アンペルのアトリエ ~ホグワーツの錬金術師~ 作:志生野柱
ズルズルという独特な移動音が止んだ後も、ソレを追跡するのはそう難しいことでは無かった。
地面に擦れた後があるのもそうだが、進行方向と一致する方角から、何かを啜るような音が聞こえているからだ。
「・・・近づいているな。」
「あぁ。どうする、アンペル?」
戦闘か、観察か。
リラが言いたいのはそういうことだろうが、アンペルは既にノルデンブランドを持っており、その双眸は鋭く細められている。
「あれがもしクィレルで、この悍ましい音がユニコーンの血を飲んでいる音なら・・・殺してやるのが救いだろう。」
ユニコーンの血は、素材単体で比較してほぼ最上位の癒しの力を持っている。
流石に最上位の『不死鳥の涙』や『ドンケルハイト』には劣るが、肉体の損傷の殆どを治すことができる。
とはいえそれには多大な代償が求められ、ユニコーンという無垢なる生物を自分の命の為に殺めた者は、その魂を呪われる。死ぬまでだ。
「・・・甘い男だ。」
リラもそう言いつつ、両手を覆うオーレンヘルディンを確認した。
「・・・音が止む前に仕掛けるぞ。用意は?」
「大丈夫だ。・・・行くぞ!」
アンペルの合図に合わせ、リラが風の精霊を身に纏わせ、目的地──音源までの最短距離を遮るように生えている木々を斬り飛ばす。
小規模な竜巻じみた一撃で切り拓かれた道を、アンペルが無数の氷刃を従えて疾走する。
「やはりユニコーンを・・・!!」
倒れ伏した銀色の巨体から、蒼褪めた銀色の液体が流れている。
黒いフードを着たソレは、全く同じものを伽藍洞のフードの、おそらく口に当たるだろう場所から垂らしていた。
驚愕か、恐怖か、或いは戦意か。ソレは棒立ちのままアンペルを見つめ───弾かれたように右手を上げ、緑色の閃光を放った。
「遅い───!!」
閃光と言っても、魔法の飛翔速度は光のそれに遠く及ばない。音すら超えない一撃を躱すことなど、後衛のアンペルにだって容易い。
アンペルは少しだけ身をずらして閃光を避けると、ノルデンブランドを完全に起動し、無数の氷刃を殺到させた。
黒いフードが翻り、杖が振られる。だが────氷刃そのものに干渉する魔法は、錬金術優位の法則により効果を発揮しない。
擦過10以上、直撃6。それが一撃目の挙げた戦果だった。
「浅い・・・いや、効いていないか。」
血飛沫が一滴たりとも上がらなかったという事実は、アンペルにさらなる警戒を呼び起こすには十分だった。
敗れたローブの下からは、やはり伽藍洞が覗いている。幻術か、認識阻害か、或いは両方か。そして防御系の魔法も併用しているらしい。少なくとも二つの魔法を同時並行し、継続的に使えるだけの魔法使いだ。
「アンペル・フォルマー、見事な体捌き、そして錬金術だ。あの奇妙な液体と言い、驚かされたぞ。」
老人か、若者か。それ以前に男か女かも分からないような、歪な声が届く。
それがローブの奥から聞こえているということは、状況から見れば明らかだろう。
「だが残念なこともある。それはお前の錬金術では、この身に届かぬということだ。」
アンペルは声の語りを話半分に聞きながら、周囲に気を配る。
どうやらハグリッドたちはまだ遠く、周囲に黒ローブ以外の敵性存在はいないらしい。
声は続く。
「俺様にはそれが惜しい。とても惜しい。もしお前が俺様の配下となるのであれば、望むだけの環境を与えてやろう。そしてその才能を───」
そこで、アンペルの喉が鳴る。
笑いを噛み殺そうとした結果のその音に、ローブの中身は目敏く気付いた。
「何が可笑しい?」
アンペルはただ笑い、ローブが不快そうに揺れる。
その伽藍洞が動くと同時に、ローブの胸元から三本の爪が生えた。
「リラの接近にも気付けないような奴に何が出来るのか、という点が一つ。」
「あ、ぐ・・・」
胸を突き破り、赤い雫を滴らせるオーレンヘルディンに力が加えられ、吐き気を催すような音を立てて捻られる。
ちょうど半回転したタイミングで引き抜かれ、ローブの男が崩れ落ちた。
「もう一つは───本物の“天才”を見たことが無いらしい、といったところか?」
「その通りだ。」
アンペルは倒れ伏した男に近付くと、戦闘特化型の杖『修練の道標』を突き付けた。
「殺したか?」
「心臓は抉った。・・・死んだかどうかは分からん。首でも刎ねておくか?」
リラが首を傾げつつ訊ね、アンペルがその仕草と言葉のギャップに苦笑した。
「まぁ、顔の確認は首だけでも出来るし───リラっ!!」
「ッ!?」
胸元から確実に致死量の血液を流していた身体が跳ね上がり、死人のように蒼褪めた右手がリラの喉元に迫る。
即座に薙がれたオーレンヘルディンがその手を肘から斬り飛ばし、アンペルが撃ち出した黒い閃光が胴体にもう一つの大穴を開けた。
だが、男は止まらなかった。
跳躍して二人から距離を取ると、こちらを伽藍洞の顔で睨みつける。
「無事か、リラ?」
「あぁ、助かった。・・・アンペル、腕を。」
「そうだな。」
アンペルが杖を振り、リラが切り落とした腕を黒い炎で焼き払う。
かつてアンペルの同僚が研究していた禁術に着想を得た、攻撃能力に特化した魔法だ。
その黒い炎は延焼はしない。そういう風に制限をかけているからだ。しかし───
「!?」
ローブの男がもはや存在しない右腕を庇うような仕草をする。今その肘の先には、腕が血も出ないほどの超高温で焼かれている痛みが走っていることだろう。
それがアンペルの出した炎の能力。魂を焼き、切断されたパーツを介してすら本体に苦痛を与え、さらには呪文や錬金術による修復や治癒を阻害する。
「ユニコーンの血の効能は知っているようだが、その傷はもう二度と癒えんぞ。」
アンペル自身が一番よく知っている。自信を持って断言できるほどに。『女神の飲みさし』だろうが、死者蘇生すら可能な『エリキシル薬剤』だろうが、魂の傷は癒せない。
「
ローブの男がそう叫び、木々の間を滑るように逃げていく。
まるで誰かに命じるようなその言葉がブラフであったと二人が気づいた時には、既にその気配は感じ取れなくなっていた。