのが正解なのん?
「……んんっ。これはあくまで参考として聞くのだけれど、その本のタイトルと作者名を正確に教えてくれるかしら」
「あ、あたしもちょっと気になるかなーって」
「……」
おい待て。何で雪ノ下と由比ヶ浜はこっちをチラチラ見ながらその漫画について詳しく聞くんだ。あと川崎はどうして大志を睨んで……ああ、アイコンタクトなのね。大志がサムズアップしながらスマホをいじりだしたわ。
「まあ、そんなわけで俺は確信したんです。この姉貴、絶対恋してやがるって……」
「そ、それはちょっと早計なんじゃないか? 別に漫画読んで感情移入することだってあるだろ。俺なんて最近、三十路の引きこもりニートが家ごと異世界に行くWEB小説で号泣したことがあるぞ。主に自分の将来を悲観してだが……」
誰もが人に優しくなれた世界だった。だからこそ、あれが虚構の世界だと理解させられる。いつだって真実は残酷だから、あの物語を読んで改めて思ったのだ。……現実ってやっぱりクソだわ、て。
でもまあ、密かにいつ家ごと異世界転移しても大丈夫なように、非常食代わりのマッ缶を備蓄しちゃうあたり、俺も大分毒されていると思う。だって思わず異世界転移に備えて、また犬を飼おうか真剣に悩んじゃったもん。俺とカマクラだったら絶対に一年でギブアップしてる自信があるし。コタロー可愛いよコタロー。
ただ、あの淡々とした文体でさらっといい話を突っ込んでくるのは止めてほしかった。不意打ち過ぎて涙腺が対処できないから。名前もないモブキャラが定時制高校を卒業する回とか、電車の中で読んでて涙を堪えるの超苦労したもん。娘からの卒業証書とか反則過ぎる。
そんな益体もないことをつらつら考えていたら、一葉が苦笑しながら更なる状況証拠を並べていく。
「いやだって、これまで自分磨きに費やしてた努力が花嫁修業にシフトチェンジしてるんですよ。母さんに肉じゃがの作り方を聞いて、”一番の隠し味は愛情!”なんていう世迷言を真に受けてメモってるし……」
「あ、それうちのママも言ってた!」
「……」
「……姉ちゃん?」
「……うちもだよ」
呆れたような一葉とは対照的に、嬉々として同意を示す由比ヶ浜。視界の隅では弟の問いかけに川崎が恥かしそうに頷いていた。
ちなみに雪ノ下は何やら深く考えに耽っており、当事者である一色はと言えば口に詰め込まれたマフィンをモゴモゴ食みながら完全に目から光が失せていた。俗にいうレイプ目である。……なんだこれ、おらゾクゾクすっぞ!
「俺、思ったんです。もしこのまま姉貴の恋が成就すれば、俺は姉の呪縛から解放されるんじゃないか。逆に、これで失恋でもされたら、今以上に俺への被害が増えるんじゃないかって」
「なるほどわからん」
「だから、俺は姉貴の恋路が上手くいくように情報収集を開始しました。幸いにも恋愛脳に陥った姉貴のガードは緩かったので、機嫌が良いときに『なんか良いことでもあった?』と聞けば、ペラペラと喋ってくれました」
「うわぁ……」
やると決めたら手段を選ばないあたり、さすが一色の弟と言わざるを得ない。
……あ、一色が白目剥いてる。
「衝撃でした。まさか、あの姉貴のあざとさを見破るばかりか、剰え誘導してコントロールしてのける男子がいるなんて……。そして同時に確信しました。この姉貴を押し付け──ゲフンゲフン。任せられるとしたら、この人しかいないと!!」
「……おい本音漏れてんぞ」
「姉貴の口から飛び出すキーワードは『先輩』。葉山先輩のことは『葉山先輩』と呼称していたので、これは別な先輩が相手だと察しました。また、姉貴の行動範囲から総武高校内の先輩であることが窺えます。そして、俺は決意しました」
「……何をだよ」
「俺も総武高校に入学して、姉貴の恋路をサポートするしかないと!」
「なるほどわからん」
駄目だこいつ…早くなんとかしないと……。
俺が思わず頭を抱えて項垂れていると、ヒソヒソと囁き合いながらこちらに冷たい視線を投げつける三人の娘さんの存在に気が付いた。
まあ、言わずもがな雪ノ下と由比ヶ浜と川崎である。
「……そう。『先輩』ね」
「『先輩』かぁ……」
「さっきの漫画のストーリーって……」
いや、まあ……うん。言いたいことは分かる。
俺はどこぞの鈍感系主人公ではないのだ。一色が慕う葉山ではない『先輩』に心当たりが無いわけじゃない。どっちかと言うと心当たりがあり過ぎて、さっきから冷や汗が止まらないまである。
まさか、一色も実の弟から暴露されるなんて想定外だっただろう。もしここまで含めて一色の戦略だとしたら、もはや脱帽を通り越して恐怖である。今すぐ脱兎のごとく逃げ出したい。
「事前に姉から集めた情報で、入学して数日で兄貴のことは特定できました。本当は一年間かけてじっくり進めていく予定だったんですが、思わぬ邪魔が入りまして……」
「それはこっちも同じだっての!」
「とにかく、これ以上の邪魔が入る前に勝負を決める必要があるわけです」
「……待て、いまこれ以上って言ったか?」
「そんなことより! さあ、兄貴!! 俺を助けると思って、ウチの姉貴と恋人に──」
どこか焦燥を誤魔化すように力説しながら、こちらに決断を迫ってくる一葉。そのときだった──
「待てぇい、待てえいぃ……。あいや、待たれぇえええい!!!」
一葉の言葉を遮るように部室の扉が盛大に開かれ、新たな乱入者の声が部室へと響き渡ったのだった。