最初の頃こそこの世界の『仕様』に戸惑っていた葵だったが、人とは慣れる生き物である。すっかり順応して、ちょっと目を離した隙にニワトリの数が増えていたり、俺が動物小屋の改築中に落っこちて頭から地面に突き刺さったりする程度では驚かなくなった。
「ちょ、お姉ちゃん何やってるの!?」
「湖ならちょうど映画みたいやったのに惜し、いやなんでもあらへんすんません」
……訂正、後者に関しては驚いてたし怒られた。
ともかくそんなわけで、葵もある程度は1人でここでの生活をこなせるようになったと言えよう。元々大した作業も無く、むしろ暇を持て余すような状況なのだ。正直なところ、ただ生きていくだけなら葵だけでも何とかやっていけるだろう。
そんなこんなで、気がついたら葵と一緒に生活するようになってから1週間が過ぎた日の朝のこと。
「ほな、探索行ってくるから留守番頼むで。じゃ」
「待った」
そろそろ探索でもしてみようかなと家を出ようとしたところで葵に捕まった。
これもまたすっかりお馴染みになってしまったジト目をこちらに向けている。
「どしたん?」
「いやいや、そんなコンビニ行ってくるみたいなノリで言うことじゃないでしょそれ」
はぁ、と葵は溜息をつくと窘め始めた。
「考えてもみてよ。ここ1週間のお姉ちゃんを見てて安心して送り出せると思う?」
「うっ」
痛いところを突かれ、思わず声が漏れた。
先ほどの落下事件をはじめ、動物小屋を広げようとした際に寸法を間違えてニワトリが何羽か脱走したこと、一口のつもりが植えてた果物を数箇所食べ尽くしてしまい、満腹で動けなくなっているのを見つかったこと、家の屋根裏に松明を設置し忘れたせいで突然空洞音が響き、2人で驚いたこと等々が脳裏を過ぎる。
いや、わざとじゃないんだ。決してちょっと良いところを見せようとして張り切りすぎたとか、ついつい手が伸びてしまったとかじゃないんだ。そんなつもりでは断じて無いのだ。無いったら無い!
……まあ屋根裏は、いずれ倉庫にでもしようかなと思いつつ忘れてしまったのだが。
「だ、大丈夫やで。葵と出会うまでは1人でやれてたんやし、探索中はちゃんと警戒するから。それにどのみち周辺の地理はちゃんと把握しとかな、今後の身の安全や生活に関わるねん」
「むう……」
せめてものつもりで説得すると一理あるとは思ってくれたのか、葵は不服そうにはしながらも押し黙った。
このまま行けるか? 俺がそう思った時、彼女は一旦閉じた口を開いた。
「分かった。でもそれなら私もついていくよ」
「おお、分かってくれたんか葵……へ?」
俺は思いがけない一言に目を瞬かせる。
「まだ探索については教わってないし、だったらちょうど良い機会だと思うんだけど。そんなに遠くや危険なところにまで行く気じゃないんでしょ?」
「それは、そうかもしれんけど。でも別に葵が探索せんでも」
ウチがそういうのは全部やる。
そう言いかけた
「確かにこの世界のことに詳しいわけでもないけど、それでも私は妹とはいえお姉ちゃんとは双子なんだよ? ずっと守られてばかりいる気も無いんだからね」
彼女の澄んだ瞳は、まるでこちらの心中を射抜くかのように俺を見据えていた。
正直なところ、俺はこのまま葵には拠点周辺に専念してもらって探索のような危険の大きいことは俺だけでやればいいとすら思っている。もちろん俺も痛いのは嫌だし、
でも、それはかえって彼女のためにならないのだろうか。もし俺が本当の姉だったら、こういう時にどうすれば良いのか分かるものなのだろうか?
「……分かった。ほな、まずは葵もインベントリを探索用に整理せなな。ってかまずは鉄装備揃えなアカンな」
上手い反論も思いつかず、俺が頷くと葵は少しホッとしたようだった。
ともかく今日は葵と2人で探索することになった。
インベントリの整理とは言っても大したことはない。各種鉄装備やツール、それから松明や食料、移動用の土や砂などを持っていき、後は空っぽにするだけだ。
「あれ? 装備は着ていかないの?」
「試しに着てみ」
家を出る間際になっても服を替えないのを見て尋ねてきた葵にそう返す。
不思議そうにしながらも一瞬で全身を鉄装備で固めた葵だったが、出発してから間もなく俺に倣って鎧を脱いだのであった。
さて、今回行くのは前と同じく森である。というか平原方面は時間がかかりすぎるし日帰りするとなると、この辺りを歩くしかないんだよな。ほとんど手つかずの川向こうの丘や小山もあるけど、あそこはまず橋をかけたい。ゲームだったら気にせず泳ぐというか、ぷかぷかと浮きながら移動していたが、この世界じゃ当たり前に沈むし濡れるからな。
今のままでは探索範囲にも限界があるし、どうするか考えないといけない。
「それで何か目標とかあるの?」
「あらへんよ? まあ今まで通ったことのないところ行って、何か見つけたり日が暮れそうになったりしたら帰るって塩梅やな」
目印を置きつつ、葵と一緒に森の中を歩く。
キョロキョロと周囲を見渡している葵の問いに答えつつ、脳内に簡単な地図を思い浮かべる。
右も左も似たような景色の森とはいえ、浅いところならおおよその位置は判断がつく。今回は初めの頃、スケルトンと戦った辺りを通ってみるか。あの洞窟は入ってすぐのところは湧き潰ししてあるし、横道も封鎖してあるから敵が出てくることはないと思うが。
「お姉ちゃん」
念のため少し警戒を強めながら通り過ぎるが、特に何事も無い。
影になっていた横道の先は確認していなかったが、何となくあの洞窟に入るのは躊躇われる。
「ああ、あの洞窟は1回入ったけどちょっと鉄鉱石があったくらいで、もうめぼしいもんは無いで」
「ううん、そうじゃなくて」
だから葵にはそう返したのだが、彼女が言いたかったことは違ったらしい。
「あれ」
「うん? ……おおっ!?」
葵がある方向を指さしたので、それに従って視線を向ける。
そこにはマインクラフトではお馴染みの地形の1つ、地面に入った大きな亀裂のような渓谷があった。
そんなに向こう岸とは離れていないが、その幅の狭さが草木とも相まって若干隠れている。
「お姉ちゃん、どうする?」
「うーん、ちぃと覗いてみるか」
そろりそろりと崖から2人で覗き込んでみる。
どこかから川でも流れ込んでいるのか、水の溜まった底まで陽が届いているが数十メートルの高さはある。高所恐怖症でなくともゾッとする光景だ。
前に来た時は手前の洞窟に気を取られて気がつかなかったが、もしあの時洞窟に入らずそのまま直進してたらここに落ちていたかもしれない。
そう思うとにわかに背中を寒い物が走り抜けるような気がした。
「……おっ?」
そんなことを思いつつ渓谷を眺めていた俺は、途中に何やら石や土とは違うブロックがあることに気がついた。
「どうしたの?」
「廃坑や」
葵の問いに、俺は端的に答えた。
マインクラフトにおける廃坑は、通常の世界に生成される構造物の一種である。基本的には地下に生成されるもので、石のトンネルとそれを支えるような木材の支柱、レールが敷かれているのが印象的である。もっともゲームの仕様上、この支柱もレールも、そもそも廃坑そのものが飾りでしかないのだが。
この廃坑の大きな特徴は毒を持つ洞窟グモのスポーンブロックや少し珍しいアイテムの入っている可能性のあるチェストなどがあることだ。人によっては鉄ブロック節約のためにレールもまた戦利品となるが、多くのクラフターにとってはチェストこそが廃坑探索の一番の目当てとなるだろう。特にスイカの種なんかは手に入れる数少ない手段の1つである。他にもダイヤモンドやエンチャント本、金のリンゴなども入っていることがあり、まあ見かけたらとりあえず開けて損は無い。
ゲームではそんな場所だった廃坑だが。
「どうや葵、何か面白いモンでもあるかもしれんで」
「いらないよそんなの。あるかも分からない上に、そもそもどうしてもスイカが必要なわけでもないし」
説明のあと、冗談めかした俺の言葉を葵はにべもなく切り捨てた。
うん、いらないよなぁ。スイカは食料以外では、金塊とクラフトとして出来るきらめくスイカが治癒のポーションの材料として使うが。確かに即時回復は魅力的なものの、それが必要なのは激しい戦闘が行なわれる場面だろう。基本夜は家に引っ込んでいて、洞窟にも深入りする気も無いのなら必要ない。それに醸造設備も金も持ってないし。
スリルも冒険も無い無い尽くしだが、実際に命を大事にしようとしたらそんなものだろう。いくらでも生き返れるゲームのサバイバルと違って、死んだらそれまでのリアルハードコアなのだ。好奇心に殺される猫のような振る舞いは以ての外だと言えよう。
安全第一である。もう目先の鉱石に釣られるような油断はしない。
「ま、しゃあないな。ほな、日もまだ高いしもう少し他見て回るか――ん?」
などと考えていたのが仇になったのだろうか。
ふと体が斜めにずれるような感覚に、俺は高いところに立ったせいで目眩でも起こしたかと思ったのだが。
それは全くの的外れであった。
「おっ、お姉ちゃん! ここ危な――きゃあああ!?」
それに気づいた葵が警告した時にはもう遅かった。
この世界が全くのゲーム通りではないということを分かっているようで、それでもまだ俺はマインクラフトの法則に縛られていたのだった。
何のことはない。俺達の立っていた辺りの地面が滑落したのである。
元々もろかったのか、先週の雨のせいなのか。
いずれにせよ、遠ざけようとしていた死が間近に迫ってきていることに代わりは無かった。
「う、嘘やっ……なんで、マインクラフトなのに!」
ぐんぐん谷底が近づいてきている。
実際には俺達の方が落ちて行っているというのに、そんな錯覚さえ感じた。
咄嗟に伸ばした手も、何も掴むことは無かった。
この浮遊感、どこか、で。
「そんなんアリかぁぁぁ!」
自分自身の叫びすらが、遠く聞こえるようだった。
ああ、俺が探索に出ようなんて言い出したばかりに。
葵ちゃんに体の茜ちゃん、本当にゴメ――
「――お姉ちゃん!」