犬猿ふたり旅《完結》   作:田島

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昇級試験

 冒険者向けの宿の酒場兼食堂でデミウルゴスは夕食を摂っていた。セバスは帰り道で以前助けた人に夕食に呼ばれそちらで食べてくるという事で途中で別れた。銅級(カッパー)鉄級(アイアン)の冒険者向けの安宿の食事は値段に見合った貧相で質の悪いもので、こんな豚の餌にも劣るような食事ならば(どうせ飲食は不要なのだから)食べない方がマシとは思うものの、人間の振りをする以上食事する姿を見せておく事は必要である為、かなりの我慢を強いられながらデミウルゴスは皿を床に叩き付けてぶち撒けてやりたい気持ちを堪えながら極めて口に合わない料理を食べていた。

 宿の出入口が開き誰かが入ってきたようだった。特に敵意は感じられないのでデミウルゴスは気にも留めずに食事との格闘を続けていた。入ってきた人物はカウンターへ行き宿の主人と何事かを話すと、デミウルゴスへの座るテーブルへと真っ直ぐ歩いてきた。

「お食事のところすみません、堕落の果実のデミウルゴスさんでしょうか?」

「はい、そうですが」

 声を掛けられテーブルの側に立った男をデミウルゴスは見やった。平凡な、取り立てて特筆するところのない容貌と服装の街の住人Aといった感じの男だった。

「冒険者組合からの言伝を預かってきました。昇級試験についての話があるので明日冒険者組合まで来てほしいそうです」

「確かに承りました、わざわざありがとうございます」

「いえ、それでは失礼します」

 街の住人Aは挨拶をすると宿を出ていった。こんな簡単な用事を伝えるのにも人を使うとは何とも非効率である、位階魔法が使えるならば〈伝言(メッセージ)〉も使えるだろうにどうして使わないのだろうかとデミウルゴスは疑問を抱いた。今回の依頼の旅でもパヴェルが〈警報(アラーム)〉という知らない魔法を使っていた。ユグドラシルとこの世界は様々な事が違うようだから、〈伝言(メッセージ)〉はこの世界には存在しない、或いは何か仕様が変わった、という事も考えられる。巻物(スクロール)を買えるだけの余裕が出来てからの話にはなるがその辺りも確認しておく必要があるだろう。

 依頼達成の報告の際に受付嬢から軽く聞いておいたのだが、巻物(スクロール)の販売など魔法に関する事は魔術師組合が行っているらしい。顔を売っておく必要もあるし一度訪ねてみるのもいいかもしれないと考える。パヴェルに聞きに行ってもいいだろうが、どうも恐れられてしまっているようなので先輩冒険者との顔繋ぎは失敗だったかもしれない。それもこれもセバスが加減というものを知らないからである。忌々しい思いと共にようやくデミウルゴスは最後の一口を口に運び飲み下した。下等生物の粗末な食べ物を口にする今日の試練はこれで終了である。

 しかしセバスの加減知らずも悪い面ばかりではないだろう。ダンデライオンからセバスの力について噂が流れれば冒険者の等級とは別の意味合いで名声が高まる。上の等級に上がるには一つ一つ昇級試験を受けていくしかない事は講習で説明されたがそれはいかにもまどろっこしい、圧倒的な力を持つと評判になれば冒険者組合の方でも飛び級を検討してくれるかもしれない。或いは何か大きな事件を解決すれば飛び級も可能かもしれないが、こちらは事件が起こってくれるかどうか運頼みな所がある。適当な悪魔を召喚して騒ぎを起こさせそれを倒してもいいのだが悪魔を召喚すればデミウルゴスの仕業である事はセバスにはすぐに分かる、決していい顔はしないだろう。

 デミウルゴスは部屋へと戻り今後の行動について考える。明日話があるという昇級試験は鉄級(アイアン)へのものだろう。どうせ子供のお使いのような内容なのだろうからこなすのに苦はないだろうが、鉄級(アイアン)では評価として不足であるとどうにか冒険者組合に認めさせたい。力を認めさせるのに考えていた手段を今回の試験の内容として提案してみるか、という結論に至る。要は鉄級(アイアン)に相応しい力があるという事が示せれば試験の内容としては問題ない筈だ、鉄級(アイアン)などでは留まらない力があると認めさせたいデミウルゴスの狙い通りに事が運べばそれは十分示せる。

 本当は愚劣な人間共に混じって冒険者の等級上げなどというまだるっこしい事をするのは真っ平御免だ、ナザリックを探す為に飛び回りたいのは山々なのだが闇雲に探しても見つからないだろう事は明白、探す為には情報が必要でそれを得る為の地盤固めをしなければならない。今は忍耐の時だ、臥薪嘗胆である。

 食事の際に冒険者達の噂話にも耳を傾けているもののナザリックに関係していると思しき情報はまだ得られていない。この辺りにはナザリックはないのか、それとも表立っては活動していないのか。用心深いモモンガ様であればナザリックが関与していると簡単に分かるような行動はされないだろうから後者の可能性は十分にある。その場合はこの街にデミウルゴスとセバスの名が広まれば必ずコンタクトがある筈である。

 影の悪魔(シャドウ・デーモン)による情報収集も継続しており、この街の情報屋と思しき者達の名前や人相、普段いる場所も大凡当たりは付いている。ただ情報屋から情報を得るには先立つ物が必要である、銅級(カッパー)鉄級(アイアン)の報酬では心許ない。唯でさえ上手くいっているとは言い難いセバスとの関係を拗らせない為には正当な報酬を払わずに聞き出す強引な手段は取れない。やはり上位の冒険者ランクへの昇級は喫緊の課題だろう。

 程なくセバスも戻ってきたので明日の話を切り出すことにする。

「明日冒険者組合への呼び出しがかかったよ。昇級試験の話だそうだ」

「ほう、それは喜ばしい事です」

 無表情のままセバスは答えたので言葉通りに喜んでいるのかどうかは分からないが、この男はいつもこうだ。いちいち気にはしていられないからデミウルゴスは話を進めることにする。

「昇級試験の事なのだがね、恐らく下らない内容だろう。合格する事自体は問題ないだろうが、それを毎回繰り返すのも徒労というものだ。そこでだ、アベリオン丘陵で亜人討伐をしてその成果をもって我々の力を示そうと思うのだが」

「組合で説明があった通り飛び級は認められないのでは? 郷に入れば郷に従えと申します、指定された内容で試験を受けた方がよろしいのではないでしょうか」

「そんな事をしていてはアダマンタイトまで登るのにいつまでかかるか分かったものではない。我々の為すべき事は一刻も早いナザリックへの帰還、そうではないかね? その為に手段は……私も最大限譲歩して君が嫌がらないだろうものを選んではいるつもりだし、その範囲でより迅速に為せる手段があるならそれを採るべきだと考えるがセバス、君はどう考えているのかな」

 デミウルゴスの問い掛けにセバスは僅かに表情を硬くした。ナザリックへ一刻も早く帰りたい気持ちはデミウルゴスもセバスも変わらないだろう。そこを突かれてはセバスも弱い筈だ。

「……亜人討伐と申しますが、どの程度の強さの者達がいるかも分からないでしょう」

「大城壁があるとはいえこの地の人間共と睨み合っているという時点で大体の程度は知れるよ。無論、我々では対応できない強敵がいた場合はすぐに退く事を前提にする。敵が〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉でも使ってこない限りは安全に離脱できる」

「〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉ですか……」

 心から嫌そうな顔をセバスはしているがデミウルゴスだって同じ思いだ。この男と引っ付いて転移など想像するだけで胸がむかむかする。いっそ魔将を召喚して間に挟んで〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉を使わせようかと思う程だ。だが安全な離脱方法としては最適なのだから採用しないわけにはいかないだろう。

「君の気持ちは分かるがそんなにあからさまに顔に出すのはどうかと思うね」

「同じ台詞をそっくりお返しします」

「で、どうなんだい、私の案にはまだ反対かい?」

「……いえ。それが今出来る中で最善であるという事は分かりましたので反対はいたしません。一刻も早くナザリックへ帰還したいという思いはわたくしも同じですから」

「分かってくれて嬉しいよ。恐らく明日この話を持ち出したら組合長辺りが出てくるだろう、そして君と同じように規則に反する事を容認できないと言う筈だ。話は私がするから君はもし聞かれたら私に賛成していると答えてくれればそれでいい」

「分かりました」

 そうしてセバスの了承を取り付けて次の日。朝一番の時間帯は仕事を求める冒険者で混み合っている為少し遅い位の九時頃に冒険者組合へと向かう。思った通りに受付は空いていて、すぐに話をする事ができた。

「おはようございます、昇級試験についてお話があると伺い参りました」

「堕落の果実のお二人様ですね。先日のゴブリンとオーガ討伐の功績が評価されて鉄級(アイアン)への昇級試験を受ける資格が認められましたが、どうされますか?」

 チーム名を呼ばれてセバスが嫌な顔をして睨んできたがデミウルゴスは無視した。受けないという選択肢は勿論デミウルゴス達にはないのだが組合側の出す条件を一々飲んでいては牛歩の歩みになってしまう。故に先手を打たなければならない。

「その前に一つご提案があるのですが。わたくし共はこれからアベリオン丘陵へ行き亜人討伐をしてこようと考えておりました。試験の内容を亜人討伐にして頂き、その結果によってランクを考慮していただくという事は可能でしょうか?」

「申し訳ありませんが組合から指定された内容以外での試験は承っておりません」

 試験の内容変更、そんな事を受付嬢が一存で決める事など出来よう筈もない。そして通常はランクは昇級試験を受けて一つ一つ上に登っていくしかないのだ。この返答はデミウルゴスの想定内である。

「そうですか、残念です。では昇級試験は受けずに銅級(カッパー)のままモンスターや亜人の討伐で食い繋ぐ事にしましょう。どうせこの街にいつまでもいる訳ではない、いずれはまた旅に出るのですからね」

「……あの、このままで少しお待ち頂いてもよろしいでしょうか」

「はい、お待ちしておりますよ」

 にっこりと微笑んでデミウルゴスが返答すると、受付嬢は席を立ち階段を上へと登っていった。ある種の賭けだったがどうやら勝ったようである。

 話を聞いた限りでは冒険者のシステムは冒険者を育成するのではなく上に登れる優秀な者をふるいに掛けるシステム、それならば優秀な冒険者になれる見込みのある者をなるべく囲い込みたい筈である。大城壁が破られた場合アベリオン丘陵の亜人の脅威に真っ先に晒されるこの街なら尚更の事だ。セバスの圧倒的な力はもう上の耳にも入っているだろう、だからこそ恐らくは即日で昇級試験が決まったのだ。カリンシャの冒険者組合としてはデミウルゴス達に上の階級に登ってもらいずっとこの街に留まってほしいと考えているに違いない、だからこの街を離れる事を示唆すれば引き止めに動くという寸法だ。その意向が果たして受付嬢にまで伝わっているかという懸念はあったのだが杞憂だったようだ。そのまましばらく待っていると受付嬢が戻ってきた。

「恐れ入ります、組合長からお話があるそうなので上まで来て頂いてもよろしいでしょうか」

「勿論、参りますとも」

 快く返事をしてデミウルゴスは階段へと向かった。セバスもそれに続く。階段を四階まで登り、奥の部屋の前で受付嬢は立ち止まりドアをノックした。

「失礼します、堕落の果実のお二人をお連れしました」

 ドアを開け中へどうぞと受付嬢が招いてくれたので中へと入る。中はソファとテーブルが置いてありその奥には書類の積まれた机、壁には本棚が並んでいた。デミウルゴスにとってはさして見るべきもののない見窄らしい部屋である。ソファに座った恐らくは組合長と思しき男がこちらへ掛けてくれというので一礼して組合長の向かいのソファに腰掛ける。

「私がカリンシャ冒険者組合の組合長をしているオルズベックだ、よろしく頼む」

「よろしくお願いいたします」

「話は聞いている、昇級試験を受けない意向との事だが」

「ええ。わたくし共の目的は名声を高める事と日々の糧を得る事です。冒険者としての等級を上げずともモンスターや亜人の討伐で成果を上げれば日々の糧は得られますし自ずと名声も高まりましょう? それであれば子供の使いのような試験を受ける必要もないと判断したまでです」

 子供の使い、の所で組合長の顔は強張った。苦い顔をした組合長が反論しようと口を開く。

「いやしかし……試験内容を聞いてもいないというが」

銅級(カッパー)鉄級(アイアン)の仕事内容は大凡把握しております、そこから大体の難易度の推測は付きます」

「名声を高めるならばオリハルコンやアダマンタイトのプレートを得れば他国にまで名前を轟かせることも出来る、君達の目的は同胞を探す事と聞いたがその目的にも適うのではないかね?」

「仰る通りの目的で冒険者に登録したのですが、実力に見合わぬ下らない試験で毎回力を示すのも面倒な事。ならばわたくし共の探す情報がある程度得られた時点でこの街を離れようと思った次第です」

「申し訳ないのだが、特例は認めていないのだよ。どんな上級冒険者でも一歩一歩階級を登ってきている、君達だけを特別扱いするわけにはいかない。これはどこの冒険者組合でも同じ事だ」

「朝令暮改では組織が立ち行きませんからね、そのご判断は正しいと考えますよ。ただ、それであればわたくし共の結論としては昇級試験は受けない、というお答えになります」

 デミウルゴスの答えを聞き、蓼でも食べたような苦い顔をして組合長は黙り込んだ。しばらくの沈黙の後、組合長はセバスの顔を見た。

「セバス君だったね、君も同じ考えなのだろうか」

「この件に関してはデミウルゴスに一任しておりますのでわたくしも同じ考えと思って頂いて結構です」

 にこりともせず無表情でセバスは言い切り、答えに詰まった組合長は再び押し黙る。最下級の銅級(カッパー)の冒険者の名前を組合のトップが把握している時点でかなり重要視されている事が分かる。

「……アベリオン丘陵へ亜人討伐に行くつもりと聞いたが」

「はい、その予定でおります」

「試験内容の変更は認めよう。だが成果によってランクを決めるという件は了承しかねる」

「成果を見れば考えを変えて頂けると思いますよ。試験内容の変更を了承して頂いたお気遣いに感謝いたします」

 デミウルゴスは自信に満ちた笑みを浮かべてみせるが組合長はただ苦い顔を返しただけだった。

 

***

 

 前回と同じ大城壁の砦まで、同伴する商人や冒険者はないので二日ほどの行程で踏破する。それこそ〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で移動すれば効率的なのだが、デミウルゴスもセバスもお互いにその手段は最終手段として最後の最後まで使いたくないと考えているし、アベリオン丘陵まで行ったというのにあまりに帰りが早くては不審を抱かれるだろうという理由もあるので歩く事にした。力ない人間に合わせるというのも中々苦労するものだとデミウルゴスは心の中だけで愚痴を零した。

 門まで進み丘陵まで亜人討伐に赴く旨を告げると、衛兵は銅級(カッパー)のプレートを見て顔を顰めた。

「自殺願望なら止めんが、やめておいた方がいいと思うぞ」

「ご心配痛み入ります。ですがもし丘陵に命散ったとしてもそれが我等の運命(さだめ)だったという事でしょう、冒険者として戦って死ねるならばそれも本望というものです」

 引き止められるのも面倒なのでデミウルゴスは自殺願望を装う事にした。

「そこまで言うならもう止めんが……知らんからな?」

 死に行く者を見送る切なげな哀れみの眼差しをデミウルゴスに向け、衛兵は門を開けに歩き出そうとした。それを呼び止める者があった。

「おい、ちょっと待ってもらってもいいかい?」

「はっ! カンパーノ班長閣下!」

 衛兵を呼び止めたのは鍛えられた肉体とごつい風貌に丸くきょろりとした目だけが不釣り合いな変わった容姿の男だった。班長の称号に閣下を付けるのも不釣り合い極まる。だがデミウルゴスは呼ばれた名に心当たりがあった。推測が正しければこの男はオルランド・カンパーノ、聖王国で強者が得る称号である九色の一色を頂く一人である。

「そちらのご老人、かなりの使い手とお見受けするが。どうですかね、俺と一戦」

「……失礼ですが、あなたは? わたくしはセバス・チャン、ご覧の通りの銅級(カッパー)冒険者ですのであなたのご期待に添えるかどうか」

「おっと、焦って名乗りも忘れてましたね、こいつは失礼。俺の名はオルランド・カンパーノ、しがない聖王国軍の班長ですよ」

「申し訳ありませんが我々は先を急ぎますので……」

「いいではないですかセバス、そんなに時間はかからないでしょうし受けて差し上げれば」

 断ろうとするセバスをデミウルゴスは横から制した。九色の力は見極めておきたいと前々から考えていた、それにこの砦を最前線で守る者の力量を見られれば丘陵にいる亜人の程度もより正確に分かろうというものである。この程度でも撃退出来ていると思うのか、これ程の力を持ってしても制圧できないと思うのかはまだ分からないが。デミウルゴスが見た所の印象としてはこのオルランド・カンパーノという男は他よりは多少マシなだけのゴミなのだが何か隠し持った力があるとも知れない。腰に何本もの剣を携えているのはどういう訳なのか、そこまではカリンシャに流れる噂だけではこの短期間では調べきれなかった。手合わせというからには命の奪い合いにはならないだろうしセバスで様子を見るのはいい手だろう。

「お連れさんもそう言っている事ですし是非、そんなにお時間は取らせませんから」

 オルランドが手を合わせ軽く頭を下げてくる。セバスはデミウルゴスに渋い顔を向けて盛大な溜息を漏らした後で、オルランドに向き直り渋々といった様子で頷いた。

「仕方ありませんね、では軽く一手、胸をお借りいたします」

「決まりですね、ではこちらへ」

 オルランドが歩き出したのでセバスとデミウルゴスもそれに続く。やがて着いたのは簡単な柵で囲われた訓練場だった。柵に訓練用と思しき剣や槍や盾が立てかけられている。

「本当は命の奪い合いって奴が出来れば一番なんですがね、さすがにそれはまずいでしょうから。武器は何を?」

「わたくしは修行僧(モンク)ですので己の肉体が武器、お気遣いは無用です」

「ほう、そいつは楽しみだ」

 楽しげに笑みながらオルランドは剣を二本取ると両手にそれぞれ握った。利き腕でない方の腕にも同じ剣を持った二刀流、扱いが難しく熟達に困難を要する剣術だがそれだけではセバスにとっては然程脅威ではないし、腰に携えた何本もの剣の答えにもならない。どうにかあれを使わせて手の内を見られればとデミウルゴスは考えたがさすがにオルランドにも命の奪い合いまでする気はないようなので腰の武器は抜かないだろう。そしてデミウルゴスの目が正しければオルランドは腰の武器を抜く余裕すら与えてもらえない。

 野次馬が徐々に周囲に集まり出していた。両者がそれぞれ構えをとり、先程デミウルゴスを哀れんできた衛兵が始めの合図を出した。

 先手を打ったのはオルランド、右腕の上段からの鋭い斬撃がセバスへと浴びせられる。だがそれはセバスの拳で阻まれ、がきんと金属がぶつかったような音がした。そのままの流れでセバスは反対の拳を繰り出し、それをオルランドの剣が阻もうとする。まさにぶつかろうとする刹那、セバスの腕が上方へと振り抜かれ、防ごうとしたオルランドの剣はその拳に弾き飛ばされた。がら空きになったオルランドの胸目掛けて、オルランドが対応できない速度でセバスは掌底を繰り出した。その動きを視認できた者はデミウルゴス以外にはその場にはいなかっただろう。オルランドは勢い良く後ろへと吹っ飛ばされ、ばきばきと柵が折れる音が派手に鳴る。

 オルランドが立ち上がる様子はなかった。デミウルゴスを哀れんできた衛兵が様子を見に行く。オルランドの顔を覗き込み呼吸を確かめる。

「は、班長閣下は……気絶しておりますので、勝負はここまで!」

 その結果に野次馬の兵士達は騒然となった。モンスターや亜人相手には容赦がないのに人間相手ならきちんと手加減できるのだからセバスの甘さの基準というのは曖昧である、感情で物事を決めるセバスのそのやり方がデミウルゴスは好きではない。デミウルゴスのセバスに対する感情はさておき、何にせよ九色の一人がこの程度という事は知れた、この男が最前線を任されているという事は亜人達はこの男程度かそれより下と考えていいだろう。九色にオルランドを遥かに上回る強者がいないとは言い切れないので警戒を解くべきではないだろうが、目先の心配はなくなったと考えてもいいだろう。

 オルランドは重いのだろう三人掛かりでどこかへと担がれていき、今度こそデミウルゴスとセバスは門を開けてもらい通してもらった。門を抜け目の前に広がっているのは平坦な大地、丘陵地帯はここからずっと先になるようだった。門から歩く事一日、ここまで来れば門からの人間共の監視の視線は気にしなくてもいいだろうとデミウルゴスは判断した。

「さて、あなたにばかり働かせているのも悪いですから、亜人共は私が狩ってきますよ」

「どういう風の吹き回しですか、それに一人では対応できないような強者がいないとも限らないでしょう」

「その場合はここまで転移で戻ってきます。あのオルランドという男を見る限りその心配はいらないと思いますがね。そんな強者が亜人にいたならあんな男では砦の守りは務まりませんよ」

 デミウルゴスのその言葉にセバスはそれ以上の反論ができなかったようで、憮然とした表情で頷いただけだった。オルランドの手応えのなさは実際に戦ったセバス自身が一番良く分かっているだろう、当然の結果だ。

 デミウルゴスはローブを脱ぐとセバスに預け、背中から皮膜の翼を生やした。創造主(ウルベルト様)から賜った衣装は魔法の装備だから穴が空いても塞がるが、人間の街で買ったローブはそうはいかない。

「すぐ戻りますのでここで待っていてください」

「お気を付けて」

 まるで心の籠もっていないセバスの見送りの言葉を聞き流してデミウルゴスは飛び立った。空からの方が亜人の集落は発見しやすいだろうがセバスを抱えて飛ぶなど真っ平御免である、敵の力量もある程度見極めが付いたというのもあり一人になった。デミウルゴス一人の方がこれから先はやりやすい、セバスがいれば間違いなくいい顔をしない。

 半刻ほども飛んだだろうか、集落らしきテントの集まった地点を見つけデミウルゴスは広場の中心と思われる地点に降り立った。そこにいたのはコブラのような頭を持ち鱗に覆われた身体を持つ二足歩行の亜人、恐らくは蛇身人(スネークマン)と呼ばれる種族だろう。提出箇所は尻尾の先でしたね、とデミウルゴスは自分の記憶に確認を取る。

 蛇身人(スネークマン)達は降り立ったきり何もしようとしないデミウルゴスを強く警戒しつつ周囲を取り囲んだ。知らせが行ったのだろう、包囲の数は徐々に増えている。数が多ければ多いほどいい、後の手間が省けるというものだ。見たところこの集落の蛇身人(スネークマン)はオルランドにも劣る者しかいない。これであれば最小限の手間で最大限の見返りを得られそうだった。そろそろ頃合いか、と考えデミウルゴスは口を開いた。

『自分の爪で自分の喉を切り裂きなさい』

 朗々と響き渡ったその声を聞いた広場の蛇身人(スネークマン)達は一斉に己の爪で己の喉を傷付け切り裂いた。痛みの余りにほとんどの者が倒れ伏し苦悶と苦痛の呻きを上げる。その声はデミウルゴスにとっては妙なる調べだ。

 ああ、もし拷問の悪魔(トーチャー)がこの場にいたなら治癒させてまた己の手で己の喉を切り裂かせ永遠の苦痛を与えるのに。親が子の喉を切り裂くという趣向もいいし、逆もきっと楽しいだろう。友人同士、恋人同士、そういった絆を引き裂いてやりたい。抗えない絶望に光が失われる瞳を見たい。終わりのない苦痛に心が死んでいく様を見たい。

 そこまで考えて、いけない、とデミウルゴスは思い直した。今は己の楽しみを追求している時ではない。出血が多く息絶えた者もいるようだったが息が残っている者もいる。止めを刺してやるのは慈悲深すぎる、苦しみ藻掻いている様をデミウルゴスとしてはこのまま眺めていたいがセバスを余り待たせるのもさすがに悪いし機嫌が悪くなられても困る。さっさと仕事を済ませるか、と頭を切り替える。

「悪魔の諸相:鋭利な断爪」

 片手の指先だけを八十センチほどの鋭利な長い爪に変え、まだ息のある蛇身人(スネークマン)に止めを刺し尻尾の先を回収する作業にデミウルゴスは掛かった。全ての死体から尻尾の先を回収し終わるがおおよそ二百は集まっただろうか。成果としては恐らく十分だろう。集落を皆殺しにしてもいいが子供の尻尾が混ざっていたらセバスがうるさそうなのでやめておく。戦士なら殺して良くて子供は殺してはいけないというのはデミウルゴスには理解できない論理である。

 セバスと合流しそこからはまた歩きでカリンシャに帰還する。帰った足で冒険者組合に報告に行ったが、アベリオン丘陵に出ていって生きて帰ってきただけでも驚きなのに背負い袋一杯の蛇身人(スネークマン)の尻尾の先を提出され、受付嬢はとうとう卒倒した。ランクについて検討したいので数日考える時間をくれ、と組合長が頼み込んできたのはデミウルゴスからすれば当然といえば当然の結果だった。


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