知らない天井でもなければ、ここはドコ、私はダレ的な展開もなく、若干の胃もたれを伴って俺は現世への帰還を果たした。
さり気なく胸元を探ってみたけど、残念ながら死の神な代行証は持っていなかった。どうやら親父が実は死神とかそういう展開は無かったらしい。
「で、話を続けるっすよ、お兄さん」
「鬼か貴様……」
意識が戻ればこっちのもんだとばかりに、大志が話し合いを再開してしまった。
「お兄さん、よく考えてください。ウチの姉ちゃんを選べば、お得な特典が付いてくるっす」
「なんだよ、特典って……」
「京華がぷりてぃキュアが好きなんで、京華と姉ちゃんを連れて行けば合法的にぷりてぃキュア映画とか観に行けるっす」
「……マジか」
ふと思い出すのは、小町の受験のときに川崎姉妹と過ごした一時。
あの田舎の大型ショッピングモールとかに居そうな家族的な雰囲気を思い出し、なんともこそばゆい感覚に襲われる。いや、別にそういう雰囲気が嫌なわけじゃないけど、なんというか……むず痒いでプルンス。
「それにほら、京華は今が一番可愛い盛りですよ」
「でも、あと数年したら『はーちゃん、うっざ』とか真顔で言われちゃうんでしょ?」
「ところがどっこい、ウチの妹は姉ちゃんに似ず素直に育ってます」
「それな」
「ちょっと、大志? 比企谷?」
「それに万が一そうなったとしても、反抗期の娘を持った父親的な気分が味わえますよ」
「なにそれ切ない…でも憧れちゃう……」
「なに言ってんの、あんた達……」
俺が、悔しい……でもビクンビクンと気持ち悪い感じに悶えていたら川崎から冷たい目でジロリと睨まれてしまった。
そっすね、京華を持ち出すのはダメだよね。
「けーちゃんに反抗期とかこないから!」
「そっちかよ!?」
「だ、だって反抗期だよ? もし、けーちゃんが反抗期になって、そこの生徒会長みたいになっちゃったら、あたしどうすれば……」
「うわぁ……」
「なんで川崎先輩はそこでわたしを引き合いに出したんですかねえ……? あと、先輩のその反応はどういう意味ですか?」
頬を引き攣らせながら額に青筋を浮かべる一色から目を逸らす俺と川崎。いや、だって……ねえ?
だが、まあ……川崎の懸念も分からなくもない。実際、以前会ったときにも思ったし。あの年で自然と男が喜ぶツボをついてくる才能はマジ女子力テロリスト。
あれだな。一色というより、城廻先輩的な感じに成長しちゃうんじゃないか。……それはそれで悲惨な末路を辿る男子が量産されるだけだわ、これ。
「フッフッフッ……そういうことなら、兄上! 僕の姉上を選んでいただければ、ぷりてぃキュア映画デートぐらい余裕ですよ!」
「え? ちょ、日向?」
「良く考えてください! 大志の妹君もそのうちぷりてぃキュアを卒業する日がやってくる……そうなったらいかがするのです? また高額なBlu-rayに逃げるというのですか!?」
「だが……」
「ファンとしてお布施は確かに大事です。けれど、たった数年で有効期限が切れる妹より、生涯にわたって共にぷりてぃキュアを応援してくれる……そんな伴侶がいいんじゃないでしょうか!!」
「……確かに」
正直、日向の力説する夫婦でぷりてぃキュア応援フェアには心惹かれるものがある。
そうか、そういう考え方もあるのか……。俺は想像する。還暦を迎えた俺と海老名さんが静かに映画館でキュア戦士たちへ声援を送る未来を──
「……いや待てこれやっぱ違和感しかないわ。第一、海老名さん今のぷりてぃキュアに興味ないだろ?」
「うん。ないね」
「だそうだ、日向」
「姉上の正直者ぉぉぉおおおお!?」
頭を抱えながら膝から崩れ落ちる日向と、そんな日向へ呆れたような眼差しを向ける海老名さん。
「いや、そんなすぐバレる嘘ついても仕方ないでしょ?」
「そこはほら、既成事実できちゃえばどうとでも……」
「バカめ、日向。策士策に溺れたな! ……兄貴。何を隠そうウチの姉貴は根っからのぷりてぃキュア大好きフリークでして……」
「一葉、わたしに変な属性を盛ろうとするの止めて」
「姉ちゃん、何気にぷりてぃキュア好きだよね? 日曜日になると自然と京華と一緒にテレビの前で正座待機してるし」
「……え?」
「キュア戦士がピンチになると、拳を握りながらハラハラドキドキ固唾を飲んで見守ってるし。京華と一緒に声援とか送っちゃうし」
「……ち、違うよ?」
「俺はまだ何も言ってないんだが……」
唐突に川崎のキュア戦士疑惑が浮上した。
ちょっとサキサキ属性過多過ぎない? 盛り過ぎじゃない? ヤンキーチックな見た目でプリキュア大好きとかそれ萌えるだけなんでいいぞもっとやれ!
「という訳で、お兄さん。今度の日曜日、ウチで京華や姉ちゃんとぷりてぃキュア発声上映会しません?」
「行く。絶対行くわ。ビデオカメラ持参で駆け付けるまである」
なにそれスゴイ楽しそう。キラやば過ぎる。
家でやると小町とか母ちゃんに怒られるから声出せないし。全力で応援するわ。
「あ、あたしも!」
「は? 由比ヶ浜?」
「あたしも実はプリってぷりてぃキュア好きなんだよね~。だ、だからもあたしも一緒に……」
「……」
「……」
「……」
「……ゆ、ゆきのんもそうだよね?」
「え? 由比ヶ浜さん?」
「ゆきのんもぷりてぃキュア好きだよね!!!!」
「……そ、そう…かもしれないわね」
「……」
「……」
「……」
「無理すんな、雪ノ下」
「……そうね」
「うう……。ごめん、ゆきのん」
どこかホッとした様子の雪ノ下と、しょぼくれる由比ヶ浜。
まあ、その……気持ちは分からんでもない。一色のときもそうだが、俺は鈍感系主人公ではないのだ。だから、こいつらがいま俺に向けている気持ちにも気付いている。
ここで前までの俺なら、単に三人の関係が崩れることへの危機感だとか不安からくる誤想だと自分に言い聞かせていたかもしれない。でも、そんなのはもう止めたんだ。たとえその結果が俺の勘違いだったからといって、それで後悔なんてしない。そう、俺は──
「代わりと言ってはなんだけれど、今度、部室でパンさん発声上映会をしましょうか」
「なにキリッとした顔で言っちゃってんの、おまえ」
なんかいい感じの俺のモノローグが雪ノ下のドヤ顔によって遮られた件。
「……ゆきのん。発声上映自体はやってみたかったんだ」
「パンさん映画を観るなら本来は私語厳禁なのだけれど……そうね、そういう応援の仕方もあるのね」
「あらやだこの子、すっごいイキイキしてる」
何やらパンさん魂に火が着いちゃったらしい雪ノ下がウッキウキなんだがこれは……。とりあえず、由比ヶ浜と一緒にプロジェクターの借用について段取りを思案している雪ノ下を微笑ましく見守ることにする。
そんな俺にスススッと近づいてきた日向が、神妙な顔でウムウム頷きながら俺に提案してきた。
「……ならば兄上。我が家で御面ライダーとヒーロータイム鑑賞会などもいかがでしょう?」
「あ、それはいいです」
「即答!?」
「だって、絶対に海老名さんが鼻血出して介抱とかしなきゃならんし」
「あ、姉上ェ……」
「……ぐ腐腐腐、面目ない」
まったく申し訳なさそうにしていない海老名さんに、日向が絶望していた。まあ、こっちは放っておいて大丈夫だろう。
「……ねえ、雪ノ下」
「なにかしら、川崎さん?」
「それって、ここでやるなら京華を連れて混ざっても大丈夫?」
「……え?」
「その、うちはあんまり映画とか連れて行ってあげられないから、そういうのやるなら一緒に観させてあげたいなって……」
「……」
「あ、別に無理矢理参加する気はないから、ダメならダメで……」
「いえ、一人でも多くの子どもたちにパンさんを観てもらえるなら、それは原作者にとっても望むところでしょう。歓迎するわ」
「あ、ありがと……」
いつの間にか奉仕部主催によるパンさん上映会が一般開放されることが決定していた。
だが、この機会を逃す手は無い……。乗るしかない、このビッグウェーブに! だって三月に出た映画のBlu-ray買っちゃったし。
「なら、ぷりてぃキュア映画と二本同時上映にしようぜ。歴代キュア戦士五十五人出演のオールキャストだぞ」
「え、マジですかそれ? フレッシュとかファイブも?」
「もちろんマジだ、一色。ちゃんと台詞付きだぞ。まあ、メインは初代とはっぐプリだけど」
「……そのイベント生徒会も協力します。どうせなら視聴覚室借りましょうよ、視聴覚室!」
「いろはちゃんがノリ気になった!?」
「……姉貴、そんな無理してぷりてぃキュア好きなわたし可愛いアピールしなくても」
「だから、一葉はわたしのこと何だと思ってるのよ……」
さっきの自分の発言を棚に上げて呆れたような眼差しを向ける一葉と、頬を硬直させて崩れた笑みを浮かべる一色。
まあ、確かに一色だって小さい頃はアニメも観ていたのだろうし、そこまで疑うことはないだろう。
だから──
「……」
「ちょっと日向。どうしてそこで私を憐れんだような目で見るわけ?」
「いえ、別に……」
「……言いたいことがあるならハッキリ言えば?」
「いや、まぁ別に」
「……念のために言っておくけど、私だって産まれた瞬間から腐女子な訳じゃないからね? 普通にぷりてぃキュアとか観て育ったから」
「ははっ……。またまたご冗談を」
「……」
「嘘…だろ……?」
だから、日向。そんな驚愕な顔で姉を見るのは止めてあげろ。
むしろ産まれた瞬間から鼻血流して『ぐ腐腐腐……』とか言ってたら怖すぎるだろ。
「あ、じゃあ優美子も呼んでいい?」
「それは別に構わないけれど……」
「あー、確かに優美子は好きそうだね」
「三浦先輩って最初は興味なさそうなフリして終盤とか号泣してそうですよね」
それあるわー。だって序盤からクライマックスだもん。初代二人の件とか絶対にあーしさん泣いちゃうわー。
なんなら初代が画面に出てきただけでウルウルしちゃうまである。リワインドメモリーとか流れ出したら号泣待ったなし! ……あ、それは俺だけですね。はい。
「……いや、あれはあたしでも泣くから」
「あ、あはは。……え? 沙希?」
「観たらマジ泣く」
「……どれだけぷりてぃキュア大好きなんですか、川崎先輩」
いや、多分それあれだ。主人公が育児ノイローゼで泣いちゃうシーンとかで感情移入しまくってるだけだから。
良く考えたら、はっぐプリのテーマって川崎的にどストライクなんだろうな。
……やだこのサキサキ、完全に子育てで奮闘する若ママと同じ思考回路!
「……あれ? いつの間にかぷりてぃキュア上映会の話がメインになってない?」
「解せぬ」
「俺たちの姉貴の押し売り……プレゼンは?」
「だから本音漏れてるっての。もういいから黙ってろ」
展開についていけない三人が不平不満を言っているが黙らせる。
そもそも、弟だからって本人の意思を無視して良い訳じゃないだろう。
「おまえらの気持ちも分からんでもないけどな、それ以上はあれだ……野暮ってやつだ」
「……でも、それだとウチの姉ちゃんなんか一生動こうとしないっすよ。今回の件が原因で姉ちゃんが振られて傷つくのは嫌ですけど、だからってこのまま何もしないで後悔もしてほしくないっす」
大志が、ジッと俺の眼を見据えて声を上げる。
この部室に来てからの、どこか調子に乗ったような雰囲気ではなく、かつて依頼で見た時と同じ、純粋に姉を心配する瞳。
「俺も……これが俺の都合っていうのもありますけど、あの姉貴があそこまで本気になってるのを見るのは初めてなんすよ。あんな姉貴ですけど、俺が受験のときは勉強みてくれたりして、良いところもあるんです。だから、弟として出来るなら姉貴には幸せになってほしいんです」
一葉もまた、真剣な表情で俺に向き直る。
確かにまあ、最初に聞いた一葉の話では、一色は碌でもない姉のようにも思える。だが、本当にそれだけなら一葉だって姉のために進学先を決めるようなことまではしないだろう。一色は一色のやり方で、きちんと弟と絆を育んできたってことなんだと思い做す。
「僕の場合は、父上と母上から厳命されてますからね。絶対に兄上を捕らえよって」
「お前はちょっと待て」
「ちなみに生死は問われてません」
「そこは問えよ。何のために捕らえるつもりなんだよ……」
なんなの? 海老名家は伊賀忍の末裔かなんかなの? 俺は別に抜け忍じゃないんだけど……。
俺の困惑した眼差しが面白かったのか、クスリと笑った日向が朗らかに言葉を続ける。
「まあ、というのは冗談でして。ただ、父上と母上がノリ気というのは本当ですよ。それは僕も一緒です」
「あのな……」
「どうしようもなく腐ってて、臆病で、歪んでて、面倒臭い姉ですけどね。それでも僕たちの大事な家族で、僕のたった一人の姉上なんです」
「……」
そう言ってふわりと優しく笑う日向を見て、やっぱりこいつは海老名さんの弟なんだと、不思議とそう思えた。
どこか飄々としていて、掴みどころが無くて、割り切った奴かと思えば、結局は割り切れないで馬鹿みたいに悩んでて……。
「だから、姉上がハッキリと拒絶しない限り、僕は諦めません」
「それは俺も同じっすよ、お兄さん」
「俺もだからな、兄貴」
「……そうかよ」
息を揃えたかのように訴える日向と大志と一葉。
そんな三人の視線から逃げるように、俺は額に手をやり、天井を仰ぎ見る。
「……なあ、兄貴。いや、比企谷先輩。もし姉貴に脈がないなら、そうハッキリ言ってくれよ」
「そうっす。それに、奉仕部のお二人は姉ちゃんに負けず劣らず美人っすから。あのお二人とずっと一緒にいたなら、好きになってても不思議じゃないっすから」
「ですなあ……。ぶっちゃけ、これまでの姉上の態度を想像するに、分が悪いとも理解しているので……」
姉連中に聞かれないようにだろう。少しトーンを落とした声で、三人がそんなことを言う。
先ほどまでの意気込みから一転、どこか諦めたような言葉。だから、俺は天井を見遣ったまま呻くように彼らに尋ねる。
「……仮にそうだったとして、お前らは諦めるのか?」
「まさか全然!」
「むしろ燃える!」
「目指せ略奪愛!」
「……だと思ったよ」
どうやら総武高校の弟達というのは、どうにもシスコンらしい。
「……早速すっけど、お兄さん。参考までに、おっぱいが小さい娘と大きい娘。どっちが好みっすか?」
「ウチの姉貴ならどっちの好みにでも対応できますよ! 姉貴秘蔵の寄せて上げるブラが炸裂するぜ!」
「僕の姉上、ああ見えて脱いだら凄いんですよ……ナニがとは言いませんけど」
「おまえらな……」
さっきまでの姉想いな面を捨て去り、フヒヒと作ったような下卑た笑みを浮かべ出す三人。
何となくだが、さっきまでの真面目モードが恥ずかしくなったのだろうと察する。
察するが……照れ隠しにその話題のチョイスは失敗だったと思うぞ。
「……大志。あんた何言ってんの?」
「誰が寄せて上げてるって……一葉?」
「ひーなーたー? それって、どっちの意味で言ってる?」
「「「 ヒィッ!? 」」」
千葉の弟が総じてシスコンであるなら、姉もまたブラコンなのだろうか。
少なくとも、弟達の本音に聞き耳を立てちゃう位には……。
顔を赤くして怒る川崎と一色と海老名さん。目を吊り上げて怒りを露わにしているのに、口の端が微妙にニヤついているのは照れているからなのかもしれない。
「大志、あんた一週間メシ抜きだから」
「うぇあ!?」
「ねえ、一葉。生徒会長を敵に回して、無事に高校生活を送れるとでも思ってるの?」
「お、おおう……」
「……日向。『はちひな』って、尊いと思わない?」
「なん…だと……?」
……やっぱり照れ隠しじゃなくてマジ切れしてるだけかも。
「た、助けてお兄さん!?」
「兄貴! 姉貴が…姉貴がぁ……!!」
「……兄上、事件です!」
おい馬鹿やめろ。俺を巻き込もうとするんじゃない。あ、止めてこっち来ないで!
その後、なぜか俺は最終下校時刻のチャイムが鳴るまで、弟三人衆と一緒に『ドキ☆姉だらけの校内鬼ごっこ大戦! ~ 捕まったらボコリもあるよ!! ~』に巻き込まれたのだった。
……おまえら、雪ノ下に頼んで当分部室出禁にしてやるからな!
* * *
「……ねえ、ゆきのん」
「なにかしら、由比ヶ浜さん」
「……千葉の兄弟姉妹って、こんなのバッカリなの?」
「それは風評被害…………待ちなさい! いまさり気なく『妹』もその括りに入れなかったかしら? 小町さんは兎も角として、まさか私もアレと同類に考えているの!?」
「うーん……。やっぱり弟がいた方が良いのかな……。ちょっとママに頼んでみようかなあ……」
「さっきのことは後で問い詰めるとして……んんっ。その件を親御さんに伝えるのは止めておきなさい、由比ヶ浜さん。仮に願いが叶っても、弟が産まれる頃には私たちは卒業しているわ」
「なら……養子とか?」
「……助けて、比企谷くん。私じゃツッコミ切れない」
ついでに言うなら、千葉の一人っ子は自由気ままで、妹は気苦労が絶えないのかもしれない。