アンペルのアトリエ ~ホグワーツの錬金術師~ 作:志生野柱
水浸しの廊下に、うつ伏せで倒れ込んでぴくりともしないアンペル。
背筋に凍り付いた鉄棒を差し込まれたような感覚を味わいながら、リラは座り込み、仰向けにしたアンペルの頭を膝に乗せる。
脈はない。確実に心臓は停止しているし、濡れた胸元は上下したりしない。
こいつを蘇生するのももう何度目だ。慌てるな。これはアンペルの作品だ。あいつの腕は確かだ。間違いなく成功する。絶対に蘇生する。そして油断したと、ばつが悪そうに苦笑するはずだ。
そう思う、そう信じる半面で、リラの心の片隅にはいつも悪夢がある。
もし失敗したら? もしエリキシル薬剤でも蘇生できない、アンペルの傷のような『死』だったら? これを飲ませても、振りかけても、この瞼が開かなかったら?
強敵と直面するたびに、アンペルが死ぬたびに、潰れそうになる程の不安を抱えて蘇生してきた。
マスコットが破裂する場面がフラッシュバックする。フィルフサに踏みつぶされたアンペルの死体が。精霊に焼き殺されたアンペルの死体が。蝕みの女王に首を刎ねられたアンペルの死体が。次々に脳裏を過る。
これまでに何度となく見た場面のはずだ。戦闘の末の死と蘇生は、一定以上の力を持った錬金術師や魔術師、死霊術師なら当然のこと。今更怯えることでもない。
だが、一緒に戦闘していたのならともかく、全くの知覚外で死んでいるのは初めての事だ。
もし自分の知らない、蘇生不可攻撃だったら? もし───この先の一生を、アンペルのいない生涯を過ごすことになったら?
戦闘中なら、アドレナリンのような興奮物質がネガティブな思考を妨げてくれる。だが今は、焦りと不安が思考を歪めていた。
「アンペル───」
死んでいるのなら、それは意味のない呼びかけだった。少なくとも、エリキシル薬剤やネクタルのような蘇生系アイテムを使ってからするのが正道といえる。
だが今回に限っては、それは正解だった。
「────なんだ、リラ。気付いてたのか。」
「・・・!?」
死者からの返答ほど驚くことも少ないだろう。
リラの身体が跳ね、その拍子にアンペルの身体が床に落ちた。
「戦闘中でもないのに、随分な扱いじゃないか。」
ごつ、というあまり聞きたくない音を額で鳴らしたアンペルが不満そうに言う。
確かに戦闘中は、回避ついでに死体にエリキシル薬剤をぶっかけて蘇生、敵の攻撃が届かない安全圏までぶん投げる・・・という扱いも偶にはある。
「す、すまん。その・・・急に生き返るからだな・・・」
「悪かった。なら、今度は声を掛けてから生き返ろう。」
そこでようやく、からかわれていたことに気付くリラ。自動蘇生アイテムをあらかじめ使っていたのだろう。
一発殴ろうかと拳を振り上げるも、残念ながら手首には最上位武装のオーレンヘルディンが付いている。
「・・・どうだった?」
「バシリスクの成体だった。かなり戦闘慣れした個体で・・・スペシャルアタックは耐性無効化と即死効果だ。それ以外のスペックはそう高くない。」
「耐性無効化だと?」
影の女王ですら使えない、特級すぎる攻撃だ。リラは心配、怒り、驚愕と、情緒が乱高下して眩暈すら覚える。
しかし、実際に対峙し、一度死んでまで分析したアンペルは首を振る。
「要はタイミングだ。即死の呪いが視線で発動する・・・つまり、発動から着弾までが光速と言える以上、発動してからの対処は困難だ。事前に自動蘇生アイテムを使うか、発動前に倒すかだ。」
アンペルもリラも、スピード重視の攻撃魔法や手数重視の物理攻撃をベースとした戦闘スタイルになっている。その点ではむしろ相性がいい。
「なら、耐性は無視して速度を優先するか?」
「いや、魔眼による即死能力は常時発動型だ。試行回数がとんでもないからな・・・耐性は完璧にしておこ・・・う。」
アンペルの不自然な言い淀みに気付かないリラではない。なんとなく嫌な予感を覚えながら、とりあえず吐けと胸倉を掴んで詰め寄った。
「もし『耐性無視』ではなく、『耐性の大幅低下』だった場合・・・それを上回る耐性を準備すれば、どうなる?」
耐性を100%下げられるなら、200%用意すればいいじゃない、の理論である。
この期に及んで脳筋思考から離れないアンペルに、リラの呆れた視線が向けられる。
「もし『耐性無視』だったら、ただの枷だな?」
「それは・・・その通りだが。」
錬金術師は、探求者だ。
ある者は人々のために、またある者は利益のため、またある者は知識のため。錬金術の最奥を目指す。
特に宮廷錬金術師と呼ばれる一握りは、探求の為なら倫理観ですら投げ捨てる。世界を住民もろとも食い潰すような輩だ。
そして、アンペルも最低限の道徳を忘れていないだけで、寿命・生死すら意のままに操らんとする、冒涜者といえる。少なくとも本人はそう嘯く。
命は有限だが、貴重ではない。
何十回と死と蘇生を繰り返していれば、そんな価値観が染みつくのも仕方ないのだろうか。
「その時は───また装備を替えてやり直せばいいだろう?」
リラはアンペルを張り倒したい衝動に駆られたが、いま殴れば高確率で首が刎ね飛ぶ。いくらクロークの防御力が高かろうが、所詮は魔術防御用。しかも普段使い用の低品質。物理攻撃に秀でた戦士の一撃を受け切れるほどのものではない。
それにリラには、アンペルがここまで性質の解明に拘る理由も分からないではないのだ。
ライザのため。より正確には、今後必ずライザに同行してバシリスク狩りに行くことになる、クーケン島の友人たちのため。
大人として、先人として。或いは師として。道を示してやりたいのだろう。
「その間に出るホグワーツ生の被害は?」
「・・・そうだな。」
アンペルも分かってはいたのだろう。
ここは意地を張っていい場面ではない。
確かに、殺したあとサンプルを解析するのと、生きている間のデータと死後のサンプルの両方を調べるのでは、圧倒的に後者の正確性が高い。
だが一人ずつでもバシリスクを打倒できるだろうライザたちと違って、ホグワーツ内ではダンブルドアなら或いはというレベルだ。
アンペルが渋々といった体で頷く。
「先生! 無事だったんですね!」
「フォルマー先生、一体何が・・・?」
嬉しそうに駆け寄ってくるハリーと困惑気味のジニーに、アンペルは水浸しの廊下に座り込んだまま手を振って応えた。