入り口の部分だけを空けて手早くセーフハウスの壁を張る。それから忘れずに松明を壁につけ、俺は雨に濡れるのに構わず外へ飛び出した。
辺りを見渡す。薄暗い森が広がるばかりで何も見えない。
「どこから聞こえた……!?」
言い様のない焦燥感に駆られていた。
急がなければ取り返しのつかないことになる。
聞こえた悲鳴が本物なのか幻聴なのかも定かでないのに、無性にそう感じずにはいられなかった。
激しい雑音を立てて降りしきる雨に打たれながら、俺は目を閉じた。
雨粒が体を伝っていくのがよく分かる。濡れた布鎧がぴったりと肌に張り付き、靴はもう歩くたびに泡立つような音を鳴らすことだろう。
だが、そんなことが気にならないくらいに意識を研ぎ澄ませる。自分自身の存在さえ忘れ、世界の空気に溶け込んでいくような錯覚さえ感じた、その時。
「――あっちだ!」
雨の中、とある方向から何かが聞こえた。いや、聞こえたというより騒々しい気配がすると言った方が正しいだろう。弾かれたように俺の体は動き出していた。
乱雑に松明を辺りに設置しながら走る、走る、走る。濡れた草や僅かな地面の起伏に足を取られそうになり、肺は酸素を求め、耳元で鳴っていそうな程心臓が脈打ち、喉元に血の味がこみ上げてきて、それでも走った。
いつも警戒しながらゆっくり進んでいるのとは全く逆だった。目的地に辿り着くことしか考えておらず、それ以外に対する注意を一切払っていない。普段の俺ならば、まずしないことだった。
自分が何故こうも焦っているのか理解出来ぬまま走り続ける。随分長く走った気がしたが実際には大した距離では無かっただろう。
やがて俺は、前方に影が見えることに気がついた。
モンスターだ。それも何体もいる。
(ゾンビ、スケルトン、クモがそれぞれ1か!)
大雨の中とはいえ、水溜まりの広がる地面を力強く踏みながら走ってきた俺に奴らは気がついていないようだった。
いや、気がつかないというよりは別の何かに気を取られている。
それが何なのか――考えるまでもない。
「いやっ、来ないで!」
そんなの、悲鳴の主に決まっている。
今度ははっきり聞こえた。女の子の声だ。酷く怯えている。薄暗いせいか姿はよく見えないが、絶体絶命の危機に陥っているのは一目瞭然だ。
敵の注意をこちらに引きつけると共に気合を入れるため、声を張り上げた。
「こんっのぉぉぉ!」
松明を鉄の剣に切り替え、走ってきた勢いで跳びながら斬りかかる。目標はスケルトンだ。この中で最も脅威度が高く、何より弓を引き絞っているのが見えたからだ。こいつらを全滅させるにしても逃げるにしても、スケルトンは最初に倒しておかなければならない。
「せいっやぁ!」
派手に乱入したことでモンスター達の標的が俺に映ったのを肌で感じる。攻撃を食らったスケルトンも若干吹き飛ばされつつもすぐさまこちらに弓を向けてきた。
だが、その矢は放たせない。俺は着地するや否や、スキップをするかのように再び跳びはねてスケルトンを斬りつける。スケルトンは矢を放つことなく消滅した。
この世界のモンスターの体力がゲームの時と同様なのは既に分かっている。だから鉄の剣の場合、初撃でクリティカルを当ててもスケルトンの体力は残り10、普通に斬りつけたのでは3撃目が必要になってしまう。
だからもう1度クリティカルを狙った。かなり無茶な動きであり、試したのも初めてだ。ここまで全力疾走してきたせいもあって体中が重い。そのまま咳き込んで倒れ込んでしまいたい。
しかし、敵はまだ残っているのだ。歯を食い縛りつつ、そのまま回転するように鉄の剣を背後に振り抜いた。ちょうど飛びかかってきていたクモにその斬撃は当たる。が、倒すには至らず、俺はそのまま体当たりを受けて押し倒された。クモの重量と衝撃で地面に勢いよくぶつかる。
「く、はっ」
意識が遠のきそうになるも引き留めつつ、反撃に移る。クモの腹を剣で突き刺し、そこからさらに強引に斬り抜いた。2撃当てた扱いになってくれたようでクモが落ちる。
これで後はゾンビだけ。疲弊しているとはいえ、1対1なら何とかなる相手だ。
呻き声を上げながらこちらに寄ってくるゾンビを前によろめきながらも立つ。腕を伸ばしてきたのを一閃して押し返し、怯んだところにすかさずもう2撃を食らわせた。ゲームだったらクリック連打しているようなものだった。断末魔を残してゾンビは倒れ、そのまま消えていく。
今のところ増援はいないようだ。
「ふぅー……」
息を長く吐き、荒い呼吸を落ち着かせる。火照った体が雨で冷えていく。
ここまで激しく動いたのはこの世界に来てから初めてだ。次点でクリーパーの爆破が直撃しそうになった時か。あの時は一瞬だったが、こっちは走ってきてからの戦闘だから運動量が違う。こういう時、アニメやゲームとかのド派手で激しい戦闘を行なっているキャラ達の体力はつくづく人間離れしていると思う。
さて、だ。モンスターは倒したものの、肝心の悲鳴を上げた人はどうなっているのだろう。間に合ったとは思うが怪我してるかもしれないし、他のモンスターが寄ってくることも考えられる。手遅れになったらここまで頑張った甲斐がない。早く助けないと。
そう思って辺りを見渡す。すぐに見つかった。近くの木の根元で座り込んでいる。
俺は大丈夫か、と声をかけようとして――息を呑んだ。
「――え」
初日に水面で自分の姿を見た時と同様の衝撃が走った。
清涼感のある水色の髪と白を基調にした服を除けば琴葉茜によく似たその少女。
ああ、そりゃあ聞き覚えがあるはずだ。
琴葉茜のことを知っていて、彼女のことを知らないという人は居まい。
――琴葉葵。
琴葉茜と対になる双子の妹。彼女が呆然とした様子でこちらを見ていた。
「あー……災難やったなぁ、大丈夫か?」
とりあえず無難に安否を確認してみる。村人と話していた時の癖か、茜を真似た口調になる。一瞬驚いたものの、考えてみれば彼女はあくまで琴葉葵の姿をした『誰か』であろう。
そもそもどうしてこの世界に来て今の姿になっているかは定かでないのだ。何も想像上の人物の姿になるのが俺だけとは限らない。別人の姿になっていたかは分からないが、クラフターだってこの世界には過去に何人もいたのだ。そういうことだってあるだろう。
俺はそう推測し――
「……お姉、ちゃん」
直後に、それが大外れであることを確信した。
この子、本物だ。『琴葉葵』じゃない、琴葉葵だ。
理屈ではない。だが『茜』ではなく茜に向けられた親愛が、彼女の眼差しやたった一言から不思議と伝わってきた。徒に言葉を積み重ねずとも感情を乗せることは出来るということを、俺は初めて理解したような気がした。
どういう、ことなのだろう。俺は今まで考えても仕方が無いこととして、自分が何者なのかについてはさほど気にしてこなかった。せいぜいいわゆる異世界転生か何かかと思ったくらいだ。
だが、本物の琴葉葵がいるというのなら、それは本物の琴葉茜が居たっておかしくないということだ。現に目の前の彼女は俺を姉本人であると認識している。俺の今の体は琴葉茜本人のものということになるのか? つまりは俺は転生したのではなく、琴葉茜に憑依したのか。
でも、もしもそうなのだとしたら。本物の茜は、琴葉茜は一体どこへ行ったんだ。俺の体が琴葉茜になっただけで本物は別に居るだとか、そもそも目の前の葵も本人じゃないだとか。都合の良い考えが脳裏に浮かんでは儚く消えていき、代わりに最悪の可能性がどんどん鎌首をもたげていく。
まさか、もしかして。
俺の人格が入ったせいで茜自身の人格が消えた、なんてことは。
「お姉ちゃん!」
衝撃が走り、ハッと我に返った。
葵だった。震えながら
離したら消えてしまうのではないか。そう思っているかのように力強かった。
「怖かった! 不安だった! 寂しかった、う、うわあぁぁぁんっ!」
泣きじゃくる葵に、俺はどうすればいいのか分からなかった。
俺が本当の姉ではないとはとても言えず、かといって本物として振る舞うべきではないという思いもあり。
それでも気がつけば彼女のことを抱き返し、あやしていた。
「そっかそっか、怖かったなぁ。不安だったなぁ。寂しかったなぁ」
雨の降りしきる中、嗚咽を漏らす葵の背中をそっとさする。
そうするうちにひとしきり泣いたことと安堵とで気が抜けたのか。急に静かになったと思ったら、彼女はすっかり寝てしまっていた。
見れば服には擦り切れがあるし、手足にも傷がついている。どれくらいかは分からないが、気の休まることもなくずっと彷徨っていたのだろう。それだけ疲れていたのだろうが、この雨の中で寝れるってちょっとすごいと思ってしまった。
それはさておき、そろそろ移動するか。いつモンスターが寄ってくるとも分からないし、セーフハウスに戻ろう。さすがに今の状態で葵を守りながら戦うのはキツい。
寝ながらも相変わらず
葵の温もりを感じながら、ここまでに置いてきた松明だけを頼りに雨降り荒ぶ薄闇の森を歩いていく。時折竜のような電光が雷雲に煌めき、轟いては空気を震わせていた。
やがてセーフハウスに辿り着いた。ちらと中を覗いて敵がいないことを確認してからドアを取り付ける。屋根の下に入り、雷雨の音以外は物静かになる。
さすがにここから拠点に戻るのは危険だろう。もう暗くなってきたし、今日はここで一晩過ごすか。
「う、ううん……」
抱きかかえていた葵が身動ぎした。
まだ寝てはいるが魘されているようで苦しそうな表情をしている。
「安心しぃ、ウチが傍に居たるから」
そう言って頭を撫でる。心なしか彼女の顔が和らいだ気がした。
……何をしているんだろうな、俺は。
もしかしたら茜を奪ってしまったかもしれない身で姉の真似事なんて。
この雷雨がいつになったら止むのか、葵が目覚めたらどう状況を説明したものか。
そんなことを考えつつも、自己嫌悪せずにはいられなかった。