警戒のために半分起きて、休息のために半分寝ているような。
そんなうつらうつらした状態でいるうちに朝になっていた。
扉のガラス窓からは明かりが射し込んでいて、あれほど降っていた雨の音もしない。
幸いなことに襲撃はなく、天気も落ち着いてくれたようだった。
「ん……」
途中からは膝枕していた葵が寝息を漏らした。
昨晩に比べるといくらか顔色も良くなっているように思う。
その可愛らしい寝顔を見ているといささか申し訳ない気もするが、このままずっとこうしているわけにもいかない。
「葵、朝やで」
声をかけて軽く揺すると僅かに身動ぎした後、彼女はゆっくりと瞼を開いた。
ぼんやりしており、まだ周囲の状況が頭に入っていかない様子だ。
きょろきょろと視線を彷徨わせている。
「あれ、お姉ちゃん……?」
「ここにいるで」
葵に声をかけるとこちらを向いた。
しばし見つめ合う形となる。姉とお揃いの透き通った赤い瞳がとても綺麗だ。
葵はやがて安心したように、再び俺の膝にぽすっと頭を乗せた。
「って、ああああ!」
ものの、その直後には弾かれたように体を起こした。
完全に目が覚めたみたいだ。
「おはようさん」
「え、あ、おはよう。ってそうじゃなくて!」
俺が声をかけると一瞬我に返ったようになるが、すぐにまた慌て始めた。
正直、見ていて楽しい。このまま眺めていたい気もする。が、それは可哀想だろう。
落ち着かせなければなるまい。
「葵、こういう時はどうどう、ヒッヒッフーや」
「混ざってるよそれ! それに私は馬でも出産中の妊婦でも無いから!?」
「んー間違ったかなぁ?」
とぼけてみたものの、内心キレの良いツッコミが返ってきて感動している。
ふむ、葵ちゃんはツッコミ芸人の素質有りと。いや、彼女からしたら別にそんなことで評価されても嬉しくないだろうか。
でも今の会話には気持ちを落ち着かせる効果があったらしい。
「すぅ、はぁ……えっと、お姉ちゃん」
一旦深呼吸をした後、葵は話しかけてきた。
「今の状況がどうなってるかって分かる?」
「んー簡単に言えば遭難中やなぁ」
「そう、なんだ。……今のは違うからね!」
顔を真っ赤にした葵に、自分でも分かるほど口角が上がる。
定番ネタではあるが、やっぱり可愛い子がやると違うよな。
見た目が相手への印象の大半を占めるというのは厳然たる事実だ。
例えばもしもこれが俺の元の姿だったとしたら……うん、相変わらず全然思い出せないけど、まず無いだろうな。そんな気がする。
「ふふっ」
「あっ、笑った! もう、話進めるよ!」
堪えきれずに笑い声が漏れ出た。
葵はそれを咎めようとしたものの、言えば言う程ドツボに嵌まると思ったか。
諦めて流すことにしたようだ。
「私たち、確か古本屋さんで何か面白そうなのがないか探してたよね? そうしたら急に景色がおかしくなって、いつの間にかこの森にいたのが一週間前」
「え? ウチ、1ヶ月くらい前にだだっ広い平原で寝てたんやけど」
「そうなの!?」
葵はまず記憶を辿って状況を整理しようとしたようだが、既に食い違いが発生してしまった。
もちろんそれは当たり前だ。俺は茜本人ではないのだから、共通する記憶なんてあるわけがない。
「それに、葵。1つ言っておかへんといかんことがあるんよ」
「え、何?」
そして俺はそのことを言わなければならない。
彼女は驚くだろう。悲しむかもしれない。あるいは姉を返せと怒るだろうか。
本物の茜として振る舞うのは無理だ。全く知らない人物の真似なんかが出来るわけがない。絶対に齟齬が出てくる。
初めから正直に話すべきだ。
俺は、琴葉茜じゃなくて。本当は……。
「…………」
「……お姉ちゃん?」
言葉が、出てこない。
本当のことを言って、彼女に拒絶されるのではないか。その恐怖が鋭利なナイフのように喉元に突き刺さって、言葉を堰き止めている。
葵は急に黙った
代わりに出てきたのは、まるっきりの出任せでも、さりとて全く正しいというわけでもない台詞だった。
「ウチ、ウチな。どうやら記憶喪失みたいなんや」
「え……ええっ!?」
嘘は真実の中に混ぜ込む、あるいは嘘はつかないが全てを語らない。
使い古され、よく語られる効果的な手法だ。
俺が茜本人ではないこと、もしかしたら茜の人格を追い出してしまった可能性など、本当に重要なことを省きながら語る。
……ろくでなしだ。反吐が出る。
「日本で暮らしとったこととか、葵のお姉ちゃんだったこととかは覚えとるんよ。でもそれ以外の、色んなことが思い出せないんや。具体的にどう生活しとったかとか、葵以外の人のことも皆」
「そ、そんな……」
案の定、葵はかなりショックを受けた様子だった。
それはそうだろう。肉親が記憶喪失になったなんて、大切な思い出の数々が失われたことが悲しくないはずがない。
しかも琴葉姉妹と言えば、大抵は相手がほぼ半身かのような絆の持ち主だ。例外もあるが、中には姉妹という一線を越えた創作だってたくさんあった。それは行き過ぎかもしれないが、公式設定において彼女達が仲の良い姉妹であるのは確かだ。
目の前の彼女と本物の茜の関係性を俺は知らないが、少なくともいがみ合ったり希薄だったりする関係では無いだろう。むしろ一緒に出かけることもある、一緒に居ると安心出来る、物心ついた時からの家族。
それを、俺は。
「ごめんな……」
「う、ううん!」
申し訳無さと罪悪感とがこみ上げてきて、ぽつりと謝罪が出てくる。
それを聞いた葵は思い直したように首を振った。
「確かにお姉ちゃんが記憶喪失っていうのは驚いたけど、それでもお姉ちゃんは昨日私を助けてくれたよ」
そう言って彼女は俺の手を握り、努めて安心させるかのように微笑んだ。
とても温かい手だった。
「だから私にとってお姉ちゃんはお姉ちゃんなの。そう気にしないで」
目頭が熱くなり、涙が零れそうになる。
それを誤魔化そうとどうにか笑みを作って、顔を見られないように葵を抱きしめた。
「ひゃっ!?」
「ふ、ふふ。葵は、ええ子やな。……ありがとうな」
葵は何やらあたふたしているようだったが、俺はそれを気にするどころではなかった。
ああ、まるっきり昨日の夜とは逆だな。昨日は茜が葵を受け止めて、今は葵が茜を受け止めている。
ほんとに、ほんとに良い子だと思う。
全く、俺も元はいい年した大人のはずなのになぁ。
「ど、どういたしまして」
俺が離れると彼女はほっとしたようなそうでもないような、複雑な感じでそう言った。
少し顔を赤らめて、また若干挙動不審になっている。
あれ? こんな状況、ついこの間どこかで……ああ、村の門番! でもあの時とは大違いだな! そう思うと不思議と気分が落ち着く。ありがとう門番さん。
2人して落ち着いたところで話を戻す。
「まあとにかく。経緯は分からないけど、私達が遭難中というのは確かなんだよね。それに信じがたいけど、夜になると出てくる怪物からしてここは日本じゃないどころか異世界である可能性が高い」
「せやな」
俺が首肯すると葵は難しい表情をした。
それから深いため息をついた。
「これからどうすればいいんだろうね。食べ物もリンゴくらいしか見かけないし、森も抜けられないし……」
あのリンゴの木の様子は葵が採ったからだったのか。なるほどな。見つけにくいリンゴの木が近くにあるとは運がいい。いや、そもそもこんな事態に巻き込まれているのだからむしろ不運なのか? こういうのは不幸中の幸いと言うべきか。
それはそうと葵はどうやらお腹が空いているらしい。当たり前か。食べるのがリンゴだけで、それをさらに節約しているんだろう。いくら小食だったとしても到底必要な食事量には足りない。
「お腹空いとるんか。なら、これ食うか?」
俺はインベントリから焼き鶏を取り出すと葵に差し出した。
持ち歩いてて良かった。ゲームの時と同様、インベントリには常にツールとか食料とかを入れているからな。
いざ何か不測の事態が起きた時の備えが功を奏して良かった。
「あ、ありがとう。お姉ちゃ……」
「……ん? どうしたんや葵?」
ところが葵は焼き鶏を受け取ろうとしたところで、突然ピタリと固まってしまった。
手を伸ばしたまま、凝視している。
虫か汚れでもついてたかと焼き鶏を見てみるが、特に異常は無い。
「葵ー?」
「今の、どこから取り出したの?」
俺が声をかけると葵はわけが分からないという口調でそう言った。
「何って、そりゃあインベントリか、ら……」
そこまで答えを返して、気がついた。
もしかして、葵はクラフターの能力に気づいていない?
村での話によれば、別の世界からこの世界に来た存在にはクラフターの力が与えられるはずなのだが。
まあ俺が気がついたのも偶然だったしな。きっかけも無しに気づくのは難しいだろう。
「葵、ちょっと物をしまうイメージしてみ」
「え、え?」
相変わらず固まったままの葵に焼き鶏を持たせながらそう言ってみる。
葵は言われるがままに試してみたようで、焼き鶏が手から忽然と消える。
無事格納されたようだ。でも葵はまだ理解が追いついていないようだった。
「葵、もう1つ教えんといかんことがあったわ」
はたして琴葉姉妹の世界にあるかどうか分からないが、もしもあるというのならこれで通じるはずだ。知っていればだが。
「どうやらこの世界、マインクラフトに近いみたいなんよ」
「あの、ブロックを積み上げて家を作るゲーム?」
「ん」
俺は頷いた。良かった、どうやらあるらしい。
最初は混乱するだろうけど、だいぶ説明しやすくなる。
そんなことを考えている俺を余所に葵はわなわなと震えていた。
そして――
「……ええぇぇぇ!?」
今朝、最大級の驚愕の声が上がったのだった。